レオの思慕【後編】
「……!?」
レオは、イオーラがあっさり口にした自分の正体に、思わず周りに目を走らせた。
目立たぬように、隠蔽魔法を使っている護衛たち以外には人影は見当たらない。
「申し訳ございません……不用意でしたでしょうか、レオ様。護衛の皆様以外に、魔力の気配は感じませんでしたから……」
イオーラが、自信なさそうに肩を落として顔を伏せるのに、レオは慌てて口を開いた。
「いや、構わないのだが……じゃないな、構わないけど。よく気付いたな」
『レオ』はどちらかというと素の自分に近いが、家族以外の者に『殿下』と呼ばれるとその口調になりそうになり、言い直す。
「俺の演技は、何か不味いところがあったか?」
イオーラが気付いた理由にそれとなく探りを入れると、彼女は眉を下げて控えめな微笑みを浮かべる。
ーーー美しい。
その所作が、これほど洗練されているのに、意識するまで気にも留めなかった。
「いいえ、レオ様」
「レオで良い。今の俺は男爵令息で、君は伯爵令嬢だからな」
少し緊張しつつも、片頬を上げておどけて見せると。
イオーラの表情に楽しげな色が浮かんだが、すぐにまた、困ったような、申し訳なさそうなものに変わる。
「ですが……」
「見抜いているのなら、分かっているんじゃないか? ここで君にあまり礼を取られると、俺は少々困る」
ヒントを撒いていると言っても、公然と王太子であるとバレるわけにはいかない。
気付く人間だけが気付き、そしてそれを表沙汰にしないだけの節度のある人物のための、変装なのだ。
「そうですね……分かりました、レオ」
男性の名前を敬称なしに呼んだことがないのか、ほんのりと頬を赤らめるイオーラに、レオは胸が疼いた。
ーーー可愛い。
「わたくしが気付いた理由は、少しだけ卑怯かもしれませんわ」
「卑怯?」
「ええ、その……レオの変化の魔術は、わたくしには効いていないので……」
と、口にした途端。
周りの護衛たちがざわめいた。
それは、警戒。
殺気に近い気配を放つ護衛たちをさりげなく手で制したレオは、イオーラに先を促す。
「効いていない、というのは、俺の本当の姿が見えている、ということか?」
「左様でございます。あの、不敬に当たるかもしれませんが」
「良いよ。この学校では無礼講の規定があるだろう?」
「存じておりますわ。ですが、レオ個人の気持ちは別かと思いますので……その、わたくしの方が、おそらく魔力が強い、せいかと……」
何故か肩を縮こめるイオーラに、レオは納得した。
エイデスにも、この魔法は通じない。
金銀の瞳を持つ者は、紫の瞳の者に次ぐ魔力量を誇る為あまり気にしてはいなかったが、上位の者の目を欺く魔法は、見抜かれてしまうことがあるのを知識として知っていた。
当代において、公式に紫の瞳を持つとされるのはエイデスのみだ。
「なるほどな……紫の瞳のおかげか」
すると今度は、イオーラが軽く目を見張った。
「なぜ……?」
「ん?」
「この瞳を、紫だと……」
レオはその言葉に、軽く首をかしげた。
「先日廊下ですれ違った時に見たんだが。しかし、君のような瞳を持つ者は数少ない。だが、確かに噂にもなっていないな……周りが放っておかないはずだが」
「我がエルネスト家は、その、親戚付き合いもあまりなく、わたくしはほとんど外に出ることがなかったので……それと、わたくしの瞳の色は、おそらく亡くなったお母様が何らかの魔術で、意図的に隠しているものと思われます」
普通の人には、青く見えるらしい、という話を聞いて、レオは納得した。
「なるほど、それでか」
「効果が薄れているのかもしれませんわね……レオ様以外にこの瞳を紫と言ったのは、ウェルミィだけですわ」
「君の妹が?」
ーーーそれこそ、騒ぎ立てそうなものだが。
二人の様子から見て、お互いの扱いが、家の中でずいぶんな格差があるのは間違いのない話だ。
あのプライドの高そうな少女が、自分より下と見ていそうな姉が希少な瞳の持ち主であることが気に障らないわけがなさそうに思える。
ウェルミィの朱の瞳も特別なものではある。
それに関しても、気にかかることがあったが……今はイオーラのことだ。
「もしかして、逆か? その瞳のせいで、君は生家やあの妹に疎まれているのか」
すると、イオーラが悲しげに目を伏せる。
あの廊下で見せたのと同じ色合いの表情に、レオは首を横に振った。
