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8月(下)ーーカレンドゥラ服飾店

 「カレンドゥラ服飾店」のエントランスはなんというか圧巻だった。円形の部屋の壁一面に夜の森が描かれていたのだ。本物以上に本物らしい出来栄えで、王都のど真ん中なのに、突然深い森に迷い込んだかのような気分になる。


 しかもこの絵、絵具じゃなくて、たくさんの布地や刺繍、そしてボタンやビーズで描かれていた。


「すごいですよね。私も初めて来たときびっくりしちゃいました。でも、これだけじゃないんですよ。上を見てください」


 ミュルミューレちゃんが人差し指で上を指して言った。上を見上げると、高い天井には同じく布地やビーズでできた星空が広がっていた。瞬く星々で夜空は驚くほど明るく、そして美しかった。


 あと、外のショーウィンドウからちょうど見えるところに一体のトルソーがおいてあって、白銀の星を散らした藍色のマントを羽織っていた。ショーウィンドウからは夜の森を進む冒険者の姿が一幅の絵のように見えるってわけだ。


 なんというか職人さんの本気を見せられた気分だね。さすがは服飾街1番エリア。


 もっとよく見てみたかったけど、右側の扉が開いてお店の人が来てしまった。シンプルなのに洗練されたワンピースを着こなす中年の女性は、私たちがエントランスの芸術を堪能しているのを見ると、微笑んで挨拶してくれた。


「ようこそいらしてくださいました」


「本日もよろしくお願いします! それから、こちらは友人のエリーセ・イーゲン嬢です」


 見本のようなお辞儀をする店員さんに対して、ミュルミューレちゃんがいつものように元気にあいさつし、私のことも紹介してくれた。


「お話は承っております。イーゲン様、私はエメラルディと申します」


「本日はよろしくお願いいたします。どうぞ、エリーセと呼んでください。」


 昔、礼儀作法の授業でもっとちゃんとした挨拶の仕方を習ったはずなのだが、私の口からは極めて日常的な挨拶しか出てこなかった。無念。


 けれどもエメラルディさんは私のつたない挨拶を気にすることもなく、私たちを奥の打ち合わせ室に案内してくれた。



 席につくと、テーブルの上にはあらかじめデザイン画が十数枚並べられていて、さらにその脇にはサンプルと思われる布地が山のように積まれていた。


 布地のほとんどが白色なのだが、今から染めるのだろうか? と思ったら全部白に染めた後のものとのことだった。なんと、ミュルミューレちゃんは、今回発注するローブを白にするらしい。思わず「汚れたらどうするの!?」と聞くと、エメラルディさんが笑いながら教えてくれた。


「大丈夫ですよ。私と店の名前にかけてローブにつく汚れを弾いてみせますから」


「あ……すみません」


 プロの方に大変失礼なことを言ってしまったようだ。


「先輩、エメラルディさんはここに勤める前は、王城で王女様方のドレスやローブも縫っていた凄腕のお針子さんなんですって!」


「すごい!」


 もう私には尊敬の目でエメラルディさんを見るしかない。けれども、エメラルディさんは少しだけ困ったような顔でミュルミューレちゃんに尋ねた。


「その情報はミハイル・グリンカからですよね?」


「はい、室長代理がエメラルディさんを紹介してくれたときに、王女様方専属のお針子さんだったって教えてもらいました」


「まったく、ささいなこととはいえ王女様方の情報を漏らすなんて、あの人は昔から詰めの甘いところがありましたが、変わっていませんね。一度痛い目をみたはずなのに」


「あわわ、すみません! 私、誰にも言いませんから!!」


 ミュルミューレちゃんが慌てて言った。私も隣で勢いよく頷く。一瞬「秋の狩猟祭」の件で王女様のこと聞けるかなと思ったけど、やめておいたほうがいいね。


「あなた方は気になさらないでくださいね。私があとで、きつくミハイルに言っておきますから」


 エメラルディさんは笑顔なのだが、目が笑っていない。私は心の中でミハイル室長代理に手を合わせる。

 ミュルミューレちゃんも笑顔に潜む圧を感じ取ったらしく、話題転換をはかった。


「ところで、エメラルディさんは、ミハイル室長代理とは古い付き合いなのですか?」


「あら、そっちは説明していないのですね?」


 再びエメラルディさんの怖い笑顔が戻ってきてしまった。ミュルミューレちゃん、早く返事をし給え!


「あー……、はい、何も聞いていなかったような気がしないでもないです、はい」


「ふふふ、私とミハイルは幼馴染なのですよ」


 ミュルミューレちゃんの良く分からない返事に、エメラルディさんはもう一度にっこり笑って「昔話はお嫌いかしら?」と聞いてきた。「嫌いじゃないです」以外の答えがあったら教えて欲しい。


 私たちは、何枚もあるデザイン画を確認しながら、ミハイル室長代理の40年にわたる失敗談と恥ずかしい話をしこたま仕入れることができたとだけ言っておこう。


 正直言って、ミハイル室長代理の武勇伝と黒歴史のインパクトが大きくて、デザイン画がきちんと頭に入ってくるかどうか不安だったのだが、こちらはこちらで素晴らしかった。


 魔導士用のローブといいつつ、マントやポンチョに近いものやコートもあった。むしろ、正統派のローブ型より多い気がする。


 じっくりと時間をかけてデザイン画と布地を見ていき、候補はひとまず3つに絞られた。


 一つ目はマント。白いオーソドックスなマントだけど、フードと胸元に大きなモスグリーンのリボンタイが付いている。リボンタイは、普通の蝶リボンじゃなくて、もっと複雑でボリュームのあるやつだ。あと、リボンの下にしずく型の宝石が付いている。

 

