ピエトロ・ハイドラの生涯。
ノーブレン大公国大公、ピエトロ・ハイドラは、自分を『全てを手にする者』だと認識していた。
生まれたのは、古くから続いた中央大陸の戦乱……強大な【魔王】の出現により十二氏族が散じ、その後に現れたバルザム帝国の各地侵攻によって長く続いた、その闘争の末期。
帝国が大陸中央域のほぼ全てを掌握した時期のことだ。
取るに足りない小国を除けば、残ったのは険しい山脈を挟んだ南西の自国。
北端のバーランド。
そして、内海を挟んだ南のライオネルのみ。
そこから徐々に、世情は変わった。
バルザムの帝位が、好戦的な先々代から内政に力を入れる先代に代替わりし、交易が盛んになり始めたのだ。
その当時より遥か以前から、〝水〟は情報を握っていた。
古来の記録で伝わっていた『竜脈鉱石』。
竜脈が通る山、あるいは変動して域内に入った山には、金銀や【魔銀】が発生することを知っていたのだ。
また、その他の鉱物資源……実用的な魔石や石炭などではなく、サファイアやエメラルドといった貴石……の鉱脈も領内に有していたのである。
大公国内北東にあり、山脈を背に負う〝水〟の領地は、帝国とライオネルに続く内海の港を有していた為、徐々に富み栄えるようになった。
それまで精強な山軍と攻撃的な血統魔術によって『〝水〟と対等』とされていた北西の〝火〟は、山岳資源しかない為に、経済闘争への移行で勢いを減じていたのも幸運だった。
食料という強力な補給線を握っていた〝土〟も、戦争が終わると穏健で貴族政治に疎い公爵が立ち、〝風〟は地続きのライオネルとの戦争で当時は疲弊していた。
故に〝水〟に……自分に、大公位が移ったのである。
ーーー全ての運が、向いている。
ピエトロは、そう信じて疑わなかった。
実際に、自分が有能であるという自負もあった。
ピエトロが立った後も〝水〟はますます栄え、魔導の研究や交易をさらにやり易くする為の政務や外交に励み、全てが順風満帆に思えた。
しかしそれ以上に権勢を誇り始めている者らが、国内ではなく、国外に複数存在した。
一つは、中央大陸を制したバルザム帝国帝室。
もう一つは、ライオネル王国内のみならず各国に名声を轟かせる魔導の古き名門、オルミラージュである。
ーーー気に食わぬ。
ピエトロは、特にオルミラージュを目の敵にした。
名声に興味も示さぬ当主イングレイの、民衆や帝国の危機にまで手を差し伸べるかのような、偽善的な行動。
同じ十二氏族の血脈を継ぎながら、大した力も歴史も持たぬ〝光の騎士〟の子孫……アバッカムやライオネルの下に付くを良しとし、あまつさえ、一族の力まで分け与えたのだ。
ーーー〝金銀の瞳〟と〝紫髪〟を失ってなお、十二氏族の末裔などと……。
〝青の紫瞳〟のみは残っているようだが、魔導を司る古き一族としての誇りもない。
あのような者らを許せば、こちらの格まで下がるのだ。
まして〝水〟よりも権勢を誇るなど、あってはならないのである。
故に、計略を仕掛けた。
契約魔術によって縛らぬ、名もなき『手足』……娼婦に生ませ、〝変貌〟の魔術を駆使して他国で動く者ども……を使い、イングレイの妻子を操る呪いの魔導具を仕掛けさせた。
計略は成功し、妻子と屋敷は燃えたようだが、イングレイは悪運強くその際には屋敷を出ており、嫡子は火傷のみで生き残ったという。
ーーーどこまでも忌々しい……。
魔導具が向こうに回収されてしまったのも、誤算だった。
回収の為に潜り込ませていた〝影〟が、火事に前後して行方をくらませたのだ。
その前にも一人、潜入に失敗したのか消息を断っていた。
ーーー使えぬ連中ばかりよな。
オルミラージュは警戒を増し、それ以上の手出しが難しくなった。
