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天照の灯  作者: 早田 サナカ
天照の灯
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第九話 炎と風

『灯里、お待たせしました。今日は早く上がれたので、一緒にハンバーグとか、作ってみませんか?』

『灯里、見てください。ここの景色も好きなんです。ほら、綺麗でしょ。』

『灯里、ねぇ、灯里!』

『じゃあ、行ってきますね。』


 この島に来てから、何日が経ったのだろう。まだ、そんな長くは経っていないはずなのに、気づけば私には、たくさんの思い出が積み重なっていて、そこには、いつも楓の姿があった。

 楓は、忙しい日々の傍ら、空いた時間の全てを、私との時間に費やしてくれていた。


「灯里、火をお願いできますか?」

 楓との料理は、私の「日常」になっていった。

 いつしか私たちの力は、ぴったりと重なり合い、ふたりの温かい時間の結晶たちが、次々に食卓に並ぶようになっていった。


 キッチンの棚には、並べて置いたペアのマグカップ。玄関には二足の靴。洗面所には、ふたりの歯ブラシ。そしてベッドルームのサイドテーブルには、ふたつの貝殻。生活のひとつひとつが重なって、何もなかった真っ白な部屋たちのなかに、「ふたりの思い出」が増えていった。


『お、楓さんに灯里ちゃん!今日も一緒だね!』

『ほんま、仲ええなぁ。』

『嬉しいですね、灯里!』


 この幸せは、きっとこの島の正解なのだと思う。でも、これは、本当に「幸せ」なのだろうか。そう思い詰めそうになる度、楓はいつも、そっと優しい風を吹かせて、私の心を落ち着かせてくれた。



「ねえ、灯里、気持ちいいマッサージしてあげます。こう見えてもわたし、得意なので……といっても、まだ自分にしかしたことないんですけどね。」

 星の降るような、夜のことだった。お湯のこみ上げる音が、ちょっとだけ、しんとなった。


「え、うれしいですけど、楓、ここお風呂ですよ。」

「そのほうが、身体が温まってるからいいんです。」

 楓の、真っ白な指が、私の肌を撫でていく。細くて長い指、とてもきれい。見た目は、か弱そうに見えるのに、すごく、力強い感じがした。きっと、風をまとっているんだろう。


「このあたり、ちょっと痛いですか?」

「ううん、大丈夫です。すごく……きもちい。」

 心音が高鳴る。体温が上がって、息が漏れる。どこかちょっとだけ、いけないことをしているような気持ちになってくる。

「よかったです。ちゃんと、自分以外にも効果があって。」


 少しずつ、疲れが癒えて、眠気がやってくる。ぼうっとした時間から覚めたのは、楓の手がピタリと止まったときだった。

「――ねえ、灯里。よければ次は、胸とかも、しましょうか?疲れが溜まってそうなので……。あ、でも、無理にとは言いません。どう、しますか?」


 恥ずかしくないと言ったら、嘘になる。でもこのとき、私はこの人になら、楓になら、どんな自分すらも曝け出せるような気がしてしまっていた。そのくらい、私は楓のことが、人として、お姉さんとして……?大切になっていた。

「お願い……したいです。あと、終わったら楓のもしますね。楓がしてくれたのと、同じのを、頑張ってやってみます。」

「うれしい!さすが、灯里は記憶力いいですからね。」


 裸のまま、身体を大きく揺らして少女のようにはしゃぐ姿は、やっぱりどこかお姉さんではないようにも見えてくるから、本当によくわからなくなる。

「それ、この島の規則とか全部暗記してる人が言います?」

 そう返してみると、楓は笑って「確かにそうですね」と言って、マッサージを再開した。そして、ぼそりと小さな声で付け加えた。

「灯里に会えるまでは、ずっと暇だったので。」



 楓との日々が、一週間くらい続いた頃、私は少しだけ不思議なことに気づきはじめた。

 それは夜の、ベッドでの楓の様子だった。楓はいつも、私より遅くに寝る。そして、私よりもずっと早くに目を覚ましていて、私が起きるころには、いつも朝食の準備をしてくれている。初めのうちは気にも留めなかったが、ふと気がつくと、彼女が眠っている姿を一度も見たことがないのに気づいた。


