第十一話 深紅の蜜(メイプル)
朝、目覚めた瞬間の、あのまどろみが消えた。
夢と現実の境がなくなったのか、それとも、単に「眠らなくなった」だけなのか。
「おはよう、灯里。はい、今朝のぶんです。」
私の手には、今日も一粒の赤い錠剤が載っていた。
キッチンのテーブル越しに、楓が笑顔で差し出してくる。赤い錠剤――、この三日間くらいで、何回飲んだのだろう。最初のうちは数えていたけど、気づけばやめてしまっていた。
「楓……あの……。」
「どうしたんです?灯里。」
「えっと……。」
私は、楓からもらった赤い錠剤を、飲み込まずに、口の中で転がしていた。ちょっとだけ、甘い味がする。飲み込みたくない、そんなふうに思ったりはしてない……、してないはずなのに。
薬を飲み始めてから、私の身体には少しずつ変化が現れていた。眠らなくても疲れないし、食欲もある。能力を扱うときの、集中力も増したように感じる。
でも、少しだけ、自分の身体の変化に、底知れない怖さを感じてもいた。
「灯里、悩みがあるなら言ってください、ね?わたしにも、言えないことですか?」
違う。むしろ、楓にしか、言えないこと。
私はしばらく考えてから、思い切って楓に打ち明けることにした。
「実は今月、まだ……生理が来てなくて……。予定日はもう、だいぶ過ぎてるはずなのに……。こんなに、ずれることなくて、それで……。」
私の声は、自分が思っている以上に、どこか不安げで、震えていた。
楓はカフェオレを飲むのを止めて、それから、微笑んだ。お姉さん、みたいな顔だった。
「それ、よくあることですよ。ホルモンバランスが変わってきてるだけです。わたしも、飲み始めの頃は、そうでしたから。」
やっぱり、薬のせいなんだ。私の口の中には、先ほどまでの甘さとは違う、どこか苦いような、酸っぱいような味が広がっていた。
「楓は、不安じゃないんですか?」
「不安、ですか?」
楓は驚いたような顔で、続ける。
「不安はないですね。子どもを産みたいわけでも、殿方を知りたいわけでも、ないですから。それなのに、女に生まれたせいで、毎月毎月、力のコントロールが不安定な時期がある。これは、非効率です。」
非効率……、そんなふうに、言ってしまえるものなのかな。
「灯里はいま、子どもを身篭りたいのですか?それとも将来、彼との子を、授かりたいと、考えているのですか?」
「そんなんじゃ……、ないですけど……。」
何か噛み合わない。こんな話になるはずじゃなかったのに。
「なら、問題ないですね。月のものが消えるのは、薬を飲んでいるときだけですから。でも、大丈夫ですよ。快楽そのものが失われるわけではありません。心地よさを得ることは、今後も権利として残り続けます。わたしたちは、もはや機能としての『女』に、とらわれる必要はないんです。」
私はあまり深く考えずに頷いてみた。けど、それは良くなかった気がする。やっぱり、楓が言っていることの意味は、あとから考えても、よくわからなかった。
「幸せな気持ちさえあれば、生きていけますよ。だから好きなんです。灯里との時間。」
一切の迷いすら感じられない言葉には、段々と重みすら宿ってきたように思えて、私は少しだけ苦しいような心地になった。でも、それは別に、楓との時間が苦痛だというわけではない。むしろ、幸せだ。幸せだからこそ、重たい。こんな気持ちになるなんて、思ってもいなかった。
楓は昨晩も寝ずに働いたのだろう。トーストを頬張る顔は、どこか少しだけ痩せこけてきたようにも見える。
『灯里さん。あの子のそばに、居てやってくださいね――。』
社長の言葉が、頭の中で何度も再生される。楓がいなくなるなんて、嫌だ。私も早く、楓みたいにならなきゃ……いけない……はず。だって、じゃないと、楓は……。私にしか、助けられない。
