第10話 薄明
残された時間は、きっとそう長くはない。
加賀屋公彦は、力ある者に甘い夢を見せながら育て、その果実を、根こそぎ絞り取っていく。灯里を、そんな目に遭わせてはならない。
灯里はきっと、自分の力で、新しい一歩を踏み出そうと、この島に来たはずなのだから。
灯里を、あんな男に明け渡してたまるか。
急がなくては。何としてでも、灯里を取り戻さなければならない。
そのための、唯一とも言える頼みの綱が――彼だ。
「来たな。まったく、やっと決心したのか。もう、後には退けねぇぞ。」
計画変更で放置となった送電ケーブル用洞道の先にある、使用停止中の昇降機を改造した隠れ家。そこにいるのは、白髪交じりの無精髭を生やした男。齢六十を過ぎているはずだが、その目は獣のように鋭い。
「わかっています。もう、俺は逃げません。決めました。」
「目ぇ、変わったな。戦う男の目だ。守りてぇモンでも、見つけたんかね。」
「はい。やっと、見つかりました。」
その言葉に、鋭い目がギラリと輝いた。
彼の名は、小田垣士郎。かつて、光栄電力の2025組、いわゆる初期メンバーとして、加賀屋公彦の右腕を務めていた人物。島のセキュリティ、給電制御、出入境、生活インフラ、通信網……ほぼすべての中枢システムを設計した天才IT技術者だ。
今からちょうど2年前の2030年の夏。社長が秘密裏に進めていた「計画」の核心に触れた彼は、自らの正義感をもって、会社を去った。
世間的には「死亡した」とされているが、実際は、この地下に身を潜めながら、密かに「島の正体」を暴こうとしているレジスタンスの中心人物だ。
「この島の出入境管理システムは、ワシが最初に設計したモンだ。だからよ、『いないはずの人間』くらい、簡単に作れちまう。ところがな……、GPS、あれだけは例外だ。あれは俺が辞めちまった後に、公彦が国と共同で入れた後付けの仕様だ。正確には、もはやGPSですらない。次世代規格の、高性能な量子コンパスを使ってやがる。よっぽど、『逃げられる』のが怖ぇんだろうな。」
小田垣さんはそう言って、薄暗い空間の奥から一台の古びた端末を引っ張り出してきた。コードと光ファイバーで繋がれたその端末は、今もなお、島の中枢システムに直接アクセス可能なバックドアを維持しているらしい。
「だから、この組織に加わるには、職員用GPSの返却、つまりは退職が必要だったということですね。そして同時に、返却行為自体が、あなたへの忠誠心や、当人の本気度を測る指標にもなるというわけですか。」
「その通りだ。おいお前ら、こいつなかなかの肝入りだ。仲間に入れてやってくれ。」
小田垣さんが言うと、昇降機の奥に不自然に繋がる管路から、数人の仲間たちが出てきた。
「食料と水ならある。農園から調整廃棄分を掠め取ったり、システムを弄ってここにモノを届けさせたり……まあ、いろいろだ。この島の配送が無人ロボット運用なのは、ワシらにとっちゃ好都合なんだよ。たが、分け合って食ってくれよ。もうじき、供給も絶えるんでな。」
「絶えるって、どういうことですか?」
俺の問いかけに、小田垣さんの後ろにいた仲間の一人が割って入って、答えた。
「電力関係のシステム刷新は5年周期。2025年当初の計画通りなら、2030年、つまり今年に、システムの大幅な刷新が予定されています。」
「そうなると、小田垣さんのハッキングは……。」
辺りに重い空気が立ち込める。
「できなくなるだろうな。だからこそ、急がなきゃいけねぇ。当初の計画通りなら、システム更新は二週間後。計画の完全遂行にとことんこだわる業界の人間だ。そう簡単にズラしゃしないだろうよ。だから、それまでにワシらは、あの公彦のバカの悪事を白日の下に晒し、奴の狂った夢物語が夢で済んでいる内に、この島ごと沈めてやらなきゃならねえ。」
仲間たちの多くは、俯いている。それもそのはずだ。確かに小田垣さんはすごい。彼ひとりのおかげで、このレジスタンス体制が保てていると言っても過言ではない。だが、いまのままでは、正直言って、明らかに力不足だ。特に、ここに集まっているのはかつての技術系職員がほとんど。異能力者もいないことはないが、試験に落ちて帰る場所を失った者が数人いるくらいだ。
「まあ、その目になるよな。お前さんの考えていることはわかるよ。ワシらに足りないのは、まず「絵」だ。ワシらには、それぞれが死ぬ気で持ち寄った『情報』という武器がある。これはワシらの覚悟や悔恨、懺悔の結晶でもある。このおかげで、公彦の計画についてはおおよその見当がついた。これはあとでお前さんにも話してやる。」
