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動乱

「そう簡単に私に情報を漏らして良いのか? 君はやはり甘いな」


 ハインツはからかうような口調になる。甘ったれたお坊っちゃんであるところのエルンストは、余裕そうに濃緑の瞳を細めた。


「どうぞ、何とでも仰って下さい。私はこう見えて、罵倒に慣れています」


 ハインツはやっと気付く。恵まれた環境であれば、周囲からのやっかみが発生する。彼にも彼なりの苦労はあったのだ。ハインツは、深呼吸をした。


「なるほど、そうだろうな」


 ハインツ自身も、第7皇子の悩みなど、贅沢な悩みだと世に出てから思い知った。世の中には、食べるものにさえ困る人たちが大勢いる。そうとわかっていても、誰かを羨望する気持ちがなくなるものではないが。


「これ以上無駄口をきいている暇はないから、罵倒するのはやめておこう」

「そうですか。それでは、帝国にいる母君の保護が完了するまで、殿下はこの部屋で大人しくしていて下さい。ミアラにお越し頂く手筈を整えています」

「母上は来てくれるかどうか」


 ミアラ王国に来る前の、母ソフィーナとのやり取りを思い出すと難しそうである。皇帝からハインツへの命令は、他言無用とされていた。だがやはり、秘密の話だとしてハインツは今生の別れを済ませたのだ。


 そのときのソフィーナは、ゾッとするような恐ろしい形相をしていた。彼女は皇帝を憎んでいる。それでいて、祖国の平和のために第5王妃となり、ハインツを生んだ。つまり屈辱に耐えて生んだ息子を利用されようとしたのだ。その心情は想像すらできない。


 ハインツはそれなりに母に愛されていると思っていた。だからこそ、今にも何かことをしでかしそうな雰囲気であった。――彼女は復讐しようとしているのでは?


「ハインツ皇子殿下がミアラ王国を離れられない立場になりましたし、必ずいらっしゃるでしょう」

「そう願うしかない」


 二人はしばし、見つめあった。苦労はあったかもしれないが、やはり純粋そうなエルンストだ。母親ならば息子会いたさに来ると信じているのだろう。善良な家庭環境で育った男に、複雑な事情は理解できそうもない。


 ハインツは、ふと嫌みのひとつくらい言いたくなった。


「エルンスト君、これは陛下が私だけに教えてくれたの極秘の話だが」

「はい?」

「陛下は弱くてダメな男がお好みらしい。陛下はいつも君に優しいだろう? それはきっと、君がこの国で一番に弱くてダメな男だからだ」

「そんな、まさか」


 思い当たる節があるのか、あわあわと狼狽えるエルンストに、優越感を得た。



 ◆◆◆



 ハインツと別れたエルンストは、急いでやってきた配下の者からの報告を受けた。ハインツから言われたことなど、今は気にしている場合ではないのだ。


 フォンサール公爵邸には、エルンストが潜入させているメイドが今もいる。そのメイドからの連絡だった。


「フォンサール公爵が、家紋の入らない馬車で港に向かったそうです」


 港には、現在ヴラドワ帝国の船団が停泊している。海軍が海陸両方で警戒に当たっているので、フォンサール公爵がわざわざ赴く必要がなかった。


「不思議だな、目的は知っているか?」

「そこまでは」

「わかった、ありがとう」


 エルンストはそのまま港地区へと向かい、海軍の基地へと急いだ。そしてすぐに副将マルカンを名指しで呼び出す。『緊急の用件』という名目で。


 基地内の簡素な応接室で、エルンストは目を瞑り、自分の考えをまとめようとした。だが、すぐにドアは叩かれる。


「どのような用件だ?」


 不機嫌そうにやってきたマルカンは、特に挨拶もなく向かいのソファにかけた。きちんと海軍の制服を着ているが、やや疲労の色が見える。


 現在はこの港は帝国の船に囲まれ、いつ攻撃されてもおかしくない状態なのだ。最大級の警戒を続ける海軍副将に、ゆっくり眠る余裕などないのだろう。


「ああ、簡潔に聞くが、ここにフォンサール公爵が来ていないか?帝国と何らかの接触をしている可能性がある」


 うんざりといった表情で、マルカンは首を振る。


「コートニー卿はまだフォンサール公爵を疑っているのか。悪いが、今はそれどころじゃない。目の前に帝国の脅威が迫っているんだぞ」

「だからこそだ」

「……確認させよう」


 マルカンは一度ドアの外に出る。外に立つ部下らに指示を出す、くぐもった声が漏れ聞こえた。


 心苦しさを感じない訳ではないが、面倒だと思うことこそ確認するべきだとエルンストは思っている。大事な場面では特に。


「今確認させている。しばらく待て」

「ありがとう」


 エルンストの礼の言葉に、マルカンは黙って両手を広げた。


「待ってる間、ヴァレンティナ陛下のご様子でも聞かせてくれ」

「ん、ああ」


 即座にヴァレンティナとのキスを思い出し、エルンストは自分の唇に触れた。まさか言えない。それに、どちらかというと失敗に終わったキスだ。


「そうだな……多分、我々が思う以上に陛下は精神的な疲労を抱えていらっしゃる」


(だから私にキスしろなどと……命じてくれて嬉しかったが!)


 目まぐるしく表情を変えるエルンストを無視し、マルカンはため息をついた。


「お痛わしいことだ。陛下は氷の魔石の貿易で我が国と帝国を大いに発展させただけなのに、帝国に攻め込まれる理由を作ったなどと批判されているからな」

「そんな批判があるのか?」

「海軍のごく一部の、考えの足りないやつらのたわ言だがな。バカなんだろう。誰もが陛下の恩恵に与っているというのに」


 その通りだと、エルンストは何度も頷く。現在の豊かな暮らしは、ヴァレンティナの氷の魔石あってこそだ。何でも批判すれば頭が良く見えると勘違いしているのかと腹立たしかった。


 しばらく雑談していると、コツコツとドアが叩かれる。マルカンの部下らしかった。


「失礼します。マルカン副将。報告に参りました」

「どうだった?」

「はい、物見塔に配置している見張り兵に確認してまいりました。誰かが、連絡舟を用い海上の帝国側に接触したか、と。見張り兵2人はあり得ないと答えました。しかしながら、その2人はフォンサール公爵の傍系の家門であります」

「なるほど。見張り兵の組み合わせを変えなければな」


 マルカンはちらりと横目でエルンストを見た。満足か?と言いたげである。


 どういう顔をするべきか、わからなかった。何も嬉しい事態ではない。


「引き続き、警戒にあたってくれ」


 この場はマルカンに任せようと、エルンストはそう言い残して港地区を後にした。

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