国王の采配。
「全く、あの愚か者が……!!」
ツルギスの父、ネテ・デルトラーテ侯爵は、額に青筋を立てながら応接間に現れた。
軍団長を務め、普段は『閣下』と呼ばれる身分であり、剣の魔術に秀でる従兄弟殿の迫力ある威圧に、国王……コビャク・ライオネル四世は苦笑した。
〝赤獅子〟の異名を持つ彼は、ツルギスの赤毛よりもさらに濃い、真っ赤な髪と髭が逆毛だっているように見えるほど怒っていた。
「ネテ、落ち着け」
そう声を掛けたのは、シゾルダの父、宰相のノトルド・ラングレー公爵だ。
息子とよく似た顔立ちをしていて、元々体毛が薄いタチらしく髭は生やしていない。
しかし、眉の間とへの字に曲げたような口元に深く入った皺が、彼に気難しそうな印象と威厳を与えていた。
「これが落ち着いていられるかっ! まさか大逆の疑いをかけられるような真似をしでかすなど……!」
軍団長ネテが憤然と椅子に座るのに、国王コビャクは親しく声を掛ける。
「そう言ってやるな。お前に知らせずに事を運んで済まないが、これはノトルドも、ツルギスも、シゾルダも納得した上での茶番だ」
「何だと!?」
国王、宰相、軍団長の三人は貴族学校の同期生でもあり、宰相ノトルドに至っては、乳兄弟だった。
そしてこの三人しかいない場では無礼講だと、国王コビャクは命じていた。
だからこんなにも、軍団長ネテは気安いのだ。
「なぜそんな事を!?」
「貴殿に知らせると、話を全て聞かぬ内に息子のところに行って殴り倒すだろうが」
「当然だ!!」
「それだと困るから、知らせなかったんだ」
軍団長ネテは、普段は冷静沈着なのだが、どうにも直情的であり、特に自分を継ぐのだと躾けた長男には厳しいと有名だ。
おかげで息子のツルギスは、責任感が強く我慢強くもあるが、自分の意見を出すのがどうにも苦手に育っている。
主に軍団長ネテの態度のせいで、彼が愚痴るたびに『お前のせいだろう』と二人で言っていたのだが、改める様子はなかった。
そこに来て、この事件だ。
国王コビャクは、軍団長ネテを落ち着かせるように手を上げてから、話を始めた。
「この件は、隣のバルザム帝国が絡んでいる。しばらく前から、人を操る魔導具の噂が立っていたのを覚えているか?」
「聞いてはいる」
「これが、その証拠だ」
コトリと、テーブルの上に置いたのは、一つの腕輪だった。
身につけると『本人の魔力を糧に、特殊な魔力場を展開して思考力を奪う』という解析結果が、魔導省から上がっている。
「これを、ツルギスは身につけさせられていた。これをつけていた間の事を、薄くではあるが本人も覚えているらしい」
「……操られていた、と?」
軍団長ネテは武芸に秀でるが、魔術知識方面は苦手としている。
膨大な魔力は、魔法剣と呼ばれる剣技や大味な攻撃魔術に活かされるばかりで、魔導具にも疎かった。
そんな彼に、宰相ノトルドは眉根の皺を深くして淡々と告げる。
「その原因を作ったのは、シゾルダだ。ツルギスは、先ほど愚息が明かした通り、ダリステア嬢に懸想していた。秘めた想いと我慢強さが、悪い方向に利用されたのだろうな」
もう一つ、噂になっている思考を鈍らせる香水の方も、エイデスが生産元を押さえていた。
国内にある領地の一つで、倉庫に見せかけて建てられていたらしい。
「どこの領主が裏切り者だ?」
軍団長ネテが、血走った目で睨むように問いかけてくるのに、国王コビャクはニヤリと笑った。
「オルブラン領だ」
すると彼は、意外そうに眉を上げた。
「何だと……? ハビィの奴がか?」
この三人ほどには親しくないが、国の穀物庫を預かるハビィ・オルブラン侯爵は一つ下の年齢で、よく一緒に悪さをした仲だ。
「我も意外だと思った。帝国の王姪に惚れて、大恋愛の末に奪い取るように娶ったアイツが、今さら協力してやった王家を裏切るとも思えん」
妻以外には目もくれず、結婚後は、重要な用があっても王都に出ることすら渋るような引きこもりだ。
彼女が帝国に里帰りすることすらあまり良い顔はしないほど溺愛している。
家族以外どうでも良い男が、帝国に与して、ライオネル王国を潰そうと画策する理由が全くない。
「そうだよな……脅されてるとかか?」
「どんな理由でだ。アイツの機嫌を損ねたら、困るのは食糧を輸入してる向こうの方だろう」
帝国の飢饉の際、格安で輸出してオルブラン侯爵家は向こうに感謝されている。
今でも相場より少し安い程度の価格で、質の良い麦を定期的に輸出しているはずだ。
「ハビィや細君が操られている、という線も考えて、影に探らせたが。そうした様子もない」
宰相ノトルドがゆっくりと告げ、目を細めた。
「が、画策しているのがハビィだとは限らない」
「どういう事だ?」
「お前と同じだ、ネテ。息子が独断で、動いている可能性はある」
「ズミアーノが?」
帝国の血が入った流麗な容貌の青年。
快活で人当たりが良く、ハビィとよく似ているが、どこか考えの読めない子ども。
「筋が通るだろう? シゾルダが帝国にツルギスを連れて行った時、側にいたのはズミアーノだ。ツルギスに魔導具をはめることが出来るのも、人を操る香の存在を教えるのも、その使い方を教授するのも……そして領内に倉庫を建てさせることが出来て、秘密裏に改造して香料の生産工場にするのも」
「一番やりやすいのは、ズミアーノ、ということか」
軍団長ネテは、組織の長の顔になって国王コビャクを睨みつける。
「だったら、なぜ逃した?」