小田垣さんは、拳を強く握りしめながら、続ける。
「だが、異能力者が『強制的に』発電に使われているという、証拠がねえ。あくまで、公彦は俺に『全員が快く、自らの意志で協力してくださっている』とか抜かしやがったが、それじゃ合わねぇんだよ、kWもkWhも、明らかに。供給力の裏リストが、そして、強制的に働かされている奴らが、いるはずなんだ。その証拠を、押さえたい。そしてもうひとつ、力だ。数だけじゃねえ、質も要る。となれば、少なくとも能力を自在に操れる奴らからの協力は不可欠だ。何せ、向こうには風のバケモンがいるからな。」
加賀屋楓。最強にして最も冷酷な能力の使い手。父のためなら、全てを差し出す、無機質で、ロボットのような、イキモノ。
「証拠を掴み、敵の動きを止める。一瞬でもいい、そのふたつの条件さえ整えば、ワシがこの島中の電波をいじくって、この島の奴らの目ん玉に、焼き付けてやる。事がバレれば、本土の茹でガエルたちも、黙っちゃいられねぇさ。」
周りの仲間たちはまだ、どよめいたままだった。俺は、この状況を変えるしかないと思った。
「やります!俺にできること、させてください!灯里を、助けるためにも!」
「フッ、なるほど。覚悟のスイッチは『愛』というわけか。よし、お前さんらもこの若ぇのを見習え!やると決めたらやるぞ!そのためのワシらじゃねぇか!」
揃わない「オー」の声が、洞道内にこだましながら、次第に大きなうねりのような声へと、変わっていく。
灯里、待っててくれ。俺が絶対、助け出すから――。
小田垣さん率いるレジスタンスメンバーに加わって、一週間が経った。俺は仲間集めのために居住区をこっそりと回っていたが、この島に住む者は、この島で増幅しつつある巨大な闇に、一切の関心すら示さなかった。
それ以上に、わかったことは、この島の者は皆「加賀屋公彦を、まるで神仏のように敬愛、信奉している」という絶望的な真実ばかりだった。
加えて、協力者を募ろうにも、そもそも話すら聞いてくれないケースが大半だ。身分証を求められたり、非能力者に何がわかると言われたり……。
こうして、収穫ゼロのままに、あっという間の一週間が、過ぎてしまったというわけである。
そして訪れた、八日目の夜。俺が知ったのは、悪事の証拠どころか、かつてなく強大な「火」が、奴らに加わったという事実――、そして、その「火」は、「風」とともに生涯をこの島の未来に捧げると誓ったという、信じたくもない噂話だった。俺は灯里を行かせてしまったことを、何度も何度も後悔しながら、ひとりで咽び泣いていた。
あのとき、俺がもっと早く、真実を伝えられていたら――。きっと、こんなことにはなっていなかった。
無理やり理屈を捏ね回して、結局ただ君に触れたい一心で、独善的な「手助け」をしたつもりになっていた自分を、ぶん殴ってやりたい。
「くそっ!……灯里っ!」
地下の湿ったコンクリート壁は、鈍い感触とともに冷めた痛みを与えてくる。
「お前さんの守りてぇモンは、日向灯里って子だな?」
振り向くと、そこにいたのは小田垣さんだった。
黙って頷いた俺に、彼は端末の画面を見せてきた。そして、古そうなタバコに火をつけながら、続けた。
「なるほどな。そういうことか。こりゃ公彦のやつ、相当この子にゾッコンだ。お前さんも知るとおり、普通なら、親への挨拶やらなんやらのために、『配属』にあたっては、一回島から帰したりなんかもするもんだが……。どうやら『特別優秀者枠の長期インターンシップ』とか名目をつけて、この子の家族が心配して捜索を始める可能性すらも湧き潰してやがる。それも、とんでもねぇ額の給金を、親宛てに振り込んでまでな。これで黙る親も親だが……。常に冷静な公彦が、こんな手荒なマネをするのは、初めてだ。きっとそれほどに、奴は浮き足立ってやがる。」
「くそっ……!くそっ……!」
拳が熱く染まる。
「悔しいか。」
俺は、食いしばった歯を何とか解いて、答える。
「悔しい……、悔しいです。」
小田垣さんは「そうだよな」と言って、俺の横にずっしりと腰かけた。
「痛ぇほどわかるよ。お前さんの気持ち。目の前で起こる事態に、底も知れねぇ闇に、もう自分は何一つできねぇ苦しさ。どんどんと、手もつけられなくなっていく、手遅れなんじゃねぇかっていう、焦り。もしも、もっと早く……、あのとき自分が……、そう思えば思うほど、自分を責めるしかねぇ悔しさ。ワシも、そうだった。ワシは、もっと早く、奴を止めるべきだった。なのによ、それができなかった。」
