一番無力で、最も必要な人。
ディオーラ妃陛下と交代したテレサロが、ソフォイル卿に支えられて退出するのと同時に、イオーラは、点滴の管理をしていたニニーナ様も同様に休ませることにした。
元々体の弱い方なので、無理をさせ過ぎるのは心苦しく思っていたけれど、本人が頑として譲らなかったのだ。
ズミアーノ様がこっそり、ゴルドレイとオレイアに点滴の管理方法を教えており、同じタイミングで彼女を説得して連れ出した。
最後に、イオーラは同じく休んでいない人物に声を掛ける。
「……イザベラお義母様。お義母様も休まれるべきかと」
他に説得できる人材であるクラーテス伯爵は、この場にいない。
ウェルミィの命脈を保つ為には、希少な薬草や、大規模魔導陣用に必要な魔力を込めた最高級の墨など、本来大量に必要となる場面の少ない物品があった。
オルミラージュ侯爵家の力と財力があっても、『すぐに集められる場所にない』ものはどうしようもない。
その為、王都中の医者や魔導士から集める必要があったのだけれど、その役目を担っているのがクラーテス伯爵だった。
元々永世公爵家の嫡男であり、後に平民として過ごし、今〝最高の解呪師〟として民衆や学会所属の人々から尊敬と信頼を集めている彼でないと、交渉自体が困難な方々がたくさん居たのである。
その為、この数日奔走しているのだ。
「……いいえ、わたくしには、祈る他に出来ることはございませんから」
ずっと、少し仮眠をする時すらウェルミィの側に居続けているイザベラお義母様は、ウェルミィの手と自分の胸元に下がる古ぼけた十字架を握っていた。
養護院出身の彼女は、眠り続けるウェルミィの世話の手際が良かった。
動けない彼女に床ずれが出来ないように動かしたり、体を拭ったり、そうした部分を、一人でやっていた。
「どうぞ、わたしのことはお気になさらず、王妃殿下。わたしには、魔力も、魔術の知識もなく……この上、席を外して、その間にウェルミィを失うことになるのは、わたしには耐えられません」
「お祖母様……」
横にいるスフィーア、エイデスとウェルミィの娘が声を上げると、イザベラお義母様は微笑んでみせた。
愛しむように、十字架から手を離して彼女の頭を撫でる。
「ウェルミィは、幼い貴女を遺して逝くことを、決して望まないでしょう。わたしの祈りが必要だと、そう王妃殿下は仰いました。ならば、出来る限りのことをするのが、ウェルミィの母としての、わたしの役目です」
ーーー何の役にも立てない。
ウェルミィの状況を伝えた時、イザベラお義母様は、絶望の表情でそう口にしたのだ。
その時、イオーラはこう伝えた。
『いいえ、お義母様は必要なのです。ウェルミィの側に居ていただくだけで、良いのです。誰よりもウェルミィを想うその気持ちが、あの子を繋ぎ止めるのですから』
イザベラお義母様程、強くウェルミィを想う方はいないのである。
もしかしたら、その行動は間違いであったかもしれない。
けれど、クラーテス伯爵との子であるウェルミィを想えばこそ、お義母様はサバリンの妻の役目を演じ続けたのだ。
長い間、誰に恨まれようとも、蔑まれようとも構わず、十数年、ウェルミィの為だけに生きた。
イオーラ自身も冷遇されてはいたけれど、イザベラお義母様も、蔑まれているのは何回も見た。
イオーラが、社交の場にウェルミィの引き立て役として連れ出されていた時にも『平民の出だから着飾っても所作に品がない』『魔術も使えない人が何故ここにいるのか』『魔力の量が少な過ぎて姿が見えない』などと、聞こえるように陰口を叩かれていた。
そしてイオーラを使用人のように扱かった時も、使用人『以下』の扱いはしなかった。
食事が満足に取れなかったのは、どちらかと言えばイオーラを少しでも早く殺したかったサバリンの指示であり、当主の決定には、妻であるお義母様が口出し出来るものではない。
