ウェルミィ・オルミラージュの矜持。
「貴女が居ることで、ようやく全てが終わるのよ。……ねぇ、十二氏族が分たれた真の原因を、誰かご存知?」
エサノヴァの問いかけに、ほぼ全員が首を横に振ったり、沈黙を保つ。
その中で、一人だけ、ブラード・ハイドラが口を開いた。
「……【魔王】が顕現し、その為に離散した、ということだけは、〝水〟に伝わる伝承に記述がある」
「ええ。では、何で顕現したのかは?」
エサノヴァの質問に、彼は口をつぐんだ。
「【魔王】は、十二氏族の中から現れたのよ。そうして、〝精霊の愛し子〟とその伴侶を殺し、騎士と乙女、立ち向かった残りの十二氏族の氏族長によって討伐された……逃げ出したのは、長の子を守り、愛し子の血脈を守った者達。それが、大公国の始祖四氏族なの」
【魔王】の脅威を退けた者と、愛し子の血脈を守った者。
かつて暮らした地が荒廃し、長を失った結果、氏族は離散したのだと。
「それが、今の状況や私にどう関係があるのかしら?」
そう問いかけると、『焦るな』とでも言わんばかりに、エサノヴァが頬を指先で撫でながら小首を傾げる。
「この昔話に関係があるのは、貴女の姉よ」
「……お義姉様?」
「わたくしが?」
ウェルミィの押し殺した声と、お義姉様の戸惑った声が重なる。
「ええ。今代〝精霊の愛し子〟イオーラ・ライオネル王太子妃殿下。貴女はご自分の出自と、その瞳をお母様によって秘匿されていましたわね。十二氏族の長、その最後の血統を継ぐ者は、どうしても守らなければならなかったから」
その為に、『語り部』はウェルミィの行動を見逃していたのだと。
お義姉様を守る為に、お義姉様を虐げたウェルミィを。
「……その〝精霊の愛し子〟という存在は何なのかしら?」
「女神の加護ではなく寵愛を受けた存在であり、全ての精霊に愛される者。貴女の周りでは、全てが幸福の内に巡るの。貴女の意志がある限りにおいて」
「わたくしが、それであると?」
お義姉様は戸惑いながらも、冷静さを失っていなかった。
いつものように優しげな表情ではなく、どこか超然とした……そう、相手の真意を見定めようとする時の、凛とした雰囲気を纏っている。
「ええ。真なる紫瞳は〝精霊の愛し子〟の血脈……それも正当な後継者のみに、継がれるものですもの。お母様の他に、同じ瞳を持つ方にお会いしたことはないでしょう?」
「……」
エサノヴァがあっさりと告げるのに、エイデスがあくまでも『語り部』の方を警戒しながらも、やり取りに口を挟む。
「【魔王】とやらが氏族内から現れたという話に、さっさと入れ。お前は、魔人王や魔王獣が、人の内から生まれると言うのだろう?」
「まだ認識が違うわね。そうとも言えるし、そうではないとも言えるわ。貴方の口にした二種は、あくまでも【魔王】の力の片鱗を得ただけの存在に過ぎないもの」
エサノヴァは、淡々と語る。
「けれど、【魔王】と魔人王は、人の内から生まれ出る。それは事実よ。元来氏族を祖とするバルザム帝室も、そしてアトランテの血脈もまた、後の世に【魔王】や魔人王を生み出したわ。彼らの力が強大な理由は、そこにある……氏族と【魔王】は、切っても切れない関係であるか故に」
エサノヴァは、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「そして今代の【魔王】の依代は、貴方ですわ。〝万象の知恵の魔導卿〟エイデス・オルミラージュ」
エイデスはそこでようやく、冷たい目をエサノヴァに向ける。
「戯言を」
