アルガとライヴァ。【前編】
ーーー数十年前、オルミラージュ別邸にて。
「これはこれは。随分と物騒な来訪者だな」
深夜の、雨のない嵐。
吹き荒れる風で、建物をミシミシと音を立てる中、ライヴァをベッドに押さえつけているのは、10ほど年下の若い男だった。
上半身裸で眠っていた筈の彼は、音も気配も殺して忍び寄った筈の自分に気づき、こちらに悟らせないまま行動を起こしたのだ。
アルガ・オルミラージュ。
イングレイ・オルミラージュ侯爵の少し歳の離れた弟であり、彼よりも鋭い印象の美貌を持つ銀髪の彼は、紫がかった青い瞳で、ジッとライヴァを見つめ返して来ていた。
ライヴァの手には、ナイフがあるが、手首を掴んだ男の拘束はビクともしない。
ーーー不覚。
あのヌーア・デスタームが守っているイングレイよりは警備の甘い別邸に住んでいる分、殺りやすいかと思っていたが、判断が甘かった、とライヴァは冷静に判断した。
そのまま隙を伺っていると、アルガはさらに言葉を重ねる。
「女が一人、夜中に男の部屋に忍び込む。……何されても文句は言えないんじゃないか?」
「お好きに」
嗜虐的な笑みを浮かべる彼に、ライヴァはそう応じた。
ーーー腕を離せば、その瞬間に刺す。
しかしアルガは、隙を見せなかった。
彼の人差し指の指輪が輝き、体が動かなくなる。
拘束の魔術。
そう判断したライヴァは、それでも焦りはしなかった。
冷静に、体が動く部位を探す。
指から爪先まで微塵も動かないが、首から上は動くようだった。
そう判断したライヴァは、即座に顎を開き、舌を噛み切ろうと思い切り閉じるが……そこにアルガの指が差し込まれ、ゴリ、と嫌な感触と共に、痛みが閉じた顎を襲う。
そして、アルガの指から流れた血の味がした。
「躊躇いがないな、暗殺者。良い覚悟だ」
指の痛みを気にしていないかのように、クク、と含むような笑みを漏らした彼に、そのまま指を噛み切ろうとするが、それ以上はビクともしなかった。
「顎が砕けるぞ。止めておけ」
どうやら、ライヴァの頭ではなく、今度は自身の肉体に身体強化魔術を掛けたらしい。
それでも拘束魔術が解けていない上に、頭上には弱い魔力光が浮かんでおり……そこで気づく。
部屋の近くまで連れて来た、他の『手足』の気配が感じられない。
どうやら、拘束の魔術を他の者にも掛けたか……悟ることも出来ないままに殺されたか。
ーーー化け物かしら。
他には、オルミラージュの〝影〟の気配も、何なら従僕の気配も一切ない。
ということは、それをしたのは目の前の男以外に居ないだろう。
幾つもの種類の違う魔術や強力な魔術を同時に操る目の前の男を、自分は完全に見くびっていたようだ。
しかしこのまま、捕まっている訳にはいかない。
〝水〟の『手足』の長として、ライヴァは終わった。
ならば後は、情報を与えないように死ななければならない。
だが。
「良いな、お前。お前のような女が良い」
アルガは、ハハ、と笑った。
「俺の嫁になれ、暗殺者の女。もし望むなら、命だけでなく望むものを存分に与えてやろう」
ーーー……?
何を言っているのか分からず、ライヴァは疑念を目に浮かべる。
しかしアルガは意に介した様子もなく、嬉々として言葉を重ねた。
「お前みたいな良い女を使い捨てるクズに義理立てしてくたばるか、権力も富も知恵も魔術も、強さに美貌まで兼ね備えた最高の男である俺の女になるか。考えるまでもないとは思うが?」
ーーー良い女?
