魔導卿の面会。②
ーーーある日のこと。
『アーバインの処罰についてだが、ウェルミィはどうしたい?』
『何で私に聞くの? お義姉様の本質を見抜けないような愚か者に、興味はないわ』
『実家の件はまっさらだが、厳罰にする程度の根回しは出来る』
『必要ないわよ。……お義姉様の悪評をばら撒いてたのはムカつくけど、私たちも利用してたしね』
『なるほど、では、せめて関わって来ないように取り計らおう』
※※※
アーバインは、疲れ切っていた。
貴人牢とはいえ、閉じ込められて部屋から出られないような経験は初めてで、実家の調査や処分が決まるまでの間はどんなやり取りも王家の名の下に禁じられてしまっていた。
何も分からないまま、ずっと閉じ込められているというのは、想像以上に辛いものだった。
ーーー何で俺が、こんな目に……。
何度も心の中で繰り返しても、答えは得られない。
そうして、十日以上が過ぎたある日、面会が許されたと案内を受けた先で……あの男がいた。
傲岸不遜な態度で足を組んだ銀髪の男に、正面のソファに向かって『座れ』と顎をしゃくられる。
エイデス・オルミラージュ魔導卿。
大人しく座ると、彼は挨拶もなくいきなりこう告げた。
「お前は不敬罪に問われている。その量刑に関しては、王太子殿下並びに国王陛下の承認の元、キルレイン法務卿に情状酌量の余地ありとみなすかどうかを口利きする権利を与えられた。どうするかは、これからのお前の態度次第だ」
言われて、アーバインは気が重くなった。
ーーーこの男が、俺の事を良いように言う訳がない。
ウェルミィを妻にと願い、イオーラを助けた相手だ。
不敬罪の最高刑は、公開処刑。
しかしエイデスは、グッと肩を硬らせたアーバインに、軽く口を端を上げた。
「ククッ、私が怖いか。……お前は愚か者だ、アーバイン・シュナイガー。だが、自分が置かれた状況と目の前の人間がどういう相手かを理解する頭はあるようだ」
言っていることが、よく分からない。
アーバインが顔を伏せたままでいると、エイデスは淡々と言葉を重ねた。
「芯からの愚か者は、予測が出来ないものだ。私が口利きをしてやると言えば、自分がどれほど悪くないか、情状酌量の余地があるかを嬉々として語り出す」
ーーーどういうことだ?
アーバインは訝しんだ。
それではまるで、アーバインをそこまでの愚か者ではない、と言っているようにしか聞こえない。
油断させておいて、失言を引き出すつもりなのか。
「疑心暗鬼になっているな。そう、お前の行動自体は愚かだった。自ら望んだ婚約者であるイオーラを蔑ろにし、悪評を触れ回り、ウェルミィに騙されて愛想を尽かされて、挙句に殿下を侮辱して今や監獄暮らし。手にするはずだった伯爵家は内実が火の車の、砂上の楼閣だった」
アーバインは、頬に血が上った。
怒りなのか羞恥なのか、自分でもよく分からない感情だった。
「一人で過ごして、少しは頭が冷えたか?」
エイデスの言葉に、アーバインは黙ったまま彼の顔を見返す。
冷え切って見下しているような表情だが、その目には、何の感情も宿っていなかった。
「何か一つでもお前の行動が違っていれば、お前はイオーラかウェルミィを手にすることが出来た。四年間、何度でもチャンスがあったにも関わらず、お前は選ばれなかった。あれほど聡明な姉妹にな。それがどういう意味か、理解出来るか? アーバイン・シュナイガー」
「……俺を、馬鹿にしに来たんですか?」
心の奥底に、ずくん、と疼くものがあった。
大昔に、ウェルミィが現れる前に見たイオーラと、再会した時のイオーラ。
学校に入ったばかりの頃の、まだ今よりも幼かったウェルミィと……エイデスと共に立つ、美しいイオーラ。
そして、自分にしなだれかかるウェルミィと、エイデスの婚約披露の夜会で、アーバインを見下したように蔑み叫んだウェルミィ。
だが、喧嘩した記憶よりも、あの時の姿よりも……気の強そうな微笑みを浮かべる彼女の方が、多い記憶。
特にウェルミィとの四年間は……アーバインと一緒に過ごした四年間だったのに。
ーーー彼女が選んだのは、エイデスだった。
「馬鹿にする為に、わざわざ来るわけがないな」
「じゃあ、ウェルミィを手にした自分を誇りに来たんですか」
もしそうだとしたら、下らない振る舞いだと思った。
そして同時にーーーそれが自分のやって来たことだとも気づき、また、胸の奥が疼く。
「入学当初は、お前も彼女たちと同様、上位クラスにいたそうだな。アーバイン」
質問には答えず、あまり関係のなさそうな事をエイデスが喋り始める。
「だが、イオーラは目立たぬよう中位クラスに落ちて、二年以降、お前は底辺の下位クラスにいた」
