ブラードの『妻』、エイデスの『母』。
ーーーウーヲン……。
今はその名を持つ息子のことを、ブラードは思い出す。
ーーー恨んでいない、と。
たった一度面会しただけの息子は、若い頃の自分によく似ていた。
そして、着慣れない様子の服に身を包んで居心地が悪そうであったが、一人前の男の顔をしていた。
ーーーもう、親に何かを求める年齢では、ない。そうだろうな。
自ら手放した息子に対して、寂しさを感じる資格は、ブラードにはないが。
今、幸せだと言うのなら。
確かに自分の『罪』など、彼にとってはどうでも良いことだろう。
ーーー死ぬ方が、楽なのだがな。
ケジメとしてこの世を去るのは、ある種の救いだとブラードは感じている。
自分にとって、これまでの人生は、ずっと重たい荷と後悔がのし掛かっているような代物だったから。
まだ水公家と、その傘下にある民を背負う者としての『責任』が残っていると、ブラードが生きねばならない、と口にする彼は。
もう一つの真実を知っても、それを望むだろうか。
「……オルミラージュ侯」
「はい」
「貴方は二つの勘違いをなさっている。私が顔を隠していた目的と、私の『妻』について」
自分はともかく、妻は死を選ばないだろう。
目の前の、青みがかった紫の瞳をした、一見冷たい無表情の男に、ブラードは微笑む。
人に『生きろ』と、自らの弱みまでも晒して声を掛けるその優しさに、報いねばならないだろう。
だから、自分の秘密も明かすことにした。
ーーー最後の『罪』を。
「順を追ってお伝えしましょう。まずは、貴方の母君の件……当時、工作員を率いていた『手足』が行方不明になった後、私は15年程、本国に影武者を立ててライオネルに潜入し、国を行き来する生活を送っておりました」
「……?」
オルミラージュ侯爵の訝しげな反応は、話の先が見えなかったからなのだろう。
ブラードは、気にせずに言葉を重ねた。
「父のオルミラージュへの妄執は、貴方が考えるよりも根深いものだったのです。……私は貴方が幼少の頃に、オルミラージュを根絶やしにする目的を持った工作員らの指揮官として、派遣されていたのですよ」
オルミラージュ侯爵の表情が僅かに動く。
その顔から目を逸らし、ブラードは月魅香を見つめた。
あの、ウーヲンを手放した日。
ライオネルに『ウォンディ』として訪れた事にしたのは、目的にかこつけたカムフラージュだった。
ブラードはあの当時、直接的な方法では無理だと判断した父の命令で、完全に撤退して大公国へ帰還する直前だったのだ。
ウーヲンを連れては戻れない。
彼の存在自体は秘匿せねばならず、誰かに預けることも出来なかった。
妻の下へ行かせるには幼過ぎ、自立させるにも同様。
そもそもウーヲンは『語り部』の計画通り、誰かの手駒として、ウェルミィの下へと最後は赴くようにせねばならない存在だったから。
『すまない……』
まだ物心もつかない息子を、ブラードは『語り部』の力を借りて女児へと〝変貌〟させた。
〝夢見の一族〟の〝影〟に導かれて、指定した養護院へ……雑踏の中に消えていくその背を見送り、過酷な運命を背負わせることを謝りながら……それでもブラードは、やらねばならなかったのだ。
ブラードが父を殺すことは、先行きを乱すことだと言い、『語り部』は譲らなかった。
『もう一人のウェルミィ』が〝夢〟の向こうから訪れるよりも、さらに前のことだ。
「オルミラージュ侯爵は、勘違いをなさっておられるが……私が影武者の方に似るように顔を変えていたのは、そもそも父の命令でした」
『少しずつ顔を変えて生活しろ。その顔が大公国で馴染んだら、今度は指揮官としてライオネルに向かえ』
そう言われた時、ブラードは。
父が自分を『無能』と蔑みながらも、おそらくは誰よりも信頼出来ると考えているのだろう、と、当時は思っていた。