この〝変貌〟で繕っている顔のことだろうか。
だが、情報を吐かせようとせず殺してくれる、というのなら好都合。
そう思い、ライヴァは〝変貌〟を解く。
顔自体は、確かに元々の自分の顔立ちだろう形に作っていたが。
〝水〟の『手足』は、例外なく顔を潰されている。
生まれた直後に目元を焼かれるのだ。
素顔で消えることが出来ないように。
〝変貌〟の魔術を使えば追えるように。
〝水〟の血統でありながら、貴族として暮らすことは決して出来ないように。
ピエトロは、そういう男だった。
しかしライヴァの素顔を見たアルガは、全く動じなかった。
「何だ、素顔を晒すのか? それは合意ということで良いのか?」
「……?」
「まさか、俺が皮一枚でお前を諦めると思ったか? まだナメているのか?」
ハハ、と笑ったアルガが、顔を近づけて額をライヴァに押し付ける。
彼の瞳だけが視界一杯に広がる。
「10分、くれてやる。それで決めろ」
そこから10分間、本当にその姿勢のまま、アルガは黙った。
カチ、カチ、と秒針の音が響く静寂の後。
「経ったぞ。どうするんだ?」
と、アルガは指を口から引き抜いた。
「申し出を受けるわ。アルガ・オルミラージュ」
それは、別に了承ではなかった。
生き残れば殺す機会もあるだろう。
もう一つの選択肢の答えは、10分では出なかった。
ーーー〝水〟を裏切る。
特に考えることすらなかった、その言葉の意味を考える時間も欲しい。
どちらにせよ、時間稼ぎは必要だった。
アルガは満足そうに頷く。
「お前の名前は?」
「ないわ。今与えられている名は、ライヴァよ」
「良い声で、良い名だ。……3日で準備を整えてやろう。そうなればお前は、晴れてライヴァ・オルミラージュ夫人だ」
言いながら、拘束の魔術を解いたアルガが、耳元に口を寄せてくる。
「抱くぜ。興奮してきた」
※※※
そうして一週間後、ライヴァは。
本当に『ライヴァ・オルミラージュ』となり、オルミラージュ本邸に呼び出されて正面から訪れていた。
彼にライヴァが抱き潰された後、〝水〟の『手足』の残りの者らは、アルガによって記憶を消されて叩き出されたらしい。
「アルガ、お前というヤツは本当に……!!」
「怒るなよ、兄者。別に俺は家を継がないし、社交にも興味がない。問題があるなら、別に家から抜けても良いぞ」
ビキビキと青筋を浮かべるイングレイ・オルミラージュ侯爵に、アルガは、ハハ、と笑いながら応える。
「誰がそんな話をしとるか! せめて事前に許可を取れ、許可を!!」
「身分を用意し、婚姻を結ぶ程度のこと、兄者の手を煩わせるまでもないだろう。なぁ、義姉上」
横に立って、こちらも呆れた顔をしているガーシャ・オルミラージュ夫人にアルガがにこやかに言うと、彼女は首を横に振った。
「強引過ぎるのですよ。これから、貴方に来る縁談を断るのに、さらにややこしいことになるでしょう。いきなり婚姻などと、裏を探られるに決まっております」
「放っておけば良いのでは?」
「貴方がしない分、我々が社交をしているのですが?」
「面倒臭いことだな。領地と魔術のことだけを考えて生きるのがオルミラージュの『真』ですよ、義姉上」
「自分に都合の良いことばかり言いおって! もう良いわ!」
ダン! とテーブルに拳を叩きつけたイングレイは、今度はこちらに真剣な目を向ける。
「大体、身分を用意したというのなら、彼女は本来は何者だ?」
「俺の女だ。兄者は気にしなくて良い」
「お前は当主を何だと思っとるんだ!」
「兄者は兄者だ。しばらく騒がしいというのなら、領地に引き篭もっておこう。新年には戻る」
アルガは一方的にそう告げて立ち上がり、ニィ、と笑う。
「別に、迷惑を掛けようとは思っていないからな」
「もう十分に掛かっとるわ! この放蕩者が!」
「俺の研究はそれなりにオルミラージュを潤しているだろう。手間賃だと思えばいい」
ハハ、と笑うアルガに、黙って話を聞いていたマルム・オルミラージュ侯爵令嬢が吹き出した。
「叔父様の前では、お父様も形無しね」
……そんな、ライヴァにとって縁遠く、名だけが繋がった人々。
けれどこれが『温かい』ということなのだろうと思われる、気安いやり取り。
血族であっても利用する〝水〟とは違う、『家族』というものの、一つの在り方を。
その時、ライヴァは初めて目撃した。