「ねえ、灯里。いま、『私、楓の力に、なれてますか?』とか、聞こうとしてますよね、違いますか?」
私はまた、頷くしかなかった。楓の言うとおりだったからだ。
「灯里がいてくれる、それだけで幸せなのに、今は一緒に、隣で働いてくれている。わたしの夢、いいえ、ふたりの夢のために、隣でがんばってくれている。かわいくて優しい灯里は、わたしの支えですし、ずっとわたしの、大切なパートナーですよ!」
純粋に、嬉しいと思える自分が、最近いる。その証拠に、私の炎は小躍りするように湧き出す瞬間を待っている。
ただ、この炎は温存しなければと思った。だって私にはまだ、楓と違って、力の「限界」があるから。
私は口の中で小さくなった錠剤を、勢いよく飲み込んだ――。
「ねぇ、灯里。覚えていますか?明日は、わたしと灯里が出会ってから、ちょうど二週間の記念日になるんです。」
ある夜、楓がお風呂のなかで、私の髪を洗ってくれながら、そう呟いた。
「なにか、記念になるもの、買いに行きましょうね。たとえば、お揃いのリングとか。いやですか?」
嫌なわけがない。たぶん、心の底から、そう思えた。私は、髪の毛の泡を振り放ちながら、楓の方を向いて、できる限りの満面の笑みで頷いていたと思う。ありがとう、そう言って私の身体を抱きしめてくれた楓の身体は、どこか骨ばっていて、ちょっとだけ、痛かった。
翌日、夕方から夜にかけての発電業務を終えて、私は楓とふたりで、管理塔の休憩ルームに来ていた。ここは、中央給電司令室の上階にあって、ガラス越しに下階のモニターの様子が見られるようになっている。
モニターには島内の各施設の稼働状況が表示されていて、いつもと変わらない日常が流れているように見えた。
「灯里、もうちょっとしたら、行きましょうか。指輪屋さん、19時までなので、あと一時間とちょっとで閉まっちゃいます。」
「うん、行こ……」
次の瞬間、全てのモニターが一斉にブラックアウトし、警報が鳴り響いた。室内の照明も消え、非常灯の赤い光だけが空間を照らす。
「灯里、非常事態です。緊急時マニュアルは全てわたしの頭に入っていますから、わたしの指示にしたがって動いてください!えっと、まず火を。」
私は頷き、小さな火を灯した。楓とともに管理塔の展望テラスへと飛び出した。
外に出ると、島全体が停電していた。
「この島が……完全停電……?ありえません、そんなの。早くお父さんに……、だめです。通信もできません。ここから先は、社長権限です。お父さんの指示を、待ちます。」
そのとき、眼下から爆発音と共に黒煙が上がり始めた。異臭もする。
「まさか……!灯里、攻撃されてます。この管理塔!」
攻撃……?
私たちは、火の灯りを頼りに、急いで先ほどの司令室に戻った。下階からは、慌てる職員たちの声が聞こえてくる。
「通信復旧はまだか!」
「非常予備電源、機能しません!蓄電池起動不能!システムが、我々を拒絶してます!」
私は部屋全体を照らそうとしたが、先ほどの業務でほとんどの力を使い果たしてしまっていて、うまくできなかった。
何もできずに、1分、2分が過ぎた。混乱は、広がるばかり……、そんな時だった。
「皆さん、まずは落ち着きましょうか。」
優しい、穏やかな声だった。あれだけ慌てていた職員たちは、一斉に静かになり、その声の発された一点を見つめた。
「ここからは、僕が直接指揮をとります。」
「お父さん!」
楓の声に、社長は愛想笑いのような笑顔を返した。
「まず、本時をもって、非常災害対策本部設置を宣言。本部長には僕を任命します。続いて、本部長として本土の一般送配電事業者に救難信号を発令、社長として日本海底特別連系線の運用開始を宣言。これを活用した、本土からの緊急送電再開を依頼します。送電再開後は、地下『ゆりかご園』の電力復旧を最優先。それから……」
