第六話 ゆらぎ
翌朝、窓の外から差し込むやわらかな光に目を覚ますと、楓さんはもう起きていた。すでにふわりとカールした長い髪をまとめ、白いブラウスに着替えている。
「おはようございます。」
「あ、はい。おはようございます。」
「食べますか?」
楓さんはそう言って、テーブルに置かれたトレイを指さす。そこにはホットミルクと、小さなチーズパンが二つあった。
「朝はこれくらいで。甘すぎるのは頭が鈍るので。」
私がパンを手に取ると、ほんのりと温かくて、それだけで今日一日、少し強くなれそうな気がした。
「今日の午前中、お父さんに会ってもらいますからね。昨日着てた学校の制服なら、お洗濯しておきましたよ。」
楓さんは、笑顔のまま、どこか遠くを見ていた。
「心配しないでください。あの人は、とても優しい人ですから。きっと、あなたの『火』に希望を感じたんだと思います。わたしと、同じで。」
「ようこそ、日向灯里さん。よく来てくださいましたね。」
管理塔の最上階。見晴らしの良い、全面ガラス張りの展望台のような部屋に響いたのは、私をこの島へと導いた、あの映像のナレーションと同じ声。落ち着いていて、どこか包み込むような声。
「ご挨拶が遅れました。僕は、加賀屋公彦。光栄電力株式会社代表取締役社長であり、楓の父親です。」
白い執務服に、銀縁のメガネ。整った立ち姿。どこか楓さんに似ている……いや、彼女がこの人に似ているといった方が正しいのだろう。
「あなたの炎、素晴らしかったですよ。あれはまさに『青い奇跡』とでも例えられるべき芸術だ。火力部門出身の人間として言わせてもらいますが……僕は、あの炎に未来への希望を見ました。」
私は言葉に詰まった。まさか、私の炎をここまで褒めてもらえるなんて。この島に来て、何かが変わり始めている。もしかして、今までの私は、全てを我慢しすぎていたのかもしれない。
「そうそう、その火だ。実物は映像よりも更にいい。美しい、その一言に尽きます。」
制服の麗人は、ゆっくりと、光沢のある革靴で、私に近づいてきた。
「灯里さん。火や風、水などといった自然エネルギーは元来、制御と暴走のはざまにある、暴れ馬のようなものです。だからこそ、人類はそれをテクノロジーによって飼い慣らし、文明を築いてきました。」
社長は、部屋の中心部にあるホログラムモニターに手をかざす。そこには天照島の発電設備群の立体映像が浮かび上がった。
「でも、あなたの火は……違う。技術では届かない、美の領域にある。あのエネルギーの源には、これまで抑圧されてきた、あなた自身への、もしくは大切な誰かへの『愛』がある。違いますか?」
私は驚いた。この人は、全てを知っている、そんな気さえした。
「どうして……、そこまで分かるんですか?」
加賀屋社長は窓の遠くを見るようにして、語り始めた。
「かつて僕は、火力部門の最前線を担う技術者でした。火力の現場は人気がなくてね、油と灰の臭いに満ちた、熱苦しいだけの、でもその泥臭さにこそ味のあるような、何とも人間くさい手綱さばきをしてきたものです。その僕だからこそ、わかる。あなたの火に対する制御能力は、人間のそれとは明らかに、『次元が違う』のです。」
社長は、ホログラム映像の画面を切り替えながら、続ける。映し出されたのは、何かの論文のようなものだった。
「異能力者という存在が、ヒトを超えた『上位種』であることは、科学的にも倫理的にも、いずれ受け入れられる日が来るでしょう。」
「上位種?」
「そうです。楓、こちらへ。」
「はい、お父さん。」
楓さんは、社長の横でにこやかな笑みを浮かべる。本当にお父さんのことが大好きなのだと感じる。
「君は初めて楓に会ったとき、空を自由に舞う彼女を、天使か、あるいは天女のように感じたことはありませんか?人類が翼を持つには、ありとあらゆる技術を尽くし、鉄の塊を油の燃焼で飛ばすしかないというのに、この子は風を操ることで、思うままに空を歩いてしまうのです。」
部屋全体に、気分が和らぐようなそよ風が起きる。これが、楓さんの『愛』なんだ。
「さて、続けます。君たち異能力者はすでに、従来の物理法則を逸脱する力を手にしています。つまりは、『エネルギー保存の法則』すら、あなたたちは乗り越えてしまっている。その源は、愛という普遍燃料。ともすれば、理論上は不可能だった人類の悲願、『永久機関』が、あなた方の存在によって、はじめて可能性として浮かび上がってきたのです。」
私は、息を呑んだ。愛が、燃料……?
