もう一人の記憶。
「ねぇ、お義姉様。私、最初は意味が分からなかったの」
イオーラは、扇を広げたウェルミィに、その朱色の瞳で真っ直ぐに射抜かれる。
「今だってあんまりよく分かってないわ。若返ってるし、全然知らない謎の幸せな記憶はあるし、エイデスに追いかけられるし」
義妹はチラリと、背後に立つエイデス様に目を向ける。
そしてすぐに、視線をこちらに戻した。
「だから最初、お義姉様からのメッセージを見た時はどうして良いかも分からなかった。ただ、お義姉様を探さなきゃいけないと思っただけでね」
そこでウェルミィが優美に扇を向けた相手は……彼女の横にいる、レオ。
「今にして思えば、都合の良い話だわ。レオがそこに現れたのよ。そして私に危機を伝えたのよね。『私がお義姉様の誘拐犯として追われている』って」
扇の先を向けられたレオは、懐かしい黒髪黒目の姿で、勝気な笑みを浮かべていた。
当然、彼の姿も若い。
貴族学校に通っていた頃の、少し線が細いレオの姿も懐かしい。
「貴女の差し金だったのでしょう? お義姉様」
「何でそう思うの?」
イオーラはゆったりと、口元に手を添え、目を細める。
「このような場で、わたくしにそんな口の利き方をするのは、間違っていた場合は不敬に当たるわよ?」
もう、遠い記憶の中。
『あら、お義姉様』と……あの全てを魔導卿が覆してくれた【断罪の夜会】の始まりで、ウェルミィが進み出てきた時のように。
せいぜい、悪辣に見えるような言葉と仕草で演技をしてみせる。
今のイオーラであれば、まるで女王のように。
あの頃のウェルミィのように、振る舞うことが出来る。
それを打てば響くように受けた義妹は、小馬鹿にしたような表情を浮かべた。
聡明なウェルミィに対しての、ほんのちょっとしたお遊び。
それを理解している彼女は、イオーラの仕掛けた遊びに応じて少し目を輝かせている。
「ふふ。語るに落ちておられましてよ、イオーラ・ライオネル妃陛下」
「……何の話かしら?」
「今の貴女は、イオーラ・エルネスト伯爵令嬢でしょうに。その位のこともお分かりになられなくて? そうであれば、一体私の何が不敬ですの?」
イオーラは笑い出したい衝動を堪えつつ、表情をスッと消してみせた。
「あら、少し失敗かしら」
「わざとでしょう。私のお義姉様が、そんなしょうもないミスをする訳ないじゃない」
ふん、と鼻を鳴らしたウェルミィは、最後にレオを睨み付ける。
「会ったレオにも、記憶があったわ。……ならどうせ、貴方はお義姉様の味方だったのでしょう? 私をここに連れてくる為の、ね」
ウェルミィの言葉に、レオは軽く片眉を上げる。
その余裕に満ちた態度は、そう、決してかつての……貴族学校で男爵令息を演じていた頃の彼には、ないものだった。
※※※
ーーー時は戻り、夕暮れの廊下。
「ウェルミィ!」
そう声を掛けられて、ウェルミィはハッとそちらに目を向ける。
「レオ?」
こちらの姿を見つけて駆け寄って来た彼は、真剣な表情を浮かべていた。
「君は、ウェルミィか?」
その問いかけの意味が、よく分からなかったので、首を傾げる。
「何の話? 頭大丈夫?」
「あのな……いや、今はそんな話じゃない」
思わず、いつものように反射的に答えてしまったが、レオは乗って来なかった。
そして少し考えるそぶりを見せた彼は、ポツリと一言だけ呟く。
「スフィーア」
「……!」
ウェルミィが目を見開くと、レオは逆に安堵したように笑みを浮かべた。
「良かった。君も記憶があるんだな? ウェルミィ・オルミラージュ侯爵夫人」
「貴方もあるの!? 国王陛下の記憶が!?」
「ああ。ついさっき思い出した……いや、思い出したのかどうかは分からないが、その記憶があるってことは、この状態がおかしいってことにも気づいてるだろ?」
「私は、たった今思い出したばかりよ。何がどうなってるの?」
「それは、俺にも分からない。だが、何となく夢とかじゃない気がするんだが……そうなると、ちょっと不味い事態になってる」
「何が不味いの?」
お義姉様が助けを求めていることと、何か関係があるのだろうか。
そう思っていると、再び表情を引き締めたレオが声をひそめる。
「イオーラが誘拐された、という報告を〝影〟から受けた。その犯人が君だと言われている」
「は?」
「嫡子であるイオーラを邪魔に思った君が、誘拐の首謀者だと。その捜査に、エイデスが動き出したらしい」
