魔導卿の面会。
「面白い相手だ」
魔導卿エイデス・オルミラージュは、あまりにも今まで接して来たご令嬢とは毛色の違う手紙の主に、興味を覚えていた。
オルミラージュ侯爵家の別邸。
その執務室で、パサリと手紙を机に放り出したエイデスは、背もたれに体を預けると、足を組んで両手の指を腹の上に乗せた。
久しぶりに自分のところを訪ねて、この手紙を持ってきた目の前の青年……紫の髪に金の瞳を持つ王太子レオニール・ライオネルを見据えて、片頬に笑みを浮かべる。
「それで、これを私に見せてどうなさるおつもりですか? 王太子殿下」
「相変わらず嫌味ったらしいな、エイデス。俺たちしかいない時は、レオでいい」
8つ下で、弟のように自分に懐いていたレオの言葉に、エイデスは肩をすくめた。
「臣下に対して無礼を許すなど、ご威光が削がれるぞ。レオ」
「臣下ね。王室よりも権力を持っている男に対して、プライベートまで偉そうに出来るほど読めないと思われてるのは心外だな」
軽口を叩き合うのも久しぶりだった。
しかしレオの言う通り、オルミラージュ侯爵家は王室でも無視できないほどの権威を持っているのは間違いない。
実際、公爵家と並ぶどころか、それを差し置いて貴族筆頭の地位にある。
その権勢は、ライオネル王家の成り立ちに起因していた。
立国よりも前に、当時魔法を操る素養を持たなかったライオネル辺境伯の当主に、多くの優れた魔導師を排出するオルミラージュ侯爵家が、乞われて最も強い魔力を持っていた紫の瞳の娘を嫁がせた。
武の家系であったライオネルは、兵を指揮することに優れていたが、強い魔力を持つ家系ではなかったせいで、前身となった王国では扱いが悪かったからだ。
しかしオルミラージュ侯爵家は、ライオネル辺境伯家の優れた能力を買った。
生まれた子ども達は紫の瞳は持たなかったものの、金銀の瞳を備えており、瞬く間に自身の兵団に魔導の力を取り入れ、平民であっても魔力を持つ者を積極的に雇用して育て、さらなる力をつけたのだ。
そんなライオネルが王家となった事情は、彼らに非があるとも言い難い状況からだった。
当時のライオネル辺境伯家を危険視した王族や貴族連が、治癒の力を持つライオネルの娘を側妃にと望んだのである。
それだけならば、人質、あるいは王室との繋がりを持たせて忠誠を買おうとしただけで済んだだろう。
しかし、当時の王家は危険視したはずのライオネルを侮った。
側妃となった娘を当時の王妃が虐げ、さらに王はそれを黙認した。
その上、娘を差し出したライオネルに便宜を計らず、反発して嫌がらせを行う貴族連を放置したのだ。
辺境伯領で王家への悪感情が育つ中で、運悪く魔獣の大量発生が起こり、同時に王国全体で疫病が流行った。
ライオネルは、魔獣の大量発生に加えて疫病の収束に手を取られたが、それでも他領より遥かに被害はマシだった。
魔導の力を得た強力な兵団と、育て上げた治癒魔術師たちが存在したからだ。
愚かな王家は、治癒の力を持つ側妃に疫病の収束を命じた。
しかし普段の側妃の扱いから、彼女を侮っていた魔導家系の貴族たちと連携が取れるはずもなく。
オルミラージュ侯爵家も自領のことで手一杯で、あまり協力が出来ない中、一人で多くの者を癒し続けた彼女が倒れると、王家はさらに側妃の扱いを悪くした。
役立たずだと。
さらに、被害の少なかったライオネルに王家が他領の疫病収束を命じる段に至って、ついにライオネルは激怒した。
忠誠を誓う価値なし。
そう判断し、王都に攻め入った。
側妃奪還を掲げるライオネルに、真っ先に協力して彼女の身柄を確保して匿ったのが、オルミラージュ侯爵家だった。
当時のオルミラージュ当主にとって、側妃は従姉妹の娘に当たる。
王家と王族派の貴族に対して、とっくに愛想が尽きていたのだ。
元々、魔導家系筆頭にまで上り詰めていたオルミラージュ侯爵家は、ライオネルの武に関する指導も得ており、疫病の被害も当然ながら少なかった。
疫病と魔獣の被害で疲弊した王家と王族派に、武と魔において最も力のある二家への対抗手段はなく……側妃とその息子である新王を残して、王家と王族派は処刑された。
そして新たな支配者となったライオネル王家が生まれたのだ。
オルミラージュ侯爵家は、本来ならば公爵となってもおかしくはない家だったが、本家だけは王室と適切な距離を保っている。
しかし立国の経緯から、公爵となった者達はほとんどがオルミラージュ侯爵家とも血縁関係にあり、さらに魔導の血筋と商才を含む才覚ある歴代当主に恵まれた結果。
