冰山一角
「今宵最後の挑戦者は……! エントリーナンバー7番。紀本冬夜、10歳だぁぁー!」
司会者の声が、白く光る舞台に弾けた。観客の喧騒が響いて、突然訪れる静寂。
視線はただ一点――、幼い少年の、震える両手に注がれていた。
テレビなど、真実の一片を切り取るだけの大衆扇動装置に過ぎない。そう思ってきた僕ですが、この夜ばかりは、情報収集の一環とはいえ、画面に目を見張らずにはいられませんでした。
床のライトが波打つように地を照らし、大型スクリーンには「挑戦者:紀本冬夜」の文字。
審査員席には、奇怪な座席に座った三人の大人。手元には、赤い×印を点灯させるためのスイッチ。挑戦者が「見せ物」として失格とみなされれば、このボタンひとつで排除される――、そんな仕組みのようです。
僕にはこれが、なんとも残酷な「才能の公開処刑」に見えました。ウィザードタレントショー……、こんなものが流行してしまうとは、人類は古き西欧の因習から、なんの進歩もできていないのでしょうね。
「冬夜くん。今日は大阪から来てくれたんだよね? 君の『魔法』を、たっぷり見せてもらおうか!」
司会者の声に、少年は小さく頷き、まっすぐに画面の奥の僕たちを見つめて――、いや、これはきっと、彼が確かな「誰か」へと向けた視線だったのでしょう。
守りたい誰か、伝えたい誰かが、その瞳の先にいるのです。
「さあ、見せてもらいましょう! 紀本少年の挑戦です!」
少年は、両手を前に差し出しました。カメラがグッと、その手に寄っていく。まるで、僕の視線を再現するかのように。
そうして三秒が、五秒が、十秒が経っていきました。
少年は、その間、微動だにしませんでした。彼の「魔法」は、僕の目には確認できませんでした。
「……?」
観客席が、ざわつきはじめました。
幼い挑戦者にとって、これは永遠にも等しい重圧だろうと思います。
番組のルールには、明確な制限時間はないようですが――。ただ過ぎゆくのみの無の時間が、審査員の次なる行動を促すのは、明らかなことでした。
「うーん、ごめんねっ。」
軽薄とも取れる声とともに、赤い×印がひとつ、点灯しました。
最初にボタンを押したのは、女優・鷹司麗花。作られた笑顔のまま、マイク越しに柔らかな口調で少年に詫びの言葉を続けていましたが、声の温度と、行動の無情さには、あまりにも大きな隔たりがあるように見えました。
続いて、審査員席のもう一人が、静かに手を伸ばしました。
「大人を騙すのは、よくないかな。」
見たこともないような形の眼鏡の奥では、ギラりとした三白眼が、少年を厳しく品定めしていました。
羽田優介。皮肉めいた口調で「合理的な時間の使い方」とやらを説いているこの男は、どういうわけか最近バラエティに引っ張りだこの経済学者。飄々とした言葉の剣は、幼い少年に、いとも容易く突き刺さっていきます。
二つ目の×が、点きました。
この時点で、会場にはもう、落胆の色が広がっていました。
観客席のざわめきは増し、誰かが小さく笑ったのも聞こえた気がします。
画面越しの僕もまた、全く落胆をしていなかったかと問われれば、素直には頷けなかったでしょう。
それでもなお、少年はまだ、手を下ろしませんでした。
ひとり残った審査員は、最後の判断を下さずに、静かに彼を見つめていました。
西扇町花守――。性別・年齢不詳。「HANAMORI」として世界を舞台に活躍する、稀代の手品師。数多の弟子入り志望を全て断り、ただ孤独に己の奇術と向き合う、孤高の超人――。
そして、突然、ハナモリ氏は、すらりと静かに手を挙げました。
「質問を、よろしいか。」
男声にも、女声にも聞こえる声。司会者は少し戸惑ったあと、慌てて「どうぞ」と返す。
「少年よ。君の力の源はなんだ。」
少年は、その質問の意図をとりかねたのか、口ごもりました。
「問い方を変えよう。少年よ、君はなぜ今宵、ここにいるのか。」
少年は、顔を上げて、口を開いた。
「金……、賞金の100万円や。悪いですか?」
会場で笑いが起こると、すかさず、ハナモリ氏はそれを遮るように、重々しい声で続けました。
「その金をどうする。小学生には身に余ろう。どうして、金を欲するか。」
そのとき、少年は、ハッとしたような顔をしました。そしてまた、画面の先を見つめてきた。
僕は、かすかに動いた少年の唇が、次にどんな言葉を放つのか、待ちました。会場の人間たちや、今この番組を見ている全ての人間たちと、ともに。