「……は?」
ウェルミィはポカンとした。
レオは真剣な表情のまま、言葉を重ねる。
「だから、君を探していたんだ。俺の知っている君は、絶対にそんなことをしないからな」
「それは……そうだけれど」
何せ、お義姉様を邪魔に思ったことなど一度もない。
いつの間にそんな濡れ衣を着せられているのかも、さっぱり分からない。
そして何より。
「〝影〟がそれを知っているのなら、何故誘拐を防げなかったの? それに、誘拐犯を目撃もしているでしょう!?」
王家の〝影〟がレオの危機以外に動かないことは知っている。
けれど、レオがお義姉様につけた〝影〟はエルネスト伯爵家やお義姉様を見張っている筈だ。
なら情報がある筈だと思ったのだけれど、彼は頭を横に振る。
「そうじゃない。〝影〟の報告は事後報告だ。記憶が蘇った直後に、君のことを告げられた。ここで、イオーラに〝影〟はついていない。『ウェルミィが誘拐犯なら、俺が危険だ』という理由で伝えてきたんだ」
言われて、ウェルミィはまだ自分が混乱していることに気づいた。
そう、言うなればここは、世界線とでもいうような何かが……自分達を取り巻く状況が違う場所なのだ。
【魔王】になったもう一人のエイデスの世界と、ならなかったウェルミィ自身の世界のように、状況が違う世界に自分はいる。
どちらが元々の自分の記憶なのか分からないけれど、ここではお義姉様は虐げられていないし、アーバインの婚約者にもなっていないし、ウェルミィは貴族学校の入学前にエイデスの婚約者になっている。
その上、何故かサバリンがいなくて、クラーテスお父様がエルネストの当主で、お母様と幸せに暮らしているのである。
だから、レオは〝影〟をお義姉様につけていなかった。
「ちょっと、整理するわ」
ウェルミィは頭に手を当てた。
知らない、ウェルミィ・エルネストの幸せな記憶。
それが、今いる場所における真実なのだとすれば。
このウェルミィ・オルミラージュの記憶の世界で起こっている出来事とは、決定的な齟齬がある。
だから、お義姉様が誘拐される隙が生まれた、のだとすれば……本当にお義姉様は危険に晒されている可能性があった。
「エイデスは……この事実を公表しているの?」
「おそらくは、魔導省特務課の中のみで収めている筈だ。貴族令嬢が誘拐された、などという話が公になれば、イオーラの名誉に傷がつく。エイデスは、そういうことはしない」
それはそうだ。
基本的に、貴族令嬢は純潔であるからこそ価値がある、という価値観が残っている。
特に高位貴族は、血を残す意味でも、婚前に伴侶以外に身を許すことなどあってはならない。
ーーーお義姉様が。
それは、ゾッとする想像だった。
レオは青ざめたウェルミィに、さらに絶望的な事実を突きつけてくる。
「エイデスに記憶があるかどうかが分からない……だが、あいつは君の身柄を押さえる為に今、貴族学校に向かっているらしい」
「ダメよ、そんなの!」
エイデスがウェルミィを疑っていないなら良いけれど。
もし疑っていて、今動けなくなれば、お義姉様を自分で探すことが出来なくなる。
お義姉様は、ウェルミィに助けを求めたのだ。
「正門、通用門は使えないわ。エイデスのことだから、先に貴族学校に連絡を入れている筈よ。貴方に〝影〟から報告が届いたなら、もう通達が行き渡ってておかしくないわ」
「そうだな」
ウェルミィは、エイデスを信頼しているからこそ、見くびらない。
記憶がなかったとしても、彼がそういう『抜かり』を残す筈がないからだ。
「……バレないように外に出る手段は、何かないの?」
ウェルミィの問いかけに、レオはニヤリと笑った。
「ある。記憶を持っているのが俺たちで良かったな」
レオのこの言い方なら、その方法をウェルミィ自身も知っているのだろう。
それも、ここの記憶じゃない……というところまで考えて、思い出した。
「『サロン』ね!」
「そう。ここでは作っていないが、あの場所は元々、王族用の緊急脱出路だ」
「……貴方の〝影〟は黙るの?」
「父上の直属だからな。いくらエイデスでも、そこに関しては使えない。父上の命令がない限り、黙っているだろう。その間に、手紙を出す。俺が協力していることを、エイデスはまだ知らない」
なら、少し時間には猶予がある。
「行きましょう。お義姉様がどこに誘拐されたのか、情報が必要だわ」