「あら、否定なさいますの? 〝希望の朱魔珠〟を通して、貴方は見たでしょう? ーーー【魔王】と化した自分を」
言われて、ウェルミィは思い出した。
以前、魔宝玉を送られてしばらくした頃。
エイデスは、荒野の中に一人立つ自分に『お前は守れ』と言われる夢を見たと。
「……あの夢は、お前達の仕業か」
「ええ。【魔王】は人の内より生まれ出る。では、何故人から生まれ落ちるのか……それは、人がこの世で一番『真理』に近い存在であるからですのよ。人に女神の光の祝福があるのと同様、邪悪による侵食もある。魔力による恩恵と、瘴気による災害が、表裏一体であるのと同じく。雨の恵みが、嵐による破壊ともなるのと同様に」
善きばかりではないのが、世界。
齎される恩恵には、必ず負の側面があるのだと。
「ーーーその人という存在に対する邪悪の結実が、瘴気によって産み落とされる【魔王】という存在なのです」
言われて、ウェルミィは後ろに座る『語り部』に目を向けた。
同時に、レオもそちらに視線を移している。
「エイデスの言っていたこの屋敷を覆う『封印の魔導陣』というのは、それか。『語り部』から溢れている瘴気……【魔王】の力を封じているんだな」
「そうだよ、そうだ。強い光があれば、濃い影が生まれる、それが世界だ。世界の在り方だよ。それらはどちらも、真理に近く、強い力を持つ者から生じるんだ。だから動けない。僕はここから出られない。夢という無数の未来を渡り歩き、より良き未来を模索出来る『語り部』の存在は、強く強く、瘴気を惹きつけるのさ。〝精霊の愛し子〟は祝福を受けても何もないのに。聖女は多くを癒しても何もないのに。おかしいよね、おかしいよ」
しゃがれた声で、語り口だけは軽く、しかし恨み節に近い印象の言葉を『語り部』が吐き捨てる。
それが、この場に濃い瘴気が渦巻く理由。
『語り部』が、その揺り椅子に……屋敷と『封印の魔導陣』に縛られる理由、なのだ。
どれ程の苦痛だろう、とは、思う。
夢の中で世界を飛び回ろうと、どれ程未来が見えたとしても、現実の自分はこの屋敷という封印の中から、一歩も外に出られないのだ。
それは、分かる。
けれど。
「お義姉様のせいではないでしょう。テレサロのせいでもないわ。それは、そんな運命を背負わせた相手に向けるべき怨嗟よ」
「そうだよ、そうだ。だから僕は探ったんだ。最良の未来を、生まれ落ちてからずっと探り続けていた。魔人王や魔王獣なんていう息抜きでは、もう抑え切れない程に僕の中に溜め込まれた、この『力』をどうにかする方法を。【魔王】の力をどうにかする方法を。僕をこの状況から解き放つ方法を」
その言葉に、反応したのはバーンズ・ロキシアだった。
「どうにかする方法があんのか? ていうかよ、フェリーテ。『力』を持ってんのがテメェなら、【魔王】になるのはテメェじゃねーのか?」
「『語り部』は器だよ。器だ。力を溜め込み、限界を迎えたら放出する『器』でしかない。【魔王】の資格を持つ者の為に。瘴気すら、瘴気の齎す破壊ですら、それを為すのは僕じゃないんだ」
はは、と笑う『語り部』に、ウェルミィは嫌な予感を覚えた。
もしかしたら、彼はもうとっくに……諦めているのではないだろうか。
ーーー読み間違えた?
ウェルミィが読んだのは、エサノヴァの思考。
もしその目的が、彼女と『語り部』で食い違っていたのだとしたら。
エサノヴァは本当に、彼の口にするより良き未来の為にこの場にウェルミィ達を招いたのだと、信じていたのだとしたら。
ーーー『語り部』の真意は、読み切れていなかった?
