5月(中)ーー白いカラス
午後からは裏庭に出て庭木の手入れを手伝った。レダさんがいつも頼んでいる植木屋さんがぎっくり腰でお休みしているらしく、草木が伸び放題になってきていたのだ。
〈風刃〉で植木の形を整え、芝生を刈って行く。雑草は根があるので、ピンポイントで〈乾燥〉させてから、切った葉っぱと一緒に〈微風〉で集める。
ついでに裏庭に置かせてもらっている薔薇についた虫をピンセットでつまんだりもした。こちらは手作業。蕾がだいぶ膨らんできたから、来週くらいには咲くかもしれない。楽しみだなぁ。
「まったく、便利な世の中になったもんだね。」
抜きたい草木や枝を順番に指示しながらレダさんが呟いた。
「あはは、魔導師ならともかく、普通の錬金術師は植木の剪定に短杖を使ったりはしないと思いますけどね。」
短杖を作るには手間もお金もかかるから、普通の錬金術師は短杖をあまり使いたがらない。錬金術師がケチと陰口を叩かれる所以である。
私が短杖を大盤振る舞いできるのは魔力がないお陰だ。触媒や素材と自分の魔力が混同しないよう気をつける必要がないし、陣や文字を刻む際も何の〈抵抗〉も受けないので作業が楽なのだ。複雑な模様や細かい文字もどんとこいだ。したがって、材料が高くない限り短杖の出し惜しみとは無関係と言える。魔力がないと不便だけど、この点だけはありがたい。
普通は、触媒や素材の魔力と自分の魔力が混ざり合わないように専用の手袋を装着しながら作業しないといけないし、陣や文字を刻もうとすると、磁石の同じ極を近づけた時のような〈抵抗〉を受けるので、簡単に見える作業でもかなりの根気と技術、そして時間を要する。精緻な図案ともなれば、それはもはや汗と涙の結晶と言っていいだろう。
それに、基本的に短杖は細かい作業には向いていない。芝や枝葉を〈風刃〉で刈る位ならともかく、雑草だけをピンポイントで枯らそうと思ったら、短杖を振るときに魔力に干渉して調整をするか、私のように杖に〈聖印石〉を組み込んでおいて、これを使って調整するかのどちらかになる。前者は魔導師並の魔力操作が、後者はお金と時間が必要になってくる。どちらの方法も雑草を抜くために使う人はあまりいないだろう。
「魔導師は気位が高いからね、雑草を抜くのに自分の大事な魔力を使ったりしないよ。」
レダさんがぼやく。確かに、魔導師が魔力で雑草を抜いてるところなんて見たことがない。
こんなふうにおしゃべりしながらだったけど、短杖をフル活用したおかげで裏庭は短時間のうちにさっぱりした。レダさんも満足げだ。
「せっかくだから、表の木も切ってもらえるかい?」
「えぇ、もちろんですよ。」
レダさんと一緒に表に回ると、ちょうど目の前の通りをネア君や近所の子供たちが駆け抜けて行くところだった。元気がよくてなによりだけど、悪徳錬金術師役の子が叫んでいる「ケチケチ光線!」というのはいったいなんだ。当たったらケチにでもなるのか?
「ケチケチ光線」によって最もダメージを受けたのは私だが、その上さらに悪徳錬金術として子供たちから集中砲火を受けるのは避けたい。ということで、ツッコミを封印し、レダさんの後ろに隠れてやり過ごす。レダさんも私の意図を察して子供たちが通り過ぎるの待ってくれた。
子供たちを見送って、作業再開。レダさんが切って欲しいと言ったのは街中にしては結構大きな木で、葉がこんもり茂っていた。
これはやりがいがありそうだね。でも、せっかくの大木を切るのは何だか惜しいと思ってしまう。私の考えていることが分かったのか、レダさんが眩しそうに木を見上げながら説明する。
「落ち葉が凄くてね。枝もお隣さんの敷地まで伸びちまってるから、迷惑をかけないように切ってしまいたいんだ。」
ひょっとするとご近所さんからの要望なのかもしれない。複雑な気持ちはそのままだけど、レダさんが切って欲しいというのだから切った方が良いのだろう。気持ちを切り替える。
そうすると次なる問題は切り方だ。大きな木だから工夫が必要だよね。〈風刃〉で切れなくはないけど、街中で大木をそのまま切れるくらいの〈風刃〉をぶっ放すのは良くないし(騎士団か警ら隊が飛んでくるね。)、切った木が倒れて来ても困る(やっぱり騎士団か警ら隊が飛んでくるね。)。
私はちょっと考え、木を取り囲むように障壁を張ってから極限まで乾燥させることにした。その後障壁を狭めていけば後処理も楽そうだ。
ぐずぐずしているとまたさっきの子供たちが戻ってきそうなので、素早く短杖を振って行く。
しかし、木が急速に萎び始めたところで、「ギェギェッ!」という嗄れた悲鳴がして、茶色くなった葉っぱの中から何かが勢い良く飛び出した。
白い矢のようなそれは、私の張った障壁に勢い良くぶつかると、ポテッとそのまま地面に落下した。
えええ!?
