内通者
会議の内容があらかた煮詰まった頃、ヴァレンティナは席を立った。
「では、会議を終わりとします。なお、私とハインツ皇子の結婚については、混乱を防ぐため正式発表まで他言無用とします」
敢えてヴァレンティナは注意喚起をした。
翌日、ヴァレンティナは自らハインツを午餐に誘ってみる。会議に出席した者から情報が漏れていることを、確かめるためだ。
シャンデリアが天井から吊り下げられた、広い食堂室で見るハインツの顔色は芳しかった。
(やはりある程度の高い身分にある人が内通者なのね。あの場に出席してた人なら一族揃って未来永劫、安泰なのに、何が不満なのかしら)
皮肉な思いでヴァレンティナは微笑む。貴族院、王国騎士団、海軍の高官の誰かがハインツに情報を流していることは確定した。
「皇子の体調はいかがですか?食事は喉を通りそうでしょうか?」
「ついに陛下御自ら、お誘い頂いたのです。ご命令とあらば皿まで飲み込んでみせましょう」
ハインツは冗談めかして笑った。ハインツは大いなる喜びの感情の中にあるようだった。椅子を引く給仕にまで愛想良く振る舞っている。目下の者に対して、いつも傲慢な気配のするハインツにしては珍しい行動だった。
「私は、嬉しい知らせを聞けるのでしょうか?」
向かいの席から、ハインツは鳶色の瞳を輝かせた。以前なら野心的なギラつきが滲むところだが、今は修道士のように清らかだ。このところ断食に近い生活をしているせいだろうか。
「皇子のご計画通りに、私はあなたと結婚する方向で検討しています」
「……聞き間違いではないでよね? 飛び上がるほど嬉しいです」
ハインツは落ち着いて座っていたが、やがて泣き笑いを浮かべた。そこに好感を抱くきっかけのようなものを、ヴァレンティナは少し拾った。彼も、運命に流されている人なのだ。
「ありがとうございます。陛下はこの世で最も美しい方だと思っていましたが、心までお美しいのですね」
「そこまでではありません」
「私の今までの無礼をお許し下さい、陛下に媚びる者はいくらでも居るだろうと、私は敢えて無礼な言動をしました。陛下の心に刺さりたかったのです」
「そうですか。それは、成功したようですね」
「これからは、陛下のお心にかなうよう尽力します」
ハインツは爽やかに微笑んだ。なかなかの役者だとヴァレンティナは目を細める。
「ただ、私の夫になるならば、このミアラ王国に移住して頂きます。あなたの母君が寂しがるかもしれません」
「母も、こちらに移住させたく考えています」
「皇帝がお許しになるでしょうか?」
ハインツの母は、ヴラドワ帝国の第4皇妃である。彼女な元々の身分は、ヴラドワ帝国が侵略した、旧リエール国の王女だ。亡国が再起しないよう、いつまでも皇宮に留め置かれる存在だと思われたが、ハインツが苦笑した。
「旧リエール国が、ヴラドワに吸収されてもう30年です。勢いのあった若者は老人になり、今の若者は帝国の統治を受け入れ、安寧を求めています。つまり、母はもう用済みなのです」
「自分の母親をそんな風におっしゃるのですか?」
自分の身の上を語るときには母を大切な存在のように話していたのに、とヴァレンティナは非難した。
「ああそうでしたね。ご気分を害して申し訳ありません。知らず知らずに周囲の言い方が移っていたようです。帝国の皇宮ではいつも、用済みの妃と迫害されてきたのです。こちらで暮らせたら、きっと穏やかに過ごせるでしょう」
「ええ」
自分の母を亡くしているヴァレンティナとしては、十分に配慮するつもりだ。それに望まぬ結婚をした点で自身と重なり、勝手に共感を持っていた。彼女の息子に困らされている訳だが、それも彼女の望んだことではないはずだ。
(自分の生きたいように生きてこられなかった女性でしょう。せめて、私の代わりに幸せになってくれたらいいわ)
ヴァレンティナの虚しい気持ちに気付かず、目の前でハインツは笑みを浮かべ続けている。このようなハインツと、温かな家庭を築く未来は想像出来なかった。
◆◆◆
その頃、エルンストは貿易を管理する、通商産業省を訪れていた。そこには偶然にも海軍副将、マルカンがいた。
