剣士ツルギスのダリステア訪問。【中編】
ーーーずっと、彼女を見ていた。
ツルギス・デルトラーテは、一言で言うと『凡庸』だと、自分のことを評価していた。
ただ、運良くデルトラーテ侯爵家の嫡男として生まれた、というだけの人間だと。
最初にそれを考えたのは、軍団長である父、ネテの失望にも似た溜め息を聞いた時だった。
『お前には、本当に剣の才がないな。覇気が足りん』
それを言われた理由が、ツルギスにはよく分からなかった。
だけれど、周りの目が徐々にそれを悟らせた。
父とは違う。君の剣は軽い。このくらいのこと、お父上は軽くこなしていた。
そうした言葉を直接的に、間接的に、あるいは小耳に挟んで言われ続けた。
しかし、それが事実であったことが、反論の余地をなくしていた。
ーーーだけど、やり続けるしかない。
幸いにも、剣は好きだった。
認められなくとも、無心に振るうこと、その切先を相手に届かせるために何をするべきか。
そうしたことを考えるのは苦ではなかった。
楽しいことをしていれば、周りの評価は忘れられる。
一つの物事に集中出来る自分の気質に感謝しながらも、ツルギスは徐々に必要以上の言葉を口にしなくなった。
気にする人はいなかった。
元々、自分のことを話すのは得意ではなかったので、周りから見るとあまり変わりはないかもしれない。
それはそれで、気が楽だ。
静かに、少しでも切先を研ぎ澄ますために、鍛錬だけは欠かさなかった。
父に届かずとも、デルトラーデの名は、継がねばならない。
やがて諦められ、別の才あるものを妹が娶って、あるいは兄弟にすげ替えられて、嫡子ではなくなることがあるとしても、それまでは自分が背負うものだ。
幸い、似たような辛さを分け合えるシゾルダがいた。
ズミアーノは、才気溢れる奔放な男で、それが劣等感を刺激することもあったけれど、その明るい気性に救われることの方が多かった。
そんなある日。
雨が上がった次の日だったことを、鮮明に覚えている。
人目につかないところで、前日に外で出来なかった鍛錬をしようと、場所を探していた昼休みに、彼女を見た。
ベンチに腰掛け、従者もなく、静かに何かを見つめて涙を一筋流しているその女性に、何故かは分からないが、目を惹かれた。
美しい、と感じたのはそれからで。
そこから少しの間、見惚れていた。
鮮やかな金の髪に、空のように青い瞳。
背筋は伸びていて、一部の隙もない淑女の佇まいで、見つめる先に目を移すと。
生垣の先、図書館の窓の向こうに一組の男女が見えた。
彼女と同じ二年生の、黒髪の男爵令息を装っている王太子殿下と、灰色の髪色に眼鏡をかけた少女。
二人が笑い合っているのを、彼女は静かに、涙を流して見つめていた。
軍団長の息子であるツルギスは、当然ながら王太子殿下と幼い頃からある程度交流があるので、彼の正体には気づいていた。
そして、ああ、と彼女の名を思い出す。
ーーーダリステア・アバッカム。
幼い頃から、殿下の婚約者候補と言われていた女性だった。
ツルギス自身が貴族の集まりなどを好まないので、あまり交流はなく、まだ幼い頃の姿しか知らなかったが、間違いはないだろう。
幼い頃は病弱だった王太子殿下には、未だに婚約者がいない。
元々学園の卒業までは正式な婚約を結ばないという他国から見れば奇妙な風習はあるが、当然ながら候補はいる。
しかし次々と、学校入学前に年頃の、あまり期待のないご令嬢は婚約して行き、見合う家格で残るは数人。
その中の最有力の一人と、目の前の風景に、ツルギスは悟った。
ーーーきっと彼女は、王太子殿下を本当にお慕いしていたのだろう。
そして、別の女性と親しくしていることに、悲しんでいる。
シゾルダに対するように寄り添うことは出来ない、しかし届かないものを見つめる姿だけが、ツルギスの心に焼き付いてしまった。
それから、偶然学校で出会うたびに、目で追ってしまう。
彼女の振る舞いは、いつでも高位貴族のそれであり、王太子の婚約者候補であるに相応しいもので。
毅然と、しかし分け隔てなく人に接し、いつでも相手を不快にさせない微笑みを浮かべていた。
ーーーどれほど努力したのだろう。
礼儀礼節に関しても、人よりも努力せねば身に付かなかったツルギスは、彼女の立ち振舞いの裏にあるものに対して、尊敬を覚えた。
口さがない噂は聞こえて来る。
