悪役令嬢の不安。【中編】
「さて、リロウド嬢。我が幼馴染みたちが起こした、国家の屋台骨を揺るがす傍迷惑な策略とやらを叩き潰した君の功績は、素晴らしいものだ」
ピン、とヒルデントライ様が人差し指を立てると、お付きの侍女がススス、と近づいて来て、何かを東屋のテーブルに置いた。
小さな箱で、何やら高価そうな気配がする。
「これは……?」
「腹黒に良いように使われた我が婚約者殿と、二人で考えたんだけれど。君は伯爵家を出て、そのまま魔導卿に保護されたことで私有財産をお持ちでない。違うかい?」
「それは、そうですね」
ウェルミィは元々、正式なエルネスト伯爵家の令嬢ではあったものの庶子で、後から知ったことだけれど、そもそも血が繋がっていない。
故にエルネスト伯爵家の財産分与権は与えられず、さらに財産はシュナイガー家に継承される予定だ。お義姉様に、少ないけれど個人資産から提供を、と言われた分も断っている。
エイデスやクラーテス先生から『仕度用の予算』は預かっているものの、それは彼らのお金なので必要なこと以外には使わないようにしていた。
「なので、これをね。ボクとシゾルダ個人からの謝礼として贈ろうと思って」
「……!?」
ウェルミィは驚き、慌てて首を横に振る。
「そんな、受け取れません」
この件はウェルミィ個人の力で解決した訳ではない。
シゾルダ様は、これについてはヒルデントライ様の味方らしく、彼女を援護する。
「しかしテレサロ嬢という『点』から、糸を手繰ってズミアーノの狙いを暴き出したのは貴女です」
「ズミアーノ自身が、私を狙っていたからですわ。ヒントを出されただけで」
「それでも、という話なのだよ、リロウド嬢。君の存在がなければ、ズミアーノが本当に暴走していた懸念もあった。……それに、アイツが変わったのも、多分君のお陰だろう?」
「変わった……?」
単に【服従の腕輪】をつけて、悪いことが出来なくなっただけだと思っているのだけれど。
不思議に思っていると、遠くに目を向けたヒルデントライ様が、ポツリと呟いた。
「……つい先日、仕事終わりだと非常識な時間に訪ねて来たアイツが、謝罪してきた」
「謝罪……!? 自分から!?」
「そうだ。『シゾルダを巻き込んでごめんねー』と、まぁ、それはいつもの調子だったが、今度休みを取って領地に向かい、婚約者のニニーナ嬢にも頭を下げに行くと言っていた」
ーーーあのズミアーノが?
にわかには信じがたい話なのだけれど、ヒルデントライ様は真剣な顔をしている。
「頭を打って以来、責任感もなくフラフラしていたアイツが、どこか変わった。そうだろう? シズ」
「ええ。リロウド様に言われて、テレサロ様に謝罪しに行った時から、ですね」
その時のことを、シゾルダが話したのだろう。
「テレサロの功績では」
「君が会わせて頭を下げさせなければ、その繋がりもなかった。リロウド嬢。ボクは、本当に感謝しているんだ。ズミアーノがニニーナ嬢を庇ってから狂ってしまったものが、元に戻っていっていることを感じる」
ヒルデントライ様がシゾルダ様を見ると、彼は目を閉じて、話を継いだ。
「あれ以来、我々の関係はどこかぎこちなくなりました。ズミアーノはああなり、ニニーナ嬢は引きこもり、ツルギスは自分が声を掛けた集まりで起こったことに責任を感じて、元からあまり主張をしないのに、ますます消極的になり……私は、勉強はともかくあまり人の心に聡くはないので、どうしたら良いのか分からず」
どうにか出来ないだろうかと、ヒルデントライ様と二人で、長年悩んでいたことだったと。
「それを、貴女は解決してくれました。だから、きっと貴女にも喜んでもらえるだろう贈り物は何か、と思案し、個人資産がないことを知って、選ばせていただきました」
加工はまだしておりませんが、と、シゾルダに開けることを勧められて。
その中に入っているものの正体をぼんやりと気付いたウェルミィは、それ以上断ることも出来ず、そうっと箱を開く。
並んでいたのは、二つの石。
大きさは同じくらいで、親指の爪ほどのサイズにカットされた、それをジッと見つめて。
「ーーーや、やっぱり受け取れませんっ!」
目にしたもののあまりの価値に、目眩がした。
「これ、これは……〝希望の朱魔珠〟と〝太古の紫魔晶〟ではありませんか!?」
「流石の鑑定眼だね」
「感心している場合じゃありません!」
並んでいたのは、どちらも魔宝玉と呼ばれる希少な宝石だった。
価格で言うと、どちらも同じ大きさのダイヤ五つ分と同じくらい。
そこに宿る太古の魔力が、不思議な力を発現させることがある、とんでもなく高価なものだ。
