第4話 Rewrite(リライト)
片時も、忘れたことのない人がいる。
俺が、はじめて……好きになった人。
俺が、はじめて……傷つけてしまった人。
漆黒の夜空を眺めていると、いつもあの夜の後悔ばかりしている。
君の火は、不思議な火だった。医者は、俺の傷の治りの早さを、奇跡だと言っていた。今の俺の顔にはもう、目立つほどに大きな傷は残っていない。
俺はそれを、ちゃんと君に伝えなければならなかった。それなのに俺は、君と向き合うのを避けていた。君を傷つけないように、君に謝罪させてしまわないように、なんて理由は後付けに過ぎないが、俺はどうしてか、君を避けてしまった。
あのときの俺は、弱かった。
だから俺は、大切な君を、大好きだった君を、たぶん君がいちばん忌避していた目で見て、差し伸べられた手さえ振り払ってしまった。
君の火は、俺があのとき君に伝えようとしていた想いを、拒絶しているように見えた。だから俺は、冷静な判断を欠いてしまった。
そんな最後で、君との日々が、終わった。
俺は――、あまりにも身勝手で、幼稚だった。
つらかったのは、君の方だったのに。
俺の決心がついた頃には、君はもういなくなっていた。
大人たちは「家庭の都合」での転校と言っていたけど、俺は知ってる。あの日の「火傷」のせい、つまり俺のせいだったって――。
俺は、君がどこへ行ったのかさえ、分からないままになってしまった。それでも、俺はいつでも、ありもしない、ありえもしない可能性を諦めきれず、君を探し続ける日々を過ごした。
夏季営業の終わったプール、閉館時間の早まりゆく図書館、いるはずもない君の姿を追いかけて、追いかけて、あまりにも茫漠と続いていく寒い季節を、振り払い続けた。
そして、次の年の夏。俺が待ち望んだ季節は、その固有の価値であるはずの時間を、返してはくれなかった。
わかっていた。夏になれば、また会えるなんて、そんな都合のいい話、あるはずがなかった。それでも、俺の中では大切な支えだった。
それから、俺は色んな間違いをした。決まって秋に始まった仮初の恋たちは、春まで続かず、冷え切って、消えた。俺は君を忘れて生きるどころか、君への想いをさらに募らせるばかりなのだと知った。それを知るために、幾人もの人の気持ちを、不誠実に弄んだと言われても、否定できないことをしてきたのだと思う。でも、どうしようもなかった。
あの汗ばむ季節が来る度、俺はどうしようもない虚脱に襲われた。そして、どうしようもなく、寂しくなった。
後悔に、襲われ続けつつも、見つかりもしない君を探す季節……、もう、なんの価値もないはずの、夏が、またやってきた――。
そして、いま。
俺は、目の前にいる白昼の君の姿を、まっすぐに受け入れられなかった。
能力者の列の中に、制服姿の君を見つけたとき、一瞬だけ時が止まったように思えた。周囲の音が遠のいて、俺の視界には君しか映らなかった。
この時間が、夢幻の産物ではなく、本当の光景だと考えなければ、あらゆる全てが矛盾すると理解したとき、俺の真っ白になった頭のなかに、滾るようにして一筋の言葉が浮かんでいった。
また、会えた――!
あれから、何年が経った?小学6年の、あの夏から。
背も伸びてる、色々と、なんというか、女の人らしくなってる。もしかしたら、他の人から見れば、分からないのかもしれない。でも、俺には分かる!
君は「あかり」だ――!
俺はずっと、君に会いたかった。
君を求めて、探して。君に会うために、会える可能性を少しでも追い求めて、この光栄電力で働くことを決めたのは、間違いじゃなかった。
異能力者たちを集め続けることに、異常なまでに執着しているこの島で働けば、いつかこんな日が、舞い込んでくるのではないかと、藁にも縋る思いだった。
それでも、こんなにも出来すぎたような再会が、こんなにも早く、俺の人生に安置されているなんて――!
神がもしいるのなら、俺の人生は、もしかしたら、赦されうるのかもしれないと思った。
君が、今、手を伸ばせば届きそうな距離に、いる!
