偽物の人生。
ウェルミィ・エルネストは幸せに暮らしていた。
「お義姉様! これ、あげる!」
8歳の頃。
ウェルミィが頑張って作った花冠を被せると、お義姉様はふんわりと嬉しそうに笑った。
その輝かんばかりの笑顔に胸を打ち抜かれる。
「〜〜〜っ! お義姉様、とってもキレイよ! お姫様みたいね!」
「ありがとう、ウェルミィ」
綺麗な紫の瞳で見つめられて、ウェルミィは満面の笑みを返す。
イザベラお母様がそんな自分達に近づいてきて、抱き締めてくれた。
二人で顔を見上げると、イザベラお母様も優しく微笑んでいる。
「二人とも、とっても可愛いわ」
「お義母様、わたくしもウェルミィに作ってあげても良いでしょうか?」
「勿論よ、イオーラ」
「なら、私はお母様にも作るわね!」
「良いね。きっと、イザベラには凄くよく似合うだろうね」
クラーテスお父様が、お母様の肩に手を添えて幸せそうに目を細める。
すると、お母様の頬が恥ずかしそうにほんのり赤く染まった。
「もう、そんな歳じゃありませんよ」
「イザベラはいつまでも、僕の可愛いイザベラだよ」
「も、もう! 子ども達の前ですよ!」
お父様とお母様の様子に、ウェルミィはお義姉様と目を見交わしてクスクスと笑い合った。
そんな自分たちを、婆やがニコニコと見つめていた。
ウェルミィは、お義姉様が大好きだった。
お母様も、お父様も、大好きだった。
10歳の時も、ウェルミィはお義姉様と仲良しだった。
「二人とも、まだなの?」
「も、もうちょっと待って!」
「大変悩ましいのです……」
ドレスを仕立てる為に、通いの仕立て屋が持ってきたカタログ。
それをもう床まで広げて、ウェルミィとお義姉様は真剣に眉根を寄せていた。
「お義姉様に一番似合うのは、やっぱりこの色かしら……!」
「ウェルミィの可愛らしさを引き立てるのは、こっちのデザイン……いえ、やっぱりこっちの方が……」
「夕方までに決めなければ、今度のドレスはなしですからね!」
「「そ、そんな!」」
慌てるウェルミィ達を見て、執事のゴルドレイが口元を緩め、侍女のオレイアが肩を震わせる。
12歳の時は。
「う〜ん……何でお義姉様みたいに覚えられないのかしら……?」
「でも、ウェルミィの方がお話をするのは上手よ。私は、実際に初対面の方との会話があまり得意ではないもの」
コールウェラ夫人の指導を受けた後、勉強や礼儀礼節についてお義姉様に教えて貰ったり。
逆にお昼のお茶会に参加して、どう受け答えをするかをウェルミィが教えたりしていた。
14歳の時、貴族学校入学の直前には。
「「縁談?」」
「ああ。以前の王家主催のお茶会でお会いしたレオニール殿下から、イオーラに。もう一つは少し歳が離れているんだが……オルミラージュ侯爵からウェルミィに話が来ていてね」
お父様が、家族の前で少し困った顔で首を傾げる。
お母様も、戸惑った顔をしていた。
「良いご縁ではあるけれど、何故うちに……?」
「殿下の方は、イオーラが一度話したことがあるんだろう? その時に、何かあったのかい?」
「いえ、普通にお話をさせていただいただけですけれど……その、瞳の色を褒めていただいたりは致しましたわ……」
ちょっと頬を赤らめているお義姉様に、ウェルミィはムッとした。
「その縁談断れないの!? お父様!」
「断れないことはないよ。本来、王太子の婚約に関しては貴族学校の卒業を待ってから、という慣習があるしね。少なくともそれを理由に、返事を先延ばしにすることは出来るだろう」
「なら断って! 卒業してから出直して来いって言っておいて!」
「そんな言い方は出来ないけどね。それにウェルミィ、決めるのはイオーラだよ」
お父様が苦笑して、お義姉様に尋ねると。
「その、あまりお人柄を存じ上げませんし、あの、き、貴族学校卒業の時にお気持ちが変わらなければ、と、お伝えいただけると……」
「分かった。ああ、もう一つシュナイガー子爵家のご子息からも申し込みが来ているけど、こちらも同じ対応で良いかな?」
「はい……」
「二人もいるの!?」
ーーー悪い虫が、もうお義姉様を狙っているなんて!
