悪役令嬢の掌握。【中編】
ヒャオン第一王女殿下は、レオとタイグリム王子の例に漏れず、整った顔立ちをしている。
凛とした気品を纏う彼女の瞳の色は淡い緑で、髪はレオたちよりも薄い紫色。
線の細い方で、意志の強そうな兄弟たちとは違い、色と同様にどこか印象が薄い。
令嬢としての華、あるいは王家の人間としての圧。
そうしたものがなく、慎ましやかな姫、というイメージしか残らない少女。
額を出した髪型や落ち着きのある表情は、賢さを感じさせるのだけれど。
ーーー人形みたいな方ね。
自分の意志というか、そうしたものが希薄なのかもしれない。
瞳を覗けば大体の人間性が分かるという、存分に助けられているけれど奇妙過ぎる能力を持っているウェルミィを持ってしても本質が見えない、というのは、本当に希薄なのか、よほど隠すのが上手いか。
「アダムス様は、第一王女殿下と親しくなさっていらっしゃるの?」
「あー……まぁ多少は」
扇の下で小さく囁いたウェルミィに、彼は歯切れが悪い。
すると、エイデスが視線も動かさないまま補足した。
「最近逃げ回っているようだがな。ヒャオン殿下は、アダムスが絡む時だけ人が変わる」
「どんな風に?」
「一生懸命、後ろについて回っている。彼のスケジュールを完璧に把握していて、一説には〝王家の影〟をどういう理由でか、アダムスの動向を探るのに使っているのでは、という噂だ。
王城にアダムスが訓練に来ればどこからともなく現れ。
お忍びで出かければ行く先はアダムスがいるところ。
アダムスに別のご令嬢との婚約話が出れば、たちまち立ち消え。
侯爵家には出入りを禁じても何故かフリーパスで入れる。
ある日アダムスが帰宅したら、隠し持っていた春の本を無表情に読んでいた、という話もあるな」
「ちょ、オルミラージュ侯爵……! 権力使って調べたことを暴露するのはその辺にしといて下さい……!」
「調べていない。むしろ公然の秘密だろう」
正直、ドン引きだった。
ーーーそれ、気に入ってるっていうかストーカーじゃないの!?
なるほど、印象が薄いのはアダムス様以外の全てに興味がないからで、気配が希薄なのは天性の才能だったようだ。
闇堕ち道まっしぐらだ。
「……でもそれ、婚約者決まってるようなものじゃないの?」
ホリーロ公爵夫人は、息子をヒャオン第一王女の婚約者に推しているのでは。
「実際のところ、アダムスが税の納めどきを見失っているだけだからな」
「王室入りなんてごめんこうむるわ……! 娶って分家になるにしても、俺はもうちょっと自由でいたい……!」
アダムス様の呻きに、ネテ軍団長がゴン、とゲンコツを落とす。
「侯爵家の恩恵に存分に預かっておきながら、貴様はまだそんな事を言っておるのか……!!」
ちなみに、ヒャオン殿下ご入来があったので、ここまで全て小声である。
こちらにスッと彼女の視線がアダムス様を舐めてからこちらに向いた瞬間、ウェルミィは背筋がゾワッと怖気立つのを感じた。
ーーーあの方とアダムス様に関わってはダメだわ……!
本能的な危機を感じて、ウェルミィは即断する。
スッと青ざめたのを見咎めたのか、エイデスが軽く背中を撫でてくれる横で。
「貴族の責務をそろそろ果たさんかこのバカモノが……ッ!」
「言われた通りに学校も優秀な成績で卒業したし、王都から離れてねーし、騎士団にも出入りしてるし領地の領主決済も手伝ってるだろ……!」
「それで足りるかこのボケが……!」
ネテ軍団長とアダムス様の口の悪いやり取りは続いていた。
しかしどうやら、父親である彼の態度からすると、アダムス様の王都騎士団入りとヒャオン殿下との婚約はほぼ確定らしい。
『アダムスが王都から離れない』が条件なのは、おそらくヒャオン殿下が彼を追って王都を離れる危険があるからだろう。
ーーーここの王室、恋愛に自由過ぎない?