『ほぉ、もうできてたのか。お前の野望のためだけに引かれた、あるはずのない送電ケーブルは。』
「誰です!?」
楓が叫ぶと同時に、モニターの画面には、荒い目付きに白髪混じりの男性が、映し出された。
「電波、ジャックされてます!」
職員が叫ぶ。
「これはこれは、小田垣元副社長。ご存命だったとは。ケーブル完成のお祝い、ありがとうございます。こんな形で運用開始になるのは、極めて不本意ですし、不快ですがね。」
社長の声は、苛立ちを隠しているようだった。
『何が副社長だ。そんなクソみてぇな肩書き、ワシの人生の最大の汚点ってモンだ。それに、ゆりかご園、ねえ。職員のガキがいるだけのはずの場所が、どうしてそんなに重要なのかい、公彦よぉ。』
社長は表情を変えないようにして、言葉を淡々と返していく。
「楓、灯里さん、準備を。いえ、向かうのは下ではない。上です。タービンを回したところで、発電設備の制御システムはやられているはず。それなら、ローテクですが、灯里さんの炎と楓の風で物理的に夜空を照らしてしまえばいい。『太陽』など出すまでもなく、夜空は照らされます。名付けて、『花火大会』プロジェクトですかね。開所五周年の夜に、極めてふさわしい。」
「でも、お父さん、灯里はいま、力が!それにわたしも、今は、ちょっと……。」
楓が焦った声で叫ぶ。
「楓。何のための薬ですか。それに、お父さんではなく社長です。いや、今は災害対策本部長か……。」
『おーお、おっかねえ、相変わらず血も涙もねえクズだな、公彦よぉ。実の娘も、結局お前にとっては道具同然なんだな。』
「小田垣元副社長、いや、テロリストの首領さん。人様の家庭に口出しをするのは、ダイバーシティインクルージョンの前提にすら立てない、前時代の亡霊……おっと、比喩にもなっていませんでしたね。失敬失敬。」
『お前さんも充分亡霊側さ、公彦。この会話はな、街中全てのモニターを通して、完全生中継させてもらってる。さあ、白状してもらおうか。お前さんの悪事をよォ。そうだな、まずは能力者のガキ共の強制労働だ。こっちは証拠も押さえてる。』
「無根拠な名誉毀損には、寛大な心で目を瞑りましょう。さて、悪事……ですか?そうですね、あるとすれば、競争阻害くらいですか?いずれこの国の発電システムは、全て僕の開発したものに置き換えられます。過去の時代の古臭い発電事業者たちには、申し訳ないですね。」
『減らず口も今のうちだぜ。おい、繋げてやれ。』
モニター越しに、「はい」という声と、数人くらいの会話のようなものが聞こえてきた。楓は、相手も相当な人数の組織なのかもしれないと言っている。
『……こちらゆりかご園前!ゆりかご園前!社長、聞こえますか!緊急事態、敵襲、敵襲。攻撃されています。相手は複数名の能力者、いずれも下級のロストナンバーたちと見受けられます!加えて、ふたりの同じ顔をした水の能力者、こちらはかなりの力です。一般職員では到底太刀打ちできません。どうか、能力者の派遣を!』
社長はゆっくりと頷いて、また「元副社長」らしき人物に話しかける。
「テロリスト小田垣さん、あくまでゆりかご園だけに狙いを一点集中ですか。実にあなたらしい。」
鈍い爆発音が床下から聞こえてきた直後、モニター越しに強い音が響いてくる。社長は、もはやこの状況に明らかに似つかわしくない美しい声で、指示を出し始めた。
「ここからの指示は僕の口頭にておこないます。各自、伝言形式で上意下達を徹底してください。」
職員らは一斉に返事をし、社長は続ける。
