新大公の最愛。
「全部丸く収まった、かねぇ?」
大公邸の近くにある丘で、風の運んできた声を聴きながら、ムゥランはポツリと呟く。
ーーー本当に、えらくご大層なこったねぇ。
ムゥランからしてみれば、【魔王】の力は自然の脅威とさほど変わらないが、そこに人の意図が絡むとややこしくなる。
勿論、元凶を叩き潰せるなら潰す、という点において異論はないが。
どうしようもない災害に遭ったなら、壊滅したなら住む場所を変える、というのが合理的だとムゥランは思う。
が、人の情がそこに絡めば、住む地を愛して離れ難い、と軋轢が起こることもあることもまた、知っている。
ーーーそれを覆すのもまた、人の意志、ってヤツなんだろうねぇ。
復興することで、より繁栄することもある。
確かにそれは、人の意志の強さによるものだろう。
生きる為に必要で、ムゥランも心惹かれる力だ。
自分が気に入った者達は、確かに皆がそれを手にしている。
「何が丸く収まったんだ?」
目の前で問いかけて来たバーンズもまた、そうした者の一人だった。
「こっちの話だねぇ」
「相変わらず、ムゥラン兄ぃは盗み聞きが好きだな」
「人聞きが悪いねぇ」
情報は力である。
元々先遣として十二氏族を支えていたらしい〝風〟としては当然のことで、各家の〝影〟の役目も、本来は闇の連中と自分達の行なっていた役目なのだ。
「で、聞きたいことってのは?」
腰に両手を当てて景色を眺めていたバーンズが、くるりとこちらを振り向く。
「大したことでもないけどねぇ。……お前さんは、どこまで知ってたのかと思ってねぇ」
「何の話だ?」
「『語り部』や【魔王】のことだねぇ。お前さん、あの時、ブラードにまで呼び掛けてたよねぇ?」
レオニール王太子殿下と、妃殿下を瘴気の球から引き摺り出した時のことである。
ムゥラン自身は、実際は国内の情勢にそこまで詳しい訳ではない。
〝風〟に関する事以外は、『外』に目を向けていたからだ。
〝風〟の領地は今の社会から見れば、その暮らしが貧しいとされる地域である。
大公位にムゥラン自身は興味がなく、『心豊かに民が暮らせればそれで良い』という思想を持っていた。
しかし、それでも犯罪は起こり、富が無ければ食糧的には困窮するのだ。
そうした犯罪者を養う程の余裕もなく、彼らの『始末』にライオネル南部辺境領との小競り合いを利用していた。
『勝てば自分の食糧や財産にしていい』という言葉で、犯罪者を兵や盗賊に仕立てていたのだ。
向こうにそれを見抜かれて、代わりの案を提案された。
飛翔種の魔獣育成と、それを見返りとした食糧の供給。
主体となったのは辺境伯領だが、その話の繋ぎにウェルミィ・オルミラージュが一役買ったという話を聞いて、ムゥランは彼女に借りを返す為に助言をしたのである。
そうした一連の中で、ムゥランは世界と権力というものの強さを知った。
だから『外』に目を向け始めたのだ。
『内』にはバーンズが居たから。
読み通りに大公となった彼だが、今後も信頼出来るかどうかは、常に監視しなければならない。
関係が良好な今は良いが、その気性の荒さで、いずれ〝風〟を焼く可能性もない訳ではない。
人は変わる。
風のように気紛れであるからだ。
彼は今、こちらに腹の中を隠すか、晒すか。
権力を手にしたバーンズの見極めの、それは第一歩だったのだが。
「ああ、ほぼ何も知らなかった」
彼は、あっさりとそう答えた。
「ムゥラン兄ぃと話す直前に『新大公だから』ってブラードに呼び出されて、『【魔王】を生まれさせない為に協力してくれ』って話をされただけだよ」
「……それだけで、か?」
たったそれだけで、バーンズはあの場に赴き、あの鉄火場でブラードを信頼し続けたというのだろうか。
確かに、情報的にはムゥランより一歩先んじているとは言えるが。
「オレは運命とかいうのが大嫌いだからな。そんなもんがあるならぶっ潰してやる、と思っただけだ。ブラードが後ろ向きで陰湿なのは今更だろ。気も弱いしよ。だが不義をする奴じゃねぇ」
ーーーコイツは。
思わず、ムゥランは笑いが込み上げてくる。