学校の脱出路に恋人の為にサロン作ったり、聖女を教会に渡さない為に継承権放棄して出て行ったり、侯爵令息にストーカーしたり。
政略という言葉はどこに行ったのか。
いや、政略的にほぼ正しい上に好き勝手やってるから問題ありなのかもしれない。
この分だと、ナニャオ第二王女とティグ第三王子も、物凄くクセがありそうだ。
ーーーそうなると、放っておいてもホリーロ公爵夫人の派閥の力は弱まるので、わざわざ仕掛ける必要もないとは思うけれど。……まぁ、念には念を入れておきましょう。
敵の力は削いでおくに越したことはないし、味方に引き入れて損もない。
ホリーロ家はある程度豊かな穀物地を治める文系派閥で、前公爵は、現王即位まで王弟として宰相を務めておられた。
ということで。
今度は完璧に喋っちゃダメな国王陛下と王妃陛下のご光来があり、爵位順に両陛下に挨拶を終えて、エイデスと楽しいダンスの時間を終えて気力を補給して。
「少し行ってくるわね」
ようやく、ウェルミィは侍従セイファルトを伴って目的の為に動き出した。
まずはホリーロ公爵夫人の元へ。
「あら、そちらにいらっしゃるのは、イオーラ・エルネスト様の妹君の?」
目下が目上に声をかけるのは礼儀を欠く。
少し離れた場所でジッと目を向けていると、向こうから声を掛けられた。
額を出した滑らかな茶色のストレートヘアに、金の混じった同色の瞳が印象的な女性。
横に立つ、母親似の垂れ目の青年が、おそらく公爵令息なのだろう。
年相応にふっくらとした、しかしどこか熟した色気のあるご夫人の言葉に、ウェルミィは楚々と微笑む。
ーーーいきなり嫌味、と。
ウェルミィ自身の名前でも、エイデスの婚約者という立場でもなく、お義姉様の腰巾着、という当て擦りだ。
少し前まで、『姉を虐げて婚約者を奪った義妹』という名誉ある称号を掲げていたのに、とかく社交の場に住む方々は現金である。
「リロウド伯爵家が長女、ウェルミィと申します。お初お目にかかりますわ、ホリーロ公爵夫人。開いた花も蕾みそうな優美なご子息様に、今宵咲き誇る大輪の青百合も赤らむことでしょう」
ーーーあなたの息子、ご令嬢に警戒されてるでしょう? 第一王女殿下に目の色変えて、惚れられてると見間違って粗相するんじゃないの?
という言葉を、オブラートとプレゼント包装に包んでお伝えして差し上げる。
「わたくしも、朱色の瞳が眩んでしまいそうですわ」
チラリとご令息に目を向けたウェルミィが、媚びるような流し目をしつつ微笑みの種類を変えると、公爵令息様は微笑んだままだが、ゴクリと喉が動く。
ーーーチョロいのよねぇ。
この優しげな容姿の令息様が随分な好色で、仮面の夜蝶を渡り歩いている、というのは、エイデスから聞いた話。
小手先みたいな色仕掛けにあっさり引っかかりそうな安い男だこと、と思ったら案の定だった。
「あら、お上手ですことね、リロウド嬢」
ホホ、と笑うホリーロ公爵夫人だが、流石は百戦錬磨の社交の花。
こちらの嫌味返しもきっちり読み取って応戦態勢である。
まぁでも、ウェルミィの目的はこのご夫人とバッチバチにやり合うことではない。
電撃侵攻からの即時王都陥落である。
「ホリーロ公爵夫人は、昼の普段使いに流行っている人工宝石というものをご存じですこと?」
「当然でございますわ。最近は質の良いものも多くて、わたくしも幾つか持ち合わせております」
貴族夫人にとって目利きの力の有無は必須である。
出来ないのは最悪だけれど、本人が出来なくとも、信頼できる目のある人物を侍らせ、財産を食い潰されないように努めるものだから。
そんな彼女が、夜会の場と立場に相応しい、ダイヤを並べているが品の良いネックレスを身につけているのだが。
ウェルミィはハラリと扇を開いてホリーロ夫人に身を寄せると、甘い香水の香りに内心眉をひそめながら耳元で囁く。
「胸元を飾る大輪に、いくつか虚飾の輝きが目につきますわ……一度、別の庭で植えてみるとよろしいかと。ご入用とあらば、こちらでご紹介致しますわ」
それとなく告げて、スルリと身を引くと、ホリーロ公爵夫人の目の色が変わった。
流石に顔色までには出さないものの、怯えたように口元に少し力が入っている。
ーーー公爵夫人の胸元のダイヤ、幾つかイミテーションが混じってますわよ。