光の当たり方で色味が変わり、猫の目と呼ばれる変化を見せる透き通った朱色の魔宝石は、真なる願いを持つ主人に遥かな時の先にある啓示をもたらす、とされている。
淡く光を放つようなグラデーションの、星の光と呼ばれる光彩を備えた紫の魔宝玉は、誓った約束を叶える力を与えるとされている。
「何を考えているんですか!?」
「だって、君のやったことって、本来なら勲章ものだよ。下手すると爵位だって得られるくらい。だったら贈り物としてはこの位は順当だ」
「持ったこともないような高価な宝石です!」
「オルミラージュ侯爵家の夫人なら、同じ価値があるものを複数身につけていてもおかしくないよ」
「っ!」
サラリと言われた言葉に、息が詰まる。
確かに、この国の王室すら無視できない、他国にまで影響を及ぼすような筆頭侯爵家であるエイデスの妻なら、あり得るのかもしれない事実に、今更ながら気づいた。
ただでさえ婚約前にドレスなどを仕立ててもらっている遠慮から、宝石類はあまりにも高価なものはエイデスからも固辞しているけれど。
ウェルミィは、自分がとんでもない立場になろうとしていることに気づいてしまった。
ーーーだからやめる、とは、言えないけれど。
「それに、気づかないかな? これは裸だけれど、君が加工を望むか望まないかは置いておいて。……その色味が、何を意味するか」
ニコニコとヒルデントライ様に続けられて、あ、と声を漏らす。
これは。
「私とエイデスの……瞳の色……?」
「そう。白金の台座と真銀の台座を作れば、君と魔導卿の色だよ。君が、彼に渡せるものがない、と漏らしていたとシズが思い出してね」
パッと顔を向けると、スッとシゾルダ様が目を逸らす。
「他人の心の機微を読むのが苦手なシズにしては、ファインプレイだったね」
「……恩人の為です。私でもそのくらいは真剣に考えますよ」
「シゾルダ様……」
テレサロの前で土下座までさせたウェルミィに、そこまでしてくれるなんて。
悪いことをしたかもしれない。
「ボクたちの気持ちを、受け取ってくれないか。リロウド嬢。きっと、魔導卿も喜んでくれると思う」
ーーー友好と感謝の印に。あなた達の幸せを願って。
そう言いながら、最敬礼を取るヒルデントライ様に合わせて、立ち上がったシゾルダ様も同じ姿勢になる。
「か、顔を上げて下さい! 分かり、ました。受け取り、ますから……」
ゴクっと唾を飲みながら、ウェルミィは告げる。
将来的に、何かを返さないといけない、と心に深く誓いながら、吐血するような気持ちで。
受け取らないと、いつまでもこのまま頭を下げ続けそうな様子だったから。
あの時ぎゃんぎゃん騒いだテレサロの気持ちが、よーく分かった。
いわゆる因果応報なのだろう。
それに。
改めて美しい魔宝玉に目を向ける。
ーーーエイデスと。
お互いの色を身につける。
それは、相思相愛の……とまで考えて、ウェルミィは頬が熱くなった。
「受け取ってもらえて良かった。加工はどうする?」
「……わ、私の意見だけじゃなくて、エイデスの意見も聞きたいので……その、このままで……」
それにアクセサリーに加工するとなると、さらに二人が支払う金額が跳ね上がってしまう。
「では、帰りに持って帰ってくれ。包ませよう。シズもそれでいいか?」
「私に異論はありません。リロウド様。本当にありがとうございました」
「も、もうお礼はいいですから……!」
こうして、エイデスへの贈り物を、ウェルミィは予想外の形で手に入れることになった。
※※※
それから数日。
受け取ったものをどうエイデスに切り出して渡そうかな、と考えていると。
夜、いつものように膝にウェルミィを置いて頭を撫でるエイデスが、長い銀の髪をサラリと流しながら、こちらを覗き込んだ。
「どうした? イーサ伯爵家にお茶会に行ってから、何か言いたそうだが?」
「……いつも通り、何でもお見通しなのね」
ちょっと面白くない、と思って素直じゃない態度を取ってしまうけれど、エイデスは柔らかな微笑みを浮かべたまま、うなずいた。
「お前のことだけは、ずっと見ている。いつもと様子が違えば、分かるくらいにはな」
そんな事を甘い声でさらりと言われると、落ち着かない。
熱が上がってくるのに気づかないフリをしながら、いつも通り、彼の美しい顔を見上げる。
「……まだ、ご褒美を貰ってないと思ったのよ」
頑張ったからくれる、とズミアーノに攫われた時に言っていたことを思い出して、ウェルミィが告げると。
「何が欲しい?」
当たり前みたいにそう返されて、言葉に詰まった。
話を逸らそうと思ったのに、逸らす先を間違えてる。
「……えっと」
ウェルミィは一生懸命考えた。
ーーー私って、何か欲しいものあるのかしら?
