魔導卿の説得。
「もちろん研究してるよー?」
社交シーズンである為、王都のタウンハウスにいたズミアーノに面会すると、彼はヘラヘラと口を開いた。
「でもさー、魔導卿のミィは眠ってるからいいにしても、オレはニニーナ次第だよー?」
と、彼は自分の横にいるニニーナ夫人に目を向ける。
まだどことなく少女の雰囲気を残した彼女は、事情を聞いた直後から真っ青になり、体を強張らせていた。
「【服従の腕輪】の主人だからねー。ニニーナがいいって言わないと、そもそも協力出来ないかなー。オレ自身は、人間から魔人に変質したところで困らないしねー」
彼ら二人の間に、子どもはいない。
ニニーナ夫人は、長年引きこもっていたことによる体力のなさに加えて、元々さほど丈夫なほうではなく、子を産むのは命の危険がより大きいと警告されていたのだ。
ズミアーノも侯爵位は継いだものの『弟夫婦に子ども出来たし良いやー』と、彼女に懐妊を求めなかった。
「……瘴気、の、問題なら……二人が危険を犯さずとも【生命の雫】や【復活の雫】を使えば、治療出来ませんか……?」
ニニーナ夫人は、視線を彷徨わせた後にそう提案してきた。
「あれらは、瘴気による汚染に極めて効果のある薬で……加工や成分抽出の仕方によって、人体の治療や健康増進作用、土壌の浄化作用があることも確認されています。【災厄】の際にも、帝国での瘴気抑制や土壌改善に大きく貢献していたものですし、その後私が作ったものは、人体の瘴気汚染も治癒出来た実例があります。ま、【魔王】の瘴気由来のものであっても、治療が、可能なのでは?」
ニニーナ夫人の提案は、現実的で地に足のついたものだった。
イオーラの理論上可能な案や、エイデスの危険を犯す案よりも余程。
しかし。
「可能ではあるだろうな。無限に時間があるのなら」
ウェルミィの容体は、一刻を争う状況である。
薬による治療では間に合わない可能性が高いのである。
「オルミラージュ侯爵。じ、時間の問題なら、私が改良した【生命の雫】の方の薬液は、即時効果が期待出来る薬です」
「その辺りは、後程相談しようと思っていたのだがな……良いだろう。ではニニーナ夫人は、ウェルミィの魂を侵す瘴気を、薬によって治癒可能だと断言できるか? また、ウェルミィの体はあの薬の負担に耐えられるのか?」
エイデスがニニーナ夫人の提案に対してそう切り返すと、彼女は息を呑んだ。
イオーラとエイデス自身の案は、リスクもリターンも高いものだ。
が、ニニーナ夫人の提案は、エイデスの考える限りリスクとリターンが釣り合っていない。
特に最も大きなリスク……『ウェルミィの命が失われるか否か』という点において。
彼女は薬学の第一人者であり、その提案そのものは根拠や実例に基づいている。
また平和的解決方法であることも間違いはないが、足りないのだ。
「【生命の雫】は、あくまでも戦場で常に体を鍛えている軍人が、応急処置として使用する劇物だ。確かに、負傷回復や瘴気の影響を軽減するのに短期的に優れた効果を発揮するが、それは高位治癒魔術の行使と同程度の負担が肉体に掛かる。一度で終わらなければ、二度、三度と投与するのか? 魂が瘴気の影響から脱する前に、心臓が止まるのでは?」
「それは……」
ニニーナ夫人は、苦慮していた。
彼女は優れた薬師であり、化学者であるが故に、安易な保証は出来ないのである。
あまり畳み掛けるものでもないのだが、時間がない。
エイデスは、さらに彼女が提案したことに対する回答を重ねる。
「もう一つの【復活の雫】は、長期治療に適した薬だろう。効能に疑いはないが、もし薬による治療を行ったとして、ウェルミィが目覚めるのはいつになる? 昏睡状態の人間は、水を与えたとて食事を摂れなければもって二週間だ。治癒魔術の重ねがけも出来ず、ウェルミィが弱れば瘴気汚染が加速する」
今は、テレサロの力で瘴気の進行を抑えている状態であり、健康維持の治療を行なっている場合ではない。
そして彼女にも休息が必要で、その為にもう一つ手配をしているにしても、二週間一切休まずにウェルミィの治療には当たれない。
人は、無限に活動できる訳ではないのだ。
そうしてテレサロもウェルミィも、やがて限界が訪れる。
テレサロが休んでいる間に瘴気汚染が一気に進行した場合、一日保つかも分からない。
「何より……貴女の提案がウェルミィを死なせない最も確実な方法であるのなら、おそらくはイオーラがその手段を取ろうとした筈だ」
「……」
ニニーナは、ついに力無く目を伏せた。
「そう……ですね」
「ニニーナー? 思い詰めないでねー? 魔導卿はウェルミィが心配なだけだし、今回は、オレの頭の時とは状況が違うよー?」
彼女の肩を抱きながら、ズミアーノは軽くそう告げるのにエイデスも頷いた。
