第八話 光と影
午後の仕事に向かう姫野さんを見送って、わたしはまたひとりになった。15分おきくらいにチョロチョロと小さな水柱を上げる噴水を眺めていても、もう先刻ほどの綺麗な光景は現れない気がして、私は家……楓の家へと戻ることにした。
『もし、夕飯までにわたしが戻れなかったら、これ食べてくださいね。』
綺麗な、女の人らしい字で書き残されたメモ。それを見つけたのは、冷蔵庫の中だった。
楓は、ぜんぶお見通しだ。自分のことも、そして、私のことも――。
結局、この日は夜になっても雨は止まず、楓が帰ってくることもなかった。
次に私が楓の姿を目にしたのは、昨日の雨が嘘みたいに晴れ上がった、翌朝になってからのこと。彼女は、「おはようございます」と言いながら、昨日のバスケットを片付けていた。
私は楓に、姫野さんとのことについて話した。楓はとても興味深そうに話を聞いてくれて、最後に、「能力者がそんな『普通』の日常を過ごせる場所、それがこの島です」と誇らしげに付け加えた。
「普通」は、至る所にあった。楓の、少し丈の長い、肩紐のリボンがおしゃれなワンピースと、麦わら帽子を借りた私は、今度こそオフがもらえた彼女と一緒に、島の色々なところを回った。
以前は、蒼葉を探し回って、ただ「場所」としてしか見ていなかった。でも、街には、ちゃんとその場所らしい生活があって、そこにはその「普通」を、あたりまえのように担う人たちがいることを知った。
すっかり見慣れてしまったが、左右の目の色が違う人たちが、そうでない人たちと、共存している。
居住区の中心にある小中学校では、子どもたちが水や氷、石などの能力を使って、グラウンドに絵を描いていた。
「楓ちゃんじゃない、お父さんはお元気ですか?」
「ええ、もちろんです。」
農園では、水の能力者たちだけではなく、意外にもガスの能力者たちも働いているようだった。
「楓さん、今日はお友達と一緒なの?」
「はい、そうです。かわいいでしょ。」
私や楓がそうであるように、能力者の親が能力者とは限らない。そもそも、能力者自体、近年急に世の中に生まれてきた存在なのだから、無理もない。
それでも、子どもたちのことを思い、自らの生活を大きく変えてまで、この島に移住してくる親が、最近増えているらしい。私の両親がこの島をもし知っていたら……知っていても、なにも、変わらなかったんだろうなと、思う。
「楓さん!」
「楓ちゃん!」
「お父さんに、よろしくね。」
楓は、この島では有名人らしい。もっとも、それは楓自身というよりは、あの加賀屋公彦の娘というのが大きく影響しているように見えた。
「灯里、次はどんなとこ、行ってみたいですか?」
私は悩んだ末に、ちょっと「普通」な女の子みたいなことをしてみたくなって、「カフェ」とかいう小洒落た答えを返してしまっていた。楓は「もう、立派なデートですね」とか言いながら、上機嫌に私を手招いた。
「ここのエスカレーターを上がって、連絡通路を渡れば、そろそろ着くはずです。ちゃんと地面を歩くの久しぶりですけど、一緒だと楽しいですね!」
楓の頭には、この島の地図が全て入っているようだった。
「AmaTerrace Café」とかいう小さな店の、自慢らしい2人掛けのテラス席には、ちょっと変な形のパラソルと、白い木目調のオシャレなテーブルがあった。座って外を眺めると、海側にちょうど風力発電のタワーがずらりと並んでいるのが見えて、とても眺めが良い。
「これ、見てください。美味しそうです。」
ふわりと小さな風が踊る。楓が指さしていたのは、「福井若狭の無花果タルト」だった。私は、「愛媛伊予柑のシャーベット」と「福島浪江の桃パフェ」でどうしても悩んでしまった。
「迷ってる灯里も、かわいいですね。」
「やめてください……。」
そんな会話をしていると、店にひと組のカップルが入店してきた。
「おお、今日はお客さんおるやないか。」
お笑い芸人みたいな喋り方。店に来たのは、紀本さんと、姫野さんだった。
「あ、灯里ちゃん!やっほ、また会えたね!」
「姫の……、詩温、お姉さん。」
「よくできました。」
二ッと私に笑いかけた彼女は、屋内にあるカウンターの方へ向かって、元気な声で言った。
「マスター!いつものコーヒーちょうだい!2つ……、じゃなくて、4つ!この子たちにも!」
「おいアホ、なにが『この子』や。よう見てみい。」
姫野さんは、視線を私の方に向けて、そしてその横に向けた。
「えっ、事業……部長?」
楓はニコニコしながら返す。
「そんなかしこまらないでください。今日はオフの日です。」
挽かれゆく豆のほのかな香りが、ミルの強い音とともに届く頃、気づけば4人掛けの屋内席に移動していた私たちのもとに、タルトとパフェがやってきた。