「まず、社長として有事採用枠の予備職員を一括採用。本時をもって警備部に配属。災害対策本部長として、光栄電力警備部を防衛部に改組。反撃および自衛のための戦闘を許可します。至急、防衛部を現場に向かわせなさい。相手が『水』なら、こちらは『氷』を向かわせましょう。発電には使いがたい能力ですが、こういうときには役立ちます。戦線の指揮は僕が直接執りますので、至急、部隊の招集を。」
楓が、いてもたってもいられないといった様子で、社長に駆け寄る。
「お父……本部長!わたしたちも、ゆりかご園へ!」
「いいえ、君たちは花火です。ゆりかご園には近寄るな。命令です。」
社長は、そう言い残して立ち去ろうとした。しかし、途中で止まって、またモニターの方を見た。
「せっかく中継してくれてるんですから、大切な島民の皆さまに、説明責任を果たしましょう。元副社長、島民の皆さまに避難指示を出したい。それくらいはさせてくれますよね?」
『許可しよう。ただし、その放送以降は、お前さんらのいるモニター室の音声は切らせてもらうよ。避難先には、ゆりかご園から出てくる、この島の真実を、中継させてもらうからな。』
「結構です。テロリストとはいえ、電力の人ですね、あなたも。」
映像がこちらの部屋に切り替わる。
「皆さま、ご心配をおかけして申し訳ない。しばらくの間、地下シェルターに避難してください。慌てないで、避難訓練の時と同じです。押さない、走らない、喋らない、そして、戻らない。僕は断固としてテロ行為を許しません。皆さまが再び空を仰ぐとき、それは我々の勝利の時です。さあ、避難を!」
『相変わらずの口先野郎だな。』
モニターの映像は、またゆりかご園前に切り替わる。楓と一緒に非常階段を駆け上がる私の目に飛び込んできたのは、能力者同士の「戦い」だった。そして、その最前線にいたのは、あのときの双子と、蒼葉――だった。
蒼、葉……?
「灯里、行きましょう。」
楓の声だった。でも、私は楓の声よりも、目の前の映像にしか心が向いてなかった。戦っている、蒼葉が。水の双子や、色んな能力者たちと一緒に、地下施設の入口を破壊しようとしている……!
なんで?どうして?どうしてそこに、蒼葉がいるの?
「灯里、行きましょう。」
どうしてなの。蒼葉たちは、なんでこんなこと、してるの?ここは、能力者たちの楽園で、みんなが幸せに暮らせる理想郷――、なんじゃないの?
「灯里!」
強い声に、ハッとした。
「行きましょう。いま本部長に従わなければ、この島の未来は、わたしたちの幸せは終わります。だから、ね。お願いです。蒼葉さんたちはきっと、悪い人に唆されてるんです。だから、ね?目を醒ましてあげましょう。」
初めて、楓の方を見ると、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。こんな楓、初めてだった。私は、頷くしかなかった。
非常階段で最上階に登り、社長の執務室でもある展望室の窓を、楓の風で破壊して、窓の外に出る。
道中、所々にあるモニターには、能力者同士の戦いが映し出されている。蒼葉は、どうやらそこには巻き込まれていないらしい。能力者たちは、敵も味方も、全員が終始笑顔や狂気の顔に満ちていて、あまりにも、見ていられなかった。
「灯里、先を急ぎましょう。」
私たちは、楓が振り絞った力で空を歩いて、管理塔のてっぺんに登った。
「いいですか、灯里。花火玉をイメージしてください。はじける炎の凝集体。エネルギーの塊。幸せの塊。それを、ぎゅうって、作るんです。力が足りなければ、これを飲みましょう。うまくできなかったら飲む、それを繰り返していけば、いつかきっと、できるはずですから。」
そう言って楓は、薬を一気に十錠くらい飲み干した。
数秒後、風が乱れる。
「楓!」
「大丈夫です。それより、はやく花火を……!」
できない、できない――!
