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舞踏会と、策略の一端

 結局のところ、翌日には自称ヴラドワ帝国の第7王子、ハインツ・フォン・メーリングは本物だと認められた。エルンストが探してきたマイヤー元外交官が、確かだと証言したのだ。


 マイヤー元外交官曰く、皇室に頼らずに自立した商団を持つ目端の利く人物らしい。というのも生母はヴラドワ帝国の貴族ではなく、属国から嫁いだ王女なので皇室での立場は強くない。


 ヴラドワ帝国にも目下のところ、連絡船を送っている。ただ船が出て、また帰ってくるまで最新式の船でも1ヶ月以上はかかる。それまでハインツをもてなす必要があった。


 とりあえず小規模の、私的な晩餐会にハインツを招いた。すると「この機会にミアラ王国の諸公とお近づきになりたい」などと要求され、今度は大規模な舞踏会を開くはめになった。


「陛下、髪はどうされますか?」


 侍女のスザンヌが後ろからそっと声をかけてくる。ヴァレンティナは書類から顔を上げ、鏡台の大きな鏡越しに彼女と目を合わせた。自分がずいぶん難しい顔をしていたと気付き、口元に笑みを作る。その後ろでは、大勢のメイドたちが怯えたように整列していた。


「まとめてくれたら何でもいいわ」


 ヴァレンティナは舞踏会のためのドレスアップをしながら、書類仕事をしていた。ハインツに関して予算がかかるのはまだ良いが、政務の時間を取られるのは苦痛だった。


「陛下はどんな髪型でもお似合いですからね」

「ありがとう。スザンヌの技術が良いのよ」


 スザンヌは手際よく髪をアイロンで巻き、編み込み、豪華なドレスに似合う髪型を作り上げた。ある意味では、戦いの前の武装である。


「ああ、どうしてハインツと踊らなければならないのかしら?」


 絹製の手袋をはめ、ヴァレンティナはため息をついた。今夜の貴賓客はハインツ皇子であり、招待した立場上ダンスは避けられない。


「全く、彼って図々しい人ですよね。ダンスに乗じて足を踏んでやったらいいんですよ」

「そうね、チャンスがあれば踏んでやるわ」


 スザンヌに慰められ、ヴァレンティナは立ち上がった。メイドが差し出した、踵の尖ったピンヒールのパンプスに履き替え、想像だけでニヤリとした。




 舞踏会はつつがなく開始した。恒例行事でもない突然の王室主催の舞踏会だが、貴族たちは着飾って集まってくれた。もとより、どこかの貴族邸で数日おきに開かれているものだ。


 楽団による音楽が始まり、渋々とヴァレンティナはハインツ皇子と手を組み、ダンスを踊る。


「女王陛下は、やはりダンスもお上手なのですね」


 足を踏んでやろうと思っていたのを見抜かれたのか、ハインツは早速牽制してくる。いたずらっぽく微笑む鳶色の瞳は、恐らく魅力的と言えるだろう。もっとも、ヴァレンティナは初対面から彼を好ましく思えなかった。


「皇子こそ、大変リードがお上手です。きっとほかの方ならときめいてしまうでしょうね」


 彼の肌は北方にあるミアラ王国の人々より日焼けして男らしい印象で、その点でも貴婦人方の好意を集めていた。


「その仰り方ですと、陛下のお心には響いていないようですね」


 ぐっと、彼の逞しい胸板へと体を引き寄せられる。あくまでもダンスの範囲だが、ヴァレンティナは嫌悪感を催した。そんな自分にも嫌気が差す。


「私は女王としての責務に忙しく、恋愛ごとに費やす心の余裕がないようです」


 良い意味ではないが、ギラギラしたハインツの瞳に晒されるとなぜか正直になってしまう。自分は忙しいので、本当は遊んでる暇はないと直接的に伝えた。ハインツは深く共感したように頷く。


「心中お察し致しますよ。か弱い女性には、一国の王など荷が重いでしょう」

「男性なら軽いとお考えですか?」


 反射的に言い返し、ヴァレンティナは柳眉を寄せた。どれ程の苦労を重ねて知識と教養を身に付けたか、責任を一身に受ける気苦労も知らないくせにと、怒りで指先が冷えていく。