話したい!謝りたい!君と、また笑い合いたい!想いは、脳内の記憶領域のなかで次々に連鎖し、俺を強く昂らせた。
しかし、次の瞬間に俺が直面せざるを得なくなったのは、君は本当に「再会」を望んでいるのだろうかという、問題だった。
この島に来る異能力者たちは、みな「異能力者としての居場所」を求めて来る人間たちだ。
灯里はもしかしたら、この島で、新しい一歩を踏み出そうとしているのかもしれない。それなのに、「忘れたい過去」かもしれない俺が、君をまたあの夜に引き戻してしまっていいのだろうか。
この思考は、俺の足を、強く地面に固着させた。案内に従って、この管理塔の奥へと進んでいく君との距離は、開き続けた。
俺は、灯里に何をしてやれるのだろうか。
全てを非考慮に、楽観的にも彼女と「再会」するのが、俺の理想であることに間違いはない。でも、俺はもう、あの日の幼い俺じゃない。理性的に、冷静に、彼女のための最善を考えなければならない。
動かぬ足のまま、何とか呼吸を整えて、俺は答えを考える。
しばらくして俺は、自分がいかに危うい思考の欠落をしてしまっていたかを思わされる。
そうだ、今の俺が、唯一君にできる善行は、この島の「欺瞞」を伝えることだ。君の求めているかもしれない新しい「居場所」には、深い闇が待ち受けているという事実を伝えなければ。
ここは――、君の来るべき場所じゃない。
君は、来てはいけなかった。
何を差し置いても、「再会」を捨ててでも、灯里のことを想う資格を得るうえで、これだけは絶対に伝えなければならないのだと、自分に言い聞かせる。たとえ俺が幸せになれずとも、君だけには幸せになってほしいから。これが俺にとっての、贖罪の形なのだと、思うようにした。
「よお、今日は5分前集合できてねぇじゃねぇか。お前にしちゃ、珍しいな。」
「すみません。」
俺は、やっと動くようになった足で、ゴリラみたいな顔の先輩とともに、「持ち場」へと歩みを進める。
入社してまだ半年も経っていない俺だが、すでに気づいたことがある。この島には、不可解な点が多すぎる。
「理想郷」を装ったこの島は、目に見えない檻だ。それも、幸せという名の蜜を撒いた、異能力者捕獲用の、堅牢な檻だ。
俺の疑いが確信に変わったのは、つい先日のこと。宣伝部としての取材の名目で入った中央給電司令室で、俺は「あるもの」を見てしまった。
明滅するモニターに、一瞬だけ映し出されたもの。「おい、見るな」と言われ、ブラインドが降ろされる直前に、俺の目に飛び込んできたのは、「供給可能電源リスト」の文字。そして、そこに刻まれていたのは、見覚えのある名前。俺が案内を受け持った、異能力者たちの名前だった。
それに最近、管理塔には、限られたログインパスでしか入れない地下エリアがあると知った。酔っ払った上司に連れ込まれた同期によると、そこでは、「メイプル計画」とか「永久機関実験」とかいう、謎の用語も飛び交っているらしい。
ここはきっと、ただの発電施設なんかじゃない。地上に置いてあるパネルや風車なんかは、ほとんどがただの置物だ。本当の発電「設備」は、おそらく――。
こいつらは、異能力者を利用している。いや、もっとひどい。支配してる。
だから灯里、君にだけは、ここに来て欲しくなかった。これが今の俺の、正しい想い方のはずだ。
このあと、俺が灯里たちの案内を担当することになるのは、「フロンティアラボ」と呼ばれる施設。でもその実態は、異能力の使用強度と、精神的限界を試す「適性検査場」だ。君たちはこれから、「供給可能量」ごとに区別され、地下送りにされる。
そうなる前に、俺は俺のできることを最大限にやり切って、せめて君だけでも、絶対に助ける。
ただし、不穏な動きをすれば、俺もただじゃ済まない。そのうえ、俺と日向灯里が知り合いだとバレれば、担当を変えられるかもしれない。
今はただ、君が俺に気づいていないことが、救いだ。念の為、マスクをつけておく。これで君からは、俺が誰だかわからないはずだ……。
俺はあくまで案内人に徹しつつ、日向灯里を不適格にするよう仕向ける。大丈夫だ。俺ならやれる。たとえそれが、俺にとってまたとないチャンスを失うことになるのだとしても、俺は灯里の幸せの可能性を、もう二度と奪いたくない。
