アロンナの和解【前編】
ーーーヘーゼルが出て行った後。
アロンナは、黙ってエサノヴァの話を聞いて、少し目眩がした。
何も知らなかった自分の周りで起こっていた、出来事の大きさに。
「全て、奥様の為であった、と?」
「……はい」
「私は、お館様の為でもあったけどね」
申し訳なさそうに目を伏せている娘の返事と、その肩を抱いている元・夫の返事。
けれど、それを飲み込み切れない、などと言っている場合ではない。
ーーーあれが、奥様。
ウーヲンの件で大広間に集まった時に、感情的に吼えていたのも。
拘束されて、大広間を出ていく時に笑みを見せたのも。
船で出国する時に、話をしていたのも。
言われれば、違和感はあった。
普段のエサノヴァとは、少し違う……何かを行う時に見せる、どこか滑稽な振る舞いと、時折覗かせていた自信に満ちた態度。
言われてみれば、それは奥様とよく似ていたように思えた。
エサノヴァ自身も、元々大人びた態度を取る子ではあったけれど、それが奥様の影響であったというのなら、それ自体も納得出来る。
ついてこないのは、感情。
自分が育てたと思っていた娘が、最初から自分の手を離れていたという事実の方だった。
ーーーわたくしは。
どう、声を掛ければ良いのだろう。
『気にしていません』と言うべきなのか。
『よくやりました』と告げるべきなのか。
『どうしたら良いか分からない』と素直に気持ちを吐露すべきか。
『何故、何も教えてくれなかったのか』と詰った方が良いのか。
けれどアロンナは分かってしまう。
主命であれば、何も言えないのは当然で。
けれど褒めてあげるには、あまりにも騙され過ぎていた。
「アロンナ」
そこで声をかけてきたのは、元・夫。
本当の名は『イズィース』というのだと……その全てが嘘のまま、アロンナと婚姻を結び、離縁した人。
「すまなかった」
「それは、何の謝罪でしょうか?」
表情に気持ちを出さないように努めているから、顔に力を込めたままアロンナが出した声は硬質で、エサノヴァが軽く肩を震わせる。
しかしイズィースは、どことなく悲しそうに微笑んだまま、きちんとその理由を口にした。
「エサノヴァを、我々の娘を利用してしまったこと。長年、君を騙すような真似をしていたこと。……そして君を傷つけると分かっていながら、君と結婚したことだ」
「婚姻を後悔をなさっている、ということでしょうか?」
「いや……どう言ったら良いだろうね。君と一緒になったことそのものには、後悔はないけれど。お互いに利用した、と言うには、私の方が多くを知り過ぎていたことに関しては、フェアではなかったと思っている」
イズィースは、冷静だった。
「君は……優しいからね」
アロンナは、ついに我慢しきれずに唇を噛む。
言いたいことは、幾らでもある。
彼らだけでなく、姉や御当主様の振る舞いまで含めて、色々。
けれど。
ーーーだから、わたくしは、落ちこぼれなのです。
デスタームとして過ごすには、優し過ぎる。
デスタームとして生きるには、普通過ぎる。
姉ヌーアの言葉は、気遣いでもあり、同時に呪いでもあった。
それは、アロンナにとって否定の言葉なのだ。
自分の『普通』を抜け出すことが出来ないのに。
それでもデスタームとして……〝影〟の家の者として生きるしかない、アロンナには。
けれど、イズィースの言葉はそれで終わりではなかった。
「私は、そんな優しい君だから。一度でも共に暮らせて良かったと、思っているんだ。ただ、私のことは許さなくとも良い。それでも一度は、顔を見て謝罪をしておくべきだと。オルミラージュ夫人に言われて、私もそう思った」
アロンナは目を閉じる。
けれど、塞いでいない耳に、イズィースの声は響いた。
「けれど、出来れば。エサノヴァは許してあげて欲しい。この子は、オルミラージュ夫人にこれからもお仕えしたい、と言っている」
「いえ、お父様。それも……お母様が辛くなければ、で良いです」
エサノヴァの言葉に、アロンナは目を開いた。
「お側でなくとも、ウェルミィ様の為に働くことは出来ますから」
娘は、伏せていた目を上げて、こちらを見ていた。
その茶色の……アロンナによく似た瞳には、気遣いが浮かんでいた。
娘にまで、気を遣われている。
姉の、夫の、主人の言う通りに過ごしてきたアロンナの脳裏に、記憶がよぎる。
オルミラージュに戻った頃の記憶。
『お母様は、お父様のことをどう思っておられるの?』
そう問いかけてきたエサノヴァは、どちらだったのだろう。
『どう、とは?』
『憎んでおられますか?』
『いいえ。そのような感情はありませんよ。貴女はあの人を嫌っているのですか?』
『そういう訳ではありませんけれど。……もし、会う機会があれば、三人で話せると良いですね』
ーーーあれは、エサノヴァ?
そうではない、気がした。
だって、そう。
旅行に向かわれる前に、奥様は。
『ねぇ、アロンナ。もしエサノヴァが戻ってきたら、貴女はどうするの?』
そう言われた時は、たまたま二人きりで。
『お決めになるのは、御当主様と奥様では?』
『私は、貴女の気持ちを聞いているのよ。デスタームではない、母親としてのアロンナの気持ちを』
『そう……ですね』
アロンナは、少しだけ考えてから。
『娘ですので……お許しいただけるのであれば、共に暮らしたいと、思います。そんなもしもがあるのなら』
『そう』
奥様は、その返答に小さく微笑んだ。
『なら、もしもがあればそうしてあげて』
『……? 何か、理由が?』
すると奥様は、何でもないことのように言葉を口にした。
『私は、お母様に愛を返せなかったもの。仲良く出来るなら、それは良いことよ』
と。




