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12月(中)ーー雪に煙る冬の森

 私とネア君は手を繋いで森の中を歩き始めた。前を行くのはツバメの執事さんで、時折振り返って私たちがついてきているか確認してくれるけど、話しかけてはこない。私たちもおしゃべりする気分ではないので、黙々と進む。


 聞こえるのは私たちの足音だけ。


 森の奥はもやがかっていて、しばらくすると雪が舞い散り始めた。しんしんと降り積もる雪は森を白く覆いつくしていく。


 虫も、鳥も、動物も、何もいない。雪に煙る冬の森は静かな美しさに溢れていた。

 

 森は奥に行くほど白さを増し、私やネア君の肩に雪が積もり始めた頃、ツバメの執事さんが歩みをとめた。



 そこは小さな窪地で、虹色の光を仄かに帯びた透明な板が一枚、地面から20cmほどのところに浮いていた。薄くて繊細で今にもパキリと折れてしまいそうな印象。


 これはいったいなんなんだろう? いかにも謎の物体ですと言わんばかりの存在感に溢れているんですけど……。


 ツバメの執事さんは、私の疑問に気がついたに違いない。けれども、謎の物体については何もふれず、彼はただ空を示し、「()でお待ちです」とにこやかに告げた。


 「誰が?」なんて聞くまでもないだろう。ここは《森の魔女》の《領域》だ。上にいるのはきっと《森の魔女》様だ。それ以外ない。でもね、上ってどこよ!?


 見上げてみたものの、私には立ち込める雪雲以外何も見えないのだ。むむむ、いじわるされているような気がするよ!


 あ、ひょっとして、雲の上とか? でも、それだとかなり登らないといけないのではないだろうか?


「ええっと、どうやって()まで行けばいいですか? 短杖を使っても失礼にはあたらないでしょうか?」


 質問はちょっと変化球で投げてみた。


「いえ、こちらの階段からお願いします。エリーセ様だけならともかく、そちらのヒトの子が辿り着くにはこの階段を昇るのが一番安全であると聞いています」


 流れるように説明を終えた執事さんの笑みが先ほどよりも少し深くなった。


 あっ、これは不機嫌を隠すための笑みだ。


 私はちゃんと気づいた。だから、「私ならともかくってどういうことよ?」と思ったけど、抗議はしない。不機嫌な人に突っかかっても良いことなんて何一つないからね。でも、あと1つ、できれば2つ質問したい。ツバメの執事さんのごきげん的にもおそらくそのあたりが限界だ。


「階段ってどれですか?」


「先程不思議そうにご覧になっていたアレです」


 ツバメの執事さんが先程の透明な板を指で示した。透明な板は相変わらずそこにあるが、どう見てもこれは階段ではない。


 一段しかないのに階段とは、これいかに?


 もう一つ質問いけるかな? とツバメの執事さんを見る。すると、にっこりと綺麗な笑みが返ってきた。「問答無用! さっさと登れ」だそうです。仕方ありませんね。


 私には、不機嫌な執事さんにこれ以上質問をする勇気はないけれど、出たとこ勝負で行くしかないねと未知なる板に身を預ける勇気はある。そんなことを考えていると、ツバメの執事さんが、ずいと目の前まで寄ってきた。あ、イライラしていますね。いや、急いでいると言った方がしっくりくるかもしれない。


 悠久の時を生きているくせに、何をそんなに焦っているのか。短気は損気、急がば回れという言葉を彼には贈りたいね! 贈らないけど。


「それでは私は一足先にテラスに向かってお茶とお菓子の準備をしておきます。エリーセ様はパイはお好きですか? 毎日パイを焼いてお待ちしていたので、とても美味しく焼けるようになったんです。楽しみにしていてくださいね」


「うっ! すみません」


 不機嫌の正体はやはりコレか……! 