とっさのことに反応出来なかったが、ひとまず〈乾燥〉を止めて駆け寄る。
障壁と木の間に落ちていたのは目を回した真っ白なカラスだった。艶やかなはずの羽は泥で汚れ、先っぽがパサついている上、怪我もしている。
これはかなりまずいのでは?
ひとまず、小さめの障壁を作って白いカラスを取り囲み、木の周りを巡らせた障壁の一部を解除して、小さめの障壁ごとカラスを取り出す。
いつの間にやってきたのか、レダさんが後ろから覗き込んでうめいた。
「白いカラス…。そいつは《森の魔女》様のところのカラスだよ。」
「ええ! ど、どうしよう?」
「手当てするしかないだろう。さぁ、家に運びな。」
レダさんは狼狽えたりしなかった。私はこくこくとうなづき、出来るだけ優しく白いカラスを運んだ。
家に入ると、レダさんは救急箱を持ってきた。
脱脂綿に傷薬を含ませ傷口にそっと当てると、白いカラスがパチリと目を開けて暴れ出した。
「ギョエッ! シミル! シミル! イタイ。モット、ヤサシク、シロ!」
カラスが喋った!
しかし、レダさんは驚く様子もなく、「ケガ人は大人しくしてな!」とカラスを押さえつけ、手当てを続けた。
カラスはいたくご不満の様子だったが、ぶつぶつ文句を言うだけで大人しくなった。しかし、レダさんがこびりついた泥を払おうとすると「モット、テイネイニ!」と文句を言い、私がポーションを持ってくると「アマイ、レモンスイ、ショモウ、スル」と贅沢を言った。
これだけ元気なら心配する必要なさそうだなぁ。実際、文句を言いながらもポーションを飲み干すと、どこからともなく水を降らせて泥をそそぎはじめた。カラスの行水だ…
あたりに飛び散った水にレダさんはため息をつくと、「そんだけ元気なら問題なさそうだね。」と救急箱をしまった。
すると、白いカラスは生意気な口を閉じて、弱々しく「ハネ、イタイ。」と言い出した。現金なやつだ。痛いなら羽を洗ったりしないだろう。しかも弱々しい演技が通用しないと見るや、再び騒ぎ始めた。
「ケガ、ヤスンデイタノニ、コドモ、タクサン、オイカケル。ワルイ、レンキンジュツシ、テシタ、チガウ。ナノ二、ドロダンゴ、ナゲル。」
うーん。ネアくんたち、泥団子を持って追いかけ回したのかな?
白いカラスの抗議はまだまだ続く。
「ケガ、ドロダラケ、ヤスンデイタノニ、パサパサ。パサパサ。パサパサ。アタマ、イタイ。」
うーん。これは間違いなく私ですね。
白いカラスが私のことを右眼で見据え、続いて左眼で見据える。怪しまれている気がする。
私は正直に謝った。
「パサパサは私のせいだわ。ごめんね。誰か木に隠れているって思わなかったの。」
「ケイソツ! ケイソツ! ワルイ、レンキンジュツシ、アホ〜」
えええ? アホはなくない?