オルミラージュ侯爵家は、他国にまで影響のある貴族家へと成長しているのだ。
ゆえに王室との親交そのものは深く、エイデスとレオもまた、例に漏れず幼少時代を他の者達より親しく過ごした仲だった。
「それで、この手紙の主はウェルミィ・エルネストで間違いはないな?」
エイデスの問いかけに、レオが驚いたように目を丸くする。
「なぜ分かるんだ?」
「この手紙を見たのは2回目だ」
言いながら、引き出しから取り出した手紙をレオに見せる。
「……なるほど。俺に預けた手紙は予備か」
「匿名の手紙が私の元に届くかが分からなかったのだろうな。彼女がお前の正体に気づいているのなら、確かな〝お使い〟だ」
王家とオルミラージュの繋がりは、ライオネル王国の者なら誰でも知っている。
吟遊詩人のお伽噺にも、劇場の演劇にも謳われる有名な演目であり、貴族が学ぶ歴史の最初の一行だからだ。
「手紙の中に、信用できる人物にエルネスト伯爵家の背任に関する証拠を預けた、という記載もあった。その相手がまた面白い」
「誰だ?」
「クラーテス・リロウドだ」
エイデスがニヤニヤと伝えると、レオが深く息を吐く。
「それもまた、驚きだな。リロウド一級解呪師とどうやって繋がりを……いや、彼女の瞳の色を考えればおかしくはないのかもしれないが、エルネスト伯爵家がリロウドと血縁関係にあるとは聞いていない」
リロウド公爵家は、少しオルミラージュ侯爵家とは王家との繋がりの事情が違う。
元々は呪術師の家系であり、呪いや解呪に長けているのだ。
魔力にではなく、祈祷によって精霊の協力を仰げる唯一無二の家系であり、精霊の自由意志を無視して彼らを従えるには膨大な魔力量が必要となる。
使い魔と異なり、精霊は人間との間に主従の関係を結ばないからだ。
報酬と彼らの善意のみが、精霊を動かす。
解呪の力は、本来精霊が持つ力なのだ。
その才覚を示すのが、朱色の瞳だった。
未だかつて、リロウドとそれに連なる血筋以外に、その才が発現した例はない。
「リロウドは、ごく一部の人間以外に事実を秘匿している。公爵家であっても、知っているのは当主に近い僅かな者たちだけだ。多くの貴族は不思議には思っても、疑問までは抱かんだろうな」
それもまた、エイデスの興味を引いた。
「母方の血筋かとも思ったが、元は孤児の平民だという。可能性は限りなく低い。となれば」
「……母親の不貞、か」
「そちらをつついてみるのも面白いかも知れんな。ウェルミィとリロウド公爵家の繋がりがあるとすれば、不貞の相手も見えて来る」
クラーテスは、市井に出奔して一度平民に戻っている。
ウェルミィとの繋がりを考えれば、実の父親という線があり得た。
レオは嫌な顔をした。
王族だというのにこの青年が少し潔癖なのは、ライオネル王家の成り立ちもあるだろうが、現王と妃が仲睦まじく、彼が側妃を持たないからだろう。
レオには四人の弟妹がいて、後継としての人数も十分で、必要がなかった。
「聞けば聞くほど、ゴミみたいな両親だな、あそこは」
「事情を知っているのか?」
「俺はウェルミィの姉、イオーラと仲が良いんだ。彼女は虐待を受けている。助けようとしたら本人に止められてね。『ウェルミィも救う算段が立つまでは、事を表立たせたくない』と」
「なるほどな」
手紙に書かれている事情以外にも、エイデスは既にエルネスト伯爵家を調べさせている。
姉が離れに住んでいるというのも聞き及んでいた。
妹のほうは大切にされていると聞いていたが、姉妹の間に確執はないらしい。
「それで、妹にあまり良い感情を抱いていなさそうなお前は、なぜこの手紙を届けた?」
「判断をつけるのは俺の仕事ではないと思ったからだよ。彼女の普段の振る舞いと、イオーラから聞く内情があまりにも違いすぎてね。それが演技かどうかも判断しかねる。とんでもなく本心を隠すのが上手いんだ」
「ほう」
「最初はイオーラが、何らかの秘薬で操られているのかと思ったくらいだよ。でも彼女は正気だ。……それに俺は、ウェルミィからかなり嫌われてる」
「何故だ?」
「ーーー臆病者だと」
憮然とした顔で言うレオに、思わずエイデスはククッと喉を鳴らした。
「笑うなよ。あいつは俺が父上にビビって身分も明かさず、イオーラの事情に手も出さないと思ってるんだ」
「それはそれは。お前を王太子だと気づいていながら随分と気の強い女だな」
エイデスはますます興味を惹かれながら、机に置かれている資料をレオに投げる。
「これは?」
