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ハインツ

 ジケルは笑った。混乱による薄ら笑いだった。


「はは……ずいぶん高い値で第7皇子を買ってくださいますな。愛人にでもされるおつもりですか?しかし、第7皇子にそこまでの価値があるのでしょうか?」


 ヴァレンティナも笑う。どこか、少女のように純粋に遠くを見つめるので何名かはつられて部屋の片隅を向いた。当然、そこには誰もいない。


「人の命は金銭に代えられないものです。ハインツ皇子を買うなどという表現は、おやめ下さい。単に、彼に生命の危機があると聞き及んだまでです」

「うむ……」

「それと、こちらが要求するのは、皇子と彼の母君の両名の無事です。お忘れおきなく」


 淡々と話すヴァレンティナだが、ジケルは机上で拳を握りしめた。


「たった二人のために、貴国は莫大な富を失いますよ。なぜ、ハインツ皇子との結婚の形を取らないのですか?最も平和的で、末永く友好関係を築けるではありませんか!」


 ジケルが損をする訳でもないのになぜ怒るのか、ヴァレンティナは不思議だった。


「政略結婚など大昔の手法だと、お思いになりません?それに結婚を口実に、帝国にほかの要求をされるのは目に見えています。ですから私は明文化した取引をしたいのです」


 貿易条約は一回の会議で決定するものでもなく、ジケルらは本国に確認するということで、その場は閉会となった。


 ◆◆◆


 会議後、ハインツはどうしても我慢しきれず、再びヴァレンティナと二人での面談を求めた。しばらく待たされたが、どうにかヴァレンティナの執務室へと通された。


 山積みの書類の向こうで、ヴァレンティナは難しい顔をしてペンを動かしていた。今回のことで、新たに発生した諸問題と思われた。


「陛下」

「まだ私に何か仰りたいのですか?」

「あの、本当によろしいのですか?貴国が失う金額を考えただけで、胃が引っくり返る思いです」


 皇子というより、商人として生きてきた記憶が濃厚なハインツである。今後数十年間、小国の国家予算並みの金額が、毎年ミアラに入らない計算になる。


「あら、あなたまでそんなこと。何も国庫から金貨を捻出する訳ではありませんよ。帝国がお支払いする額が、減少するだけです」


 ヴァレンティナは顔も上げず、書類に何かを書き付けていく。早く出ていけと態度で示されているが、ハインツは食い下がった。


「重臣たちをどう説得したのですか?」

「会議直前に皆に伝え、反対させる暇を与えなかったのです」

「かといって、これからも大人しくする訳がありません。今後どうなさるのですか」

「我が国は、氷の魔石貿易に頼る危うい運営をしていまそん。私の母の代から、健全に国を運営するよう言いつけられています」


 氷の魔石輸出で得られた巨額の富のほとんどは、新型の船の研究開発、防波堤、公共の建物に使用された。半分以下に減ったところで、既に形はできているので困らないのである。それはハインツも密かに知っていた。


「ですが……」


 ハインツは、今やヴァレンティナの身を案じていた。このような暴挙に出ては、彼女の王位が危うくなるかもしれない。


「どうしても、私との結婚はお嫌ですか?陛下がエルンスト君を愛しているというなら、私とは形だけでも良いのです」


 ヴァレンティナは、顔を上げる。透き通ったアイスブルーの瞳は、少しだけ怒りを滲ませていた。


「わざわざ不幸になろうとしないで下さい。絶対に破滅に陥ります」

「……失礼を申しました」

「それと、エルとはそんな関係ではありませんが、とにかくもう出ていって」

「はい」


 ハインツは、これ以上何も言えなくなってしまう。命じられた通り、部屋を後にした。



 ◆◆◆



「どうしたものか」


 与えられている部屋のベッドに倒れこみ、ハインツは天井に向かって呟く。天井の彫刻を眺めながら、いつしか現実逃避のように過去を思い出していた。



 初めてヴァレンティナの存在を知ったのは、彼女が女王に就任したという噂を聞いたときだ。15歳の新女王の話題は、海を隔てたヴラドワ皇宮でも盛んだった。


 というのも――先の女王ヘカテーを奪ったのは、間接的には帝国であるからだ。皇帝が、噂に名高いミアラの妖精女王の顔を見てみたいからと何度も招待したが、その帰路に、ヘカテーは船の事故で亡くなった。


(私より歳下の女の子が、一国の君主になるだなんて)


 このときは、羨ましいというよりは可哀想という気持ちが強かった。第7皇子として生まれ、決して皇帝になどなれないとわかっていたハインツは、王位を空しいものと断じていた。


 その上、何もわからないでもなく、かといって十分な知識が身についていない年齢である。すぐに帝国につけこまれ、骨抜きにされるだろう。


 ハインツは遠い北方の国の行く末が気になり、皇宮を抜け出した。皇子としての学業を修めたものの、何の役目も与えられず、暇をもて余していた。


 国外の情報を求めて港に行き、必死の形相で船から荷下ろしをする少年に目を付けた。終わったところに話しかけ、わずかな小遣いを与えると狙い通りに知っている限りを教えてくれる。


 大した情報は得られなかったが、少年に調べておくからまた来てとせがまれ、悪い気はしなかった。皇宮では空気のように、いてもいなくても良い存在とされてきた。


 そうして何となく通ううちに、ちょっとした計算や、文字の読み書きを頼まれるようになった。皇子であるハインツにはそのくらい軽いことだったが、誰かの役に立つというのは、何物にも代えがたい充足感があった。


 夢中になっているうちに、ハインツは商人として身を立てていた。天賦の才能があったのか、皇宮で高いものを見て育ったからなのか、商売の勘があった。


 最初に声をかけた少年は大人になり、商売のパートナーとなった。


 お守りは、ミアラ王国の金貨だった。ヴァレンティナが成人を迎えたときに改鋳され、彼女の横顔が刻まれている。また、肖像画の複製も手に入れていた。


(美しい人だ。かなり美化されているとしても、功績は立派な人だ)


 就任当時の予想に反して、ミアラ王国は独立を守っていた。それどころか、氷の魔石貿易による利益で防波堤などを設立した。


 ヴァレンティナを幸運の女神のように崇めるハインツは商船に乗り、ミアラ王国に何度も赴いた。そして人を買収して細かな情報を集めた。憧れすぎて直接関わりたくはないが、密かな楽しみとしていた。


 そんな折、ハインツは父親でもある皇帝に呼び出された。ハインツはすでに帝国の公爵より大富豪になっている。母と同様に金をせびられるのかと覚悟した。


 侵略戦争で領土を広げすぎた帝国には、貧しい地域がいくつもある。誇らしい気持ちと邪魔くさい気持ちで、黄金色の眩い謁見室に赴いた。

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