「マルカン卿までここにいるとはな」
「コートニー卿こそ」
二人はまだヴァレンティナを諦めていなかった。
ハインツが大きな商会を持ち、手広く商売をしていた点から、取引に違反を見つけられないかと調査をしに来たのである。ハインツが罪人であれば、女王との結婚など認められない。また、ミアラ王国内に勾留する事由になり得るのだ。
女王の筆頭秘書官と、泣く子も黙るミアラ海軍の副将が放つ剣呑なオーラに、文官たちは緊張していた。文官たちはあまり力仕事をしないので細く、青白い者が多い。抜き打ちの監査であるかのように、省内はピリピリしていた。
調査に使えるような小部屋に通されると、すぐに複数の文官たちが、山積みの書類をエルンストたちの前の机に運んできた。
「こ、こちらがハインツ皇子の商会、東シュタインの取引記録です。皇子は身分を隠し、全て代理人の名前で取引を行っていますが、ご存知のように違法ではありません」
「ありがとう」
エルンストは運ばれてきた大量の書類の束に手をつけた。確かに、代理人を立てるのは違法ではない。ミアラの貴族たちも良く行っている行為だ。というのも、貴族がせっせと金儲けのために働くのは、恥ずべきことという古い考えがあるからである。
平民の商人を雇い、資金援助の形で貴族家が実質運営をしているのがお決まりだった。ミアラは資源の豊富な国で、領地から採掘された金属や宝石などが輸出されている。
「ハインツ皇子が東シュタインと関わっていることは有名だったのか?」
そっと書類をめくりながら、マルカンが担当者に尋ねた。
「全く知られていませんでした。今回、ハインツ皇子の乗っていた船が東シュタイン商会のものだったので判明しただけです。もっとも、東シュタインはヴラドワ帝国最大の商会ですので、皇族の後援はあるだろうと噂されていました」
「なるほど。紅茶、スパイスなどの嗜好品から鉄鉱、石炭まであるのか」
この中からハインツ皇子の弱みをどう見つけるというのか、マルカンは頭が痛くなる。軍の書類仕事は多少はするが、得意ではなかった。一方エルンストは黙々と記録を読み込んでいた。何に着目しているのか、ページをめくる指の動きは速い。
「おいコートニー卿、そんなにペラペラとめくって、内容がわかるのか?」
「わかるとも。黙っていてくれ。卿らも、用があるときは呼ぶので下がってくれ」
文官らを退室させ、しばらくの間、二人は書類の調査を続けた。ハインツ皇子について、国内にあるものと言えばこれしかないのだ。
「わかったぞ」
エルンストは、深く集中を続けたせいで頬を赤くしていた。
「何がだ?」
期待を込めてマルカンは顔を上げた。
「違反はない。どころか、貴族家の持つ商会のほとんどが、東シュタイン商会と一度は取引している」
「……それで?」
「だが、フォンサール公爵家の持つ商会だけが、2年前から東シュタインとの取引を一切やめているんだ。フォンサール公爵は領地に鉄鉱山を持っていて、買い手として東シュタインが最高なのに」
マルカンは大いに眉を寄せ、首を傾げてしまう。
「君のフォンサール家嫌いは良くわかったが、今憎むべきはハインツ皇子だろ? それにフォンサール公爵家のファビアンと女王陛下は、ついこの間まで婚約していたじゃないか」
「策なんて二重、三重に用意するものだろう。ファビアンで上手くいけば良し、ダメなら次と」
エルンストには、物証以上の確信があった。内通者は、フォンサール公爵だ。以前から、ヴァレンティナを軽視する雰囲気があった。
「フォンサール公爵家は、ティナと曾祖父が同じ、王家の血筋だ」
うっかりヴァレンティナを愛称で呼び、エルンストは熱く語る。マルカンは少し嫌な顔をしたが、頭を巡らせた。
「そうだな。だが、フォンサール家に妖精の血は流れていない」
妖精と結婚したのは、ヴァレンティナの祖父であり、そこから氷の魔石貿易によるミアラ王国の繁栄が始まった。エルンストはひとつの結論に達した。
「フォンサール公爵は、妖精の血筋と能力による治世に、不満を持っている可能性がある」




