愚か者の末路と、エイデスの過去【前編】
「……驚いた……」
「そうだろう。私もウェルミィを迎えた後、少々予想外だった」
その日は、クラーテス先生が来訪されて、共に食事を取っていた。
ウェルミィの実の父親であり、今日は彼の子として認められる為の書類にサインをする為に面会したのだけれど。
エイデスと並んだ彼が褒めてくれているのは、ウェルミィの所作についてだった。
「昔から礼儀は美しかったけれど、高位貴族の作法を、一体どうやってこの短期間に身につけたんだい?」
ウェルミィが、エイデスの屋敷に来て侯爵家の妻としての勉強を始めてから一ヶ月半。
エイデスからほぼ及第点を貰っている。
クラーテス先生の疑問に、ウェルミィはにっこりと笑って答えた。
「実は、子どもの時に私とお義姉様についていた家庭教師は、コールウェラ侯爵夫人なんです」
「!?」
クラーテス先生は、ウェルミィの言葉にぽかんと口を開けた。
「コールウェラ夫人、というと……現妃殿下の、王子妃教育をなさっていた……?」
「そうですわ」
ウェルミィは知らなかったけれど、この間、お義姉様が来た時にふと話題に上げた話があった。
それは、必要な勉強や礼儀作法について、この家に来てからさほど怒られたり呆れられたりしたことがない、という話だった。
貴族学校の成績については、ウェルミィは上位だったけれど、それはお義姉様のレポートの力があってのことだと思っていた。
でも。
『それだけで上位には行けないわよ、ウェルミィ。礼儀作法も、筆記も、あまり苦労したことはなかったでしょう?』
『そういえばそうね。皆そんなものなのかと思っていたわ。取り巻きにしてた子たちは、特別頭が悪い子たちを選んでいたし』
『ウェルミィ……』
その物言いにお義姉様は苦笑しつつ、教えてくれた。
『わたくしたちを教育してくれたコールウェラ夫人はね、とても優秀な方だったのよ』
と。
「昔、お義姉様のお母様が、コールウェラ夫人と親しくなさっておられたそうで、その関係で私の家庭教師を引き受けてくれていたと」
実際は、ウェルミィではなくお義姉様の為に引き受けてくれていたはずだった。
他家の内情など、普通はよほど興味を持って調べないと分からない。
故エルネスト前夫人と『娘が年頃になったらよろしくお願いします』と、約束を交わしていたことから、コールウェラ夫人が、その実績とはかけ離れた格安で家庭教師として赴くように申し込んだらしい。
今は捕まっているエルネスト元伯爵が、妾を後妻に迎えたことや、娘を一人連れてきていたことは知っていても、それがまさか同い年の子とは知らず。
『エルネストの後継となる子を教育したい』という手紙の内容から、両親はウェルミィの教育を彼女に任せた。
その頃にはすでに、お義姉様は離れに暮らしていた。
そして友好関係にはあっても、コールウェラ夫人は王城や高位貴族の家庭教師にと忙しく働いていて、病床にあった故エルネスト夫人が、その時期あまりお茶会などに出なかったこともあって、イオーラと会ったことがなかった。
そうした事情を、ウェルミィは二人に語った。
「コールウェラ夫人は、疑問には思っておられたそうです。その、私の成績の話ではなくて、この瞳の色とか顔立ちとかが、お義姉様のお母様にも、エルネストのお父様にも似ていなかったので」
母イザベラと、クラーテス先生を並べると、ウェルミィの顔立ちは当然ながら二人のものと似ていた。
「なるほどね……それで?」
「コールウェラ夫人は、王太子妃に対するものと同等の教育を、私やお義姉様に施してくれたんです」
『礼儀礼節や知識は、いくらあっても困るものではありません』と、コールウェラ夫人はよく言っていた。
お義姉様のお母様がいないことで、その娘がバカにされることがないように、という気持ちもあったのだと思う。
「その分、当然厳しい人でしたけれど、この方ならお義姉様にも同様の教育をしてくれるはず、と思って、お義姉様の離れに『左遷』しました」
「……君はその、それをやったのはいつなんだい?」
何故か頬を引き攣らせるクラーテス先生に、ウェルミィは音もなく紅茶のカップを手にしながら、にっこりと答えた。
「12歳の時ですわ」
「別におかしなことではないだろう、クラーテス。ウェルミィなら、それくらいはやる」
エイデスは楽しそうに片頬を上げた。
疑問が解消されたコールウェラ夫人と、お義姉様とで色々なことを話し合った結果、彼女はエルネスト家の内情を知った。
「お義姉様の扱いに、怒っておられたそうですけれど、そのことに口は出さずに黙っている代わりに、お義姉様は及第点以上の礼儀作法を身につけることが出来たのだと」
それがレオの目に止まったのだから、世の中、何が幸いするか分からない。
自分の選択が一つ、間違っていなかったことが分かって、ウェルミィはとても嬉しかった。
「ウェルミィならそれくらいは、か……まぁ、そうだね。君の厳しい目が認めるくらいだからね」
苦笑して話を変えたクラーテス先生は、その後エイデスが執務の為に場を辞すと、客間でウェルミィと手続きをした。