できなかった。何回やっても、何錠飲んでも、私にはもう、全く、火が灯らなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「泣かないでください、灯里。お父さんに言って、作戦を変えてもらいましょう。わたしも一緒にお願いしますから、ね。大丈夫、きっとお父さんには、他にも作戦がいっぱいあるでしょうから!」
なにもできない、無力な私は、ただ楓の風に乗りかかったままに、モニター室へ戻る。
「楓、花火は?」
社長の問いかけに、楓が答える。
「本部長、作戦は失敗です。灯里はもう、限界です。」
社長が私の方を見る。がっかりだ、とでも言いたげな顔だった。
「仕方ありません。楓はゆりかご園前の加勢に。灯里さんは、しばらくここで待機してください。他の策を講じます。」
結局、私なんて何もできないんだ。
「行ってきますね」とだけ言って、勇ましく戦場へ向かった楓を、私は見送ることしかできなかった。
傷つけたくない人を、傷つけるのはできるくせに、支えることはできない。
「EV応急送電を試行。島中の電気自動車を人の手でかき集め、管理塔地下変電所への連系を試みましょう。工務部と系統運用部を中心に、伝言伝達を。」
「了解しました!至急、工務部長へ伝達します!そこからは、カスケード式とします。」
「配電部の職員は電力系統復旧作業を最優先。情報技術部は、小田垣の居場所の特定を。事務系社員は、防衛部のサポートを。」
「了解しました!」
「『氷』だけでなく、『ガス』や『岩』なども地下に向かわせましょう。ガスは不燃性の毒ガス系能力者のみで。必要に応じて、現場の判断で臨機応変に使ってもらいましょう。防衛部長に伝令を。わかりますか?」
「了解!」
社長の指示が飛び、社員らがそれに呼応して駆け出していく。小さなペンライトや非常用の電灯を片手に、慌てつつも冷静な対応が、目の前で繰り広げられていく。
みんな、自分の仕事がある。役割がある。居場所が、ある。必要と、されている。
モニターからは、ゆりかご園前の音声だけが流れ続ける。
『敵は水以外大したことないぞ!まずはあの二人を抑えろ!』
『氷と岩で武器を作れ!非能力者はそれを使え!』
『敵に武器を奪われました!』
『何してる!殺せ!』
『殺せ!』
『おっしゃぶっ殺したる!』
『敵、ゆりかご園階層に侵入!』
戦況を見て、社長は的確な指示を出す。
「ゆりかご園の扉を人力もしくは氷で封鎖。有毒ガスを流し込んで敵を封じ込めなさい。これで制圧です。今すぐ、伝令を。もうじき楓が着きます。それまでの辛抱ですから、なんとか持ち堪えてください。」
「了解しました!」
殺す……?ガス……?
ゆりかご園。もしかして、蒼葉がいるんじゃないの……?
「社長!……社長!」
気づけば私は、喚いていた。
「私も行かせてください!私も!私も役に……立ちたいんです!」
社長は呆れたような顔をしてから、そのあと何か思いついたような様子で、私にこう言い放った。
「いいでしょう。楓の援護を任せます。ただし、これを持っていってください。これは楓のために開発した、特別な『深紅の蜜』です。この薬は、普段あなた方が飲んでいるものとは、桁違いの力を生み出します。ただ、代償として、寿命のほとんどを失うことになります。楓が使えば……。いえ、こんなこと、言っていられない状況です。くれぐれも、楓の最終手段として、使うように伝えてください。」
「伝令。至急、可燃性ガスの職員を地下へ。敵に見つからぬよう、地下エリア全体に……」
社長の言葉は最後まで聞こえなかった。でも、私にはもう、私が何をすべきなのか、ちゃんとわかった気がした。
甘い甘い、甘すぎるリンゴ飴のような味が、脳に沁み入るようだった。
意識なんて、もうなかった。
あったかい、きもちいい。それだけ、それだけは残っていた。
それ以外はもう、ただ焼き尽くせば、いいと思った。
青い炎が真紅に変わる。片目から炎が湧き出る。
熱い!熱い!気持ちいい!
焼け死ね!全部、灰になれ!
ぜんぶ、みんな、燃えてしまえ!