小田垣さんは、一向に火がつかないタバコを、仕方なさそうに咥えた。そして、しばらくして、それを強く右手で握りしめながら、続けた。
「ワシはな、夢見ちまったんだよ。あいつの、真っ直ぐな目に。正直に言やぁ、憧れだった。あんなにも、綺麗な目で、壮大な夢を朗々と語れる奴になんか、これまで会ったことがなかった……。思えば、違和感はたくさんあった。止める機会だって、腐るほどあったはずだ。だがな……、だからこそ、ワシがケジメをつける。奴は悪だ。悪は悪なんだ。悪はな、叩き潰さなきゃいけねぇんだ。だからよ……、がんばろうな。」
小田垣さんの言葉と表情を真正面に受け止めた俺の脳は、怒りや苦しみ、恐れにも似た、ぐわりと乗りかかってくるような、生まれてはじめての感情に支配されていた。この、得体の知れない気持ちは、俺を弱くも、強くもしながら、でも確かに、俺のことを鼓舞してくれたのだと思う。
九日目、十日目が過ぎ、タイムリミットまであと三日となった日の夕方。証拠捜査班が、ついにひとつの核心的事実に辿り着いた。それは、これまでその名前以外一切情報のなかった「メイプル計画」についての、ひとつの真相めいた仮説だった。
捜査班の聞き込みで分かったのは、この島の施設が完成して半年ほどが経った2025年の冬頃のこと。突如として、小学校就学前くらいの子どもをもった家族が、本土に帰還すると言って、近所にろくな挨拶もせず、急に引越しをして行くというケースが頻発していたという事実だった。
確かに、天照島黎明期には、人の出入りも今以上に多かった。しかし、今回の調査から想定される事例の数に対して、明らかに当該家族の出境記録数が少なすぎることが判明したのである。
「こりゃ、もしかすると、ガキ集めて……。そういや公彦のやつ妙なことを言ってたことがあるな。『蜜の味は英才教育だ』とか、確かそんな……。」
レジスタンスメンバー間での、暴くべき真実の狙いは定まった。もう、これに掛けるしかない。地下発電設備で、児童への強制労働がある。この線がもし外れれば、俺たちは……。いや、きっと、必ず。証拠は見つかる。早く力を、協力者を、見つけなければ。
翌日。俺たち協力者獲得班は、出境管理所で何やら揉め事が起こっているとの情報をキャッチした。向かってみると、そこに居たのは……。
「ねえ、そろそろうちら帰りたいんですけど。向こうにも友達とかいるしさ、ね?」
「うちらこの島、飽きてきちゃったんよ。スタバないし、ホンモノのビーチもないし。あとイケメンぜんぜんいないし。」
例の双子だ。
試験のとき、灯里に笑顔でエールを送っていた、水の能力者。あのギャルっぽい姉妹。まだ、帰れていなかったのか。もしかすると、この子たちも灯里と同じで……。
「あ、試験みたいなやつのときの、お兄さん?こいつ全然言うこと聞いてくれないんだけど。」
「うちら、帰りたいのにさ、『まだ適応期間』とか『再検査の順番待ち』とか言われて、なかなか帰してくんないんだよね。」
これだ、と思った。彼女らは、枠にはめられたコントロールこそ苦手なものの、その力の強さはこれまで見てきた水能力者を大きく凌駕していた。きっと、双子どうし、お互いを認めあって、高めあってきたからなのだろう。
「もし……」
俺は、その先を考えるよりも早く、思わず口に出していた。
「もし俺が、『ここから出る方法』を知ってたら、協力してくれるか?」
彼女たちは顔を見合わせ、少しだけ黙って――そして、笑った。
「なんか面白そう、それ。」
「退屈だったんだよね、最近。スマホも返してくんないからさ。」
「ありがとう。」
そう言って差し出した俺の手を、彼女らは少し気恥ずかしそうに、ひんやりとさわやかに冷たい手で、握り返してくれた。
「『それ、汗じゃないから。』」
双子の声は、ぴったりと重なっていた。
そして、ついに最終日――。
「役者は揃った!お前さんらよう頑張ってくれた!あとはワシの作戦に任せい!」
勝負は明日の、日没以降。小田垣さんのフルパワーによる「島内全域停電」を契機に、俺たちの反逆が始まる――!
2025/05/10 前話と順序入れ替え。内容を微修正。
2025/05/17 表現を微修正し、第7話→第8話へ。
2025/05/22 第8話→第10話へ。




