たった一人の為の秀才令嬢。
『ーーーニニーナ、楽しいねぇ』
そう言って笑っていた彼がいなくなって、もう、どれくらい経ったのか分からない。
今日も、ニニーナは部屋にこもって、彼を救う方法を考える。
国内外から集めた様々な薬草。
精神に効能のあるものから、肉体の傷の治りを早めるもの。
即効性のあるものから、長期に渡って摂取することで効果のあるもの、違法スレスレのもの。
書物も似たようなもの。
様々に精神や肉体に作用する魔術の研究をし、新たな手法を試すうちに、国一番の治癒師と噂されるようになったけれど。
『ねぇ、ニニーナ。何でだろうねぇ。最近、凄く退屈なんだ』
ーーー彼の退屈だけは、取り除けなくて。
原因は分かってるはずなのに。
あの日、ニニーナの代わりに崖から落ちて、生死の境を彷徨ったあの時に。
頭に負った傷のせいだって。
なのに、どれだけ傷が薄くなっても、彼の頭の中に魔力の糸を伸ばしても。
『やっぱり、つまんないやぁ』
彼の張り付いたような笑顔と、虚無のような瞳だけは変わらなくて。
ーーー他の人たちは、治るのに。
気鬱も、手足の痺れも、見えなくなった目だって、人によっては治ったのに。
ただ、彼だけには届かない。
無力。
でも、諦めるわけにはいかなくて。
『君が助かって良かったよ』
崖の下から拾い上げられた彼は、そう笑っていたのに。
あの日に、彼の心が死んでしまった。
ーーー私のせいで。私のせいなのに。
だから、手を動かす。
頭を捻る。
彼の心が取り戻せるなら、って。
でも、もう、何が試せるか思いつかない。
本は読み切ってしまった。
中身を誦じれるほどに。
今ある薬草は全て組み合わせてしまった。
書き貯めた分厚い治癒の書が、国宝とまで呼ばれるくらいに。
ーーーああ、探さなくちゃ。
今あるものでは、彼が救えないのなら、もっと、もっと、別の何かを。
泣いてはいけない。
擦り切れている暇なんかないのに。
今こうしている間にも、彼は、退屈の中で死んでいるのに。
『面白いねぇ、ニニーナ』
そう言って、緩やかに破滅に向かう彼が、その黒い手に絡め取られていなくなってしまう前に。
ニニーナは、テーブルに手をついて、項垂れる。
「……ズミアーノ……」
彼の名を、つぶやくと。
「呼んだ?」
と。
聞こえるはずのない声が、聴こえて。
ニニーナはバッと振り向いた。
「ごめんねー。中にいるって聞いてたのに、ノックしても返事がなかったからさー」
そう言いながら、立っていたのは、異国の血が混じっていることを示す浅黒い肌に、青い瞳の美貌の青年。
開いたドアにもたれて、手に赤い薔薇の花束を握っている。
「たまには外に出ないと、ジメジメしちゃうよー?」
ニニーナは、そう言ってニッコリと笑った彼の腕に、禍々しい腕輪が嵌まっているのを見た。
※※※
ズミアーノは、ニニーナを観察した。
簡素なワンピースの上に白衣を纏い、あまりにも細く小柄なために頭でっかちに見える。
浅葱色の髪は栄養不足かくすんでいて、本当は顔立ちも整っているはずなのに、目の下の隈と日を浴びなさすぎる青白い肌が、それを台無しにしている。
ゴツい眼鏡の奥には、銀の混じる同色の瞳。
「また痩せた? ダメだよ、ちゃんとご飯は食べないと。ライオネル王国の至宝といわれた頭脳を持つ治癒師が、治癒師の不養生を体現してるなんて目も当てられない」
「そん、そんなことより……貴方、その腕輪……」
「ああ、これ?」
ズミアーノは、あはは、と笑って腕を振る。
「ごめんねー、浮気した罰として、自分で付けちゃったんだー」
「………………………は?」
絶句するニニーナに、ズミアーノは隠すことなく喋る。
「ウェルミィっていう可愛くて面白い子がいてさー。ちょっかい出したんだけど、オルミラージュ魔導卿のお気に入りで、振られちゃったー。そのミィに服従を誓う腕輪だよー」