「すまない。少し礼儀が足りなかったな。踏み込み過ぎた」
「いえ……あの、生家に関しては瞳のことは関係がなく……ウェルミィは、わたくしを蔑んだりはしていないと思いますわ」
「は?」
それは、意外すぎるというレベルの話ではない。
「だが、彼女は君の婚約者と……いや、すまない」
ダメだ。
何故か、どうしても彼女のことが知りたくて、踏み込み過ぎてしまう。
眉根を寄せて口を押さえるレオに、イオーラは悲しげな顔のまま、微笑みを口元だけに浮かべて。
「事情が、あるのです……その、どうかウェルミィのことを、誤解しないであげてください……」
イオーラの言葉に、形だけはうなずいて見せたものの。
ーーー調査が必要だな。
痩せ過ぎて不健康そうなイオーラと、甘やかされて華やかな雰囲気のウェルミィ。
何か、問題があるのは間違いない。
レオは、この少しのやり取りだけで、イオーラに心惹かれていく自分を感じていた。
ーーーもし何かあるのなら、少しでも助けに。
そう思いつつ、イオーラに対して微笑みを浮かべてみせる。
「明日も、ここで会えるだろうか?」
彼女のことを、もっと知りたい。
そんな気持ちを、うまく隠せているかは分からなかったけれど。
「……ええ、喜んで。わたくし、お友達がいませんので」
ほんのりと頬を染めながらそんな風に言われて、レオは思わず顔を背けた。
ーーー可愛い。
年頃のご令嬢に対して、そんな気持ちを覚えたのは初めてだった。
※※※
「それから、イオーラと会うようになって、色んな話を聞いた。講義や魔術のこと、家族の関係……話をするのは、すごく楽しくて、でも、彼女の魅力に触れれば触れるだけ、エルネストへの憤りが募った。本当に、何度潰してやろうと思ったか……」
「ずいぶんと入れ上げたな。まるで女に興味のなかった弟分にようやく春が来たというわけだ」
「貴方に言われたくないな」
表面上は、少なくともにこやかに対応するレオと違って、このエイデスという男ははっきりと女嫌いとまで言われるくらいに女に興味がないのに。
「私は愚鈍な連中に興味がないだけだ。賢い女が好きだからな」
「……ウェルミィは、賢いのか?」
「賢いだろう。もしお前が彼女の立場であれば、他にどんな方法で姉を守れた? ウェルミィは常に、自分の手札で打てる最善を選択しているように、私は思えるがな」
家での扱い。
婚約者家の件。
貴族学校での姉に対する振る舞い。
「……もう少し、人に頼っても良いんじゃないかと思うが」
「誰が信用できる? まさかお前、イオーラはともかく、自分がウェルミィにとって頼りになる人間だとでも思っていたのか?」
ぐ、とレオは言葉に詰まる。
「……王太子だと気付いていたのなら、頼る手はあっただろう?」
「お前は、ウェルミィに対して何か『頼りになる』と思わせる行動をし、意思を表明したのか?」
「……してないな」
「では、それが答えだ。敵か味方か分からない相手に、手の内を明かす者のことを阿呆と呼ぶ。その点、私はウェルミィに選ばれたようだ。光栄なことだな」
エイデスはククッと喉を鳴らし、それからレオに向ける視線を柔らかくした。
「ウェルミィからは見えないだろうが、お前はイオーラに対して何らかの対応をしたんだろう? それも吐いてみろ」
この兄貴分は、何もかもお見通しのようだ。
レオはこめかみを掻くと、自分のやったことを羅列する。
「イオーラが誰かと交流を持つと、それをアーバインかウェルミィが邪魔をする。ウェルミィが邪魔をする相手は、調べてみると少々問題がありそうな相手ばかりだったから、選別だったんだろう」
イオーラは聡明だが、その境遇からか、上から強引に押されると萎縮してしまう一面があった。
彼女が賢いと気付いた一人のご令嬢が、宿題などを押し付けようとした現場を見かけて、排除したこともある。
「最初は食事だ。彼女は昼休みに食堂へは行けない。アーバインに近づくなとウェルミィに命じられていたらしいが、そのため昼食は、家から持ってきたパン一つだけだった」
一度食堂に行った時は、アーバインに見つかり、食事を手にする前に席につかされて、ウェルミィと比べるような発言を延々と聞かされて食事を取れなかったらしい。
それもあって、ウェルミィはイオーラを遠ざけたのだろう。
「だから、こちらで食事を用意した。どうせ俺の食事は毒味が必要だから、専用の部屋でいつもとっていたしな。そこに彼女を招待した」