 ある夜、私は目を閉じるふりをして、布団の中でじっと息を潜めていた。

 時計の針が深夜を回ったころだった。部屋の中を吹き抜ける微かな風に気づき、そっと目を開けると、楓が静かに布団から抜け出す姿が見えた。白い室内着を脱ぎ捨て、下着姿のままクローゼットの服を手に取って、着替えはじめる。そして彼女は、まるで風に浮かぶような足取りでドアを開け、音もなく部屋の外へ、そして屋外へと出ていった。


 私は急いで身支度を整え、気配を消すようにしてその後を追った。

 月明かりに照らされた夜の街は、静まり返っていた。バスや、木造リングの上の乗り物もぜんぶ止まってしまっているのか、風の音だけが遠くでざわめいていた。

 楓の足取りは迷いなく、管理塔の方角へと向かっていく。そして、私たちが普段立ち入らない管理塔東側の非常階段に着いたとき、楓は不意に足を止めた。

「灯里……。ついてきてたんですね。」


 見つかったことに、心臓が跳ねた……けど、楓は怒るでもなく、私のほうを向いて、右手を差し出した。

「来ますか?灯里になら、見られてもいいかなと思うので。」

 私はただ、頷くしかなかった。


 楓は指紋認証で、小さな階段裏に隠されていた小さな通用口を開いた。そこにあったのは、私がこれまで見たことのない、地下へと続く長い長いエスカレーターだった。ひんやりとした風が吹き上がってきて、まるで何かを警告するかのように、私の肌を冷やす。

「灯里、寒くないですか?」

「ちょっと寒いけど、大丈夫です。」


 地下に降り立った瞬間、重々しい機械音が、遠くから響いてきた。

「この先にあるのが、わたしの、仕事場『ムーラン』です。」

「仕事?こんな時間から働くんですか?」

 金属製のドアが開くと、そこには広大な空間が広がっていた。大きさは、学校の体育館よりもさらに大きいかもしれない。天井は見えないほど高く、無数の配管と配線が壁に張り巡らされている。その中央に設置されたのは、巨大な風車のような装置だった。

「タービンというらしいです。原始的ですが、あれが、この島の心臓なんです。」


「これはこれは、お揃いで。」

 低く、静かな声がした。振り向くと、そこには社長が立っていた。白い手袋をはめ、眼鏡の奥の目はいつになく鋭く光っていた。

「火力も、風力も、水力も、そして今は亡き原子力も。これらの発電設備に共通する機構としての本質は、このタービンを回すことに他なりません。」

 そう言って、急に社長は笑い始めた。


「しかし、これほどまでに人類の叡智が極まった現代においても、エネルギーを得る方法は、風車か水車を回しているというのは、些か滑稽ですよね。いやいや、失敬失敬。ただ、この有り様こそが、『人間』らしくて良いなと、思ったりもするものです。」

 社長はそのまま、さながら独演会のように続けた。

「さて、そんな欠陥だらけの愛おしい人類の、技術の粋たる『タービン回し』は、かつての常識を塗り替える非連続な変革によって、これまでにない次元へと進化します。そしてそれを可能にするのが――、楓の風なのです。」


 その言葉を背に、楓は無言で小さな花柄の薬入れを取り出した。中から赤い錠剤を一粒、口に含む。

「それ……、何の薬なんですか?」

 私が問うと、楓は少しだけ不自然に口角を上げて答えた。

「元気が出る薬です。長時間、風を送り続けるには、少しだけ補助が必要なんです。」

 その声は、いつもと変わらず穏やかで、でもどこか張り詰めていた。

 そして、楓は両腕をゆっくりと広げた。


 風が、鳴った。

 それはもはや「吹く」でも「流れる」でもない、轟くような風。完璧に制御された一点集中の風圧が、タービンに向かって一直線に放たれていく。風車の羽が回る。ゆっくりと、確実に回転速度を上げて、気づけば目で追えないような早さになっていく。