溢れ出す力、みなぎる自信、感じる、幸せ。私の周りにある物が、そして床が、どんどん熔けて、道になる。吹き出す火花と火の粉を連れて、私は地下へと降りていく。
敵を全員焼き殺して、操られてる蒼葉を助ける、だけ?それだけ?なーんだ、簡単じゃん。
「灯里!一緒に戦ってくれるんですね!」
「楓!お待たせ!」
追い風が、私の炎を強くする。
非能力者は、簡単に焼け焦げていく。逃げ惑い、燃え移り、バタリバタリと倒れていく。ああ、楽しい!
「灯里、あなたがこの島を、わたしたちの夢を、守ってくれている!わたし、嬉しいです!」
楓の方を見ると、風に氷能力者たちの作った刃を纏わせて、敵に突き刺している。
へえ、そんなこともできるんだ。面白!
敵の能力者は、情報どおり、大したことなかった。
催涙ガスの能力者らしい奴は、楓の刃に勝手に当たって倒れていった。楓とは比べものにならない微風の能力者たちは、私の炎に逃げ惑って、焼けていった。
「お、灯里ちゃんか?こっちの加勢頼むわ!なんもできへんカスのくせに、こいつら意外としぶといねん……。」
どこかで聞いた、訛り声。邪魔くさい。そんな弱い力しかないなら、黙って消えればいいのに。
「ちょっ、待てや!灯里ちゃん、俺や、紀本冬夜や!仲間やって!」
「私に指図しないで。殺すよ。」
ああ、楽しい!
目の前に広がったのは、まるで盛夏の朝焼けだった。熱い太陽が全てを焦がして、これからずっと続く夏になる。
燃えろ、燃えろ!もっと、もっと!
「灯里!あとちょっとです、消し尽くしましょう!」
楓の声も、どこか嬉しそう。なんか、遊んでいるみたい。
「ゆりかご園救助班はまだか!」
「風と火……、無理だ……、あんな化け物たち……。」
「もう持たない……。」
蟻の巣を潰して遊んだことがある。
誰も遊んでくれない、昼休み。
穴を埋めてもまだ出てくる。外にいる奴らを踏み潰しても、まだいる。石で抉っても、水をかけても、数日後にはまた、巣ができている。
全部、焼き殺せたらいいのに。そう思っても、火は出てきたりしなかった。
「やめてくれ!助けて!」
「俺には家族が、頼む……。」
「小田垣さん、聞こえますか!小田垣さん……!」
でも、今は違う。
ちゃんと、焼き尽くせる。
私の火は、炎になって、ちゃんと私の味方をしてる。ちゃんと私の思うまま。いや、もう炎の方が、私なのかもしれない。
さあ、次は、強そうな、あいつら。あの双子。蒸発させてやる!
「楓!」
私の視線に、楓が呼応する。
「なるほど、灯里!」
そう言って、楓は私のまさに求めた強い追い風を作り出す。風に飛び乗った私は、水の双子を目掛けて、太陽のような炎を纏いながら、突き進んでいく。
双子の悲鳴が聞こえる。
そうだ、もう、みんな焼けてしまえばいいんだ。蒼葉だけ、助けられたら、それで……!
次の瞬間だった。
一瞬で、私は消火を強いられることとなる。
私の前に、両手を広げて立ちはだかったのは、マスク姿の男。私が……、絶対に傷つけちゃいけない人。
「蒼葉……。」
私の声に、彼は頷いた。そして、優しい声で、続けた。
「灯里……。俺は君を、助けに来た。」
こんな形で、こんな場所で。
敵と、味方で。
私たちは、やっと――。
「再会」を果たせた。
私の背中には、止めるにも止められなくなったような、強い追い風だけが、ただ吹きつけていた――。
2025/05/04 一部誤字訂正
2025/05/10 2話に分割。前半部(本話相当)の表現を全体的に見直し。
2025/05/15 一部表記揺れを修正。
2025/05/17 内容を一部追加し、第八話→第九話へ。
2025/05/22 軽微な修正をし、第九話→第十一話へ。
2025/06/04 誤字訂正。