その中心となっているのは、イオーラと同い年の姉妹であるというウェルミィ・エルネスト率いる噂好きのご令嬢達だ。
王太子殿下の婚約者候補であるのに、最近は王城に招かれていないらしい、と。
ーーー気に入らないな。
そう思いながらも、ツルギスは口を出す立場にはない。
実害はなさそうなので、たまに噂を肴にする連中に『彼女自身に瑕疵はないだろう』と口にするに留めた。
だが、シゾルダにはそれが気にかかったようだ。
一度好きなのかと問われたが、曖昧に言葉を濁した。
好きかどうかが、自分でも分からない。
今まで、武門の次期侯爵たるよう、それだけを考えて生きてきたから。
だが例えば……姿を追うだけでなく、成績が張り出されるとその中に彼女の名前を探してしまう。
シゾルダに勉強の協力を得ても、成績は真ん中より少し上の自分。
対して彼女は、いつも上から数えたほうが早いところにいる。
王太子殿下の名前は、常にそれよりも上で輝いていた。
あの灰色髪の少女イオーラは、ツルギスとそう変わらない位置にいる。
ーーーレオニール殿下は、一体ダリステア様の何が不満だったのだろう。
平凡で容姿も優れないイオーラ嬢。
しかし、彼女を見かけて目で追い始めると、その仕草が洗練されているのを知る。
あまりにも研ぎ澄まされた……まるで淑女というよりも、戦士であるかのような隙のなさ。
柔らかく、それでいて鋭い様は、どこか荒々しくも強靭な父の佇まいを思い出させる。
外見とのちぐはぐさに違和感を覚えたが、王太子殿下の目を見て、ツルギスは一度納得した。
きっと自分のような平凡な人間には分からない何かが、あの少女にはあるのだろう、と。
それが、ダリステア様よりも王太子殿下の心を掴むものだったのかもしれない。
しかし、卒業から二年。
今度は社交の場に現れた王太子は、ウェルミィ・リロウドと姓を変えた少女を連れていた。
まるで恋人のように。
ーーー何故だ? 何故あのような悪女と。
そのせいで、またダリステア様に関する、捨てられただのという噂が広がっていた。
許し難い。
そう感じている自分に、ツルギスはようやく自分の恋を自覚した。
遠くから眺めているだけで、何もしない自分には遠い花のような方。
噂話など、ないものであるかのようにいつでも毅然としているが、王太子殿下が現れる場では、どこか寂しそうな目をしている彼女を。
『助けたいかい?』
ある日、休暇の際に帝国を訪れた時、ズミアーノが不意にそう言った。
『……出来ることなら』
と答えたツルギスに。
勇気の出る腕輪だよ、と渡されたものを身につけた後の記憶は、ほとんどない。
ただ、囁かれるままに、すべき事ではない振る舞いをしている自覚だけがあった。
そうして、秘密裏に招かれ、その場に現れたオルミラージュ魔導卿に、腕輪を外された時に。
ーーーツルギスは絶望に崩れ落ちた。
ズミアーノの真意が分からなかった。
その時点ではもう、ダリステア嬢はアバッカム公爵邸に引きこもって期を待っていた。
何故こんな事をさせたのか、と、問い詰めたかったが。
『全て収める。協力する気はあるか?』
オルミラージュ魔導卿に、ウェルミィと王太子殿下の振る舞いの真意を聞いた。
正式な婚約発表まで、イオーラに降りかかる危険を遠ざける為だと。
その危険とはきっと、操られていた自分がしていたような行いのことだったのだろう。
ダリステア様を救えるのなら。
ツルギスは、一も二もなく、それに飛び付き。
ーーー今、悪女と思っていたウェルミィの従者として、ダリステア様に対面しようとしている。
貴方は罪を犯したが、認める人には認められていたのだと。
そんなウェルミィに感謝しながらも、合わせる顔はないのに、という気持ちがせめぎ合う。
「ダリステア様。本日は、お屋敷での面会をお許しいただきまして、誠にありがとうございます」
目の前で、ウェルミィが挨拶をして、応接間のドアから入って優雅な礼をするのに合わせて、ツルギスは頭を下げる。
そうして頭を上げた先で。
少し痩せて、青い顔を化粧で隠したダリステアが、それでも背筋を伸ばして。
ーーーしかし力なく、微笑んでいた。
ようやく面会です。
ダリステア嬢、作者は好き。
後編もはよ! と思われた方は、ブックマークやいいね、↓の☆☆☆☆☆評価等、よろしくお願いいたします。