護衛と揉め、差配と揉めて、最終的に父王と直接喧嘩する事態に発展した上で勝ち取った権利だが、そんなことはわざわざイオーラには伝えていない。
それでも長年の生活のせいか食は細かったが、最初に出会った頃に比べればかなり健康になった。
見窄らしい格好をしている理由も、聞けばあまり表立って着飾るわけにもいかないのは、流石にレオも理解した。
さらに、母親がかけたらしい魔術が切れかけていた。
彼女の瞳が紫であることがウェルミィやレオ以外にバレてしまうと、それはそれでひと騒動になりそうだったので、逆に魔術の正体を突き止めて、かけ直したくらいだ。
「そして秘密裏にサロンを作った。あの学校には、王族が脱出するための独立した隠し通路と、隠れ部屋が幾つかある。図書館に通じる一つを改装して、信用のおける者だけを招いた」
最初は、ウェルミィの選んだカーラ嬢。
そこから、とある公爵家のご令嬢から、聖女に選ばれた少女、少数の貴族子女たち、遅れて入学してきたレオの妹である第一王女も。
妹以外は全員、レオの正体を見抜いた上で、礼節をもってさりげなく接触してきた者たちだ。
一応、ウェルミィに面通しもしていた。
彼女が自分から遠ざけるのであれば、逆に信用できる人物だと、イオーラが言ったからだ。
どこまであの少女が気付いていたかは不明だが、今もってレオが臆病者の評価のままなら、逆にこちらのしてきた行動は気づかれていないのだろう。
イオーラは、そのサロンの中でだけはおしゃれをし、明るい笑顔を徐々に見せるようになってくれていた。
本当に最後の方は、磨かれた髪や肌の輝きがどう見ても見窄らしくならないので、彼女の母がかけた魔術……レオの変化の指輪に似た効果を持っていた……を発展させた『髪がくすんで見える魔術』を使っていたくらいだ。
そこまで徹底的に、全てを秘匿したままにしたのも『ウェルミィが困る』『あの子も、あの家から助けたい』と懇願したイオーラのためだった。
レオが助けたいのはウェルミィじゃない。
あくまでもイオーラだ。
そう思いながら、レオは言葉を重ねる。
「卒業パーティーの前に、アーバインとイオーラの婚約を破棄する動きがある。改めてウェルミィと婚約を結び直すのだと、ウェルミィからイオーラに伝えられたそうだ」
「ほう。もしかして卒業パーティーで派手に婚約破棄を言いつけられるのかな? 君の想い人は」
「だろうな。それに、イオーラは乗るそうだ。……自分が傷つくのにな」
だけど、ウェルミィがイオーラを助けるために自分を犠牲にしようとしているのなら、自分もその痛みを背負わなければいけない、と言われてしまえば、レオは引き退らざるを得ない。
そんなイオーラが、ウェルミィを大切に思うのなら、彼女も救わなければならない。
『助ける』と誓った以上は、彼女の大切なものも含めて全て。
そうでなくとも。
自分と同じく、イオーラを守っているウェルミィはーーー敵ではなく、同志だ。
彼女の本質がイオーラの言う通りであることは、この目で見るまで信じてはやらない。
ほぼ確信はしている……だが、イオーラを取り合う相手でもあり、あからさまに敵意を向けられていることを、少し不満にも思っていたから。
イオーラを救う主役の座は、譲ろう。
彼女が一番感謝するのは、自分でなくていい。
レオよりも遥かに長い間、より幼い頃から彼女を守り続けてきたウェルミィにこそ、その資格がある。
「俺は、最後まで影に徹するさ」
「イオーラは、お前に救って欲しいと思っているかもしれんぞ?」
エイデスの煽るような笑みに、初めてレオは、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「流石に、イオーラに関してはエイデスより俺の方が分かっているよ」
「ほう?」
「彼女はもう、俺の想いに応えてくれようとしている。なら華やかな手柄は、貴方とウェルミィにいくらでも譲るさ」
そこで言葉を切ったレオは、キルレイン法務卿の元へ向かうために、エイデスに背を向けた。
「ーーーイオーラの愛さえ得られれば、俺はそれだけで構わない」
レオ編は終わりです。次はイオーラ視点かな?
それが終わったら、第二章始めようと思います。
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