だから、ブラードの『本来の顔』が国外に出た際にバレないように、そう命じたのだと。
父が、魔術の気配を察知されることを考慮していなかったのは、誰にも〝変貌〟していることを悟られない隠蔽魔術を、ブラード自身の力だと誤解させたからだった。
そう、もうその頃には、ブラードは『語り部』と接触していたから。
『知っているかい? 知っているかい? 君は、君の父親がやったことを、これからやろうとしていることを、どう思う? どう思うのかな?』
あの、幼な子のような口調の人物が告げた父の行動は、ブラードにとって悍ましさすら感じるものだった。
自らの欲望と妄執の為に、人は……父は、そこまで醜くなれるのだと。
だから、ブラードは決意したのだ。
ーーー〝水〟を脅かす愚行を、そして人を害することを、これ以上、父にさせてはならない。
と。
だから『語り部』の協力者となった。
自らが手を汚す立場に任じられたことで、ブラードは逆に父の動向を操っていたつもりだった。
だが、オルミラージュ侯爵が10の齢を数えるかどうかの頃……あの事件は起こった。
「ーーー貴方の義母と義姉を殺したのは、私です。それでも、貴方は私を許しますか?」
オルミラージュ侯爵は、一瞬固まったようだった。
直後に、氷のように冷たい魔力の靄が体から溢れ落ち、敷かれた芝を凍り付かせていく。
「……どういう事です」
「そのままの意味ですよ」
ブラードは自嘲する。
父がライオネルに自分を潜入させたのは、信頼していたからなどではなかった。
単に、『それくらいしか出来ないだろう』と思っていたのだと、その時に思い知らされたのだ。
ブラードは、父にとって駒の一つに過ぎなかった。
「いつまでもオルミラージュを潰さない私に業を煮やした父は、工作員としてライオネルに……オルミラージュ本邸に潜入した『手足』に、私を通さずに独自の命令を下しました。それに、私は気づかなかった……」
その時の不審な行動が元で、潜入していた『手足』は消された。
あの『呪いの魔導具』が仕掛けられていたことにブラードが気づいたのは、事件が起こった後だったのだ。
「父の思うようにさせない、と、誓ったはずの私は、それを防ぐことが出来なかったのです」
だからイングレイ・オルミラージュ前侯爵の妻子は死んだ。
「『語り部』は、それが起こることを私には伝えなかった……おそらくは、貴方の動向を確定させる為に」
『ウェルミィ・エルネストと出会う魔導卿』を作り上げる為に、それは起こるべき事件だったから。
「私は無能です。英雄などと呼ばれるような存在ではない。貴方の大切な方々を、守り切ることが出来なかったのですから」
ブラードには何も出来なかった。
ウェルミィ・リロウドに出会うまで冷酷でしかなかった『語り部』の行動を防ぐことも、父の動向を完全に制御することも。
ウーヲンに許されたとしても、そちらの『罪』は消えない。
だが事件が起こったことで、ブラードは『妻』と出会った。
後に、自分との間に二人の子を産み落とす、女性と。
「これ以上の失敗は許されなかった。オルミラージュ侯爵家から貴方までもが消えれば、ウェルミィ・エルネストが、リロウドとなり、オルミラージュ侯爵夫人となって、大公国を訪れることはなくなる。だから……さらに手を組んだのです」
「誰と?」
オルミラージュ侯爵は、話の先が見えなかったのだろう。
ブラードは、彼が連れている人物に目を向けると、その真実を明かす。
「ヌーア・デスターム。オルミラージュ侯爵家を守る者である、彼女と……二人の子を儲けた、私の『妻』と、です」
※※※
ブラードの言葉に、エイデスは自分の横にいる護衛に目を向けた。
「……それは事実か、ヌーア」
「えぇ、えぇ。御当主様。その通りにございますよ」
