愚か者の末路と、エイデスの過去【後編】
「エイデスが、魔導省の長となるほどに上り詰め、魔導具による不正にとてつもなく厳しいのはね、ウェルミィ。……彼が、母や姉を、それによって失っているからなんだ」
クラーテス先生の言葉に、ウェルミィは目を丸くした。
彼が残虐非道と言われるほどに厳しく呪いの魔導具を取り締まり、その原理を解き明かして広く知らしめたのは、有名な話だったけれど。
「正確には、義母と義姉なのだけれどね。エイデスもまた、表沙汰になってはいないが、彼は先代侯爵の弟の息子なんだ」
「初めて聞きました」
「そう、ほとんどの人間は知らない。国王陛下ですら、もしかしたら知らない話だ」
エイデスの父は、領地運営の補佐として先代侯爵を助けていたが、視察の最中に地震による建物の倒壊に巻き込まれて命を落としたらしい。
「残された妻のお腹には、子どもが宿っていた。そして生まれてきた子どもは、紫の瞳を持っていたんだ」
「それって……」
まるで、イオーラお義姉様のような。
「侯爵は、夫を亡くした若妻に問うた。子を連れて育てるか、なかったことにして別の家へと嫁ぐか。……君の母と違って、妻が選んだのは後者だった」
エイデスを捨てて、別の家へ。
「真実は分からない。先代侯爵は自分の息子としてエイデスを届け出て、才覚を見せた彼を後継者として指名した。成人直前に、元々、夫を得て侯爵家を継ぐはずだった姉の気持ちは、どんなものだったか分からないけれど」
歳の離れた弟に、全てを奪われた姉は、そして我が子が得るはずだった地位を奪われた先代侯爵夫人は、内心に暗い思いを抱えていたのだと。
「それでも表面上は、三人は仲が良かったよ。思うところがあったとしても、それはほんの小さな気持ちだっただろう。彼女らは貴族として一流の教育を受けていたし、先代侯爵も決して非人道的な人ではなかった。厳しい人ではあったけれど、妻子も弟の子も愛していた」
それを砕いたのが、呪いの魔導具だったらしい。
「妻子の部屋にいつの間にか、目立たないように置かれていた魔導具は、人の暗い気持ちを増幅させるものだった。後で分かったんだけどね。……弟という片腕を失い、忙しくなって家にあまり居られなかった先代侯爵は、徐々に変わっていった妻子に気付くのが遅れたんだ」
エイデスは、虐げられた。
だけどそれは、無視されたり避けられたりする程度のものだったらしい。
「彼らに嫌われた理由が、エイデスには分からなかった。だけどある日……姉が口にした魔術の間違いを何気なく指摘した時に、いきなり爆発した」
呪いの魔導具は、精神的な爆弾のようなものだったと、クラーテス先生は言う。
「リロウドの家も、侯爵家との交流はあったけれど、彼女らの私室に入ることはなかったからね。自分達を馬鹿にしているのかと、家督を奪い取って嬉しいかと、発狂した姉に果物ナイフで切りつけられ、義母は暖炉に突っ込まれて熱された火かき棒を引き抜き、エイデスに迫ったそうだ」
身の危険を覚えたエイデスが、彼女らの手から武器を魔術で弾き飛ばすと、床に落ちた火かき棒に残っていた火が、叩き落とされて割れていた、先代侯爵のコレクションである度数の高い酒に引火した。
「あっという間に、夫人たちのドレスに引火して、彼女らは炎に包まれた。それでもエイデスに掴みかかってくる彼女らを助けることも出来ず、居間も炎に包まれて……騒ぎを聞いて夫人たちを抑えようとしていた侍従の一人が、エイデスを連れて逃げた」
彼は、左手にいつも手袋をしているだろう、とクラーテス先生は悲しげに言う。
「はい」
寝る時も外さないそれを、少し不思議には思っていたけれど。
「姉に掴み掛かられた時の、火傷の跡があるんだ。その騒ぎの後に、私はエイデスに話を聞いた」
あまりの醜聞な上にそれを成した二人が死んだことで、事実は秘匿され、火の不始末ということになった。
結局、それを置いた犯人は分からなかったらしい。
「エイデスは、彼女たちを恨んではいなかったよ。だけど、呪いの魔導具を心底憎んだ」
『母上も姉上も、優しかった』と。
『本当に自分を恨んでいたのだとしても、それを表に出すような人たちではなかった』と。
「それからだ。エイデスが女性を遠ざけ、勉強や魔術に打ち込み始めたのは。その後、私も出奔してしまったから、彼の側には居てやれなかった」