どこか、嫌な寒気がした。けれどその一方で、心のどこかで、彼の言葉に高揚してしまう自分がいた。その証拠に、私の両手からは、小さな火花が踊っている。
「僕たちは今、大きな歴史の境界、そのフロンティアにいます。能力は、未来を拓く力です。そしてその力は、社会を動かす『灯』になる。」
彼はまっすぐに私を見つめた。冷たさを感じさせない、けれどどこか計算されたような確たる「熱」がそこにはあった。
「あなたには、ぜひ楓とともに、未来への灯になってほしい。」
その言葉は、楓さんの風と混ざって、確かに私の胸に柔らかに響いた。
けれどその奥底に、得体の知れない黒い影があるような気がして、私はすぐには首を縦に振れなかった。
「うん、悩むのは当然。あなたが意志ある強い存在である証拠です。では、もう少しだけ、僕のおしゃべりにお付き合いください。」
ホログラムの映像が消える。楓さんは、すでにもうこの先の話を聞いたことがあるのか、小さな風で髪の毛をいじって遊んでいる。
「日本神話をご存知ですか?火の神とされるカグツチは、その自らのエネルギーの膨大さゆえに、彼の母親イザナミに大火傷を負わせてしまいました。怒った父親のイザナギは、カグツチを殺してしまった。しかし、驚いたことに、斬られたカグツチの身体からは、新たな自然の神々が生まれたのです。火は破壊であり、同時に創造を産むものなのですよ。」
火傷……。社長の喩えが決して悪いとは思わない。ただ、私にはその言葉の重みが、違って聞こえてしまうのも事実だった。
そうだ、いま彼は、蒼葉はどうしているのだろう。
楓さんや社長が放つ、異様にまで落ち着く雰囲気に絆されて、私は私自身の願いや目的を見失いそうになっていた。
未来のため、世の中のため、確かに大事なことだと思う。でも、私が、私の炎を「きれい」だと言ってもらいたいのは、今日までも、これからも、蒼葉だから。
冷静になって考えれば、蒼葉はあのとき、私に他にも何かを言おうとしていた気がする。あのとき、目が、唇が……確かに動いていたのに。
風……?
気づけばそよ風が吹き、社長の話は終わっていた。
「どうか、焦らなくても結構です。今日は、選択の機会として、ここにお呼びしました。僕は君に、この島の一員になってほしい。ですから賛成するのも、保留とするのも、拒否するのも、全てあなたの自由です。無理に今決める必要はありません。ゆっくりと、考えてくれれば良いのです。」
「ありがとう……ございます。」
そう答えた私に、楓さんがそっと寄り添うように言った。
「わたしも、最初は少しだけ悩みました。でも、今は、ここでの毎日が本当に幸せです。あなたも、焦らず、自分の心に聞いてみてくださいね。」
私はこくりと頷いていた。
「そうだ、今日もうち、来ていいですよ。灯里さんの寝顔、かわいかったので。そうだ、せっかくなら、わたしの服、着てもいいですよ!ずっと制服じゃ、楽しくないでしょ?」
こんなに、こんなに大切にされて、必要とされて、でも、私は、私の目的のためだけに、ここにいる――。なにか、すごく悪いことを、してしまっていないかな。でも、いきなりこんなこと言われても、私、決められない。
答えはまだ出ない。でも、出せるまで待ってくれるというだけで、少し、救われた気がした。
やっぱり私は、蒼葉ともう一度話したい。私が灯里だって、ちゃんと伝えて、蒼葉に謝りたい。
それに、蒼葉もきっと何かを伝えたかったはず。もし、この人たちのお手伝いをすることになるにしても、私は、蒼葉と話さずに答えを出すことは、したくないと思った。
「すみません。私の幼なじみに、会いに行ってもいいですか?この島で、昨日偶然再会したんです。でもまだ、ちゃんと話せていなくて……。ねえ、楓さん。いいですよね?」
楓さんは少し困ったような顔をして、社長と目を見合わせた。
「7340番さんなら、昨日付けで自己都合退職されましたよ。」
2025/05/10 前話末尾部分を本話冒頭に移行。内容の一部を修正。
2025/05/15 表記揺れを修正。
2025/05/17 第五話→第六話へ。




