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ヴラドワ帝国の皇子

すみません、かなり間が空いてしまいました。

 報せがあってから、ヴァレンティナは可能な限り全ての船を動かすよう命令し、乗組員の全員救助に成功した。船自体は海の底に沈んだが、夏でも冷たいミアラ王国沿岸の海に落ち、全員助かったのは奇跡ともいえた。


 しかし、その中にヴラドワ帝国の皇族と名乗る人物が乗っていたため、ヴァレンティナが動く事態となった。


 その人物像はヴラドワ帝国の第7皇子だと言う。ヴァレンティナは馬車に乗り、王宮から港地区にある迎賓館へと向かった。


 皇帝や皇后などはともかく、第7皇子の顔までは、こちらに知れ渡っていない。また、正式な訪問の先触れもなかったが、帝国に確認を取る間、失礼があるよりはとヴァレンティナ自ら面会に赴いた。


 とりあえず皇子扱いしても、滞在費が少し上乗せされるだけで失うものは大してない。一方、皇子であるのに詐欺師扱いしては後が面倒だからである。


 ヴラドワ帝国は氷の魔石の主要な輸出先であり、逆撫でしたくたい相手である。また、彼らの乗っていた船を造船したのは、ミアラ王国であった。


 国土の半分が海に面するミアラ王国は、ヴァレンティナの主導で国営の造船所を作り、技術を高めてきた。それには母の海難事故の影響もあった。


 氷の魔石貿易で得た利益を研究に当て込み、今や世界一の造船技術を誇っている。おかげで帝国にすら船を売っていいたが、事故となると船の設計に問題がなかったか、責任の追及が始まってしまう。


 迎賓館の応接室に入ると、借り物ながらもある程度良い服を着た皇子が立ち上がった。赤っぽい鳶色の髪と瞳をした、美丈夫だ。日焼けした船長も恐縮して立っていた。


「女王陛下にお会いできて光栄です。ヴラドワ帝国第7皇子、ハインツ・フォン・メーリングと申します。この度は手厚い救助と心温かい応対、また陛下に御自らおいで頂き、誠に感謝に堪えません」


 彼の年頃はヴァレンティナより少し上、決して笑いすぎない品のある微笑み、胸を張った姿勢からの優雅な礼は、一般庶民ではないように見えた。海に落ちても外れなかったのか、高級そうな指輪もしていた。


「皇子にご挨拶申し上げます。この度は、大変な事故に遭いましたこと、心よりお見舞い申し上げます。お体がご無事で何よりでした」


 ヴァレンティナは着席を勧め、機会を察したメイドがお茶などをテーブルに並べる。その間に、ハインツは皇子だと信用してくれたことへの礼を重ねて述べた。今のところ、ミアラ製の船に瑕疵があったのではなどと責めるつもりはないらしい。


「それにしても、帝国の皇子が商船に乗っていらっしゃっていたとは知りませんでした」


 第7皇子とはいえ、帝国の皇族が来るとなれば本来は国賓として招かなければならない。ミアラ王国の治安は悪くはないが、港には喧嘩っぱやい荒くれものが多く、もしトラブルがあれば国際問題になりかねないのだ。


 嫌みともとれるヴァレンティナの発言に、ハインツはにこりと笑った。


「はは、7番目の皇子ともなれば、身軽な立場です。けれど、こうしてお美しい女王陛下にお会いできて私は幸運でした」

「まあ」


 船が沈んでいて、よくもそう言えるものだとヴァレンティナは呆れた。それでも儀礼的に笑みを作る。


「ただいま帝国に連絡を取っていますが、こちらにご滞在中はどうぞごゆっくりお過ごし下さい。また、お帰りの船もご用意します」


 早く帰って欲しい、と暗に込めた。


「ご厚情に感謝致します。ですがこうしてお会いできたのも何かの縁。よろしければ、女王陛下とまた歓談したいものですね」


 別に歓談の場ではなかったはずだが、ハインツは鳶色の瞳で、まっすぐにヴァレンティナを見つめた。


 立場で言えば、弱小国ながら女王のヴァレンティナが上だ。しかし、ハインツが本物の皇子なら背後に強大なヴラドワ帝国がそびえている。ことを荒立てたくなかった。


「日を改めて、ハインツ皇子を晩餐会に招待しますわ」

「楽しみにしております」


 始めは上品かと思ったが、ハインツは傲慢な人物に思えてきた。


 退室しようとするとハインツから手を差し出して握手を求められるので、仕方なく応じる。彼は硬く大きな手のひらだったが、急に両手で包まれてヴァレンティナは手を引っ込めたくなった。