ズミアーノの婚約者である少女は、しばらくしてから怒りを浮かべて、拳を握り締める。
「この、大バカァ!!」
ツカツカツカと近づいてきてブン! と振るわれる拳は、虚弱な彼女のものなので、あまりにも遅い。
ヒョイ、と避けると、もう一回振るわれたのでまた避ける。
「この、この、逃げるなぁ! 言ったじゃない! バカなことはやめてって! 待っててって言ったのに! この!」
「あはは、そんなに怒らないでよー」
そろそろコケそうだったので、ニニーナの手をパシリと握って、泣きそうな彼女の顔を覗き込む。
「大丈夫だよー。この腕輪の主人は、その内ニニーナになるからさー」
「何も大丈夫じゃないでしょ! そんな危ないもの!」
「あ、見ただけで分かる? 流石だねー」
「い、今の主人が願うだけで、貴方死んじゃうのよ!? 分かってるの!?」
「ミィはそんなことしないよー」
ズミアーノは、軽くニニーナを引き寄せて、頭を撫でる。
「はなし、なさいよ! もう! 一発、なぐ、なぐるんだから……!」
ひくっ、と喉を鳴らして、堪えきれなくなったようにボロボロと涙を流す彼女に、微笑みを浮かべたまま、ズミアーノは告げる。
「あはは。ーーー楽しいねぇ、ニニーナ」
ニニーナは。
その大きな目を、溢れんばかりに見開いた。
「ね、ちょっと休んだら、一緒にご飯食べて、お出かけしようよ。今のまんまじゃ、馬車に乗るのも大変だから、ちゃんとご飯を食べて、元気になろうねー」
「ズミ、アーノ……?」
「なぁに?」
悪戯に成功したズミアーノは、胸の奥から湧き上がる気持ちを抑えないまま、ニニーナを抱きしめて、耳元で囁く。
「ねぇ、楽しいからさ。ニニーナも、オレと一緒に楽しいことしようよ。ちょっとの間だけ、お休み貰ったんだー。ミィが、君に会いたいって言うからさー」
「ねぇ、待って、待っ……」
「知ってた? 王都に聖女が現れたんだ。凄いよねー、どんな怪我でも治しちゃうんだって。その子にも、一緒にお礼を言いに行かない? オレの頭の傷を、治してくれたんだよー」
「………ッ!!」
ニニーナの体が硬直する。
そのまま、震え始めて足から力が抜けた彼女を横抱きに抱き上げて、お腹の上に花束を置いた。
そして、ちゃんと目を見て、首を傾げる。
呆然としているニニーナを連れて部屋を出ると、そこにニニーナの母である伯爵夫人が立っていて。
ハンカチを目に当てて、俯いて泣いていた。
「約束したでしょ? 楽しいことを楽しいと思えるようになったら、帰ってくるよ、迎えに来るよって」
「ほん、とう、に……?」
ニニーナが震える手を伸ばして、ひんやりとした手で額に触れる。
「気持ちいいねぇ。これでも急いで来たんだよー。お陰で、ちょっと暑い」
そして、彼女に対して言い忘れていたことに気づいて、少ししょっぱいその頬に口づけを落としてから、ズミアーノは言葉を紡ぐ。
「ーーーただいま、ニニーナ」
ニニーナは。
ギュッとズミアーノの首に手を巻き付けると、湿った声で、掠れた言葉を漏らす。
「お、お帰り、なさい……ズミアーノ……」
「うん」
ーーー可愛いな。嬉しいな。……楽しいな。
そんな風に感じられる自分を、満喫しながら。
ズミアーノは、婚約者の体を壊れない程度に強く、抱き締めた。
あー、ニニーナさん良かったねぇ……! という初登場の女性キャラが主役の回でした。
領地に引きこもっていた理由。
ズミアーノくんが、ただ一人『自分の退屈』を伝えていた人、です。
お前こんな良い子がいるのにウェルミィに浮気して隣国に逃亡しようとしたのかよ、ズミアーノ○ね! と思った方は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願いします!