あの手この手で仕掛けようとはしたものの、ことごとく失敗してしまったのだ。
経済面では、戦争時に〝海洋王〟と呼ばれていた海賊豪商に防がれた。
イングレイに取り込まれ、今はオルミラージュ侯爵家家令を勤めるカガーリンは、現在もその辣腕を振るっている。
慎重に人を介して雇った直接的な刺客も、イングレイの妻子が死んだ後に若くして〝懐刀〟デスタームを継いだ女によって、ことごとく屠られた。
今をもって、裏社会で〝歴代最高傑作の影〟と呼ばれるヌーア・デスタームは、異常な程に強かったのだ。
ーーーどいつもこいつも。
どこまでも、邪魔だった。
挙句に、帝国に仕掛けた『精神操作の魔薬』による件にまでもライオネル側から横槍が入り、手を引かざるを得なくなったのである。
「……ワシは、全てを手にする者ぞ……」
そうして、現在。
私室に退いたピエトロは、鏡の中の自分を睨みつける。
もう体にガタはきているが、息子のブラードは家督を譲るには才覚と冷酷さが足りない、と考えている。
しかし『大公選定の儀』を、これ以上引き伸ばすことは出来なかった。
このままでは、大公位を〝土〟や〝火〟に取られかねないが……今ならば、まだどうにかなる。
どうにかならずとも、最悪、大公位は手放すことになるのは構わない。
いずれ、ピエトロに残された時間は短いからだ。
その前に、どうしても。
「エイデス・オルミラージュ……」
奴だけは、始末せねばならない。
可能であれば、バルザムの王太子であるレイダックも始末したかったが、帝国には王位を継ぐ資格を持つ者が多いので、あれだけを始末しても無駄だ。
そしてどちらがより目障りかと言えば、ピエトロにとってはオルミラージュである。
イングレイの後継者は、先ほどパーティーで見た、奴の若い頃によく似た忌々しいあれしかいない。
「生きて、大公国を出れると思うな……」
と、口にしたところで。
ーーートン、と背中に、軽い衝撃が走った。
「……?」
少し押されたような感覚の後に、背中に違和感が生まれ……最後に、燃えるような痛みが襲ってくる。
「ぐっ……!?」
そうして、笑みを含んだ声が聞こえた。
「正体見たり、よ。ピエトロ・ハイドラ……エイデスを殺そうだなんてーーー」
体が硬直する中、ピエトロは杖を支えに、鏡越しに目を動かす。
「ーーー貴方のやろうとしたことは、世界に対する侮辱だわ」
誰かが、後ろに立っていた。
自分の体に遮られてその姿は見えないが、小柄な人物。
ーーーいつの間、に?
そしてそこで、ようやくドアが開いたことで、ピエトロは状況の違和感に気付く。
ーーーそうだ、執事ども……それに〝影〟は、何をして……。
「助かったわ、ブラード公爵令息。終わったわよ」
「ああ」
その受け答えに、ハイドラは目を見開いた。
ーーー何だと……!?
開いたドアの向こう、明かりの漏れるそちらから姿を見せたのは、間違いなく自分の息子だった。
裏切り。
それが、脳裏に閃いた最初の一言だった。
何の為に。
何故。
そんな疑問と。
機を待たず公爵位を欲したか。
無能が。
そんな悪態を、胸の内に渦巻かせながら振り向いて口を開こうとするが……体は動かず、声も出なかった。
「……!」
毒でも塗られていたのか、体が一気に痺れ始め、ガクン、と杖から手が外れる。
そうして、横倒しになる視界の中……。
……〝朱色の瞳の女〟が、唇に指を添えて笑みを浮かべているのが、鏡越しに見えた。
「さようなら、ピエトロ・ハイドラ。愚物には、お似合いの最後よ」
その言葉を聞く間に、視界が急速に黒く染まっていく。
ーーー〝水〟の一時代を築いた、このワシ、が……。
こんなにも呆気なく。
それが、ピエトロが生涯最後に思い浮かべた言葉だった。