ウェルミィは憤慨した。
純真無垢で聡明で優しくて素晴らしい人格と美貌を持つお義姉様だから、目をつけられるのは仕方がないけれど。
自分がしっかり守らないと、とウェルミィは決意を固める。
むん! とウェルミィが両拳を握っていると、お父様がさらに訊ねてきた。
「イオーラの方はそれで良いけど、君はどうするんだい? こちらはこちらで、10歳程年齢が離れているんだけどね……エイデスも、何を考えているのか」
「え? お父様は魔導卿と知り合いなの?」
親しげな口調にウェルミィがキョトンとすると、お父様が頷いた。
「うん。そうだね、弟分っていうところかな。僕とは気が合うし、悪い子ではないんだけどね」
「ていうか私、会ったことも話したこともないわよ?」
相手は筆頭侯爵である。
しかも美貌という噂だし、10歳も離れた自分を選ばずとも、相手はよりどりみどりなのではないだろうか。
ロリコンなのか。
「必要なら、会う機会を一度設けるよ。こっちの縁談については、あまり聞こえの良い話ではないんだけどね」
と、お父様は困ったように頬を掻く。
「『婚約の申し込みが鬱陶しい。クラーテスの子ならある程度信用出来る』という理由だったから」
ーーー何それ。
ウェルミィはカチンと来た。
なんと自分勝手な理由だろうか。
「一回話をさせて欲しいわ。それからどうするか決める」
「良いよ」
そうして『文句を言ってやろう』という気で顔合わせに臨んだウェルミィだったが……結果的に、してやられてしまった。
『エイデス・オルミラージュだ』
『大変可愛らしい。お会い出来て嬉しく思う』
『なるほど、義姉が。なら、お互いに益があるな』
気づけば、何だか色々喋らされていた。
彼は悪い顔で笑みを浮かべると、こう言ってきた。
『私は王太子殿下を含むうるさい連中を黙らせることが出来るぞ。その上、お前は貴族学校で、私の婚約者という立場を存分に利用して義姉を守ることが出来ると思うが?』
『こちらから、特に婚約以外に何かを要求するつもりはない。成人後、夜会に一緒に出て貰う程度の手間は掛けてもらうことになるが……その数年で私を気に入らなければ婚約解消、という形ではどうだ?』
その偉そうな言い方と、何もかも分かったような顔はちょっといけ好かなかったけれど。
実際、気遣いも完璧で素晴らしい取引材料を提示されたので、ウェルミィは最終的に頷いた。
勿論、一番の理由はお義姉様の為だけれど、お父様の言う通りに悪い人ではないと思った。
それにちょっと顔も好みだった。
何より、その青みがかった紫の瞳に、心を惹かれたような気がしたから。
そうして、貴族学校に入学して2年後の昼休み。
「レオ!! 何をイオーラに話しかけている!?」
「これはシュナイガー子爵令息。何故話しかけてはいけないのでしょう?」
悪い虫その1であるアーバインが声を上げ、悪い虫その2である正体を隠した黒髪黒目の王太子殿下様が応じる。
その横でお義姉様が困った顔をしており、カーラが『また始まった……』と呆れた顔で見ていた。
貴族学校に入ってから、頻繁に見る光景である。
お義姉様と待ち合わせをしていたウェルミィは、その様子を見てツカツカと近寄っていくと、アーバインの鼻先にビシッと扇の先端を突きつける。
「うぉ!? ウェルミィ、危ないだろうが!」
「うるさいわね! 貴方もお義姉様とは何の関係もないんだから、偉そうにしてんじゃないわよ!」
アーバインもレオも、ウェルミィにしてみれば等しく邪魔である。
「私のお義姉様よ! レオ諸共、さっさと失せなさい! しっし!」
「チッ……」
「今日は早かったな……どんまい」
「触るな! 貧乏男爵家の令息風情が!」
「ウェルミィ達に比べたら、俺も君もどっこいどっこいだよ」
魔導卿の後ろ盾を存分に利用しているウェルミィに、現状下位貴族である連中が逆らえる筈もなく。
アーバインが舌打ちし、レオと言い合いながら去っていく。
実に仲が良さそうなので、存分に、末長く、こっちに関わらずに男同士で馴れ合っていて欲しい。
「ウェ、ウェルミィ……」
王太子殿下の正体に当然ウェルミィ同様気づいているお義姉様が、いつも通りに狼狽えているけれど。