ウェルミィがイオーラを離れに押し込んで以降は、イザベラお義母様の干渉はパッタリ止み、無視されるだけになった。
彼女の瞳に浮かぶ葛藤も、サバリンへの憎悪も、ウェルミィと同じ力を持つイオーラは全て知っていた。
そんな心の壊れそうな状況に耐えてみせたのは、全てウェルミィの為。
イオーラは魔導陣や様々な人々と共に準備をする必要があり、ずっと側にいることが出来ない。
準備をする間、ウェルミィの命を繋ぐ役目の内、心を繋ぐ役目を預けられるのは、イザベラお義母様しかいなかった。
だから呼ばせていただいたし、ここまで頑張っていただいた、のだけれど。
「代わりにお義母様が亡くなってしまったら、わたくしがウェルミィ達に恨まれてしまいますわ」
どう説得したものか、と考えつつ、イオーラは口を開く。
「それにお義母様には、もう一つ、重要な役目を担っていただかないといけません」
「……それは、どのような?」
彼女の、ずいぶん細くなってしまった背中に、イオーラはそっと手を添えて微笑む。
「全ての準備が整ったら……やり直すのです。その為に、お義母様にも体力を温存していただかないといけませんわ」
「やり直す……? 何をです?」
「家族を、ですわ。それが叶って、初めて、ウェルミィを救うことが出来ます」
だから休んでほしい、と、そう伝えると。
そこで、コンコン、とドアが鳴った。
「入るぞ」
「失礼するよ、王妃殿下、そしてご母堂。ちょっと盗み聞きしてしまって申し訳ないが」
入ってきたのは、エイデスと、ヒルデントライ・ラングレー公爵夫人だった。
ヒルデは、一番婚姻が遅かったにも拘らず、先日第三子を出産。
そしてまだ生後三ヶ月の乳飲み子を抱えていながら、『ミィが危ないのに黙って待っていろと?』と、皆の反対を押し切って乳母と共にオルミラージュ侯爵本邸に押しかけて来たのだ。
そのまま、客間を居室とし、才覚を遺憾無く発揮して魔導陣構築に尽力してくれている。
「魔導卿を代わりに置いておくので、ご母堂は休んで欲しい。休むのもミィの為だと思ってね」
「抜けて大丈夫なのですか?」
大規模魔導陣の全体像を把握して、的確な指示を出せる人材は多くない。
イオーラ以外に、今交代でその役目を担っているのは、古代魔術に見識の深いダリステア様と、ヒルデ夫人なのだ。
エイデス様とズミアーノ様が戻られて、少し楽になるからと交代で休んで貰うように指示していたのだけれど。
「僕の乳母も優秀だし、ここにはスフィーア嬢の乳母を務めた方もいらっしゃるし、ヘーゼルもいて、君がミザリも連れて来ているじゃないか。家にいるより楽をさせて貰っているし、そんなに休む必要はないよ」
そう答えた後、ヒルデ夫人は片目を閉じる。
「それに、予想外の援軍だ。ベルベリーチェ・アトランテ上妃陛下だぞ。魔導陣構築で言えば過剰なくらいに人材がいるから、必要なところに振り分けに来たのさ」
イザベラお義母様が、困惑したようにこちらを見回すのに、エイデス様が声を掛ける。
「心配なのは、分かる。だが、ラングレー公爵夫人の言うように、休むのも仕事だ。丸一日側を離れろとは言わん。横の部屋で体を数時間横たえてくれ。【サバト】の準備した、なるべく体に負担の掛からないように調合した魔薬を併用すれば、それだけでも随分楽になるだろう」
流石にエイデス様にそこまで言われれば、イザベラお義母様も頷いた。
きっと眠ることは出来ないだろうけれど、死ぬようなことにはならない。
「では、少しだけ……ウェルミィをお願い致します」
「貴女の娘であり、私の妻だ。想う気持ちで、勝るとも負けるとも思っていない」
そうして、その場を後にしたイオーラは、次にヒルデ夫人と共に、魔導陣構築をしているダリステア様の元へと向かった。




