〝水〟の英雄と魔導卿。
「ハイドラ公爵代理。少々宜しいでしょうか」
そう声を掛けると、大公邸の庭で花を眺めていた彼は、こちらに目を向けた。
「これは、オルミラージュ夫人。何かご用でしょうか?」
「ええ」
ーーーブラード・ハイドラ公爵代理。
近日中に息子に正式に爵位を引き継ぐ準備をしている彼は、酷く疲れた顔をしていた。
ぼうっと眺めていた花は、月魅香。
十二氏族が〝精霊の愛し子〟に関することや、氏族同士で連絡を取る時に使っていた香草である。
その花言葉は〝危険な遊び〟と〝私は気づいている〟。
今となっては、その花が選ばれたことや花言葉の意味すらも、歴代『語り部』の意図を含んだもののように思えた。
【魔王】の力を溜める、邪悪の器とさせられる代わりに与えられたのだろう、夢を渡り、未来を変えてしまう可能性がある〝危険な遊び〟。
『自分達の血脈だけが、どんな未来でも救われない』ことに、〝私は気づいている〟と。
そんな『語り部』らと同様、目の前にいるブラードもまた、気づき、危険な遊びに興じた者だった。
「……自ら命を断たれるおつもりですか」
こちらの言葉に、ブラードは少し驚いたように、ピクリと眉を動かす。
「唐突ですな。何故、そのように思われるのです?」
「それは勿論。……貴方が、深く罪の意識に苛まれておられるからです」
ブラードはおそらく、イズィースと同じくらい古くから『語り部』側で動いていた、と推測していた。
なのにこの段に至るまで、自らの父の所業を放置していたのだ。
ーーー全てはウェルミィを導き、【魔王】の力をこの世界から滅する為。
では、その為に彼は何をしたのか。
「違和感があったそうです。ピエトロと貴方の描かれた、昔の肖像画を見た時から」
執務室で見た幼い頃のブラードは、今の彼とは明らかに顔立ちが違うのだと。
面影は残っているのに。
なら何故、違和感を感じたのか。
ウェルミィが、それに気づいた。
「ブラード・ハイドラ公爵代理。貴方はもう十何年も、〝変貌〟の魔術をお使いになられていますね。……こんな風に」
と、パチンと指を鳴らしたエイデスは、自身の身に掛けた魔術を解いた。
ゆらり、と揺れるような感覚の後、本来の姿に戻ると、今度こそブラードは目を見開く。
「……オルミラージュ侯。何故貴方が……〝変貌〟の魔術を」
「覚えておられないか、あるいはご存知ないのかと思われますが。一度、オルミラージュを狙ったピエトロの『手足』が、行方不明になったことがあったそうです」
それだけで、ブラードは全てを理解したのだろう。
信じ難い、とでも言うように首を横に振る。
「なるほど。イングレイ様といい、貴方といい、オルミラージュ侯爵家の方の豪胆さには、いつも驚かされる。……まさか、自分を狙った暗殺者を、妻に?」
「おそらくは。ピエトロを裏切った私の生母は『語り部』の傘下に入り、その後、〝精霊の愛し子〟を育てて生涯を終えたそうです」
「それは、存じ上げませんでしたな。大きな目的は一緒であったとしても、私と『語り部』では、狙った部分が違ったので。そして、全ての情報を共有していた訳でもありませんでした」
「でしょうね」
当然【魔王】の力の件では利害が一致していただろうが、ブラードはその上で〝水〟の者らを守ることを優先して考えていたのだろう。
彼の協力で、『語り部』はピエトロの動きを制していた……だからこそ、逆にブラードは評価されておらず、公爵位を継ぐことがなかったのだ。
ピエトロから見れば、上手く人を動かすことも出来ない無能に見えていたのだろうから。
「私の出自に纏わる『罪』は、公になれば無事には済まないでしょうね。私がこの魔術を行使したのは、今が初めてです。そして今後、一切行使致しません。故に見逃していただきたい。……代わりに、一つの事実を差し上げます」
エイデスは、魔術を封じられるわけにはいかず、大公国に留まることも望まない。
それを受け入れるには、あまりにも背負っているものが重過ぎる。
しかし『罪』には決着をつけなければいけない。
故に、エイデスは取引をしに来たのだ。
大義の為に個を殺す選択をした、彼と。
「どのような事実を、教えていただけるのですかな?」
「貴方の『罪』は、もう『罪』ではないという事実を、です」
ウェルミィは言った。
『ブラードの幼い頃の肖像は、私の知る人にそっくりだったわ。だから、今の容姿に違和感を覚えたの。……彼が成長しても、今のブラードのようには、おそらくならないから』と。
「……貴方が死ぬことを、彼は望まないと思いますよ。たとえライオネルに残したことが、故意であったのだとしても」
ブラードは、エイデスの言葉に目を閉じる。
「ウーヲンの、お父上。ーーーあちらの姿が、貴方の本来の姿なのでしょう?」
【魔王】と『語り部』の影響がなくなったことで、エイデスも理解出来るようになっていた。
ブラードが行使している〝変貌〟の魔術の気配が、明確に。
エイデスは既に、二人の対面の際に彼と顔を合わせていたのだ。
「貴方の奥方も、同様の魔術を行使しているのでは?」
「……ええ」
引退を決断したもう一つの理由。
それが、彼らの容姿にあるのだ。
全てが終わった以上、いずれバレる。
だからその前に、元の姿に戻り……ブラードはそうして死ぬつもりだったのだろう。
自らの『罪』を償う為に。
「大義の為に息子を利用したと、貴方や奥方がそれを気に病んでいるのだとしても、今の彼は、ライオネルの庭師として幸せに暮らしております。あなた方が命を断つ必要などない」
ブラードには、子がいないから養子を取った。
だが、実際はいないのではなく……生まれたことを届け出なかったのだとすれば。
オルミラージュ本邸での事件を起こす為には、〝水〟の者が必要だった。
しかし自分は動けず、他の者の子を利用することも、ブラードは望まなかったのだろう。
守る為に動いていた彼の、その苦渋の決断と内心は、察するに余りある。
「ウーヲンは言っておりました。『捨てられたのではないと分かったから、恨んでいない』と。それが彼にとっての真実であり、あなた方が隠し通すのであれば、その真実は真実のままです」
「……ですが」
「公爵位を継いだばかりで父母が身罷れば、養子として迎えた次期公爵もご苦労なさるでしょう。『罪』の償い方は、一つではないのです」
『罪』の自覚と後悔がある者は、やり直せるのだ。
アーバインが、竜騎士として立派に成長したように。
イザベラが、全てに口をつぐんだまま、今も修道院にいるように。
ズミアーノが、ツルギスが、シゾルダが、セイファルトが、国と大切な者の為に尽力しているように。
ウーヲンを良いように利用したローレラルですら、命までは奪われなかったように。
そしてルトリアノ程の罪を、ブラードは犯していないのだ。
彼はピエトロ以外の……彼が殺さずともいずれ処刑された男以外の、誰の命も奪っていないのだから。
だからエイデスは、ここに来た。
「どうか、考え直していただきたい。貴方ほど聡明で、世界を守る為に尽力した方を失うのは、〝水〟にとって大きな損失です。……誰も、望んでおりません」