「おいしそーう!ね。私たちもなんか食べようよ!……じゃあ、青森六ヶ所アップルパイ!2つ!」
「ちょ待てや、何で俺のも勝手に決めてんねん!」
「いいじゃんこれおいしいんだし〜。」
「仲良いですね、ふたり。いいなぁ、わたしも灯里と、もっと仲良くなりたいです。」
「あれ〜、楓さん、もしかして灯里ちゃんのこと好きなんです?」
「好きですよ、すごく。」
姫野さんが変な声を上げる。そして、「そっかそっか」とか言いながら、ニヤニヤしている。
「しおんおねえさ〜ん!みて、きょうはウサギのふく!」
パフェを半分くらい食べた頃、カウンターの方から、突然小さな子どもが駆け寄ってきた。
「お!みぃちゃん、今日も可愛いお洋服だねぇ〜。」
姫野さんが、少女の頭を撫でる。小学校に上がる前くらいの子だろうか。
「すみませんねぇ!ほら、美月!こっちにきてお手伝いしてくれるかい?」
マスターがカウンター越しに呼ぶと、美月というらしい少女は、元気な返事をして走り去った。
「ねぇ、灯里ちゃん。この店のコーヒーさ、みいちゃんが淹れてるんだよ。私と同じ、『熱』でお湯沸かしてるの。やっぱり『愛』だよね〜、料理って!」
「あんなちっこいのに、働きもんよなぁ。俺なんか仕事したないのに。」
「あんたバカなの?気抜きすぎ。」
少し困った顔をする紀本さんのほうを見て、楓が「わかりますよ、愛ですね」とか言っている。
「わたし、おおきくなったらこのしまで、お花やさんするの!」
コーヒーを持ってくるマスターの後ろから、ひょっこりと少女が顔を出す。
「おお、ええ夢やなぁ。俺がわんさか買ったるわ。割引してな。」
「懐かしいなぁ、私も小さい頃、お花屋さん憧れたなぁ。」
「ねえ、おねえちゃんも、おうえんしてくれる?」
気づけば、少女は私のスカートの裾をつまんでいた。
「うん。応援するよ。きっと、なれる。」
私が、誰かの夢を応援するなんて。こんな日が、来るなんて。少女の茶色と桃色の目は、瞬きの度に、輝きを増していった。
「ね、この島には、夢と希望が溢れてるんです。素敵でしょ。」
楓の言葉に、私は確かな同意をもって、しっかりと頷いた――。
「じゃあ、灯里。行ってきますね。」
また次の日の朝、楓は私を部屋に残して、職場に行こうとした。でも、どうしても寂しいような、疎外感を拭えないような気がしてきて、私は楓を追いかけた。
「どうしたんですか?灯里。寂しいんですか?」
私は、頷くしかなかった。
「じゃあ、灯里。今度こそ、ここでバイバイです。わたし、今日もお仕事長引くかもしれませんから、先に帰っててくださいね……でも、もし、もしちょっとでも、灯里がわたしと一緒に来たいと思ってくれるのなら。わたしやお父さんが、きっと正しいことをしていると信じてくれるのなら。いつでも、言ってくださいね。そのときは、私からお父さんに伝えますから。」
楓はそう言い残して、ふわりと去った。ただ、私には、楓が少しだけ、よろけたようにも見えた。もちろん、気のせいだとは思うけど。
能力者の楽園、天照島。この島を照らす、光栄電力――。蒼葉は、確か私が「配属」されるのを、止めようとしていた気がする。このまま私が楓たちのなかに加われば、もう二度と、引き返せないのかもしれない。もう二度と、蒼葉には会えないのかもしれない。でも、もしかしたら、それが正解なのかもしれない。
私はまた噴水のロビーで、ひとり。何もしない、何もできない時間を過ごしていた。
私にも、できることがあるのだろうか。その答えはきっと、もうわかっている。もはや、どうして私が、その一歩を踏み出さないでいるのかも、よく分からなくなってきた。
しばらくして、周囲が何やらざわつきはじめた。そして、突然あたりから歓声が聞こえた。
「社長!」
「社長だ!今日も来てくださったぞ!」
「社長〜!」
社長室では、制服の麗人だった人間が、今日は打って変わって、群青色の作業着に身を包んでいる。
「皆さん、今日も本当にお疲れ様です。皆さんのおかげで、この島は今日も、輝いています。」
あたりは拍手に包まれる。
「皆さん、どうか今日も、ご安全に!」
あの人は、人を落ち着かせるだけでなく、奮い立たせることすらできるのだと感じながら、私は昨日のことを思い出していた。その会話は、ある種必然めいた結末によって、締めくくられていた――。
『テレビの奴らにちょっとだけ氷を見せたんや。それがあかんかった。家には仰山変なのが押しかけてくるし、まるで俺の事を天王寺動物園の猿みたいに面白がって、見せもんにしようとしてきてん。あいつら全員、いつか殺したるって、ずっと思っとったわ。』