「お気になさらず。おかげで主人も私も気も紛れましたから。それでは後ほど」


 それだけ言うと、黒いツバメ尾服をはためかせ、ツバメは一陣の風になって曇天に姿を消した。




「なんというか、忙しない執事さんね。そんなに急がなくても……ね?」


 涙目で同意を求めると、ネア君がこくりと頷いてくれた。

 それから二人でもう一度階段を見た。せっかくだしこちらも一応確認しておこう。


「階段っていうくらいなんだから、まずはここに登ればいいのかな?」


 私が尋ねると、ネアくんはこくんと頷いた。ネアくんも同意見らしい。


「せーので足を載せるのでいい?」


 ちょっとの間を置いて、もう一度ネアくんが頷いた。


「よし。じゃあ行くよ。せ〜の!」


 

 手をつなぎなおし、思い切りよくガラスの板に足を乗せる。こういうのは勢いが大事なのである。一拍遅れてネアくんの足もガラス板に乗った。その瞬間


 

 ぐーーーーーーん


 

 と、透明な板が二人を乗せて大きく伸び上がった。あっという間に森の木々と同じくらいの高さまで上昇し、伸び切ったところで次の段が現れる。


 次はこれに乗れってこと?


 しかし、ゆっくり考える時間なんてものはなく、私たちが乗った1段目の階段が下がりはじめた。


「わわわ!?」


 慌てて2段目に飛び乗る。すると、また、ぐーーーーーーんと階段が伸び上がった。視界が完全に開け、遠くの方に灯りの点き始めた王都の街並みが目に飛び込んでくる。そして、また一段、新たに現れた階段をのぼる。


 「わぁ……!」


 ネアくんの口から思わずといったふうに、声がこぼれた。階段が上へ上へと伸び上がる時の爽快感は素晴らしく、目がきらきらと輝いている。もちろん私も年甲斐もなくはしゃいだ。だって、この高揚感は短杖で普通に上昇するときには感じられないやつだよ! あっと、短杖だとね、もっと機械的な上昇なの。


 透明な階段は緩やかに螺旋を描き、一歩踏み出すごとに私たちを上空へと運んでくれた。空中散歩と王都の夜景を楽しみ、あっという間に雲を突き抜け、気がついた時には景色が切り替わっていた。


 そこは明るい夜としか形容し難い不思議な世界。眼下に広がっていたはずの雲海は鬱蒼とした《森》にとって変わり、煌びやかな王都の灯りはもちろん、ヒトの気配すらどこにもない。

 

 ただただ感じるのは畏怖の念。森とはこんなにも神々しいものだっただろうか……。自分の存在がちっぽけに感じてしまうほどだ。


 突然の光景に目を奪われそうになったが、まだまだ階段は続いていく。


「ねぇ! ここ、どこ?」


 ネアくんが風に負けないように声を張って尋ねてきた。繋いだ手にぎゅっと力が込められる。


 ここはネアくんを安心させてあげるのが年長者の務めだろう。


「うーーーん、分かんない!」

 

 不甲斐ないエリーセさんを許しておくれ。いや、全く分からないという訳ではないのだ。でもね、ここで《あわいの向こう側》とか《人ならざるものの住まう場所》とか不穏な単語は聞きたくないと思うんだよね。


 そう、優しい嘘というやつさ!


 もちろん私もここに来るのは初めてである。ただ、こうして見てみると、旧王宮の地下迷宮ダンジョンの最奥にある不思議空間は、この異界を真似て作られた場所だと分かる。急にあの時見たメモみたいな物に書かれていた言葉が思い浮かんだ。


「其は、悲劇から生まれ、災厄を招く……、か」


「え? なーに?」


 ぽつりと呟いた声を、それでも拾って、ネアくんが聞き返してくる。


「ううん、なんでもない!」


 そして、最後にもうひと伸びすると、遂に私たちは頂上のテラスに降り立った。



◇ ◆ ◇



 遮るものがないせいか、階段と同じく透明な板でできたテラスには風が吹き付けていた。


 テラスにはテーブルとイスが準備されていて、こちらは全てクリスタル製。そして、その傍にツバメの執事さんが背筋を伸ばして立っていた。さっきの性格の悪そうな微笑はなりを潜め、全身全霊で主人を思っていることが伝わってくる。