話を聞いて。
ウェルミィは、まるで自分のことのように、その気持ちが分かるような気がした。
だって。
「お父様が、私に解呪の手解きをして下さったのも、それが理由ですか……?」
「そうだね。エイデスが君達を助けたのも、きっと同じじゃないかな。自分が気づいてやれていれば、もっと疑問を持っていれば、助けを求めていれば。あの人たちは、助かったかもしれない」
ゴルドレイが気付いた。
ウェルミィは、お義姉様を助けたいと思った。
そうして……クラーテス先生とエイデスに、助けを求めた。
「償いにはならない。自己満足だ。そして、その後悔があったからだろうね。……エイデスは魔導省の長になり、私は解呪師として皆を助けたかった」
少しでも、自分達の身に降りかかったような悲劇が減るように、と。
「だから君はね、ウェルミィ。本当に最善の行動をしたんだ。エイデスは、女性であるにも関わらず、君が自分と同じような境遇にいて、それを打破しようとしていたことが……自分が出来なかったことを成し遂げようとしている君のことが、とても眩しかったんだと思う」
だから心を惹かれ、そして助けた、と。
「君に惚れているのは、きっと本当だよ。あんな態度だけれど、母と姉を失ってから、エイデスがあんなに楽しそうに笑うことは今までなかったんだ。……君は彼の心まで、その行動で救ったんだよ」
ウェルミィは、それを聴きながら、自分の感情に戸惑っていた。
いつも意地悪なエイデス。
たまにふと、優しく自分を見つめるエイデス。
慈しむように抱きしめて、頭を撫でてくれるエイデス。
素直になれないけれど。
それでも好意を精一杯示すと、嬉しそうに笑ってくれるエイデス。
女嫌いで暴虐な魔導爵なんて、ウェルミィの前にはいなかった。
心を救ったと言われても、よく分からない。
でも、あんなに完璧に見えて、ウェルミィの思惑なんか全部お見通しで、愛情をいっぱいくれる彼の役に……知らない間にでも、立てていたなら。
ーーー嬉しい。
与えてもらうばっかりだと思っていたのに。
そうではなかったと知れたことが、凄く、嬉しい。
「……ありがとうございます、お父様」
話してくれて。
この屋敷に来てから、あの夜会から、ウェルミィは涙もろくなった。
嬉しい涙のほうが多いけれど、エルネストの家にいた時は、泣いたことなんて、ほとんどなかったのに。
「だから君も、エイデスを甘やかしてあげて欲しい。あの子は愛情を失った。先代侯爵も忙しくて、触れる機会もほとんどなかったと思う。君がエイデスに、存分に愛情を注がれているように、返してあげてほしい」
「……はい」
クラーテス先生は満足そうに頷いて、腰を上げた。
また来るよ、と言って帰った後に、ウェルミィはまた少しだけ泣いて。
夕方、いつものように執務室から出てきたエイデスを、ぎゅっと抱きしめる。
「どうした? ウェルミィ」
「大好きよ、エイデス」
いつも自分から抱き上げるのに、と、面食らったエイデスは、胸に顔を埋めて強くその背中に手を回すウェルミィに。
すぐにやれやれ、とでもいうように苦笑した後、ふわりと抱き締め返してくれた。
「クラーテスが、余計なことを話したんだな?」
「余計なんかじゃないわ。大事なことを、クラーテス先生は話してくれたのよ」
エイデスの心のありようを、その行動の意味を。
きちんと理解出来たから……ウェルミィは、彼に一歩も二歩も、近づけた気がした。
錯覚かもしれないけれど。
「離さないわ。貴方がもし、私に飽きても、離れてやらないんだから」
「エイデスだ、ウェルミィ。名前で呼べと言っているだろう?」
頭を優しく撫でてくれたエイデスは、ウェルミィをいつものように抱き上げる。
「それに、離れる権利はお前にはない。ーーーウェルミィは、私のものだ」
まるで、宝物だとでもいうように、そう嘯くエイデスの首に。
ウェルミィは、また腕を回して、抱き締めた。
ーーー自分の想いが、少しでもエイデスに伝わりますように。
次の番外編は、アーバインとエイデスの対話です。
それが終わったら、第二章を始めようと思います。
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