たった一つの落ち度。
「ズミアーノ様?」
ウェルミィが声を掛けると、シャンデリアに照らされて地面に落ちた影から、スゥ、と浮かび上がるように姿を見せたのは、一人の男性だった。
バルザム帝国帝室血統由来の浅黒い肌を持つ、美貌の青年。
遊戯が始まる前から全ての動きを見抜き、完了させることが可能な圧倒的頭脳と、倫理観の破綻した性格を併せ持つ予測不可能な存在。
鬼札にして道化である、常に笑みを浮かべている変幻自在の最悪。
ーーーズミアーノ・オルブラン侯爵令息。
「オレの出番かなー? ミィ」
「ええ」
生涯外せない禍々しい【服従の腕輪】の支配権をニニーナ様に受け渡してなお、ウェルミィを『主』と定める切り札は、相変わらず軽薄な様子で腰に手を当てて、こちらを見る。
「相手がイオーラって、ワクワクするよねー」
「わたくしは、あまり貴方にウェルミィに関わって欲しくはありませんけれど」
イオーラのズミアーノ様に対する評価は、あの頃から特に変わっていない。
有能で制御不能な存在など、基本的には危険因子である。
彼を人の領域に留め置いている【服従の腕輪】とニニーナ様という『スペードの3』がなければ、とっくに処刑されていておかしくない。
が。
「彼一人居たところで、状況は変わりません」
この程度は、当然想定内である。
全ては、イオーラの思い通りに進んでいるのだから。
彼がウェルミィを『主』と定めている以上は、計画が破綻することはあり得ない。
「そうでしょうね。だって、私のお義姉様ですもの」
けれどウェルミィは、まるで当然のように笑みを崩さないまま、軽く顎を上げる。
傲岸不遜。
強がりでも、嘲りでもなく。
ただ、自信に満ち溢れた態度で。
「私も、エイデスも、レオも、ズミアーノ様も……お義姉様が本気になったら、誰一人敵わないことなんてとっくに知っているわ。頭脳も、魔力も、その身に受けた祝福も、誰一人敵わないんだもの」
ウェルミィは、そうして周りを見回す。
無表情に、このやり取りを見つめているエイデス様を。
ちょっと諦めたような顔をしているレオを。
そしてまるで、『してやったり』とでも言いたげな顔をしているズミアーノ様を。
皆の表情を見て、イオーラはふと疑問を抱いた。
特にウェルミィの態度は、考えてみればおかしい気がしたのである。
ーーー疑問を、抱いていない……?
それをイオーラは、彼女の演技力の賜物だと思っていた。
あるいは、こちらの策略通りにウェルミィが動いている故の態度だと。
彼女は、誘拐事件のことを最優先にするはずだという信頼があった。
ここがどこか『別の世界』なのではないか、という、真実は分からなくとも経験から納得出来そうな思考に辿り着く筈だと。
その為にわざわざ偽りの記憶を与えた上で、本来の記憶を戻した。
本当の疑問から、目を逸らさせる為に。
彼女が最も強い意志を貫き通せる状況を作り出す為に。
「でもね、お義姉様」
ウェルミィは、絨毯の上を音もなく歩み寄ってくる。
悠然と、まるで迷いのない足取りで。
「お義姉様は、自信がないから勘違いしているわ。そこにたった一つ、落ち度があるのよ」
「……自信?」
イオーラは内心動揺しつつも、表面に出さないようにウェルミィを見つめる。
玉座と大広間を隔てる段下に立ち止まり、彼女は扇を広げた。
怒りと喜びがない混ぜになった視線をこちらに向けて、その目を笑みの形に歪める。
「私の愛の深さをナメたわね、お義姉様。そしてズミアーノ様とエイデスはナメなかった。そこが決定的な差なのよ」
そうしてウェルミィが重ねた言葉に、イオーラは頭が真っ白になった。
「私はもう知っているわ。ーーーズミアーノ様が、全部バラしたから」
※※※
ーーー隠し通路の繋がった倉庫から抜け出した後。
ウェルミィ達は馬車に乗り、王都にあるオルブラン侯爵家の屋敷を訪ねた。
「やぁ、来たね。待ってたよー、ミィ」
すんなりと面会を許され、顔を合わせたズミアーノ様はヘラリと笑いながら手を振る。
「この世界で、貴方と私に関わりはなかったと思うけど?」
「そうだねー。ここではねー」
わざといつもの口調で受け答えをすると、ズミアーノ様はあっさりとそう言った。
そこで、横に立っていたレオの顔をチラリと見上げると、彼は少々不機嫌そうに唇を引き結び、微かに眉根を寄せている。
その様子に、ウェルミィは疑問を抱いた。
「……ねぇ、レオ」
「何だ」
「ズミアーノ様も記憶を持っているなら、話が早いわよね」
「そうだな」
「じゃ、何でそんなに不機嫌そうなの?」
ウェルミィの問いかけに、僅かにレオの視線が泳ぐ。
その質問に、彼が答えるよりもズミアーノ様が口を開く方が早かった。
「ここでオレがそれをミィに種明かしするのはねー、予定にないからだよー」
「ッおい!」
レオが鋭く制止するが、聞いてしまったものは聞かなかったことには出来ない。
「何? 種明かしって」
「それはねー」
「ふざけるなよズミアーノッ!! 破綻するぞッ!!」
ーーー破綻?