いつもと変わらない笑顔で、彼女が頷くのに、エイデスは深く息を吸い、吐く。
魔力の靄が消えるくらいまで落ち着くと、改めて問いかけた。
「お前も、知っていたということか」
「どこまでのお話を、でしょうかねぇ」
「『語り部』の策略を、だ」
エイデスは、ヌーアを信頼していた。
誰よりもオルミラージュ侯爵家に対して忠実であることにおいて、彼女程の人間はいないのである。
むしろやり過ぎることをエイデス自身が制するくらいに、ヌーアはオルミラージュを第一に考えているのだ。
そんな彼女が、自分達を害することなどあり得ない。
信頼と新たな情報の間で揺れるエイデスに、ヌーアはあっさりと答えた。
「存じ上げませんねぇ。私が知るのは、御当主様と、大旦那様……そして大旦那様の弟君にあらせられる、アルガ様に纏わることばかりにございます」
淡々と、普段通りにヌーアは言葉を重ねた。
「あの火災の当時、私は大旦那様に付き従って少々長く、外におりましてねぇ。カガーリンが居たことで、御当主様だけは事なきを得ましたが……えぇ、えぇ、あの時に離れていたことを、酷く後悔致しました……」
※※※
ーーー数十年前、〝水〟の『手足』拠点。
「ガ、ハ……!」
ヌーアが喉元を掴んで、壁に押し付けて吊る上げた男は、苦しそうに顔を歪めながら、ヌーアの腕を掴んだ。
「貴方だけは、えぇ、死ぬ前に全ての情報を吐いていただきますねぇ」
デスタームの最高傑作。
無類の〝影〟。
そんなご大層な肩書きに拘ったことはないが、ヌーアは激怒していた。
【呪いの魔導具】程度にも気付かない、無能なデスタームの者らにも。
そしてどれだけ刺客を始末されても、まだ愚行に走る〝水〟の者らにも。
だから、夫人とお嬢様が亡くなったと聞いた後、全員始末した。
父母を含む、当時本邸の護衛をしていたデスタームの者らも。
そして今、この場にいる〝水〟の者も、この場にいない〝水〟の者も。
ーーーオルミラージュを狙う者、守り切れぬ者は全て不要。
本気になったヌーアを、誰も止められなかった。
コイツを殺し、〝水〟の大公を始末して、ヌーア自身の采配は現当主であらせられるイングレイ様にお任せするつもりだった。
それを止めたのは。
「それくらいにしておきなさいな、ヌーア」
「……若奥様、いつお戻りに?」
「あら、まだそう呼んでくれるのね」
「えぇ、えぇ。貴女様が、若旦那様と坊っちゃまを裏切った訳ではないことを、私は存じ上げております故」
現れたのは、ライヴァ・オルミラージュ。
本来は青い髪と瞳を持つ、元・〝水〟の『手足』の長であり、身罷られたアルガ様の夫人であった女性だった。
エイデス様の、生母である。
今は、まるで老婆のような姿をしているが。
「本邸に紛れ込んでいた『手足』を始末なさったのは、若奥様でしょうか?」
「ええ。ごめんなさい。今は、自由には動けない環境に居て、少し遅れてしまうの。……申し訳ないけれど、それはまだ必要だから、離してちょうだい」
「承服できかねます」
言いながらも、とりあえずヌーアは手を離した。
逃げようとすれば、首を刎ねる程度のことは容易い。
床に四つん這いになって咳き込んだ後、男は顔を上げて、驚愕していた。
「お前達は……オルミラージュの〝影〟か?」
それに応えたのは、ライヴァ様だった。
「わたくしは少々違うけれど、それを貴方に教えて差し上げる義理はありませんわ」
「それで、これを生かさねばならぬ理由は、何でしょう?」
「オルミラージュの未来の為に必要な者だからよ。敵ではないわ」
「証拠は?」
「わたくしが、そう言っていること。それで十分ではない?」
アルガ様とライヴァ様の馴れ初めは、ヌーアも知るところである。
オルミラージュ当主一家の一人である方が仰ることであれば……彼女の人柄や経歴も含めて、信に値するのはその通りだった。