「おい新入り!」
ゴリラの呼び声に、俺は急いで駆け寄る。
「はい!」
「お前、そういやもう配属されて三カ月以上が経つんだよな。そろそろ名前で呼んでやるか!なぁ、蔭野……」
「いや!新入りでいいです!」
「そうか?」
不審がるゴリラ。そうだ、これでいい。少しでも灯里に悟られるようなことがあってはならない。
「よし、じゃあ今日も案内頑張るか!適性検査楽しいよなぁ!」
何も気づいていない単細胞ゴリラは呑気なものだ。
「ですね!」
灯里たちを装置の前に案内して、俺たち職員は、強化ガラスの窓で仕切られたバックヤードのような別室へと移動する。
「今回は双子JKギャルが来てるぞ!しかも『水』らしい。俺ぁギャル大好きだ。すげぇよなあ。俺らみたいな一般人には、全くわからん世界だけどよ。異能力なんてもんがありゃ、そりゃ人生楽しいんだろうな!」
「ですね!」
灯里の苦痛なんて、こいつにはこれっぽちもわからないんだろうな。そんなことよりも、俺は灯里を助ける方法を、考えないと。
テストルームのガラス窓の向こうでは、一次試験〈需給調整テスト〉が始まっていた。なぜか社長が信奉している大手電機メーカー創業者の理念に倣い、禅思想の熱力学的応用とか言って導入させたものだ。
この試験では、自分の能力を「任意の強度」で発動し、対象の測定器に安定的にエネルギー供給ができるかを見る。いわばウォーミングアップのような位置づけなのだが、これがなかなか難しいらしい。
「……やば……うち、きつい……。」
「水が、……暴れる……。変な汗出る。」
窓越しに見える双子のひとり――、ヘアピンをつけている……姉のほうが、眉をしかめながら膝をついた。妹も、どうやら精神波形が乱れているらしい。
「はいストップ。波長乱れてます、危険レベルB。」
試験官の一人がタブレットを指ではじき、緊急ブザーを鳴らす。
「能力者は繊細だからな……。たぶん双子そろって生理中だろ。」
後ろで腕を組んでいるゴリラ先輩が、お決まりの持論を展開する。控えめに言って、非常に気持ち悪い。近頃、「能力の制御具合で生理周期がわかる」とかいう低俗な話しかしない。もし本当にそうだとしても、普通言わないだろ……。
「はい次!……お、清楚系。お前ああいうのタイプだよなぁ。楽しんでやっていこーう!」
変態ゴリラのクソデカい声が響き、目の前の光景に、うっすらと不安がよぎる。灯里が、無表情のまま部屋に入っていく。
肩で小さく呼吸しているのが、遠くからでも分かる。灯里は、かなり緊張しているようだ。
装置に手を置くときも、灯里の指は微かに震えているように見えた。
キョロキョロとあちこちを見つめる彼女の表情には、明らかに不安や困惑のような、重たい感情がのしかかっているように見えた。
よかった。これなら、俺が何をせずとも、不適格になってくれそうだ。
しばらく経って、灯里の視線がどこか一点に注がれた。それを辿ってみると、試験エリアの奥、ガラス越しに、さっきの双子が手を振っていた。にやにやと、おどけた表情で。『楽しんでー!』『火花ブシューってしてー!』みたいなジェスチャーをしている。
灯里は、それに一瞬、びっくりしたようにまばたきをして、それから、ほんの少しだけ、笑った。……笑った?
その瞬間だった。
火が――、灯った。青い炎、やっぱり間違いない。彼女は本当に、灯里だ!
「測定器反応、きました。安定値……えっ、200超えてます、はい安定、270……!?瞬低なし……!」
「これ、完璧に、制御されてます……!」
「波形が……綺麗じゃ……。」
「すげぇぞ!あの子!」
周囲の職員たちがざわつき始めた。俺も、モニターに釘付けになる。
青い炎は、静かに揺れていた。
あの頃と何も変わらない。本当に――、きれいだった。
きっと灯里は、自分で気づいたんだ。
異能力が「誰かへの愛情」だけでなく、「喜び」や「自己肯定」、つまりは「自らへの愛」にも反応することに。もう、俺なんて、必要ないということに。
この適性検査を何度か経験すれば、分かる。あれは、自分自身を「好きになれた」能力者の姿だ。やっぱり君は、新しい居場所を、自分で拓こうとしている……!
