エルネスト伯爵夫人の過去。
無事にお義姉様を預けるに足る相手……エイデスを見つけた後は、今まで以上に慎重に、そして迅速に準備を重ねた。
お父様とお母様の納得がいく形で、お義姉様を彼に預ける。
そのために必要なのは、まず、彼の興味を引くことだった。
エルネスト伯爵家汚職の証拠と、裏事情。
その二つと、正当な伯爵家の後継者である、お義姉様の窮状と。
証人として、イオーラお義姉様の身柄を安全に確保するために、やって欲しいこと。
そうした、願いと実利を織り交ぜた手紙と、証拠を保管している場所を書いた用紙を同封して。
ーーー貧乏男爵家のレオに、それを預けた。
彼が、お義姉様を図書館に連れて行くたびに顔を見せるのを知っていた。
きっとお義姉様自身が、その日程を教えているのだろう。
近づいて欲しくはなかったけれど、信用は出来る相手、それがレオだった。
封筒に書かれた名前をチラリと見て、彼は目を丸くした。
『……なぜこれを、俺に?』
そう問われて。
『臆病者でも、その程度のお使いは出来るでしょう?』
ウェルミィは、ニッコリと笑みを浮かべて、告げてやった。
ーーーお義姉様を助けたいのなら、言う通りにしろ、と。
ーーー私がお義姉様を預ける相手は、お前ではない、と。
言外に、眼差しに険を込めて告げる。
レオは苦笑して、それを受け取った。
『随分と嫌われたものだ』
『たかが男爵家程度が、伯爵家の人間に媚を売っているのが気に入らないのよ』
このやり取りには、いくつかの賭けが含まれていた。
手紙は、二通用意してあった。
一通は匿名で、エイデス魔導卿本人に送ってある。
だけれど、誰のものかも分からない告発状を、受け取って、読んで、調べるという手間を彼がかけるかが分からなかったから。
レオがお義姉様に好意を持っているのと、助けたいと思っているのは明白で。
その一点『だけ』は、協力できると思っていたから。
しばらくして、預けていた人から、証拠が持っていかれたと聞いた。
その後、エイデスから望んだ通りにお義姉様に対する婚約の釣書が来た時には、心の底からホッとした。
お義姉様と少し話せば、礼節も完璧で、聡明で、ボロボロの皮を脱げば何よりも美しい人であることはすぐに分かる。
惹かれずとも、無碍に扱うことはないはずだった。
婚約が、披露宴まで開かれるほどに成立したことは、最上級の結末だった。
そしてもう一つ、ウェルミィは仕込みをしていた。
貴族学校にも、匿名で『ウェルミィの提出したレポートは全てお義姉様が書いたものだ』という暴露をしていた。
不祥事として揉み消される可能性もあったけれど。
ウェルミィの元には、魔導省の実験部門や、薬学を専門とする施設で働かないか、という誘いも来ているくらい、それは優れたレポートだったから。
もしウェルミィでないとすれば、と調べるくらいのことはするだろうと読んでいた。
それをしていることも、エイデスには伝えてあった。
ーーーそうして、今がある。
「脱税と虚偽申告は、国家に対する背任だ。同時に、お前は殺人未遂の罪にも問われる」
自分の罪を宣言されたお父様は、完全に顔色を失っていた。
「わ、私は知らん! イオーラだ! イオーラが全て勝手にやったのだ!!」
「ほう。自分を殺すための魔導具を購入したのも、彼女か?」
「そ、れは……わ、私を殺そうとして……」
「見苦しいぞ、エルネスト伯。では買った人間の人相がお前に酷似しているのは何故だ?」
あまりにも苦しい言い訳の数々に、エイデスの視線がさらに鋭くなる。
「魔導具以外のことに関しても。イオーラ嬢が勝手にやったことだと言うのなら、お前は会計監査の監督不行き届き、及び領主としての職務怠慢となる。また、帳簿を遡れば10を越えた辺りの子どもにそれを押し付けていることになるな。児童労働の罪にも当たる。どちらにせよ、お前はもう終わりだ」
エイデスは隙のない追及を吐き捨てて、その場にいる高位貴族に声を掛ける。
「キルレイン法務卿。拘束の許可を」
司法のトップにいる相手は、もしかしたら事前に、このことを聞かされていたのだろう。
怜悧な風貌の彼は、小さくうなずいて合図を出す。
すると、入り口の傍に控えていた二人の兵士がすぐさま動き出して、お父様の身柄を拘束した。
「な、なん……」
母がそれを見て悲鳴を上げるように口を開いた。
「わ、わたくしは知らなかったわ! それに家政はちゃんと仕切っていたわ!」
自分が関係ない、と叫ぶお母様に、エイデスは首を横に振る。
「お前には別の罪状がある、エルネスト夫人」
「っ!?」
「結婚詐欺だ」
ーーーそれは、知らない。
ウェルミィは、そもそも母のことは特別に対処する気がなかった。
お義姉様に辛く当たったことに対しては、虐待の罪には問われるかもしれないが、お父様が捕まれば一蓮托生で伯爵家は取り潰しになる公算が高い。