『私も、ずっと熱が下がらないからって、何回も何回も病院に行かされて。検査検査検査ばっかりで学校も行けなくなって。それが私の体質なんだって、ちゃんと説明したら、無視されて。影でずっと、ヒソヒソ悪口言われて。だからずっと、つらかった。』
『でも。』
『そうや、そんな地獄から俺らを救ってくれたんが……。』
加賀屋公彦、社長――。楓の、お父さん。
『お父さんは、みんなのこと、大好きなだけですから。』
そう、楓は言っていた。
『社長は俺らの光やねん。』
『社長がいなかったら、私たち、出会えてなかった。こんな幸せな人生があるなんて、知らなかったよ。』
「社長!」
「社長!」
この人は、いったいなぜ、どうして、ここまで能力者たちの「光」になれるのだろう。明らかに、「普通」じゃない。むしろ、「普通」なんてものに囚われない、自由な世界を作ろうとしている人。
この島の、笑顔を創っている人。
でも、なぜか、何かが引っかかってしまうのは、この島の「普通」が、どこか得体の知れない「影」のような、何かを押さえつけることで得られたもののような、そんな感じがするものにも思えるからなのだと、思う。
『あいつら全員、いつか殺したるって、ずっと思っとったわ――、でも、社長のおかげで大逆転。この島やったらな、俺ら能力者の方が上なんや。能力も持たん奴らは、ずーっと機械いじって、下働きしてたらええねん。』
『能力がこもってない料理って、なんか美味しくないっていうか、いやーな感じするよね。だから私、コーヒーは絶対この店のじゃなきゃ嫌なの。社食だって、非能力者が作ってたりするじゃない?だから、いつも冬夜に作ってもらって……。』
『あんたも、そう思うやろ?能力もない奴らに、俺らの気持ちなんて、分かるわけが無い。』
『灯里ちゃん、やっと、あなたは本当の仲間に会えたんだよ!これまでの人生なんて、全部忘れちゃいなよ。灯里ちゃんに、酷い目を向けたような人たちなんて、人間じゃない。それこそ――、バケモンかなんかだって、思ってやったらいいんじゃない?』
『同じ過去が、痛みが、わたしたちを強くする。お父さんはいつも、そう言ってました。』
『ほな、社長もなんかの能力者なんとちゃうか?』
『能力者を幸せにする、能力とか?』
『絶対それや!』
『きっとお父さん、喜びます。ね、灯里。仲間って、きっと。こういうことですよね?』
幸せって、「あっち側」に行くこと、なのだろうか。私には、「また、どうぞ」と、どこか哀しげな顔で私たちに告げたマスターの顔が、忘れられなかった――。
どこからともなく出た溜息は、うっすらと香る大人の男性の、香水のかおりにぶつかった。
「どうも。ちょっと、失礼しますよ。ここ、好きなので。」
私の横に腰掛けたのは、他でもない、加賀屋公彦社長だった。
「すみません。」
避けようとする私のことを、社長は「待って」の一言で、強く引き止めた。
「僕ももうじき、この島に来て5年になります。慣れとは怖いもので、時おり、この島の『価値』とは何なのか、見失いかけてしまいます。」
社長は、遠い天井の、さらに遠くを眺めているようだった。そして、私の方にゆっくりと向き直って、私の目を真っ直ぐに見て、続けた。
「だからこそ、灯里さんのような方のご意見を拝聴したい。灯里さん、この島は、あなたにはどう映るのですか?」
「夢が叶う……、叶えられなかったはずの夢が叶う、私たち能力者の、居場所だと、思います。」
社長は驚いたような顔をして、そのあとにこやかな笑顔で続けた。やっぱり、どこか楓に似ている。
「なんとも嬉しいお言葉です。ありがとう。でも、その夢も、正しく守り、導かなければ消えてしまうのです。」
社長は、今度は下を向いて、そのまま語った。
「この島は、確かにいまは、夢の島です。ただし、国の補助や、本土の電力会社からの支援が切れれば、単なる内需しかない島に成り果ててしまう。外向けに価値を産めない土地は、いずれ腐る。しかし、無闇な観光解放は差別を助長する……。楓は、きっと、この島がそんな問題を抱えていることをわかっていて、あなたにも、知ってもらおうとしているのだと思いますよ。」
社長が立ち上がる。瞬間、あたりに霧が立ち込める。
「そうだ、灯里さん。楓から、聞いています。あなたとの時間が、楽しいと。あなたといると、幸せだと。これは、父としてのお願いです。あの子のそばに、居てやってくださいね。」
噴水の水が止む頃、私はまた、ひとりになっていた。指の先に揺れる小さなひとだまのような火は、しばらくの間ぼうっと燃えて、私の影だけを映して、消えていった――。
2025/05/22 新規追加
2025/05/24 ルビを追加。微修正。