物……は、別にそこまで欲しくない。
お義姉様との時間……は、お義姉様の都合があるから、エイデスに言ってどうにかなるものでもなく。
して欲しいこと、も、今のところないけれど。
一緒にお出かけするのは、悪くない気がした。
ーーーでも、エイデスも忙しいのよね……?
外務卿になるという内示があった、と前に言っていた。
働く場所や役職が変わるのは、領主を引き継ぐようなものだと思うので、きっと大変。
ーーーそれだと、ワガママは言えないわね。
もしかしたら家に帰れない日もあったりするかもしれないし、無理はさせられないし……。
うんうん悩んでいると、エイデスがずっと見ていたのか、ククッと喉を鳴らす。
「うちのお姫様は、欲しいものがいっぱいあるのかな? それとも、無欲で思いつかないのか?」
「……どっちもよ」
物が欲しいと思えたら、すっごく楽なのにな、と、面白そうに待っていていくれる彼の顔を見上げて。
「何が欲しいか、思いついたら……」
「ーーーエイデスが」
と、声が重なった。
驚いたように口をつぐむ彼に、ウェルミィも無意識に口にしようとした言葉に自分で驚いて、しばらく沈黙が流れる。
「私が、何だ?」
「……何でもない」
恥ずかしくなって目を背け、それが悪手だと直後に悟る。
「ウェルミィ?」
抱き締めるようにエイデスの腕に力がこもり、目に嗜虐的な色が宿る。
「その態度は、何かを誤魔化そうとする態度だな?」
「あの、その、別に何も……ふむっ!?」
言い訳を口にする前に、無理やり唇を塞がれる。
「む、……んっ……!」
深く口付けられて吐息を漏らすと、顔を離したエイデスは、紫の瞳で少し蕩けてしまったウェルミィを見下ろしてきた。
「隠し事はダメだと、いつも教えているはずだが? もう、命令しなくとも教えてくれるだろう?」
少し湿った唇を焦らすように撫でられて、ウェルミィは悔しくて上目遣いに彼を見る。
「……恥ずかしいから、ヤ」
「ウェルミィ」
ーーーエイデスが、一番欲しい。
そう口にしようとして、辞めた。
だって、それじゃまるで誘っているみたいで。
そういう意味じゃないのに。
ただ、エイデスと一緒にお出かけしたり、貰った魔宝玉のアクセサリーを一緒に身につけたかったり、こうやって一緒にいる時間を増やしたり。
ウェルミィが求めているのは、そういう諸々で。
決して、決して閨に誘っているわけじゃなくて。
いずれそういうことになるのは分かってて、期待してるのも本当で、そうじゃないわけじゃないんだけど。
「君の目は、口以上に物を喋る」
そう言って、また口づけを落とされた。
「襲ってしまう前に、話した方が身のためだと思うが?」
愛おしそうに見つめられて、優しくされて。
ウェルミィは、恥ずかしくて爆発しそうになりながら、目を伏せる。
こんなにも包まれているのに、そのことが凄く嬉しいのに。
ーーー少しの不安が、素直にさせてくれない。
「……エイデス、に、とって」
ヒルデントライ様の、口にした通り。
ウェルミィは、エイデスに守られて、愛されているばっかりで。
何も、返せていないから。
だから。
「私って、何……?」
ここまで愛される理由が、分からなくて。
ウェルミィ、どうでも良い奴に好意を持たれるのに慣れていても、自分が好きな人から愛されるのには初心者過ぎて、怖くなってます。
感謝の気持ちを表したデッケェ贈り物と、今まで誰にも突かれなかった不安を正確に貫かれて、揺れてしまったようです。
そんなウェルミィちゃんが、不安じゃなくて愛情によって壊れるのが見たい! って方は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願いいたします。