 そして、その主人こそ、いつかの晩に見かけた女性だった。草花を編み込んだ髪を風に靡かせて、遠くの空を眺めている。その横顔はどこか寂しげで、彫刻のように綺麗だった。


 見惚れていると、ネアくんが手を引っ張ってくれた。


「っ! ……と、本日はお招きいただきありがとうございます。それと遅くなってしまってすみません」


 きちんと口上を用意していなかったのが丸わかりな挨拶になってしまったよ。


 そもそもこういう場の正しい礼儀作法は分からない。毎度毎度、勉強しなくてはと思うのだが、次の瞬間には忘れているのだ。あと、人間の礼儀作法と同じなのかどうかもよく分からない。


 仕方ないので、お土産に持ってきた青薔薇を「つまらないものですが」と押し付けて誤魔化す。断じてつまらないものなどではないが、こう言うときには「つまらないものですが」と言うらしい。どうしてかは知らない。


 執事さんは不自然なほど青い薔薇にも動揺せず「ありがとうございます」と言って受け取った。そして、空中に〈魔法陣〉を描いて中から食器とお揃いのクリスタルの花瓶を取り出すと、あっという間に薔薇を生けてくれた。


 《森の魔女》様が長い睫毛を伏せて青薔薇に視線を落としているけど、なんだろう、とてつもなくミスマッチだ。どこまでも自然な森に作り物めいた美しさの青薔薇は似合わない。


 違和感万歳! お土産失敗! エリーセ学んだアルネ!


 しかし、どんなにミスマッチでもお土産には満足してくれたらしい。まぁあれは素材みたいなものだから趣味に合うか否かは重要ではないのだ。


「お二方とも、どうぞお掛けになってください」


 ツバメの執事さんが、席をすすめてくれたので、私とネアくんは恐る恐る席につくことにした。するとあっという間にカップとソーサーが出てきた。どちらもクリスタル製だけど、金で縁取りがしてある上に、あちこちに薄紫や黄色、それから桃色の花々が舞い踊るように描かれている。


 かわいい。とてもかわいい。売ってる場所か職人さんを教えて欲しい。


「とても素敵なティーカップですね」


 思ったことをそのまま言っただけだけど、《森の魔女》様は柔らかく微笑んでくれた。それを見て、執事さんがにこやかに通訳してくれる。


「特別に準備したものですので、エリーセ様に喜んでいただけて何よりです」


 そのあと、執事さんは林檎パイを切り分けてくれた。他にもサンドイッチやら一口大のケーキやらスコーンやらクッキーやら色々と出てくる。色とりどりのジャムは宝石のようだし、飾り切りされた果物はもはや芸術品だ。とにかく、全部美味しそうなのだが、どう見ても晩ご飯前に食べるラインナップではない。むむむ。


 私の葛藤を知ってか、執事さんがニコニコと教えてくれる。


「こちらで食べたものはヒトの血肉にはならないので、いくら食べても大丈夫ですよ」


「つ、つまり?」


「ここでいくら食べても太らないですし、晩御飯が食べられなくなるなんてこともないということです」


 ツバメの執事さんは「画期的でしょう?」言わんばかりに、台詞の前半部分をわたしを見ながら、そして後半部分をネアくんを見ながら告げた。

 

 大事なことなのでもう一度言おう。私を見ながら、いくら食べても太らないと言ったぞ!!!


 イクラタベテモフトラナイ? ちょっと、エリーセさん、この執事が何言ってるのかわかんないなぁ〜


 しかし、私はにっこり笑って耐えた。ここで怒ったら負けな気がするんだ。


「……それは何よりですね」


 よし、声が震えることなく言い切ったぞ! しかし、ここで追撃をかけてくるものがいた。


「だ、大丈夫! エリーセお姉さんはほっそりしてるから、もっと食べた方がいいよ」


 そう、我らがネアくんが紳士的に私を慰めてくれようとしたのだ。さらには《森の魔女》様がどこか非難めいた目でツバメの執事さんを睨んでくれた。


 ほっそりという言葉がリフレインを伴って心に響く。どうしよう。お姉さん最近脇腹の肉が掴めるなんて言えない。



 ……明日からちょっと運動しようかなぁ。来年の目標が決まった瞬間だった。


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