ウェルミィとお母様に与えられるのがどれだけ軽い罪状でも、平民に戻ることは確定。
そうなれば、侯爵家の人間であり、かつ魔導爵の地位を賜るエイデスの婚約者に手は出せないから。
計画にないお母様の罪状に、ウェルミィは計画の小さなほつれを感じた。
「エルネスト夫人。お前によって裏切られた相手を、この場に呼んである」
その言葉とともに、壁際から進み出てきた人物を見て……ウェルミィは、その日初めて、演技ではなく心から驚いた。
「クラーテス先生……」
「やぁ、ウェルミィ」
淡い色合いのプラチナブロンドに、朱色の瞳。
気の強そうなウェルミィと違って優しげな面差しだが、客観的に見れば似たような外見の彼を見て、お母様はまるで幽霊でも見たかのような顔で、両手で口元を覆う。
そんなお母様に、悲しげな笑みを浮かべたままチラリと目を向けた彼は。
ーーーウェルミィに、解呪の魔術を手解きしてくれた、一級解呪師だった。
「彼は、クラーテス・リロウド。魔導省で臨時魔導士として登録されている人物だ。……私の旧友でもある」
クラーテス先生を知らない人たちに向けて、エイデスが淡々と告げる。
「そ、そんな人、知らないわ!」
「彼は元々、リロウド公爵家の人間だった。一時は縁を切って出奔していたが、市井での名声で国から一級解呪師の資格を与えられたことで、実家と和解された」
お母様が絶叫するのを無視して、エイデスは言葉を重ねる。
「そして近日縁あって、再会した」
エイデスは、そこで何故かウェルミィに目を向ける。
しかし、クラーテス先生の登場に驚いた衝撃はすでに冷めていた。
ーーーなぜここに、彼が?
エイデスが言ったことが聞こえておらず、ただその疑問だけを感じている風を装った。
こちらを彼が見ていることの意味も分かっていないふりをしていたが、背筋には冷や汗がダラダラと流れ始めている。
ーーーまさか、私が企んだと、クラーテス先生が、バラした?
それはない、と思いたかった。
彼は口が固く誠実な人間だと、ウェルミィの目は言っていたから。
あれだけ固く口止めしたのに、口を滑らせるはずがない。
クラーテス先生は、エイデスの口にした通り、街で医務院を開いていた。
同時に、腕利きの解呪師としても名を馳せていた。
ウェルミィが、初めてお義姉様を呪うために、お父様に買われた魔導具の存在を知った時。
教えてくれたのは、家令のゴルドレイで。
さりげなくお義姉様の離れから持ち出して、報告してくれた。
だから、預かった。
しかし当然ながら、貴族学校に入学したばかりの伯爵令嬢に、それをどうにかする手段などない。
ーーー誰かに習うか、解呪してもらわなければ。
現物を、そのまま預けてしまうわけにはいかない。
それがお義姉様の手元にないと分かれば、お父様に、『誰かがイオーラを手助けしている』という疑いが生まれてしまうから。
ウェルミィが頼ったのは、腕利きと噂のクラーテス先生だった。
初めて見た時には、自分と酷似しているその外見に驚いた。
『朱色の瞳は、解呪の能力が強い家系に生まれる、瞳の色だ』
ウェルミィは、自分の瞳の色を母親から、先祖に貴族がいて、その家系に生まれるものだと聞いていた。
母は孤児院の出だと聞いていたので、疑ってはいたけれど。
もしかしたら、自分が、母の不貞の子なのではという疑問が、頭を過らなかったとは言えない。
だって、多少は面影のあるお義姉様と違って、ウェルミィは全くお父様には似ていなかったから。
しかしウェルミィは、その疑問を全て飲み込んで、クラーテス先生に願った。
『君にも解呪の才能がある』と言われてから、弟子としてもらうことを。
自分が屋敷の外に出ることは何も言われないけれど、何度も魔導具を持ち出すのは気付かれる危険が高かった。
ゴルドレイがさりげなく持ち出して、ウェルミィが解呪して戻すだけなら、そこまで危ない橋ではない。
彼は、屋敷の中で自由に離れと本邸に出入りできるたった一人の人物だったから。
クラーテス先生は、何か思案するように黙った後に、それを了承してくれた。
ーーー確かにあの時、お母様の名前を聞かれたけれど、まさか。
君は、イザベラの娘かと。
彼にそう問われて、うなずいた。
ーーーまさか。
その疑問に、応えるように、エイデスが口を開く。
「ウェルミィとクラーテスの魔力波紋鑑定は既に終わっている。実の親子である証明が取れた。これが証拠だ」
彼は、ウェルミィが作った二重帳簿の写しの間から、一枚の紙を取り出す。
「嘘よ!」
「嘘ではない。かつて、平民の女性と恋をして結婚の約束をして公爵家を出奔したクラーテスを騙し、新居の有り金を全て持って失踪したのはーーー」
エイデスはそこで言葉を切り、お母様を睨みつける。
「ーーーお前だ。エルネスト伯爵夫人、イザベラ」