 タービンが回る速度が上がるたびに、地鳴りのような振動が床を通して私の足を伝ってくる。


 社長は隣で静かに語る。

「灯里さん。あなたの炎がこの風と重なれば、発電効率は飛躍的に向上する。この部屋の天井が高いのは、蒸留機構をいつでも備え付けられるように、スタンバイしてあるためなのです。仕組みは簡単。要はお湯を沸かして、タービンの上で冷やす。そうすれば、水に戻って水車を回す。あの楓用の風車の裏には、灯里さん用の水車を、まるで、あなたたちふたりが寄り添い合うように、併設するつもりです。これで、得られる推進力は2倍、いや、それ以上かもしれませんね。見たところ、あなたたちふたりの間には、きっとお互いを想う気持ちが、強く芽生えているのでしょうから。」


 社長の言葉がどこか頭の遠くで響く中、私はただ、楓を見つめていた。

 彼女の額には汗が浮かび、指先が小さく震えていた。でも、決して顔色を変えることはなかった。風は止まらない。楓はずっと、風を止めない。


 やがて、すべてが静かになった。明け方の空気が、かすかに冷たく漂う。

 楓は肩で息をしながら、私の方へと歩み寄ってきた。私は、ようやく言葉を口にした。

「毎晩……、こんなことをしてたんですか?」

 楓は頷いた。迷いのない、その瞳で。

「そうです。わたしは、この島の主要電源として、働くことを選んだんです。お父さんの夢を、現実にするために。」

「でも……、全然寝てないんですよね?いつも、私より遅く寝て、早く起きてて……。」

 楓は静かに、微笑んだ。

「灯里が一緒にいてくれる。それだけで心が休まるんです。優しくてあったかい火が、いつもわたしの背中をあたためてくれるから。わたしは、風を送り続けられるんです。だから……、ありがとう、灯里。」


 私は言葉が出なかった。

 この島のすべてを支えているのが、いま目の前にいるこの人だという現実。そして、その彼女が、眠ることなく毎晩、ひとりでこの場所に来ていたという事実。胸が締めつけられた。

 気づけば私は、楓の手を握っていた。

 冷たくはなかった。でも、か弱く、脆く感じた。


「わたし、今日はちょっと、疲れちゃったので、先に帰りますね。見守っててくれてありがとう、灯里。」

 そう言って、少しだけよろけながら部屋へと戻っていく楓を、追いかけようとした、その時だった。社長が私のもとへ歩み寄ってきて、耳打ちした。

「灯里さん。あの子のそばに、居てやってくださいね。」

 以前にも聞いたことがあるはずなのに、私にはそれが、氷のように冷たく、硬く尖った言葉に聞こえた。


 翌朝、私は楓とともに、働くことを決意したと、社長に告げた。楓の負担を、少しでも減らしたかった。

「私も……、楓の隣で、一緒に火を灯してみたい。そう思ったの。」

 私の言葉が意外だったのか、楓は少し驚いていた。しかし、すぐに「一緒に働けるの、嬉しいです」と言ってくれた。ただ、何よりも嬉しそうにしていたのは、社長だった。

「ありがとう、灯里さん。あなたの、自らの力強い意志に、僕は感動しました。これできっと、本土の連中も……。いえ、この島の未来は、明るい!ところで、早速ですが、今日のお昼から深夜にかけて、空いていらっしゃいますか?」


 私の「発電設備」としての日々は、こうして始まった――。

2025/05/10 次話と順序入れ替えしつつ、内容の一部を修正。

2025/05/17 第六話→第七話へ。

2025/05/22 第七話→第九話へ。前半部分を現第七話に移行し、内容追加。

2025/05/24 微修正。

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― 新着の感想 ―
微エロだ……でもその距離感が儚くて、そしてまた彼女なりの信頼した相手との距離の詰め方なのでしょうね ついに灯里も発電設備に。力尽きないといいけど、、そして蒼葉。そろそろ出てくるか?楽しみです
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