「そう、ニニーナ夫人の力が足りない訳でも、その提案が無駄なものだという訳でもない。ウェルミィの事例が、特殊過ぎるのだ」
普通の経路であれば、瘴気は皮膚から、あるいは口や鼻などの部分から人体に侵入し汚染するものである。
そこから急性であれば内臓に支障をきたし、慢性であれば徐々に全身に影響が広がっていく。
いきなり、魂だけを狙い撃ちにする強力な瘴気など、普通は存在しないのである。
「ニニーナ夫人に後で頼みたいと思っていたのは、根本的な治療の方ではない。テレサロが瘴気汚染を抑えている間に、ウェルミィに適した、瘴気汚染抑制の為の【復活の雫】の点滴治療用薬液を調合して貰いたいのだ」
代わりの人材の手配にどれだけの時間が掛かるか分からない以上、こちらの準備が整うまでの現状維持自体は重要なのである。
「対価は後ほど、可能な限り要望を受け入れる。……ニニーナ夫人。ウェルミィの現状維持への協力に加えて、魔人化の為に、ズミアーノの所持する【魔王】の瘴気と研究成果を利用する許可を。私は、ウェルミィを失いたくないのだ」
「……」
「もしそれでも受け入れ難いのであれば、極力、私のみで済むように図らおう。腕輪から瘴気さえ得られれば、魔人化するのは私だけで良い」
「そんなの無理だよー。無理だし、受け入れないねー」
アハハ、とズミアーノは笑い、腕輪をコンコン、と指先で叩く。
「瘴気を魔導卿に渡すのに、オレとの契約は必須だしー。……ミィを助けたいのは、貴方だけじゃないよー?」
彼は上目遣いにこちらを見つめた後、横のニニーナ夫人に優しく囁いた。
「ねぇ、ニニーナ。オレからもお願いしたいなー。ミィがいなきゃ、オレはニニーナのところに帰って来れなかったしさー。死なせたくないよー」
「……オルミラージュ侯爵、ズミ、もう一つ約束して下さい。必ず、必ず二人とも、『人』として戻ってくると……じゃ、じゃないと、許可、出来ません……」
泣きそうな顔のニニーナ夫人に、エイデスは頷いた。
「必ず。もう一人の『私』に出来て、私とズミアーノに出来ないなどということは、ない」
ほんの一欠片しかない【魔王】の瘴気よりも、遥かに多くの瘴気を受け入れて……『語り部』の力を借りたとしても……遥かな世界の自分は、正気を保ったのだ。
「……分かりました。わ、私も、準備を整えてオルミラージュ本邸に向かいます。調合は、得意です!」
「頼む、ニニーナ・オルブラン夫人。そして、ありがとう」
そうして、ニニーナ夫人が準備を整える間に、ズミアーノの案内でオルブラン邸の地下に向かう。
彼の研究部屋がそこにあるということだったが、随分堅牢な防御魔導陣が、部屋の入口の外にまで敷かれていた。
「……ここで、魔人化以外にも何か危険な研究をしているのか?」
「内緒だよー♪ ……嘘嘘。危険だからっていうよりは、保険だねー。やってるのが魔獣の生態研究とかだから、念には念を入れてるって感じー」
【災厄】で起こった魔獣大侵攻で、実際にエイデスはズミアーノと共に、東の辺境伯領に向かい、大樹林から侵攻してくる魔王獣を含む魔獣の群と対峙した。
その時に興味が湧いたのだろう。
「前に作った、魔獣を弱体化する魔導具だけじゃなくて、沈静化する薬品の研究もしてる感じかなー。ほら、グリフォンとか飛竜を馴らす時に使う【懐き薬】みたいなのをね、もっと気性の荒い魔獣に使えたら安全じゃないー?」
「確かにな」
善悪という観念のタガが外れていた男が、随分と良心的になったものだと思う。
自分の処遇については相変わらず頓着していないようなので、あるいはニニーナ夫人を腕輪の主人としていることで、そうしたことしか基本的には出来ないだけかもしれないが。
案の定。
「でも、まさか【災厄】の時にダメって言われたことがこのタイミングで出来るようになるとはねー♪ 楽しみだなー♪」
「そんなことを楽しめるのは、お前くらいのものだ」
そう。
実は以前にも、魔人化の構想そのものはあったのである。
【災厄】は想定よりも遥かに被害が抑えられたとはいえ、やはり魔王獣は強大だった。
東の救援に向かう際に、万一の場合は魔人化が出来る……魔王獣に対抗する為に魔人王と化す手段がある、というズミアーノに、エイデスも乗ろうとしたのだ。
ソフォイル卿の活躍もあり結局必要なかったが、あの時はニニーナ夫人のみならず、スフィーアを妊娠していたウェルミィにも『ふざけたこと言ってるんじゃないわよ!』と一喝されたのである。
クラーテスが北の修道院へイザベラに会いに行ったのも、三ヶ月ほど続いた【災厄】の件があったことで、命の危機等様々なことを考えた結果だった。
「今となっては、お前がそういう気質であることに感謝しなければならないな」
「アハハ、そういうのは、実験が成功してミィが助かった後にしなよー」
そうしてエイデスは、ズミアーノの研究室に足を踏み入れた。