「学校から取り寄せた、ウェルミィのレポートだ。……だが手紙と筆跡が違う。イオーラの方のレポートも見たが、そちらが手紙のものと同じだ」
「……おかしな話だな。内容が彼女の話してくれた研究課題とも一致するし、筆跡も同じに見える」
「ではこちらが、イオーラの書いたとされているレポートだ」
「……かなり注意深く見ないと、違いが分からないくらい似てるな。似せられている、か?」
「さあな。お前は、この状況をどう見る?」
普通なら、手紙はイオーラが書いたものだと判断するだろう。
しかし手紙の内容の一部には、姉と妹のレポートは入れ替えられたものだと書かれていた。
「イオーラが手紙でウェルミィを告発する、わけがないな。彼女が手渡すなら、俺に直接で良いだろうし……」
「そう、つまり、イオーラが言っていたように、ウェルミィが動き出した、と読んで間違いがない。二人の間に亀裂はないんだろう?」
「イオーラの言葉を信じるなら、そうだな。ウェルミィは俺の正体も吹聴しなかったし」
ーーー面白い。
かつて一度だけ出会った少女を思い出して、エイデスはますます笑みを深める。
あの探るような朱色の瞳。
思い出してみれば、エイデスがご令嬢に自ら興味を惹かれたのは、あれが初めてだ。
「私は、彼女の策に乗ってやっても良いかと思い始めている。告発資料の内容にもよるがな」
まだクラーテスには会いに行っていない。
預けた先が彼の治療院の住所だと記されていたことから、ほぼ確実に預け先は間違いないだろうが。
「だが手紙には、イオーラと婚約して家から連れ出すことが告発資料を渡す条件となっていたぞ?」
「なっ……!?」
焦った声を上げるレオを楽しく眺めながら、エイデスはニヤニヤと言葉を重ねる。
「まぁ、お前の想い人を奪うほど、私は外道ではない。策に乗るにしても、少しばかり趣向は変えたいと思っている」
「……どういう風に?」
イオーラに惚れているのは図星なのだろう、顔を赤くしたレオに、エイデスは目を細めた。
「ウェルミィが私の思い通りの女であり、イオーラがお前に伝えた意図に沿うのであれば、ウェルミィは私が貰う」
「…………は?」
ポカンとするレオに、エイデスは愉快な気持ちを抑えられないまま、窓の外に目を向けた。
「一度、イオーラを連れ出すために婚約の必要はあるだろうがな。姉のために、この私を利用しようという気概の持ち主であるウェルミィの方が欲しい」
「……それなら、俺とイオーラの婚約でも」
「お前は彼女に認められていないだろう。策に乗るのなら、そこを変えるつもりはない。お前自身に、ウェルミィまでを助け出す手段があるのであれば提示しろ」
ーーー王家の威光ではなく、お前自身の力を彼女に示せ。
言外にそう伝えると、レオは悔しそうな顔をした。
エイデスの助力を仰がず、王家の力を使わず、それを成立させる方法が思いつかないのだろう、と思ったが。
「……ウェルミィを証人として立証する。そうすれば、彼女の無罪は成立するだろう。……王子の立場を完全に利用しないわけにはいかないが」
ーーーまぁ、そこまで求めてやるのは酷だな。
陛下ご自身に口利きをしてもらうのでなければ、そこまで煩いことを言うつもりは、エイデスにはなかった。
「そのやり方では、イオーラと共に、平民に戻る。私やお前との婚姻は望めんだろう。……イオーラを、引き継ぎまでの女伯として認めさせるところまで行けるか? そこまでやれば、ウェルミィに口添えくらいはしてやろう」
即座に案を提示した弟分に満足しつつ、さらにエイデスが条件を重ねると。
「やろう。彼女の為だ。キルレイン法務卿は俺が説得する」
「及第点だ。では、そのように動け。俺は婚約破棄が成立した後にイオーラに釣り書きを出そう」
エイデスが頷くと、レオはホッとしたように息を吐いた。
王族としてはまだまだ感情を隠すのが下手だが、聡明に成長しているレオを、エイデスは買っている。
ーーーあの時の少女は、さて、どのように成長しているかな。
あの光を失わないままに、気高く育っているといい。
そう思いながら、エイデスはクラーテスに面会を望む手紙を書き始めた。
偶然を装い、イオーラを伴ったエイデスが、街中でウェルミィを目にするのは、それから約半年後のことだった。
第二章を考えていますが、すぐに書けるほど練れていないので、番外編です。
エイデスとレオの取り引き。
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他の連載もぼちぼち更新予定です。