なるほど、耳が良いのも考えものだ。
変に物を知ってしまうが故に、裏を勘ぐることの多いムゥランと違い、バーンズは真っ直ぐに『人』を見るのだろう。
それはあの、ウェルミィ・オルミラージュにも通じる気質。
バーンズの言う『武人の魂』とやらの持ち主は、もしかしたらそうした物の見方をする者が多いのかもしれない。
単純と言えば単純だが、バカとは違うのだ。
「はっはっは! らしいねぇ! 実にお前さんらしい答えで、安心したねぇ」
「……そんな面白いこと言ったか? オレ」
何となく納得が行かなそうに首を傾げたバーンズは、大して気にしていない様子で肩を竦める。
「じゃ、オレは行くぜ。スージャを待たせてるからな」
「ああ。忙しく過ごせよ、新大公。俺がのんびり出来るようにねぇ」
「ふざけんなよ! イズィースもムゥラン兄ぃも死ぬほど働かせるに決まってんだろ! サボったらぶっ潰すぞ!」
そんな軽口と共に、バーンズは去っていった。
※※※
スージャ・クジャは、引き継ぎの為に資料室に戻ってきたバーンズに対して声を掛ける。
「お帰りなさいませ」
「おう」
いつもと変わらない自信に満ちた様子で手を上げたバーンズだが、もうその間に皮肉と嫌味が飛び交うことはない。
そんな必要がなくなったからだ。
けれど。
「何か言いたそうだな?」
侍従をドアの外にひかえさせたバーンズが、書庫で本の背表紙に目を走らせながら問いかけてくる。
「わたくしで、本当に宜しいの?」
必要とあれば全てを成す男、バーンズ・ロキシアは次期大公。
彼ならば、どんな女もよりどりみどりだろう。
若く、自信に満ちた態度と厳しい気質は、好みが分かれるところではあろうとスージャは思う。
圧が強すぎて、怯んでしまう子女も数多く見てきた。
けれど、彼がスージャを選ぶ必要はないのである。
「わたくしは、貴方の真似をしているだけの女ですわ。もっと相応しい方がおられるのでは?」
彼と最初に顔を合わせたのは、領内で行われる武闘会の会場だった。
舞踏会、ではない。
武の領ロキシアにおいて社交シーズン最大の祭りは、同時に奪い合いの季節でもあった。
それぞれが財貨を、宝をかけて勝者がそれを手にする祭り。
勿論、ロキシアの女性も大半は気の強い者ばかりであり、武闘会を楽しむ方も多いけれど、女性陣の中にはそれを好まぬ者もいて、武闘会の最中に庭で慎ましやかに茶会に興じていた。
スージャやバーンズの母もそんな一人で、大人しい気質の女性だったのだ。
自分達の父親は、美貌を備え嫋やかな彼女らを、ある種のアクセサリーと考えている節があった。
英雄に添える花。
英傑に並び立つ武の女性と、ロキシアの女性は二極化されていた。
スージャ自身も、元々は母の気質を受け継いでおり、争いごとが好きなわけではない。
けれど、その子らの中には、当然ながら気性の荒い者も多かった。
幼少時、そんなヤンチャな子息や令嬢に目をつけられて、スージャは子どもだけの遊び場で囲まれたことがあった。
子どもにとって、お互いの家格など知ったことではなく、弱い者と見れば虐めることも、それはある。
揶揄われ、髪を引っ張られて、泣き出しそうになっていたスージャのところに……現れたのが、バーンズだった。
『自分より弱い相手を囲んで虐めるのが、武人のすることか!!』
その中の誰よりも気性が荒かったバーンズは、男も女も関係なく拳を叩き込み、倒れた子どもらを足蹴にした。
全員が泣き出すと、バーンズはこう吐き捨てた。
『こんなことが楽しいか? 武の誉れがあるなら、二度とやるな。クソどもがよ!』
スージャは、バーンズに一番怯えた。
けれど、助けられたから。
『あ、ありがとう……』
そう、礼を述べたのだ。
すると彼は、チラリとこちらを見て、怒鳴った。
『テメェもテメェで、この程度の奴らに黙って虐められてんじゃねーよ!』
と。
ビクッと肩を竦めたスージャが俯いて涙を堪えていると、何故かバーンズは立ち去らずにジッとこちらを見つめていたようで。
『泣かねーのか。何だ、それなりに根性あるじゃねーか』
