帰国の船で。【前編】
ーーー帰国の日。
あの後、生憎の天候不順によって海が荒れ、数日の足止めを食らったものの、ウェルミィ達は船の前で別れの挨拶を交わしていた。
ライオネルの見送りにロキシア、ハイドラ、ゼフィスの三公家が、わざわざ港まで来て揃っていることに、他の見送りの者達も然程驚いてはいない。
裏の事情は知らずとも、『大公選定の儀』での一連を目撃した者達にとっては、通り一遍の見送りで済ませて良い来賓ではない、と認知されているのだろう。
そして裏の事情を知る者の一人に、ウェルミィは微笑みを向けた。
「お見送りに感謝致しますわ、バーンズ新大公閣下」
直接言葉を交わす機会こそほとんどなかったけれど、レオから順に挨拶を交わして目の前に来た彼は、ニヤリと笑みを返してきた。
「この程度は当然でしょう。それに、ナメられては困りますしね」
「あら、私どもが新大公様を?」
「ええ。お互いに弱みを握り合う仲です。それに、私にとってあなた方は『強敵』ですからね」
「敵、ですの? 私はこれからも、友好を築きたいと思っておりますけれど」
「私もそれは同様ですよ。ですがそう、『武人の魂』を持つ者は油断なりませんので。……特にウェルミィ・オルミラージュ夫人。貴女はね」
どこか挑発的でありながら嬉しそうな彼の様子に、ウェルミィは扇を広げながら目を細めてみせる。
「あら、大公国で一番肝が座った方に対等に扱っていただけるなんて、光栄ですこと」
バーンズ様は、ウェルミィにとっても大変油断がならない。
ズミアーノとはまた別の……そう、どちらかと言えば同類の匂いがする男だ。
彼の言う通り、外務卿夫人として、彼とは今後も友好を築きながら争うことになるだろう。
それは直接的な戦争ではないかもしれないが、どちらも自国の利益と発展を望む以上は、必ずそうした事態は起こる。
「出来れば、前外務卿が返り咲いていただけると、こちらとしてはありがたいですがね」
「それをお決めになるのは、国王陛下ですわ。けれど、貴方が立ったとなれば望み薄でしょうね」
チラリと、別の者と話しているユラフ・アヴェロ外務卿補佐を見たバーンズ様に、ウェルミィはふふ、と笑う。
アヴェロ伯は、有能だけれど気弱な人である。
波風立てずことを丸く収めるのは得意とするところだけれど、バーンズ様の相手をするには少々荷が重いだろう。
「ライオネルは、上から下まで傑物ばかりで羨ましい限りですね」
「そちらも、然程変わりはしませんわ。イズィースも取られてしまいますし」
「どうでしょうね。こちらに戻ったら、手綱は引き締めましょう。人を籠絡することに掛けては、非常に長けた方が目の前におりますからね」
「過大評価でしてよ。目の前の方は、籠絡出来なかったようですし」
バーンズ様は、唯一ウェルミィやエイデスの働き掛けもないまま、己の覇道を歩んでいる。
国を率いる者として、これ程に頼もしい相手もおらず、同時にこれ程にやりにくい相手もいない。
全く隙のない人間は、付け入ることが出来ないのだ。
後はどちらの知略が勝つかで、その時々の勝敗が決するだろう。
それが少し面倒であるのと同時に、ワクワクしている自分も、ウェルミィは自覚していた。
「今後も、良きお付き合いをお願いしたいですわ」
「こちらこそ」
そうして、彼らと別れて船に乗り込んで船室に入ると、影からイズィースとエサノヴァが姿を見せる。
「さ、帰るわよ。この旅行、凄く肩が凝ったわ!」
「肩凝りだけで済んだのですか?」
「とんでもないですね」
目を見交わした二人に混ぜ返されると、横で聞いていたエイデスがクク、と喉を鳴らす。
「バーンズ新大公とのやり取りも、楽しそうで何よりだったな」
「お義姉様の命が掛かってない社交なんて、遊戯と大して変わらないもの。ライオネルには、貴方や他の人達もいるのよ? そうそう負けないわ」
ブラード・ハイドラも、イズィースも、そのまま放っておけば大公国の力が削げた。
それをしなかったのは、あくまでもプライドが許さなかったからだ。
そんなウェルミィを見て、エイデスはどこか眩しそうに目を細める。
「『其は、森羅にして万象故に。』……か」
「何それ?」
「テレサロが受けた神託の一説だ。事を終えたことで、契約は解除された。この神託もまた、聖教会の伝説の一端に加わることとなるのだろうが……」
と、エイデスがその内容を口にした。
それに、ウェルミィは頷く。
「なるほどね。その神託の本当の意味を、あの場に居た人間以外は知ることはないのね」
「ああ」
エイデスは、微笑みながらウェルミィの肩に手を添えてくる。
「お前ですら、一人では小さい。そして私もまた。……しかし束ねれば、それは大きな力となる。あの一節が指し示す『其』とは、意志の力と、世界そのものを指し示すものだったのだろう」
エイデスは、言葉を重ねる。
森羅とは、無数に並び連なるさま。
万象とは、さまざまの形のあらゆる物。
そして森羅万象とは、あらゆる事物や現象そのもののこと、なのだと。
「二人のお前の意志に集い、束ねられた者達が、救済を齎した。様々な形の、あらゆる強い意志が、この世界の形を決めたのだ」
そう言われると、何だかむず痒い気がした。
「別に、大したことしてないわよ。全部貴方とお義姉様の為だもの」
「だからこそ、だ。ウェルミィ。女神とやらが本当に存在するのであれば、きっとそれは慈愛の存在ではない。苛烈で、強烈で、身勝手で……そして何よりも、人がその意志を持って突き進むことを愛でる者、なのだろう」
エイデスは、そこで揶揄うような表情になった。
「天に座す者のことは、戦女神、とでも呼んだ方が良いのかもしれん。その女神の化身がいるとするのなら……きっとそれは、お前だろうな。ウェルミィ」
「何だか、褒められている気がしないのだけれど?」
ウェルミィが睨みつけると、エイデスはますます楽しそうな顔になる。
「お前のお陰で、生母のことも少しだけ知ることが出来た。義母と義姉の仇も討ったと言って良い。……私にとって、お前は間違いなく幸運の女神だ」
「物事を引っ掻き回す台風の目、の間違いではなくて?」
わざと憎まれ口を叩くと、彼は小さく肩を竦めた。
「それもまた、事実だな」
誰からともなく笑みを漏らす中、ウェルミィには一つだけ気になっていることがあった。
ーーーエイデスの、本当のお父様は、どんな方だったのかしら。
〝水〟の『手足』であったエイデスのお母様を……婆やを娶り、エイデスが生まれる前に身罷ったというその人は、ウェルミィを妻にしたエイデスよりも突拍子もない。
ーーーそれを許したイングレイお義父様なら、何かご存じかしらね。
また今度、思い出した時にでも聞いてみよう。
ウェルミィはそう思って、手を叩く。
「さ、出航したら、お義姉様のところに行きましょう! どうせレオはしばらく船酔いで倒れてるだろうし」
我らが王太子殿下は、大変船に弱いのである。
テレサロの魔術も効かず、オレイアに眠らせて貰うくらいしか手がないらしい。
先ほども、船が嫌でちょっと顔が引き攣っていたが、彼は飛竜を使っても酔うので、空の上よりは海の上の方が対処しやすいのだ。
馬車は酔わないのに、不思議な話である。
何はともあれ、今がチャンス。
「しばらく、お義姉様を独り占めよ!」