「……何が、言いたいんですか」
アーバインは、元々成績優秀な訳ではなかった。
どうせ勉強しても家督は継げない。
物事を理解できるようになる年頃にはそんな気持ちがあり、勉強に身が入らなかった。
しかし、家を継ぐ相手のところに婿入りすれば爵位が得られる事を、そして昔見たイオーラが、エルネスト伯爵家の嫡子だと知って。
ーーーそうだ、俺は……。
あの美しいイオーラを、その為には家を継げるだけの力を、と。
『彼女の婚約者になりたい』と、そう言った時に、父に誓って。
ーーー結果を、出したんだ。
「何故、貴族学校に入学した後のお前が愚かなのか、それが分かるか?」
「……」
「お前にはチャンスがあった。気付く機会もあった。昔美しかったイオーラの、再会した時の姿を見て落胆したそうだな。そしてウェルミィに擦り寄られて良い気になった。好かれていると。そして彼女を手にすれば家督を継げるかもしれないと、慢心した」
「…………」
「才気の花のような二人だ。何にも代えがたいほどのな。……釣り合う努力を、お前はしたのか? 本当の彼女たちの姿を、知る努力を」
アーバインには、何も答えられない。
している訳がなかった。
していたら、気づいていたら、こんな場所で、エイデスと対峙している訳がない。
行動一つだった、と先ほどエイデスは言った。
その通りだと分かるのに、認めたくはなかった。
「女性が花開くのに、男の手は必要がないかもしれん。だが、どのような花も水がなければ萎れて当然だろう」
再会したイオーラが、なぜそうなっているのかを気にかけていれば。
彼女に花の一つでも贈り、エルネスト伯爵家に赴いていれば。
「萎れている花を見て、咲き誇っていたら見えたはずの本来の姿を、お前は見なかった。萎れているのを見て、嘲笑った」
イオーラだけを見つめていれば、ウェルミィは、もしかしたらアーバインにすり寄っては来なかったかもしれない。
エルネスト伯爵家からイオーラを逃すだけならば、あるいは彼女の置かれた境遇を改善するだけならば、婚約者のアーバインが、一言何か抗議をしていれば。
状況は、変わったかもしれなかったのに。
そうしたら、ウェルミィはアーバインを認めたかもしれなかったのに。
「ウェルミィにしても。エルネスト伯爵家の没落は免れなかったかもしれんが、お前が彼女に釣り合う努力をしていれば、全てを巻き込んで壊そうとはしなかっただろう」
ウェルミィが近づいてきた後に、自分よりも優秀な彼女に、釣り合うための努力をしていれば。
イオーラの為に家は潰したかもしれないが、結婚目前まで行っていたアーバインを、自分の伴侶としては認めていたかもしれない。
もし、もし、もし。
全部仮定だ。
ーーーなんで俺が、こんな目に?
当然だろう。
「お前は何もしなかった。目を曇らせ、努力を怠り、立場にあぐらを掻いた」
見限られて、当然だ。
「理解したようだな。お前に足りなかったのは努力だ。高嶺の花を手に入れようと思うのなら、相応の努力をしなければならん」
「……あなたは、したんですか」
目は見れないが、奥歯を噛み締めて、震える声で反発する。
生まれながらに強い魔力を示す紫の瞳を持ち。
多くの人が見惚れる美貌を持ち。
金も、地位も、権力も……ウェルミィの信頼さえも勝ち得、王室までも味方につけて。
目の前の男に対して湧いた嫉妬心が、口にさせた言葉は。
「当然だ」
そう、一蹴された。
「生まれながらの魔力の高さは、魔術の修練なしには生かされない。多くの知識を正しく持たねばな。私の顔が気に入らないか? これに関しては、私ではなくイオーラやウェルミィと比べるべきだな」
「……どういう意味です」
「女性が、何もせずとも美しく在ると、お前はまだ思っているのか? イオーラが花開くのを見ていながら」
言われて、アーバインは息を飲んだ。
「相応の努力なしに、女性は美しくはならん。礼儀礼節は何のためにある。貴族の所作が美しいのは生来か? 普段からの心がけがあるからだろう」
男も同じだ、とエイデスは言う。
「美しさは、顔形や、外見だけを金で着飾って得られるものではない。普段からの弛まぬ努力こそが、美しさを支える。騎士が剣を振るえるのは何故だ? 体を鍛えるからだ。文官が難しい問題を解決するのは何故だ? 知識を得て、それを活かすために考え続けているからだ」
そうした男性が、魅力的に見えるのは。
「弛まぬ努力の果てに、それを得るからだ」
アーバインは、ぐうの音も出なかった。
「金も、地位も、権力も。ただ嫡男として生まれれば、嫡子を娶れば、あるいは上の人間を排除すれば、得られると思っている愚者は多い。実際にそうであることも多いが、そうした愚者を戴いた被害を被るのは、いつだって弱き者たちだ」