「おかしいよね、おかしいんだ……」
そう呟く『語り部』に対して、ウェルミィと同じような危機感を感じたのか、二人が静かに動く。
お義姉様やウェルミィ達を庇うように進み出た彼らは……オレイアと、ゴルドレイ。
「申し訳ございませんが、イオーラ様がたに何か危害を加えようと仰るのであれば」
「わたくしどもは貴方を許容する訳には参りません」
そんな彼らに、さらに二人が並び立った。
聖剣を抜いたソフォイル卿と……テレサロが。
「わ、私がその力を浄化します! 私の力であれば出来るはずです!!」
「【魔王】の力が瘴気であるのならば、テレサロの言う通り、それが可能なのではないですか?」
しかしそんな風に、彼を救おうと掛けられた二人の言葉をも、『語り部』は一笑に付した。
「はは、無駄だよ、無駄だ。そんな方法でどうにか出来るなら、神爵は生まれなかった……バルザムに、二代目の【魔王】が生まれ落ちた時に、乙女とは違う十三人目、癒しに劣り、浄化の力に特化した〝神の司祭〟は生まれなかった!」
ゴホ、とそこで咳き込んだ『語り部』の背を、イズィースが黙ってさする。
「助からない。僕だけは助からないんだ。どれだけ世界の運命が巡ろうと、どれ程最良の未来が訪れようと、僕だけは救われないんだ。だから……歪めたんだ」
ギロリ、とこちらに目を向けた『語り部』から、ドス黒い瘴気が噴出する。
「お館様……!!」
「ありがとう、ありがとう、イズィース。君は支えてくれた、僕を支えてくれた。だから礼を言おう……!」
「離れろ!!」
瞳だけが爛々と輝き、全身が真っ黒に染まっていく『語り部』に、ムゥランが鋭く声を上げてナイフを抜くが……遅かった。
魔術の効果が消し飛ばされる時の、パキィン、というガラスが割れるような甲高い音が響くと同時に。
間近に居たイズィースと、ソフォイル卿やゴルドレイが、とっさに庇ったテレサロやオレイアごと、噴出した瘴気に吹き飛ばされて、壁に叩きつけられる。
「……ッ! やめなさい!」
エイデスが咄嗟に張った防御結界で守られたウェルミィは、『語り部』と目が合う。
その目が、ニィ、と笑みの形に歪んだ。
「止まらない、止まらないよ。もう止まらないよ。完全な【魔王】降臨の条件を教えてあげよう、そうしよう。ーーー光の恩恵を受けた十二氏族が揃う場で〝精霊の愛し子〟を、取り込むことだよ!」
その言葉が、ウェルミィの聞いた『語り部』の最後の言葉だった。
封印が破壊されて、体が人の形を保てなくなった『語り部』がドロリと溶け落ちたと同時に……一気に、瘴気がその触手を伸ばす。
ーーーお義姉様に向かって。
「……ッ!」
「イオーラ!!」
「エイデス!」
「届かん……!!」
お義姉様が息を呑んで硬直し。
レオが前に飛び出るが、他の面々同様に弾き飛ばされ。
エイデスの魔術は、あまりの瘴気の濃さに体の周りから広げることが出来ず……そしてウェルミィは、彼の腕に抱かれていて、動けなかった。
「お義姉様ーーーーーーッ!!」
しかしそこで、動けた人物がいた。
ムゥランが〝風渡り〟で瘴気の風をすり抜けて、お義姉様に迫る。
後ろから抱き締めて、瘴気の触手から救おうとして……。
「……すまない」
……ブラードが、彼とお義姉様の間に、自分の体を滑り込ませた。
腕を押さえられて、ムゥランが激情を剥き出しにする。
「テメェ……!」
「これは、必要なことなのだ」
そんなやり取りと共に、お義姉様が瘴気に呑まれ、そのままお義姉様を覆い尽くすように、真っ黒な球体が形成されていく。
ーーー必要なこと?
ウェルミィは、お義姉様を中心に凝縮していく瘴気を見て、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
何が、必要なことだというのか。
お義姉様が、一体何をしたというのか。
ここで死ななければならない程の、何を。
ーーー【魔王】を、生み出す?
何故そんなことの為に、お義姉様が犠牲にならなければいけないのか。
ーーーエイデスが、【魔王】の依代?
ならば、それが成し遂げられたらエイデスまで消えるということなのか。
ーーー私の……。
私のエイデスとお義姉様が。
「ふざけんじゃないわよ……!」
「ウェルミィ?」
自分を抱え込むエイデスの腕に添えた指先に、思わず力が籠る。
ウェルミィの体を瞬時に満たした感情はーーーー怒りだった。
「私の……!」
全霊を賭した魔力の放出で、胸元の〝太古の紫魔晶〟が輝く。
「私のお義姉様をォ……ッ!」
カッと目を見開いたウェルミィは、ありったけの魔力と共に、精霊に全力の祈りを捧げる。
「ーーー返しなさいよ、このクソ野郎ッッ!!」
叫びと共に、『解呪』が発動した。
自分の渾身の魔力と同時に……何処かから、別の誰かの魔力が供給される。
ーーー!?
自分の限界を遥かに超えて膨れ上がった魔力が凝縮し、瘴気の塊に対して、ウェルミィの体から朱の光が一直線に走り、衝突すると……。
……そこに、ポツン、と小さな穴が開いた。