「気にしなくて良いのよ。コソコソしてる臆病者なんか何にも怖くないもの!」
ふん! とウェルミィが鼻を鳴らすと、カーラが少し困ったような顔をして呟いた。
「貴女がその態度なのは良いけど、私まで同類に思われそうで困るわね」
「別に良いじゃない」
「商売に差し障りが出たら、そっちを利用させて貰うわよ?」
「良いわよ。エイデス、私に甘いもの」
あれから、一応婚約者なので月に一度のお茶会くらいは、というお父様に言われて定期的にエイデスに会ってはいる。
意外と気が合うので、それなりに婚約者生活は楽しかった。
そんなやり取り。
平和な日々。
こうして卒業まで過ぎ去って行くのだろう、と思ったある日の夕方。
「お義姉様、どこに行ったのかしら?」
馬車待合に向かって、中で迎えに来たオレイアと共に待っていたのだけれど、いつまでもお義姉様が来なかったのである。
侍女は貴族学校に入れないので、ウェルミィが探しに来たのだ。
最後の授業をした教室で『教授に少し用事がある』と言っていたので教授棟の三階に向かったけれど、当の教授に『来ていない』と言われた。
なので、次に教室に向かおうとを歩いていると、何か一枚、紙が廊下に落ちていた。
「……?」
誰かの落とし物だろうか。
折り畳まれた手紙のようなそれが何故か気になり、ウェルミィはそれを持ち上げて、中身を見る。
『助けて』
お義姉様の筆跡で、ただ一言そう書かれた紙に、ウェルミィは目を見開いた。
ーーーお義姉様!?
同時に、脳裏でガラスが砕けるような音が響き渡り……全てを思い出した。
ーーーこんな記憶は知らない。
ウェルミィは……ウェルミィ・オルミラージュは、とっくに貴族学校など卒業している。
エルネスト伯爵家で一緒に暮らしていた父親は、クラーテスお父様ではない。
イザベラお母様は、イオーラお義姉様を虐げていた。
お義姉様は、アーバインと婚約して、それをウェルミィが奪い取って。
ウェルミィは、お義姉様をあの家から救う計画を。
そうして……そうして。
色んなことがあって、ウェルミィは子どもを産んで……お母様と和解して。
スフィーアは、ウェルミィの愛しい娘は、どこに。
「一体、何がどうなっているの……?」
ここは一体どこなのか。
ウェルミィは自分の頭を片手で押さえる。
自分は何故、あんな幸せな記憶の中で、生きていると。
17歳まで時間が遡った、訳ではない筈だ。
それなら、色んなことがめちゃくちゃ過ぎる。
けれど、夢ではない。
だって夢なら、覚めるはずだ。
今ここにいる自分を、ウェルミィ・オルミラージュ夫人であると自覚しても、まだ続いている。
ーーー何が起こっているの?
ウェルミィは改めて、一言だけ書かれた手元の紙に目を落とした。
間違いなくお義姉様の筆跡だ。
なら、多分。
「お義姉様に……何かあった……?」
状況が全く分からないけれど。
自分がもう一人いたり、魔王になったエイデスがいる世界なのだ。
何があってもおかしくない。
おかしくないけれど、意味が分からない中で、ただ唯一ハッキリしているのは。
いつだって、ウェルミィの中心にあったのは。
この『助けて』という一言の紙に、お義姉様が重なる。
王妃陛下のお義姉様でもなく。
王太子妃殿下のお義姉様でもなく。
王太子の婚約者のお義姉様でもなく。
エルネスト女伯のお義姉様でもなく。
貴族学校のお義姉様でもなく。
その前の。
たった一人、あの家で虐げられていた頃の、お義姉様が。
見窄らしい格好をさせて。
離れに、遠ざける前の。
床を一人で拭き掃除をしていた、幼いお義姉様。
『助けて』。
ーーー助けるわ、絶対。
唯一、確かなこの気持ちだけが、幼い自分達を繋いでいたのだ。
ズミアーノ様とニニーナ様みたいに。
ヘーゼルとミザリみたいに。
たった一つ、道を踏み外すことなく自分を繋ぎ止めていた絆だった。
何かを繋いでいる。
この紙が、ウェルミィの何かを。
お義姉様が助けて欲しいと望むのなら、ありとあらゆる手を尽くして、救うのだ。
ここがどこか分からなくても。
今が何かが分からなくても。
今までも、ウェルミィは自分の意志一つで、お義姉様を取り巻く全てを変えようとして来たのだから。