一体、何が破綻するというのか。
けれど焦りを見せつつ全身から覇気を放つレオに、ズミアーノ様はアハハ、と笑った。
「分かってないねー、レオニール陛下。君はミィのことが何も分かってないよー。むしろこっちの方が良いんだよねー」
「……あなた達、何を隠しているの?」
レオの焦りようと、ズミアーノ様の口調から、ウェルミィはスッと目を細める。
「あなた達は、この意味の分からない状況を仕組んだ側、ってことで良いのかしら」
「そうだよー」
「……ッ!」
「説明しなさい」
今にも剣を抜きそうなレオを手で制しながら、ズミアーノ様にそう告げると、彼はやっぱりあっさりと口を割った。
「イオーラは、誘拐されてなんかいないんだよねー。それどころか、この状況を仕組んだのはイオーラ自身なんだよー」
「……誘拐されて、ない?」
「うん。この件に関しては、魔導卿も知ってることだねー」
「エイデスにも、記憶があるってこと?」
「うん」
ウェルミィは、だんだん腹が立ってきた。
「じゃあ、私逃げる必要なんかないじゃない。何の為にこんなことしてるの?」
「流石のミィでも、これだけじゃ分からないかなー? でも、これは君がやったことと『同じ』なんだよねー」
ズミアーノ様は、人差し指を立てて軽く振りながら言葉を重ねる。
「思い出してみない? オレが君に目をつけて、魔導卿が君を助けたあの件って、何で起こったんだっけー?」
彼が口にしているのは、おそらく【断罪の夜会】のことだろう。
お義姉様を魔導卿に売り渡し、自分ごとエルネスト伯爵家を断罪させようとした、あの件は。
「お義姉様をエルネストの家から助け出す為よ。当たり前でしょう」
「そうだねー。それで、君はその前に、一体どう振る舞ったのかなー?」
「どう振る舞った……?」
お義姉様を売り飛ばすより、さらに前。
その前は、エルネスト伯爵家の汚職の証拠を揃えて。
さらに前には、自分が泥を被ることでお義姉様を遠ざけて。
もっともっと前には、あえてお義姉様に対して自分が最初に声を掛けることで、お義姉様を。
「そう、助ける為に虐げたよねー。だから『同じ』なんだよー」
言われて、ウェルミィの頭の中で、自分の振る舞いと今の状況が重なる。
動機。
レオが、ズミアーノに対して射殺すように視線を向けながら、低く呻く。
「ズミアーノ……これでもし上手く行かなかったら、処刑を覚悟しろよ……!」
「アハハ。大丈夫だってー」
二人のやり取りを聞きながら、ウェルミィは思考を巡らせる。
いきなり頭に浮かんだ、ここではない何処かでの、もう一つの人生の記憶。
ウェルミィがお義姉様を虐げたのと、お義姉様が自分が誘拐されたように見せかけた出来事。
自分がエイデスにお義姉様と婚約を結ぶように打診したのと、お義姉様がレオに『ウェルミィと一緒にエイデスから逃げる』ように指示した出来事。
「お義姉様は」
その、目的が、同じだというのなら。
「私を助ける為に、この状況を仕組んだってこと?」
ウェルミィが口にした答えに、ズミアーノが笑みを深くし、レオが目を閉じる。
「ご名答、だよー」
彼はヘラヘラと答えて、軽く拍手した。
「今、命の危機が迫っているのはイオーラじゃない。ーーー君なんだよ、ミィ」