もしそう、ウェルミィがこの夜会で嘯いたら。
即座に彼女は、目利きの出来ない夫人であるという評判が駆け巡る。
この夜会は第一王女の婚約者を見初める場であり、その親が財産を守れない人物であるとされれば。
「私、良い人工宝石を扱う宝石商を知っておりますの。休憩室の側に待機させておりますので、よろしければ一緒に如何でしょう?」
「ええ、そうね。是非。あなたはここで待っておきなさいな」
「はい、母上」
公爵令息を置いて、ウェルミィはホリーロ公爵夫人と共にその場を離れる。
そして『お花を摘みに参りますわ』と休憩室の一つを指差しつつ告げると、手にした扇を四つだけ開いた。
軸の四つ足、つまり『馬車を用意する』という意味だ。
それをウェルミィが使用人に告げにいくというのは、『これは貸しであり、偽物のことは黙っている』という意思表示である。
何故、と訝しげにしているホリーロ公爵夫人に、ウェルミィは目を細めながら穏やかに微笑んでみせた。
「リロウド嬢。わたくし、先に休憩室で待っていますわ」
「そうしていただけますと、嬉しいですわ。私は、夫人と仲良くしたいと思っておりますの。お義姉様もご紹介したいですしね」
こちらの傘下に降れ、と暗に口にして、側にいるセイファルトから黒い小さな箱と印紙を受け取る。
その蓋をそっと開けながら夫人に差し出すと、彼女は中身を見て息を呑んだ。
ローンダート商会の印が入ったそれの中に収められていたのは、魔銀で作られた、破邪の印を象ったブレスレット。
埋め込んであるのは、隣国であるバルザム帝国で産出・加工されている、呪い感知の加護が施された人工魔宝玉だった。
最新の魔導技術が施された魔導具で、特に人工魔宝玉はつい最近錬成に成功したものであり、呪いの魔導具が本人に対して発動すると輝いて教えてくれる。
値段はお察し、超高価。
同じ人工宝石であっても、安価に普段使いするものとは一線を画するイミテーションだ。
「お近づきの印に。これを機に、こちらの宝石商もご懇意にしていただけると大変喜ばしく思いますわ。信頼できる方ですので」
ーーーこちらにつけば、これだけのモノを手に入れられるようになりますよ。
ホリーロ公爵夫人は、まるで信じられないものを見るようにまじまじと、ウェルミィを見る。
「あなた……」
「はい」
「……わたくし、少し気分が優れませんの。申し訳ないけれど、馬車を用意して下さる?」
「それはいけませんわ。喜んで、ホリーロ公爵夫人」
「夫にも、口添えしておきますわ……」
「ええ。旦那様もおそらく、ご快諾いただけるかと思いますわ。私の婚約者エイデスが、南部辺境伯様の方にツテがあるそうで。……穀物の輸入を助けてくれるお家の方を、お求めになっているそうですの」
旦那同士でも、そっちが求めてる『王室派に属する武門貴族』との繋がりを紹介しているから、問題ない、と。
それが最後の一押しとなって、ホリーロ公爵夫人は落ちた。
「今後も、良きお付き合いを期待しておりますわ」
「ええ。宝石商の紹介はまた後日と致しましょう。それでは、失礼いたします」
優雅な礼儀でその場を辞したウェルミィは、微笑みを浮かべたまま歩きつつ、愚痴をこぼす。
「疲れたわ」
そんなウェルミィに、セイファルトは「ありえない」とでも言いたげに呻く。
「まさか、こんな短時間で懐柔するとは思いませんでした……」
「飴と鞭の使い分けでしょう。大したことないわ」
「いや、あるんですよ……」
まぁ、どちらでもいいことではある。
「さて。後は……メレンデ侯爵家と、モロウ侯爵家ね」
ホリーロ公爵家よりも格は劣るが厄介な動きをしかねないという二つの家をどう落とすか考えつつ、ウェルミィはエイデスの元へと戻った。
ウェルミィ、あっさり最大敵対派閥を落とす。
悪役令嬢側で敵をいなすのは楽で良……いや、賢い人に権力を持たせるとこうなるんですね。←
補足として、旦那側で穀物うんぬん〜は、アーバインが行った辺境地にいる、どこぞののんびり令嬢の策略が成功した後のそれです。直接的にこちらには出てきませんが。
腹黒いウェルミィが好きよ! という方は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願い致しますー。