「さて、これを出して認められれば、君は正式に私の娘として認められるね」
「ありがとうございます、お父様」
まだ少し気恥ずかしいけれど、ウェルミィはクラーテス先生にそう呼びかける。
初めて呼んだ時、すごく嬉しそうにしてくれたから。
「うん。……ウェルミィ。私はね、エイデスのことも、弟みたいに思っているんだ。その二人が婚約を結ぶことになってくれたのは、ことのほか嬉しい」
「……はい」
「エイデスはきっと話さないだろうけれど、私は君に、エイデスのことを理解してあげて欲しいと思っているんだよ」
はにかむウェルミィに、一度にっこりと笑みを浮かべた後で表情を引き締めて、クラーテス先生は言葉を重ねる。
解呪の手解きを受けていた頃と同じように、柔らかで耳に心地よい声で。
「エルネスト夫妻と、アーバインの刑が確定したことは聞いているかい?」
問われて、ウェルミィはうなずいた。
「はい。元お父様は処刑、お母様は貴族籍だけを残して、辺境の修道院へ送られると……」
エルネスト元伯爵に対する量刑は妥当だ。
国家背任に加え、正当な後継者である兄の娘を殺害しようとしたのだから。
お母様については、よく分からない。
平民落ちしても王都追放は免れないだろうし、あの歳で田舎の平民に戻るのと、修道院送りなら、どちらも彼女にとっては過酷だろう。
「そうだね。……平民に戻す、という措置をしなかったのは、私の希望だ。少しでも君に接触する可能性を減らしたかったし、贅沢に慣れた彼女の性格では、今さら平民に戻ったところで誰かに迷惑をかけるだろうしね」
「それは……そうですね」
お母様は、ウェルミィには優しかった。
甘かった、という方が正しいのかもしれない。
養護院の出身で、貧乏をいっそ憎んでいると言えるほどに嫌っていたお母様は、ウェルミィにそんな思いはさせたくないと思っていただろうし。
だからこそ、生まれた時から貴族として大切に育てられたことが分かった、お義姉様を憎んだのだろう。
でも、ウェルミィにお母様に対する同情はない。
いつからか、自分の家族はお義姉様だけだと、思うようになっていたから。
「アーバインは、罰金だけで済んだんですよね……」
「そうだね。殿下が、自分への不敬に対して、そこまで重い罰を望まなかったらしい。いくら契約と言えど、君はお咎めなしで彼だけ追放や処刑、となると悪い噂が広がるだろうしね。……それに、シュナイガー伯爵家自体は、不正なことはしていなかったそうだ。次男坊は無能だけど、家長と長男は優秀な人物みたいだよ」
苦笑するクラーテス先生の口から『無能』という言葉が飛び出たことに、ウェルミィは驚いた。
彼は、人の悪口など……それこそ自分を裏切ったお母様に対しても、言葉を選んでいたのに。
「アーバインには辛辣ですね?」
「そりゃね。自分の娘と、大事なその姉を苦しめた元凶だから。……若い女性にとっては、下手な陰口や罵声、自分が与り知らぬ犯罪行為なんかより、体に触れられる方がよほど嫌なものだろう?」
その言葉に、今度はウェルミィが苦笑する。
「私は、望んで身を任せていたのですもの」
「それでも、知っていれば、私がもっと早く名乗り出ても良かった。そうすれば、君を守れただろうに」
「お父様の責任ではないのですから、後悔しないでください。それにきっと、申し出を受けてもお断りしましたわ。だって、お義姉様を助ける算段が立ってませんでしたもの」
結局、お義姉様とウェルミィ、どちらもいっぺんに助かるにはあの方法しかなかったのだと思う。
レオも、クラーテス先生も、お義姉様やウェルミィ自身も、他の面々も。
それぞれ線では繋がっていたけれど、それが面になるには、ウェルミィがエイデスに出した告発の手紙が必要だったから。
そう言うと、納得していなさそうな顔をしながらも、クラーテス先生は話を先に進めた。
「アーバインの処遇は、今後、彼の実家がどう判断するかだけど……まぁ、エイデスが面会して、だいぶキツめの制裁を加えてたし、君やイオーラにちょっかいをかけてくることはないと思うよ」
「彼の性格だと、夜会にも出て来れなさそうですけどね。プライドだけは高いので」
陰口を叩かれて嘲笑されるなんて、きっと一番嫌がるだろうから。
それより、エイデスの制裁の内容が気になった。
が、クラーテス先生は話す気がないのか、別のことを口にする。
「それと、ウェルミィ。彼自身は話すことがないだろうけど……私は君に、エイデスのことを話そうと思う。少し付き合ってくれるかな?」
その問いかけに、ウェルミィはクラーテス先生の目を見返す。
いつもの穏やかな光ではなく、彼の目は深い悲しみの色合いを帯びていた。
「エイデスの、秘密ですか?」
「そうかもね。でも多分、弱みではないよ。少なくとも彼にとってはね」
「あら、残念。だけど、聞きたいです」
ウェルミィが姿勢を正すと、クラーテス先生は微笑みを浮かべながら話し始めた。
クラーテス先生は、ウェルミィの周りで唯一、エイデスの起源にまつわる話を知っている人です。
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