遥かな日に、北へ【前編】
この話は、リクエストにお答えしたかなり未来の話です。
時系列的には、第二章がこれより手前の話になりますので、あまりそういうのを好まない人は申し訳ありません。
ーーー遥かな、ある日。
エイデスを訪ねてきたイオーラを待つ間、オレイアはウェルミィの元を訪れていた。
彼女のお腹には、新しい命が宿っている。
「ねぇ、オレイア」
「はい、ウェルミィお嬢様」
窓の外を見つめるウェルミィの問いかけに、そう答えると。
椅子に腰掛けてお腹を撫でながら、彼女はぽつりと続けた。
「最近、よく考えるの。お母様は、なぜあんなにもお義姉さまを憎んでいたのかしら、って……」
「……」
オレイアは、それに答えなかった。
答えを持っていなかったわけでは、ないけれど。
「私が可愛くて、伯爵家の跡継ぎにしたかったから? でも、それだけが理由じゃ、ない気がするのよね……」
ウェルミィは、独り言のように訥々と。
「私、お母様が怖かったの。あの、お義姉様に向けている敵意に満ちた目が。……でもあの憎しみは、本当に、お義姉様に向けられたものだったのかしら……」
結局、ウェルミィに対して、オレイアは何も言わなかったけれど。
「お父様が、お出かけの準備をなさっておられるらしいの。北へ、向かうって」
「……」
「お母様に、会いに行かれるのかしら……」
そんな風に言われて、心の隅に引っかかっていた気持ちを含めて。
後日、イオーラに頼まれた魔導具をクラーテス様の元へ運んだ時に、疑問を投げかけた。
「……クラーテス様」
「はい、どうされました? オレイア嬢」
穏やかなウェルミィの実父は、彼女によく似た、しかしより柔らかい面差しで、こちらに対して微笑みを浮かべる。
「お出掛けの準備をなさっていると、ウェルミィお嬢様から伺いました。失礼ですが、どちらへ?」
「……北の修道院へ。私は、一度イザベラと話し合わなければならない気がしているんだ。……ウェルミィの、懐妊もあるしね」
伝えるかどうかは、迷っているけれど。
そう、クラーテス様は言った。
「申し訳ありません。……少しだけ、私に昔話をするお時間を頂戴できますか?」
「うん」
「私は、奥様が嫌いです」
はっきりと告げたオレイアに、クラーテス様は軽く目を見張ったけれど、何も言わなかった。
嫌いな理由は、はっきり告げておかなければならないので、言葉を重ねる。
「奥様は、イオーラお嬢様に、大変辛く当たられる方だったので」
「……そうだろうね」
「ですが、あの方はウェルミィお嬢様や使用人には、とてもお優しい方でした。自分も元は平民で、あなた方と何も変わらないから、と」
もう遠い記憶だけれど、オレイアは覚えている。
ねぎらいを忘れず、きちんと顔を見て疲れていそうなら暇を出し、問題がありそうなら間に入って親身に相談を聞いていたりした。
ただ、イオーラお嬢様のことになると人が変わったようになるため、使用人も数ヶ月も経てば皆が辛く当たるようになる。
あれほどお優しいのに、なぜイオーラお嬢様だけは。
そうした疑問が、ずっとオレイアの胸に燻っていた。
「そんな方が、なぜイオーラお嬢様にだけお辛く当られたのか、私の知り及ぶところではありません。昔、ウェルミィお嬢様が、川に落ちて高熱を出された時、あの方は看病をなさいませんでした」
オレイアはあの時、内心で憤慨していた。
頬を張ったイオーラお嬢様に看病をさせておいて、そのことで怒った自分は看病をしないなんて。
そんな風に思っていたけれど。
「ですが、温くなった水を変えようと廊下に出ると、奥様が廊下の椅子に座っておられたのです」
ビックリして固まったオレイアを見て、あの方は微笑み、唇に指を当てた。
『ウェルミィは、先ほどの件でわたくしに怯えています。そんな人間が近くにいたら気も休まらないでしょう?』
そしてオレイアからバケツを取り上げて『後で部屋の前に置いておくから仮眠を取りなさい』と言った。
『あの……でしたら先に、イオーラお嬢様を休ませて差し上げても……?』
おずおずと尋ねると、奥様は顔をしかめて素気なく告げられた。
『貴女に与えた休息の時間よ。貴女の好きになさい』
そう言って、去っていった。
「奥様の真意は、私には分かりません。イオーラお嬢様やウェルミィお嬢様を、何か悲しませることになっては申し訳ないので、伝えませんでした。ですが一度、奥様が部屋の中で、ぽつりとこぼされていた言葉をお聞きしたことが、ございます」
『もっと嫌な子なら良かったのに……』と。
イザベラが、窓辺から離れを眺めながら呟いていたのが、かすかに聞こえたのだ。
「クラーテス様なら、何かお分かりになるかと思い、お伝えいたしました」
「ありがとう、オレイア嬢」
クラーテス様は、黙って聞いた後に、そう言ってどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「イザベラは、変わっていなかったんだね。……贅沢を覚えて、違う人間のようになってしまったのか、私は騙されていたのか、と思っていたんだけれど」
何度も頷いて、彼は自分の頬を掻いた。
「私は自分のことを見る目のない愚か者だと、そのせいでウェルミィに辛い思いをさせてしまったと思っていた……でもどうやら、別の意味で目が曇っていたみたいだ」
「……」
「私と別れた後に君が見たイザベラの姿を、よく覚えておくよ。私の知っているイザベラも、優しい人だった。二股をかけて詐欺を働くような人じゃないと、事実を目にしても信じ切れていなかったけど。君の言葉で確信が持てたよ」
オレイアは、黙って頭を下げた。
この話をした結果がどうなるのか、分からないけれど。
イザベラを憎みきれない気持ちが、自分の中にも、多分あったから。