そうして、乱れた髪を不器用な手で整えてくれた。
ちょっと指に引っかかって痛かったけど、満足したらしいバーンズは楽しそうな笑みを浮かべて、拳を握る。
『強くなれよ。誰だか知らねーが、この中で一番根性あるの、お前だからよ』
そう言ってから、去っていった。
彼の姿を見掛けたのは、貴族学校に入るまでその一度きりだった。
年に一度開催される武闘会で、漏れ聞くところによると『勉強する』と言って屋敷に引き篭もっているらしい。
ロキシアの次代を担う者が情けない、武の誉れを忘れた腑抜けと、話の肴に嗤う者たち。
ーーー違うわ。
スージャは思った。
バーンズは誰よりも負けず嫌いで、今まで見てきた誰よりも誇り高い方だった。
きっと何か理由があると思った。
だからスージャも、同じように勉強した。
父から与えられた条件は、魔術でも誰よりも強くなること。
『ロキシアに負けるな』
そう言われることは、いつしか気にならなくなった。
だって、バーンズに追いつけるように頑張っているのだから。
勉強する内に、色々なことが見えてきた。
バーンズが勉強している理由も、自領のことも。
ーーーきっとバーンズは、ロキシア領だけじゃなくて、大公国と……その先にある世界を見据えているんだわ。
武のみでの世では、なくなっていっているから。
それが朧げに理解出来た頃……貴族学校入学直前の年齢になった時に、バーンズは久しぶりに武闘会に顔を見せ。
あっさり、優勝を攫った。
誰一人、まともに相手にならなかった。
引き篭もりと侮っていた人達も、当主肝入りだった騎士も、魔術の使い手も、誰も。
バーンズはつまらなそうな、ちょっとイライラした様子で、優勝台に当然のように立っていた。
そうしてコメントを求められて、一言だけ吐き捨てた。
『腑抜けどもが』
武闘会の前に、彼が父公爵すら降していたことを、スージャはその後に噂で聞いた。
そうして貴族学校に入った後。
表向き反発し合いながら、スージャは少しずつ少しずつ、バーンズのことを理解して行った。
その頃には、スージャはもう父に信頼されていて、強気の皮を被ることが出来るようになっていた。
ずっと見ていた、バーンズの真似をすれば良いのだから、簡単なことだった。
燃料を融通して、手紙を預けて、貴族学校を卒業して、共に大公候補となり。
そうして先日、バーンズはスージャに手を差し伸べた。
『俺の勝ちだ。ふざけた内輪揉めは、もう終わりにしようぜ』
それは求婚だった。
彼が勝利宣言した相手は、スージャではなく、彼を苛立たせていた全てに対してだったから。
スージャは受け入れた。
受け入れたけれど、それで良いのか、という気持ちが拭えなかった。
真似事が出来ても、スージャ自身は……その内心は、今でも弱いままだったから。
必死に彼に追いつこうとする必要がなくなってしまったら、きっともう、そんな化けの皮は剥がれてしまうから。
バーンズに見つめられて、スージャは目を伏せる。
偽物は、本物には勝てないのだ。
「オレの真似をしてた?」
「ええ」
「最高じゃねぇか」
「……え?」
バーンズはこちらに近づいて来ると、スージャを壁に押し付ける。
「何を?」
「テメェは分かってねーな。オレの真似だと? やろうと思って出来る奴が、この世にどんだけいると思ってんだ?」
「……?」
驚くスージャに、バーンズは表情を和らげる。
その笑みは、いつもの自信に満ちた不遜なものではなく……あの幼い日に見たような、楽しそうな無邪気な笑顔だった。
「やっぱりテメェは最高の女だ、スージャ。オレにここまで相応しい女は、絶対にいない」
熱の籠った真っ赤な瞳は、焼かれそうな程に熱かった。
「黙ってついて来いよ、戦友。オレの心を掴んだ女は、この世でテメェだけだ」
「バーンズ……」
目頭が熱くなり、涙が溢れると……そのまま、唇を奪われた。
初めてのキスはとても情熱的で、腰が砕けそうになるけれど、バーンズの手で、支えられた。
そうして、耳元で囁かれる。
「オレに愛されたことを誇れよ、スージャ。ーーー死んでも逃さねぇからな」