「一つには、証拠がないからだ。ツルギスは、腕輪をもらった相手も、香水の使い方を習った相手も覚えていなかった。認識阻害魔術を併用して使われたんだろう」
しばらくは記憶が混濁しており、体調にも影響が出ていた。
「もう一つの理由は、ズミアーノの動向を探るためだ。事を収めるために、自分たちが原因だからと、ツルギスとシゾルダは罪を被って『あくまでもツルギスの恋心と、それを唆したシゾルダの暴走』という形で事を収めた。これが帝国が内乱を狙って画策した事だ、となれば、下手をすれば戦争が起こる」
国王コビャク自身も、ツルギスもシゾルダも、そして宰相ノトルドも、それを一番に恐れた。
「望むところだろう。真正面から叩き潰してやる」
「落ち着け。それで被害を被るのが私たちだけならば良いが、一番犠牲になるのは民だろう」
軍団長ネテの強気な発言に、宰相ノトルドはため息を吐く。
「証拠が揃えば、それを理由に裏から帝国に手を回して制裁処置は出来る。そう収めるために、全員が動いている状態だ」
だから、今のタイミングで話したのだ。
「近々、人事異動を行う。それが終われば、軍部の力を借りることになる」
「誰の首をすげ替えるんだ?」
「外務卿だ。平時であれば今のままで良いが、有事に近い荒事に、あの穏やかだが凡庸な男では対応できん」
「後釜は」
軍団長ネテの質問に、国王コビャクは酷薄な笑みを浮かべて告げる。
「エイデス・オルミラージュ魔導卿だ。今、一番適任だろう」
「……魔導省はどうする気だ?」
「マレフィデント・アバッカムに預けるさ。奴なら上手くやる」
「特務卿は」
「一度、レオニールに預けてみようかと思っている。あの子は少々潔癖だからな。少し汚い方向に揉まれた方が良いだろう。伴侶も魔術に造詣が深く好都合だ。エイデスが帝国に赴くことになれば、軍部で最も頼れる連中を護衛につけてくれ」
スラスラと出てくる人材選定に、軍団長ネテは鼻から大きく息を吐く。
「上手く行くのか? それで」
「エイデスとレオニールが、ウェルミィとイオーラを得たからな。……あれらは、得難い拾い物だぞ」
年若いが、外交と内政に携わらせるのに、あれほど有為な人材はそうそうない。
かたや、優秀な人材を見極める目を持ち、王族を含む他者すら手玉に取る弁舌と演技力、それを多くの者に悟らせることなく意のままに誘導する素晴らしい外交手腕と、クラーテス直伝の解呪技術の持ち主。
かたや、国際魔導研究所において最速で上位魔導師資格を取得し、領主として舌を巻くほどの手腕と、紫の瞳に見合う魔術に対する造詣の深さ、作物開発すら自らの手でなし得る頭脳を持つ才媛。
ーーーそして何より、愛する妻を病から救ってくれた。
「我が国は次代においてさらに磐石になる。彼女らを得たアイツらがどんな働きをするのか、今から楽しみで仕方がない」
「相変わらず腹黒い男だな、コビャク。息子の嫁らまで利用しようと?」
「悪いか? 別に誰も不幸にはなっていないだろう」
しれっと答えてやると、軍団長ネテは宰相ノトルドに目を向ける。
「それで、ツルギスとシゾルダはどうなる?」
「しばらくは刑に服すという形で隠し、別の身分を与えて動いてもらう。あれらも優秀だからな。遊ばせておくには勿体ない。その上でもう一度浮上できるかは、あれら次第だ」
息子のやらかしに何も感じていないわけではないだろうに、彼は宰相として冷静だった。
「つまりその程度の罪で収める、と」
「大逆でないと証明されれば、操られていたこととその間に犯した罪くらいだろう。シゾルダの方は噂を流しただけで、ツルギスも心神喪失でどうとでもなる。謹慎で手を打てるさ」
キルレイン法務卿は法に忠実だが、法の範囲内であれば文句を言うほど狭量ではない。
「後は、家に対する処分だが?」
と、こちらに話を向けられて、国王コビャクは苦笑した。
「迷惑をかけられた者に賠償金と慰謝料をそれぞれに支払ってやれ。あの香水で、精神のバランスを崩すほどに強い影響を受けたのはセイファルトくらいだ。ダリステア嬢は一度きりだから心配するほどでもない。テレサロ嬢を含むこの三名には、それぞれに金以外にも望みを叶えてやればいい」
「それで良いのか?」
「その程度のことしか起こっていないんだ。ウェルミィのお陰でな……内乱罪に問えば、むしろ人材を失って国家の安寧を揺るがすことになる。後は、教皇猊下の出方次第だ」
教会の本拠は帝国にある。
奴らがどれくらい深くこの件に関わっているのかで、対帝国なのか、そこに巨大な組織である教会までも含むのかが変わってくる。
その見極めのためにも、エイデスとウェルミィが必要だった。
「せいぜい、役に立ってもらおう。それがイオーラやレオの為になるのなら、あの二人に否はあるまいよ」
国王コビャクは、ニヤリと笑って顎を撫でた。
番外編です。というか、多分第二章/裏というような形になりそうなので、章題はそうしておきます。
後、国王は為政者としてウェルミィたちを利用するような発言をしていますが、それはそれとして息子を含む人々を気に入っているので、ひどい扱いをしたり使い潰したり、などは考えていません。
できる範囲でやれることをやってもらおうとしているだけ、という形ですね。
この後は、エイデスやウェルミィを絡めて、ツルギスやズミアーノなどの話をする予定です。
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