「マントの裏地とリボンタイに〈魔法陣〉や〈詩篇〉を刺繍などで入れます。この大きさですと、汚れや水を弾くための〈陣〉はを入れるのに全体の6分の1ほどいただくことになります」


 エメラルディさんの補足説明を聞いて、私はミュルミューレちゃんに尋ねた。


「ミュルミューレちゃんは、他にどんな効果を入れたいんだっけ?」


「重力の軽減効果が欲しいのと、あと物理攻撃の軽減は絶対に必要です。他は魔力回復とか増幅とかもあると嬉しいです」


 ミュルミューレちゃんは今着ている〈魔羊のローブ〉をひらひらと振って答えてくれた。



 二つ目の候補は袖のあるタイプのフード付きローブマント。かなり特殊な形をしていて色は同じく白だけど、モスグリーンの刺繍が首回りと肩から袖口にかけて施されている。あと、両肩にタッセルが付いているのが特徴的かな。


 ローブマント自体は動きやすそうだしこれぞ冒険者という感じがするけど、ミュルミューレちゃんの幻想的な雰囲気には今一つあっていないように思う。でも、魔導士のローブだから、似合うか似合わないかは二の次で性能や動きやすさを重視するべきなのかもしれない。


「先ほどのデザインよりも布地の部分が少ないので、表にも刺繍をしたほうがよいと思います。でも、こちらですと、今流行のタッセルが映えますね」


「タッセルにはどのような効果があるのですか? この形だと刺繍も刻印も難しそうですが……」


私が尋ねると、ミュルミューレちゃんがうつむいて教えてくれた。


「タッセル飾りが流行してるからつけてみたいなって思っただけなの。お洒落以外の効果はないと思います」


 なるほど。お洒落は大事だよね。私は数秒前に考えていたことと正反対の結論に至った。エメラルディさんもミュルミューレちゃんをほほえましそうに見ている。


「魔導士用のローブだからといって、お洒落をしてはならいということにも、似合っていないものを着なければならないということにもなりませんわ。着たいものをおっしゃってください」


 だそうです!


「ごめんね。つい性能の方ばかり気にしちゃって」


「いえいえ、先輩にはその方面の意見を期待していますから!」


「任せてくれたまえ! ん? それはお洒落方面の意見は期待していないということかな?」


「やっぱり3枚目のデザイン画、とても素敵ですよね!」


 ミュルミューレちゃんが私との会話をぶった切って言ったけど、確かに3枚目は秀逸だった。デザインの勝利というやつだ(あれ?使い方間違ってる?)。


 フリルの立ち襟と同じくフリルのボウタイが華やかな白いロングコートで、金色の飾緒が目をひく。おなかのあたりまではボタンがついているけど、その下は裾が左右に流れるようになっていて、足を取られたり、動きの邪魔になる心配もなさそうだ。そして、コートの裾には、白い大きな孔雀の羽が連なっていた。


 私もこれが一番いいと思うな! なにより、ミュルミューレちゃんによく似あうと思うんだ。 


「重力の軽減が欲しいとのことでしたので、そのような効果のある羽をデザインに組み込んでいます。これでしたら、裏地に他の〈陣〉や〈詩篇〉がかなり入れられると思います」


 なるほど、性能も問題なさそうだね。


 続いてエメラルディさんは裁縫箱の中から硝子のボタンを数種類取り出した。中には、炎や雪の結晶、そして風などが閉じ込められていた。私がよく装備している〈影の硝子玉〉と中身が違うだけで同じものだ。けれども、ここまで小さくするのは大変だろうな。


「隠しボタンにすれば、ひとつずつ違うボタンをつけることができます。最近の流行はこちらのような小さな〈硝子玉〉をボタンとして使うことですね。もちろん〈聖印石〉や〈魔晶石〉、〈帰還石〉なども根強い人気があります」


「ミュルミューレちゃん」


「はい、先輩」


「ベルトのところに〈魔導書〉を固定できるようにしてもらったらどうだろう」


 大学のときにそんな魔導士がいたなと思いだして言ってみたのだけど、ミュルミューレちゃんは目を輝かせて賛成した。


「先輩ナイスです! エメラルディさん、できますか?」


「えぇ、こんな感じでいかがでしょう?」

 

 エメラルディさんは、あっという間にデザイン画の横に設計図を書いてしまった。完璧だ。



 というわけで、ミュルミューレちゃんの新しい魔導士用のローブには、コート型の3枚目のデザイン画を採用することが決まった。


 本日の打ち合わせはこれにて終わり。次回の打ち合わせまでに、ミュルミューレちゃんはコートの裏に入れたい効果をリストアップしてくることになり、私は引き続き相談にのることになった。


 そのあと、メイドさんが紅茶を持ってきてくれたので、一服しながらお話することになった。


「でも、いいなぁ、私も新しい服が欲しくなっちゃった」


 エメラルディさんからこれまでに縫ったたくさんの衣装についての話をきかせてもらい、私が思わずつぶやくと、二人が動きをとめた。そして、まず、ミュルミューレちゃんが残念なものを見る目で私を見て言った。


「先輩、それ以上防御を固めなくてもいいのでは?」


「そ、そんなことないよ。それに攻撃が可能な服があってもよいと思うんだ!」


 すると、今度はエメラルディさんも残念そうに言った。


「攻撃が可能な服といいますと〈魔装〉くらいしか思いつきませんが、あれは布地が1ミリもありません。そういう意味ではあれはもはや服ではありません」


「そ、そんな……」


「先輩、この後3番エリアか4番エリアに普段着を見に行きましょう。それで我慢してください。そして、その後何か甘くて冷たいものを食べに行きましょう!」


 ミュルミューレちゃんが言い聞かせるように私に言って、その日の打ち合わせは終了した。

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