ニコリとあどけない顔で笑って、双子の方をみる灯里。
その顔、当たり前だけど、俺だけのものじゃなかったんだな――。
二次試験〈ベースロードテスト〉が始まる。
複数の能力者が、同じ測定器に力を送り、その安定度をテストする。感情的なバッティングが起きやすく、最も脱落者の多い難関だ。
双子は、見事に大ゲンカしている。
「ちょ、あんた水出しすぎ!」
「はぁ!?お姉のがチョロチョロ過ぎるんでしょ、うちに合わせてよ!」
「チビ!」
「アゴ!」
「ビッチ!」
「はぁ!?」
試験中に口論が始まり、二人まとめて一時退室。ロリコンゴリラが額を押さえて、ため息をつく。
「ギャルは、どギツイほうが好みだが……、あれじゃ再試験だな。」
その数分後――。灯里が、再びブースに入った。
今度は、他の能力者たちと息を合わせる試験。しかも、不運な、いや、幸運なことに、ペアを組んだのは可燃性ガスの能力者。ガス側の制御が聞かなくなれば、すぐに爆発を起こしてしまう。炎との組み合わせは最悪だ。最悪の、はずだが……。
彼女の炎は、まるでガスを優しく渡り歩くかのように、軽やかに火をつけていく。さながら、キャンドルサービスといったところだった。
「干渉時誤差ゼロ……?えっ……?」
「なんかの間違いじゃないか?え、違う?本当?」
「なにこの人……ていうか、もしかして天才……?」
「うほ、これまたすげぇな!」
「きれいじゃ……波形が……。」
周囲が騒ぎ出した。
俺の中で、何かが音を立てて崩れていく。どこまで、君は俺を置いて、どこまで強くなってしまったのだろう。
いや、今はただ、灯里をこの島の闇から遠ざけることだけを考えよう。でも、ここまで目立ったら、データの改竄も、できない……!このままじゃ、本当に「配属」されてしまう。
俺は必死に考えたが、結局無策のまま、最終試験〈容量テスト〉がやってきてしまったた。
最も注目を集めた灯里は、クソゴリラの計らいで最後の順番に回されている。
どうする?今更方法なんて……そう思った瞬間、俺の脳裏の一面に浮かんだのは、あの日の記憶。
火傷と涙と、俺の後悔。
灯里、俺は――!
俺は覚悟を決めた。
「灯里の『火』を、消すしかない――!」
灯里の番が来る直前。俺は隙を見計らって技術屋の格好に着替え、測定器を弄りにいくフリをして、灯里に近づいた。
「来るぞ来るぞ!」
灯里の一挙手一投足に、周囲が沸く。
そして、灯里が装置に手を掛けた瞬間、辺りは静寂に包まれる。
灯里の測定が、まさに開始しようとしたタイミング。
俺は作戦を決行した。
灯里を、過去に引き戻すために。
俺はこっそり、灯里の、装置に向けていない方の手を、左手を、握った――。
異能力の強制停止は、「感情の急冷」によって成る。記録がだめなら、記憶を書き換えてしまえばいい。俺は、君が一番「嫌な記憶」を、君の脳裏の最優先事項に、書き換えることにした。
灯里はきっと、俺のことなんて、嫌いなはずだから。きっともう、こんな俺の体温に、また灯里が温もりを返してくれるなんて、ないはずだから――。
瞬間、あたりは静まり返った。静謐に包まれた時間のなか、灯里の火が、ゆっくりと、止まった。
これでいい。これで……。
でも、どうやら俺は、間違っていたらしい。
それは、灯里の吐息にも似た声が漏れるとともに、突然に訪れた――。
「――あぁっ!」
轟音。
目の前が、眩い光で包まれる。
炎が測定器を破壊し、天井を突き抜ける。
「メーター値は!?」
「ダメです、振り切ってます!ぶっ壊されました!」
「エネルギー密度測定不能!中心部、温度1200度超え……なにこれ、人間なの……?」
「きれいじゃ……!」
方々から悲鳴が上がるなか、俺はひとり、彼女の手を握ったまま、立ち尽くす。
書き換えなんて、できなかった。俺は、文字通り、再点火してしまったらしい。
でも、どうしてだろう。繋がれた手の先にいる君が、またきれいな火花を見せてくれたことに、俺は確かな喜びを感じていた。
矛盾だらけな感情、行動。わかっている。最初から俺は、また君に触れたかっただけなのかもしれない。でも俺は、君がまた、戻ってきてくれたような気がして、嬉しかった――。
数秒にも、数分にも感じられる歪な沈黙が過ぎて、判定結果が通知された。俺は、次なる策を講じなければと頭を抱えていたところだった。
「判定、赤……。」
不適格だ!
幸いにして、灯里のスコアは記録不能扱いとなり、マニュアル的に、配属不可との判別になったようだった。
結果だけみれば、俺は、いや、灯里は、勝利していた。
自らの力に驚いたのか、それとも疲れたのか、灯里は気を失って倒れていた。
俺は灯里を抱きかかえて、医務室へと向かった。
成長した君の身体は、柔らかくて温かくて、この時ばかりは俺も、君と同じ「火」の能力者になったかと思った。
2025/05/10 内容の一部を修正。一部追記。
2025/05/17 一部追記・語りのトーンを修正し、第3話→第4話へ。
2025/05/25 誤字訂正。