「どうなさいましたか、皇子」

「妖精の血を引く氷の女王は、やはり手が冷たいのですね。この手で魔法を?」

「外が冷えていただけです」

「なるほど。温まって来ましたね」


 目を細めたハインツは、ヴァレンティナを査定するかのように視線を無遠慮に動かした。


 ヴァレンティナは退室してから手を洗った。




 王宮に戻ると、すぐにエルンストを呼び出した。彼には、国内にハインツと面識のある者がいないか探させていた。


「引退したマイヤー外交官が、ハインツ皇子と3年前に会っていたそうです」


 毅然とした表情を崩さないが、成果を報告するエルンストはどこかかわいらしいものだった。秘書官として当然の仕事なので誉めてとは言わないが、誉めて欲しそうに感じられた。


「ありがとう、よく見つけてくれたわね」


 本心から微笑むと、エルンストの口元が綻んだ。


「陛下の政策あってこそです」


 外交官を数名ヴラドワ帝国に居留させ、外交活動を行わせていたのはヴァレンティナの策ではある。ただ、いつでも他国の侵略をしようとしている危険なヴラドワ帝国の動向を窺うのは、為政者なら誰でも思いつきそうなことだった。他国もやっている。


「今夜はもう遅いので、明日にマイヤー元外交官が迎賓館を訪れ、確認を行う手筈になっています」

「そう」


 念のための確認はこれで終了だ。どちらにしても、ハインツが高貴な身分であるのは間違いなさそうだった。彼には、権威ある身分の者特有の傲慢さが染み付いていた。


「エルンスト、ひとつ聞きたいのだけど」

「はい」

「私って、偉そうかしら?」

「いいえ? 全く」


 質問の意図を探るように、エルンストは上目遣いになる。深い緑の瞳は、落ち着き払っていた。


「ハインツ皇子が横暴だったのですね」

「あなたには何でもお見通しね。悪口のつもりじゃないけど、晩餐会を要求されたわ」

「偉そうというのは、与えられた権利を超え、他者に過剰に何かを要求することだと思います。ハインツ皇子はまさに、偉そうですね」


 夜も更けてきたというのに、事故処理に追われたヴァレンティナとエルンストは未だに夕食を取れていない。一方のハインツ皇子は、迎賓館のシェフが作った食事をゆっくり楽しんだことだろう。最高のもてなしを命じてあるので、これから毎日悠々自適の生活だ。


「エルに皇子への先入観を植え付けてしまったわね。ごめんなさい、忘れて」


 同調してくれるのはありがたいが、悪口は良心が咎め、ヴァレンティナは女王らしくなく謝った。


「改めて申し上げますが、ヴァレンティナ陛下は、いつもお優しいです」

「そんなに誉めても、軽食を用意させる命令しか出ないわよ。二人分ね」

「かしこまりました」


 つまり、二人で食べようという誘いだ。エルンストは全て了解したとばかりに笑み、命令を伝えに一度部屋を出ていった。


 予定外の出来事ですっかり通常の政務が遅れてしまったので、これから取り掛からなければならない。その前の腹ごしらえという訳だ。


 ひとりになって、ヴァレンティナは大きく息を吐いた。


(エルは本当に気が利くし、優しいわ。でも、だからこそ)


 エルンストを純粋に好きかどうか、わからなくなってしまった。記憶にハインツの野心的な視線がこびりついている。他者を利用し尽くそうと検分する、すがめられた鳶色の瞳。


 自分にとって都合が良いから、エルンストを好きだとは、思いたくなかった。

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