「では、どうなさいます?」
「取引を。ねぇ、ブラード・ハイドラ」
「……! 何故、私の名を?」
「言ったでしょう。貴方は敵ではないけれど、味方でもないのです。必要なこと以外を教える義理はないと判断しています」
ライヴァ様の冷酷な瞳に射抜かれて、男……ブラードが硬直する。
「ただ、利害は一致しておりますわ。オルミラージュを、大公の独断まで守ろうとしたことは、評価して差し上げます。……今後〝水〟の『手足』が失せたことを偽装し、〝夢見の一族〟と協力して、まだ狙っているように振る舞いなさい」
「……どういう……ことだ。何故、それ程深く事情を……いや」
「ええ。貴方に求めている答えは、イエスか、ノー。その二つだけですわ」
「イエス、だ。私は、父を止める為にここに居る」
「良い目的ですわね。でしたら、何も問題はないでしょう。それと、ヌーア」
「はい」
「貴女さえ良ければ、彼と子を為しなさいな。〝水〟の直系の力は、デスタームに有用でしょう」
「……そのような利用の仕方をしても、宜しいのですか?」
ライヴァ様は頭が回る。
そして出自が、自分同様に闇に潜む側であるが故に、判断そのものも、他の御当主様一家よりも冷徹だった。
「ええ。ブラード・ハイドラも、貴方の目的の為には子が必要でしょう? 二人作れば良いわ。判断は、あなた達に任せましょう」
それだけ告げて、ライヴァ様は消えた。
ヌーアは、死体を残して二人きりになった場で問いかける。
「どうなさいます?」
「否はない。この場で死ぬ訳にはいかない。あの女性が何者かは分からんが……オルミラージュを守る者と手を組めるのであれば、こちらとしても願ったり叶ったりだ」
「では、そのように。後ほどまた連絡を致します」
※※※
「そのようにして我々は添い、私はサラリアとウーヲンを、生み落としたのです」
「なるほど。お前の伴侶の名も、ハイドラ侯爵令息の奥方も、偽装か」
「えぇ、えぇ。最近お聞きしたことを加味するに、大公国側の偽装は『語り部』とブラードが行ったのでしょうねぇ」
ヌーアの答えに、御当主様は、何処となく納得が行かなそうにこちらを見つめて来られた。
「……お前達は、本当にそれで良かったのか。子を、愛してはいなかったのか」
ーーー本当に、お優しい方です。
御当主様の問いかけに、ヌーアはふわりと笑みを深める。
「えぇ、えぇ。愛しておりますよ。ですが私は、オルミラージュを守る為に存在しておりますのでねぇ」
ブラードも、サラリアも、ウーヲンも、そして妹アロンナも、愛してはいる。
しかし、その点を……オルミラージュと自分の想いを秤に掛けることを、ヌーアはしない。
〝影〟としては大層不出来なアロンナは、普通の女だ。
彼女はイズィースとエサノヴァを、忠誠と秤に掛け、あるいは彼らの手を取るだろう。
しかし、ヌーアはそうではない。
ただ、それだけの話なのだ。
それに。
「御当主様。『ウェルミィ』様は、私がお仕えするオルミラージュの奥方様は、おそらく十分に、私の気持ちまでもをも考慮して、采配を振るわれたのではないでしょうかねぇ」
そう言って、ヌーアは夫を見る。
利害のみで繋がった夫。
しかし自分と違い、その子までをも大義の為に同様に利用しながら、その実、人の情を未だ捨てきれないブラードを。
ヌーアは、オルミラージュに何かしらの害がなければ、不出来であることを愛でる。
御当主一家が大変にお優しいことと、それは相似であるから。
それが人としては、普通なのだから。
彼らと違うのは、ヌーアの方なのだ。
「そうでしょう? ねぇ、ブラード。あの後から、徐々に『語り部』とやらの方針が変わったのは……『もう一人のウェルミィ』様が、現れたから、なのでしょうと、私は読んでいるのですけれどねぇ」