「すみません、また指先が冷たくなってしまいましたね」


 ハインツに包むように握られた手が、不快だった。


 ミアラ王国で女性にも王位継承権が与えられるようになったのは、ヴァレンティナの母の代からだ。妖精の血筋や能力とも関係があるが、彼女は女王にふさわしい人だった。母のようになりたいと、努力を続けている。


 1曲目の演奏が終わり、ハインツは礼をして、ヴァレンティナの手の甲にキスをした。手袋はしていたし、触れるか触れないかの形だけのものだが――彼から上目遣いで見つめられ、妙な感覚がした。自分が狙われた獲物であるかのような、不穏な気配だ。


「あなたを、お支えして差し上げたいと思っております」

「皇子が私をですって?」

「はい」


 ハインツは信じられないことに、ヴァレンティナとの婚姻を匂わせた。とても思いつきの発言とは思えない。長く練られた策略があるのではと窺ってしまう。


 ハインツから次のダンスに誘われたい貴婦人方にその場を任せ、ヴァレンティナはダンスホールを離れた。


「大丈夫ですか?」


 すぐにエルンストがやって来て、心配そうに休憩室の扉を開ける。ヴァレンティナはドレスの裾をさばき、ソファに腰かけた。


「ええ」

「ハインツ皇子と何をお話されたのですか?」


 甲斐甲斐しく冷えた水の入ったグラスを手渡してくれ、ヴァレンティナは不思議と心が温もるのを感じた。


「女王は大変そうですね、と」

「第7皇子なりの嫌みでしょうか? きっと陛下を羨んでいるのでしょう」

「そうかもしれないわ」


 ハインツがヴラドワ帝国で皇帝の座に就ける可能性は、ほぼ皆無だ。第一皇子が既に、後継者として皇太子に任命されている。もし皇太子に何らかの不幸があっても、第2から第6までの皇子が控えている。


 野心家なハインツが、別の国で王位を狙いたくなる気持ちもわからなくはなかった。ミアラ王国は独立しているが、氷の魔石の輸出で世界的に重要な地位にある国だ。


「ハインツ皇子は独身なのよね」

「そうですが」

「皇子は私に婚姻を迫るつもりみたい。思い違いではないと思うわ」

「なっ?!」


 エルンストは目を見開き、固まってしまった。もしヴァレンティナとハインツ第7皇子の婚姻が結ばれたら、ミアラ王国がヴラドワ帝国に従属するような形になる。この国に日夜尽くしてくれているエルンストが動揺するのは当然よね、とヴァレンティナは思った。


「嫌よね?」

「もちろんです、断固として反対します」

「ええ、私もこの国の安定した自立を損なうのは嫌よ。帝国の言いなりになんてなりたくない」

「それだけじゃありません」


 エルンストは許可も得ず、ソファに並んで腰かける。それだけ激情に駆られているのかとヴァレンティナは咎めなかった。彼の頬が紅潮している。


「どれだけ脅されようが、ティナが望んでいない結婚なんて、絶対にダメです」


 名を呼ばれ、身を案じられ、ヴァレンティナは嬉しかった。国のことで怒っているのではないようだ。


「そうね、何よりもハインツは好みじゃないのよ」

「いいことです」

「ハインツも私を好きとは思えないわ。だけど、船の事故も含めて策略がありそうね」


 ハインツの乗っていた商船は原因がわからぬまま浸水から転覆に至ったと語っているが、乗組員は奇跡的に全員救助できた。それは偶然近くにほかの船があったからだが、計画的に起こした事故の可能性がある。


「事故船は人が潜水不可能な深さまで沈んでしまって、はっきりした原因は究明できないでしょう。乗組員のいる迎賓館や宿に私の配下を送り、それとなく経緯や思惑を聞き出しております」


 沈没事故の表向きではない調査については、エルンストに全権を任せてある。ハインツ皇子の動きが、個人の策略なのか帝国全体の意向なのか、そこが問題だった。


「ティナ、ひとつお願いがあります。これからハインツ皇子と話すときは、私も同席させて下さい」

「そうね……エルがそう言うなら」


 エルンストには別で動いてもらった方が効率が良さそうだが、ヴァレンティナは断れなかった。エルンストがわざわざ非効率的な願いをするからには理由があるはずで、淡い期待が胸に広がった。

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