子どもで、抗う術を持たなかったイオーラのように。
救いたい者をその場で救えなかったウェルミィのように。
「……お前は想像したことがあるか? 生まれた時から、弱き者を救う義務や責任を背負うことが分かっている者の辛苦を。その重みを」
そう言われて、思い出すのは兄の背中。
兄がいなくなった時の代わりとして、勉強を強要されていたことすら、苦痛だったのに。
アーバインと違い、兄は父にいつだって厳しく接されていた。
それをアーバインは、自分と違って期待されているからだと、思っていたが。
そうではなく。
生まれ持って背負う弱い者の為に、厳しく接し、接されることが必要だったのでは、と。
……自分のようなバカに、苦しめられる者を少しでも減らす為には。
「俺、は……」
誰かに並び立つ努力など、しなかった。
手に入ったら終わりだと思っていた。
そこから先の方が、長いのに。
苦しむ今を、その長さを、共に支え合う相手が、あの二人には必要だったのに。
ーーー俺は。
「自分のこと、だけ……」
「そうだ。真の愚者は、永遠にそれには気付けない。相手が悪い、環境が悪い、他の何かが悪いと、自分以外のせいにして、己を振り返らない」
エイデスは、組んでいた足を解き、立ち上がる。
見上げると、こちらを見下ろす彼と目があった。
ーーーカッコいいよな。
立ち振る舞いも、言葉の重みも、何もかもがアーバインとは違う。
比べるまでもない。
自分と並んだら誰だって、エイデスを選ぶだろう。
それが、本当の意味で理解出来た、と、アーバインが思った時に。
「理解できたなら、罰金で済ませるように計らおう。アーバイン」
そう言われて、目を見開く。
「な、何で……」
「真の愚者は、反省をしないと言っただろう。私は、たとえ一度間違った相手であろうと、二度三度同じ愚を犯さぬのなら、失敗を認めないほどに不寛容ではない」
エイデスの目は、何を考えているのか分からないと思っていたが。
今見ると、全てを見透かしているように、見えた。
「ウェルミィは、厳罰を望まなかった。お前を利用していたから、お互い様だと言った」
その言葉に、アーバインはぽかんと口を開く。
「イオーラとウェルミィの四年間を踏み躙った事を、己の愚かな行いを、見つめ直したのなら……それを行動で示した時には、謝罪の機会程度は設けてやる。それまでは接触を禁じる」
アーバインは、顔を伏せた。
ーーースゲェなぁ。
ウェルミィと、自分が、釣り合うわけがなかった。
逆の立場なら……この人と話す前の自分なら、きっと、アーバインのような立場の相手を嘲笑い、見捨てたはずだ。
こんな人に選ばれるウェルミィは、この人が認めた王太子に選ばれるイオーラは、最初から、自分の手の中になどいなかったのだ。
自嘲の笑みを浮かべながら、自然に立ち上がったアーバインは、出て行こうとするエイデスに深く、頭を下げる。
「ありがとうございました。ご温情に、感謝いたします」
すると、エイデスは振り返り、面白そうなものを見たような笑みを浮かべて、一言だけ残して、去っていった。
「ーーー選ばれる男になれ。アーバイン・シュナイガー」
何故か、泣きそうになった。
その後、保釈されたアーバインは父に散々雷を落とされ、兄に殴られ、自分の幸運に感謝しろと何度も怒られたが。
今までのように腹は立たなかった。
ただ、申し訳ありません、と繰り返すアーバインに何かを感じたのか、今後どうするかを問われ。
「ーーー騎士団に、入らせていただけませんか」
と、そう望んだ。
誰かに婿入りをしても、今のアーバインではまともな領地経営など出来ない。
文官になるには頭が足りない。
だけど、体を鍛えて、その間に今までサボってきた勉強して……役に立つ存在になれば。
いつか、誰かが認めてくれるかもしれないと、そう思って。
アーバインは、特別厳しいと噂の辺境伯騎士団への編入を希望する。
父と兄はそれを認めてくれたので、王都を離れた。
エイデスやウェルミィ、イオーラに会う可能性は限りなく低いけど。
彼に認められて、もう一度会った時に、反省したことを彼女らが一目で分かるように。
その上で、誠心誠意、謝罪出来るように。
ーーーそんなアーバインが、メキメキと頭角を表してウェルミィたちと再会するのは、ほんの数年後のことだった。
アーバインは更生しますが、父母はどうなるか。
というのを全部ここで纏めようと思っていたのですが、長くなりすぎたので、ふたつに分けます。申し訳ありません。
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