「オトン……、オカン……。」
涙まじりの言葉とともに、少年の手のひらから、ふわりと立ちのぼったのは――。
確かな、白い、冷気でした。
少年の手のひらには、小さな雪のような、氷のようなものが生まれました。それはさながらら真夏の氷菓のごとく、ゆらゆらと冷気を風に揺らして、少しずつ、少しずつ大きくなっていきます。
「あっ……!」
小さな雪玉くらいのサイズになった氷の塊が、少年の手から、コトリと零れ落ちた瞬間、まるでそれを合図にしたかのように、会場は大きく沸きました。
「氷だ! 氷が出てきたぞ!」
「なんで? どうやったの?」
「魔法、まるで魔法だ!」
「紀本少年、合格〜! なおこれは番組史上最年少で……」
僕は、なぜか当人でもない司会者や、×を突きつけた審査員たち、スタッフらが狂喜乱舞するステージの傍らで、カメラが捉えた一瞬の光景を、見逃しませんでした。
少年がハナモリ氏に頭を下げ、礼を言ったとみられるそのとき、少年の身体は、確かにふわりと、宙に浮いたように見えたのです。そうか、やはりこの人も――。
「お父さん?」
気づけばリビングのドアの前に、娘が立っていました。
「……どうしたんだい?楓。」
娘は宿題らしいプリントと、タブレットを片手に重ねて持って、僕の方へやってきました。
「珍しいなと思って。お父さんがテレビ見てるなんて。やっと、お仕事落ち着いてきたんだね。」
「そんなところだよ。それより……。」
「ん?」
僕は娘の持っていたものを預かって、机に置き直してから、娘の頭を撫でました。
「いい人を見つけた気がするんだ。きっと、楓たちを幸せに導いてくれる、素敵な人だと思う。」
娘は少し考えるような顔をした後、いつもの笑顔で言いました。
「でも、わたしは、お父さんがいてくれるなら、それだけでいいんだよ。だからお父さん、わたしのこと置いて、遠い人に、ならないでね――。」
天照島のプロジェクトが、数度の留保を経つつもやっと承認されたとき、僕は満を持して、ハナモリ氏とのコンタクトを試みました。
しかし、時の流れとは残酷なもので、ハナモリ氏はすでに、亡き人となっていました――。
それから一年ほどが経って、島に見覚えのある名がやってきました。あのときの少年は、立派な青年となって、確かな力を手にしていました。
僕はこのとき、確信しました。
ああ、誰にも頼らず、自らの手でやりなさいと、つまりは、お前がハナモリ氏になれと、神はそう僕にお告げになるのだろうと、感じました。
「歓迎します、紀本くん。」
「よろしく、お願いします。ここでは、『普通』に、幸せになれると聞いたので。俺の幸せはもう、あっちには何一つないんです。」
「なるほど。君の誰かを想う『普通』で素直な気持ちは、必ずこの島のためになりますよ。」
採用欄に、強く、○を書きました。
それはもちろん、彼が有益だったと思ったからです。そう言い切るのが、きっと正しい「選ぶ者」の姿なのだと、思ったのです。
選び抜く、正しい「目」を持つこと。それは確かな覚悟と、圧倒的な知識、地位、力によって成されるものだと信じていました。
ただ、もし、それだけでは不十分で、そこにはほんの少し、なにか別のものを加える必要があったのだとしたら。ハナモリ氏と僕との差異が、そこにあったのだとしたら。
僕が真にハナモリ氏のようになれていたのなら、もう少し、異なった結末だったのかもしれません――。
燃え盛る島。消されゆく夢。
途方に暮れて歩き戻ったゆりかご園前に、小さな結晶状の宝石のようなものが、落ちていました。
手に取って、ゆっくりと握ったそれが、あまりにも固く冷たいせいで、僕の脳裏には、こんな記憶が流れてきたのでしょう。
けれど、それももう終わりのようです。
追憶の世界から戻り、握りこんでいた拳をゆっくりと開くと、そこにあったのは、空気だけでした。もしかしたら、はじめから、何も無かったのかもしれない。
でも、今の僕は、あの手に触れた確かな感触だけは、忘れたくないと思っているんですから、不思議なものです。
そろそろ、時間か。
「社長」加賀屋公彦は、ここに消えます。
来世の、生き方も、決まった、頃合いなので。
迫り来る炎のなかに、どうしてか娘の顔が見えるような気がして、僕は自らに呆れながら、ゆっくりと目を閉じました――。