ちょっとムッとした私を見て、白いカラスが「ハンセイ、ナシ!」と言って鋭いくちばしで私の頭を突こうとした。狙ってるのがみえみえだったので、難なく避けることができたけど、白いカラスはさらに不満を溜め込んだようだった。
「ニゲル、ダメ!」
そんなこと言われてもね。二撃目もなんとか自力で躱したが、白いカラスが飛んで追いかけで来るので、仕方なくダイニングをぐるぐると逃げ回る。完全に鬼ごっこだ。
しかし鬼ごっこは30秒もたたずに終了した。
「まったく、飛べるくらいには元気が有り余っているようだね。」
レダさんが呆れたように言ったからだ。白いカラスが急停止して、重病人の演技を始めるがもう遅い。
「エリーセ、《森の魔女》様のところにカラスを送って行ってくれるかい。」
「はーい。」
「オレサマ、森、カエリタク、ナイ!」と言っているが無視だ。素早く〈障壁〉を展開し、逃走を図ったカラスを捕獲する。ケガの方は知らないけど、危うくミイラにしかけたのは事実だからね。ちゃんと送り届けて、謝らなきゃ。
さて、《森の魔女》の住う《領域》はあすこと荘の裏庭から見えているけど、森を突っ切っていくわけにはいかないから、ぐるりと遠回りすることになる。レダさんが大きめのバスケットを貸してくれたので、カラスさんにはその中に入って貰うことにした。
道中騒ぐカラスを宥めながら、足早に《森の魔女》の住処の前までやってくると、門の奥にとってもかわいい六角形の建物が見えた。草花や蔦がまるで装飾のように建物を飾っている様は一見の価値があり、ずっと昔からそこにあったのだろう。建物だけど、「建っている」というよりは「生えている」と言った方がしっくり来た。
許されるなら時間をかけて見学したかったけど、手元でますます暴れるカラスを宥めるのが大変でよく見れなかった。くそう。
聳えるような黒い門は、私が近づくとゆっくり開いた。
これは入ってもよいってことかな?
門前払いされなかったことにホッとしつつも、《森の魔女》に会うのかと思うと落ち着かない。あと、本当に入ってよいのかも分からなくなってきた。たまたま開いただけとかないよね?
門の前で迷っていると、六角形の建物から黒髪の男の人が出てきた。燕の尾のような裾を颯爽と翻して階段を降りてくる。
カツカツという靴音に何故か背筋が伸びる。白いカラスもさっきまであれほど喧しかったのに、今はバスケットの底に隠れて一言も喋らない。
えっ! あなたは知り合いでしょうに。
そう思ったものの、カラスにばかり気を取られるわけにはいかず、視線を戻すと、男の人はもう目の前に立っていた。男の人は胸に手をあてて優雅にお辞儀をした。
「ようこそ《森の魔女》の《領域》へ。あいにく主人は留守にしておりますので歓待しかねますが、そこの口だけは達者なカラスを保護していただきましたこと、主人に代わって御礼申し上げます。」
とてもしっかりした人だなぁ。執事さんかな?
私も挨拶を返そうとしたけど、その前にカラスがバスケットから首だけ出して叫んだ。
「ウルサイ! ウルサイ! クチダケナノハ、オマエ、ダロ!」
そして、言いたいことだけ言いきると、白いカラスはサッと引っ込んでしまった。
「「………。」」
男の人は深いため息をついて「《黙ってろ》」と低い声で命じると、指をパチンと鳴らした。バスケットの中で何が起こったのか、それきり白いカラスは何も言わなくなった。
あー…。
凍りつく私を他所に、男の人は何事もなかったかのようにニッコリ笑うと、話を再開した。
「私としたことが、お客様にいつまでもお荷物を持たせてしまい、すみません。こちらへどうぞ。」
「…いえ、お気になさらず。でも、お返しいたしますね。」
カラスの恨みがましい視線に気づかない振りをしてカラスをお渡しする。口がきけたら間違いなく文句を雨霰のように降らせてきただろうが、今はしゃべれないもんね。私も自分の身がかわいいのだ。許して欲しい。
ついでにこの機会を逃すものかと事情を説明し、謝罪もした。
けれども、男の人は謝罪には及ばないこと、事情は話せないがカラスを保護してもらって感謝しているということを柔らかく告げた。
「早く手当てをした方が良さそうなので、お見送りできず申し訳ございませんが、後日改めてエリーセ様にはお礼に参りますので。」
「手当て」ってなんの隠語だろう…
じゃなくて、そう言われたら、帰るしかないよね。長居をする訳にはいかないよね。
「私も悪いですし、御礼には及びません。」
それだけ言って、私はその場を辞すことにした。
名前を名乗らなかったことに気がついたのは、帰宅後木の始末をしてしばらくしてからだった。




