牽制
取り急ぎ、今聞いたことをヴァレンティナに報告をするべきかとエルンストは執務室に移動した。マルカンは既に退室していて、ヴァレンティナは何とも言えない表情をしていた。
「陛下、帝国及びハインツ皇子について、新しい情報がありましたのでご報告申し上げます」
意識して無表情を作り、エルンストは冷静さを保つ。
ハインツ皇子は乗組員もろとも、事故に見せかけて死ぬ命令を受けていたこと。皇子の命を奪ったその事故を糾弾する名目で、帝国はミアラ王国を船団で取り囲む予定であったこと。最終的にはミアラ王国を帝国の統治下に置き、氷の魔石による利益を吸い上げるつもりだったこと。
説明していくうちに、元々白いヴァレンティナの顔は青白くなった。決して慌てることはないが、多くの考えを巡らせているようであった。
「なるほど。重要な情報をありがとう、エル」
「私の部下が優秀なのです」
「優秀な部下を従えているのだから、素晴らしいわ」
誉められてもいつものように純粋には喜べず、エルンストは固く微笑んだ。ヴァレンティナはいつも周囲の働きに賛辞を与える。だが今だけは、その美しい唇でマルカンをも誉めてあげていたのかと、考えるべきではない嫉妬心がじりじりと燻っていた。
「帝国の船団が来るかもしれないのなら、まずは海軍に知らせておくべきね。ほかの方はもう帰ったけれど、マルカン卿はまだ王宮内にいるのじゃないかしら?」
「では、私が追いかけて知らせて来ます」
良い機会だと、エルンストは踵を返して部屋を出た。このままでは嫉妬に任せて、感情を爆発させてしまいそうだった。
マルカンが通るであろう道筋は、王宮を出て海軍の基地に帰るなら予想がつく。回廊を早足で進むと、幸いにも、大きなマルカンの背中を見つけられた。
「マルカン卿」
エルンストの声に振り返ったマルカンは、やけに驚きに見開かれていた。
「何か?」
「防衛に関する重要な話だ、ついてきてくれ」
「ああ、そうか」
ほっとしたように肩を下ろすマルカンに、エルンストは口元が緩んだ。
「どうしたんだ? 私が個人的な感情で呼び止めたと思ったのか?」
「まさか、真面目なコートニー卿がそのようなことはしないだろう」
エルンストとマルカンは年齢も近く、それなりに交流がある。もっとも、家名で呼び合うくらいの心の距離感だった。
「……マルカン卿は、奇襲が得意なようだな。だが知っているか? 陛下は、生涯独身でいると仰っていたんだ」
今来た回廊を戻りながら、エルンストは口を開いた。どうしても牽制せずにはいられなかったのだ。
「はは、お戯れを口になさるときもあるだろう。それを本気にするとは、どうかしているぞコートニー卿」
「陛下は本気だった、俺にはわかる」
「そうかそうか。コートニー卿が意気地なしだから私は助かるよ」
ぐぬぬと歯噛みしながら、適当な空き部屋へと連れ立って入る。今は色恋沙汰よりも優先すべき、国家の防衛に関する事柄があった。だが、エルンストは自身の黒い髪を乱してマルカンを睨んだ。
「これだけは言っておくが、陛下にあまり強引に気持ちを押し付けるのはやめてくれ。彼女は、本当に繊細な人なんだ」
「まるで保護者のような言い方じゃないか」
「陛下は幼いときに両親を亡くされている」
「わかっているさ。だが、いつまでも過去に囚われているのはコートニー卿ではないか?陛下は既に、おかわいそうな幼き女王ではない。美しく、偉大な女王だ」
「見た目は成長されたが、心の傷は外からは判断できない。ましてや陛下はあまり感情を出さぬように教育された方だ」
エルンストは、指摘された通りに初めて出会った頃のヴァレンティナの姿を、今も重ねて見ているところがあった。夢見るようなアイスブルーの瞳をした、小さく華奢な王女。少しでも憂いなきよう、そっと寄り添ってきたつもりなのだ。
余裕を持って、マルカンは一息吐いた。
「ああ、完璧な女王でいらっしゃる。だから生涯独身などという無責任な行いはされないだろう。国民は女王の世継ぎを望む」
「そんな言い方はやめろ。陛下は、女王である前にひとりの女性なんだ」
怒りでエルンストの声は低く掠れた。
「そう睨むな。私が本当に嫌なら、陛下がそうおっしゃるさ」
――それはつまり、迷惑がられなかったと言っているのか?
エルンストの胃がひっくり返りそうに腹の内側が暴れた。
「これも言っておくが、陛下はつい最近まで男を男とも思っていなかった節がある。周囲に男は多いが、役職でしか捉えていなかったんだ。だから、迫られても、すぐには嫌だとわからないというか」
話しながら、エルンストは自分の言説に納得していた。ファビアンとの婚約も、してみるまで嫌かどうかわかっていなかった。英明なヴァレンティナだが、特殊な環境で育ったために、恋愛方面に初心すぎるのでは?
マルカンがくすくすと笑っているので、エルンストは我に帰る。
「コートニー卿、ライバルに情報を与えていいのか?」
「そうだな。本来の話をしよう」
エルンストは気持ちを切り替え、それからは帝国の情報を、事細かに伝えた。
◆◆◆
先にヴラドワ帝国に出航した船を追いかける形で、小型の連絡船がミアラ王国を発った。小回りが利き、速度が一番出る船だ。
ハインツ皇子が亡き者となっていない今、ヴラドワ帝国がどう動くかは読みきれない。しかし、ミアラ王国が攻め込まれる大義名分はないのだ。もしも船団が押し寄せても、そのまま海上に錨を下ろすことになるだろう。
主要な港は、一度に船が近付けないように防波堤が設置されている。
また、港以外は浅瀬になっているため大型船での着岸は不可能だ。もし小型の船に乗り換えれば地上から大砲によって容易に攻撃できる。備えは万全だった。
ミアラ王国の連絡船の帰還が近付く頃、ハインツ皇子は徐々にベッドに臥せるようになった。王宮の侍医に見させても特に悪いところは見当たらないというのに、彼は気分が優れないという。
「精神的なものでしょうね」
症状の説明のため、ヴァレンティナの執務室に来た侍医のウェイバーは両手を広げた。打つ手なし、調合する薬もなし、という訳だ。ウェイバーも大まかな事情は知っている。
「ま、治療されなかったとあとで文句をつけられないよう子供向けの薬草シロップでも飲ませておきますか。仮病の子どもには良く効きます」
「そうね、甘いものがいいかもしれないわ。果物も出してあげて」
ヴァレンティナは、今やハインツに同情的な見方をしていた。ハインツは、捨てられたも同然の皇子である。
「まさか、陛下自らお見舞いに行かれるのではないでしょうね?」
エルンストが心配でたまらないとばかりに、椅子から腰を浮かせる。エルンストの心配はヴァレンティナに向いていた。
「そこまではしないけれど。ハインツ皇子は、これからどう動くつもりなのかしら」
「そうやって陛下の同情を買おうとしているのですよ」
そのとき、部屋の扉がノックされた。入室を許可すると、ハインツ皇子に付けた侍従であった。
「失礼します、ハインツ皇子が陛下への謁見を希望されています。できたら、午後のお茶をご一緒したいそうです」




