こぼれた花びら 一枚目 歴史を学ぶ意味について
日本史や世界史について、学んでも生活や将来の仕事に役立たないと言う学生さんがいるようです。
憶えることが多く、難しい漢字や普段使わない言葉もたくさん出てきますし、勉強するのが大変だからでしょう。
興味がない人にとっては、外国語の呪文のようなものかも知れません。
なぜ私たちは歴史を学ぶのでしょうか。
理由は人によって様々だと思いますが、その一つを述べましょう。
東京という都市をご存知ですね。
日本の首都です。
東京都の区市町村や近県のベッドタウンの町にはたくさんの人が住んでいます。
都内の学校や職場に通っている人も多いでしょう。
両親や祖父母、妻や夫、友達や恋人など、東京と関係のある身近な人が、日本人ならきっといると思います。
あなた自身やそうした人々が生まれたのは、成長し生活できたのは、また彼等と出会えたのは、東京があったからですね。
では、東京は誰が作ったのでしょうか。
まさか、日本列島に人が住み始めた時からあの場所に大都市があったとは思っていないでしょう。
日本の全ての町は誰かが作ったのです。
桓武天皇が京都、つまり平安京を築いたのは有名ですね。
仙台は伊達政宗、広島は毛利輝元、どちらも戦国武将です。
東京を作った人も、もちろんいます。
日本人なら誰でも知っている有名人です。
ヒントを出しましょう。
東京がこの名前になったのは明治時代になってからです。
それ以前の名前はご存知ですか。
明治時代の前は何時代でしょうか。
そう、江戸時代です。
東京は江戸という名前でした。
皇居は昔は江戸城と呼ばれていました。
その江戸城を築いた人が、江戸の町を作ったのです。
誰だか分かりますか。
ヒントその二です。
江戸城の主は征夷大将軍でした。
江戸幕府の初代将軍は誰ですか。
徳川家康ですね。
江戸は交通の要衝で以前からお城や町がありましたが、家康が巨大なお城を造り、城下町を整備して発展の土台を築きました。
彼が征夷大将軍になって幕府を開いたことで、政治の中心地として大都市になっていったのです。
では、なぜ、徳川家康は江戸にお城を造ったのでしょうか。
それは、豊臣秀吉に領地だった愛知県の東部や静岡県などを全て没収されたからです。
かわりに関東をやろうと言われ、本拠地にするお城が新しく必要になったのです。
豊臣秀吉にとって、徳川家康は恐ろしい相手でした。
京都や大阪から遠ざけたかったので、関東へ追いやったのです。
その秀吉が天下人になれたのは、織田信長がやりかけた天下統一の大事業を引き継いだからです。
秀吉は足軽の子として生まれたと言われますが、信長に取り立てられ、後継者になりました。
つまり、東京という町ができたのは、信長・秀吉・家康のおかげなのです。
三英傑と呼ばれるこの三人がいなければ、あなたやあなたの大切な人は生まれなかったのです。
東京と直接関係なくても、テレビや映画やアニメ、そこに出てくる芸能人、書店に並ぶ本や雑誌や様々な商品は、東京があるから存在するものが多く、東京と全く無関係で生きている日本人はほとんどいないと思います。
今の日本があるのは、彼ら三人のおかげなのです。
さらに言えば、彼等は一人で戦ったわけではありません。
家族がいて、友達や仲間がいて、家臣がいます。
その人たちの力があったからこそ天下を統一できたのです。
また、さかのぼれば、信長の織田家は尾張の守護代の分家です。
主君に当たる守護の斯波一族は足利氏の一門です。
足利尊氏が幕府を開けたのは足利氏が源氏の血筋で、頼朝の鎌倉幕府の先例があったからです。
では源氏が武家の棟梁になれたのはなぜか、そもそも武士はなぜ生まれたのか……とたどっていくと、聖徳太子の時代に行き着きます。
このように、全てはつながっているのです。
東京以外の都市も、小さな町や村も、全てに作った人や、農地を切り拓き産業を興した人々がいます。
毎日食べているもの、乗っているバスや電車や飛行機や自動車、通っている学校や会社、使っているスマートフォンやパソコン、服や靴やかばんや文房具、聞いている音楽や読んでいる小説や漫画、テレビのアニメやドラマやお笑い、動物園・水族館・テーマパーク・映画館・料理店・病院などなど、全てのものには歴史があり、互いに関係があるのです。
そして、日本の社会の構造、世界の発展や抱えている諸問題と関わっています。
歴史とは、私たちの毎日の生活がどのようにして実現したのか、そこにどれだけ多くの人々が関わりどのような苦労があったのかの記録です。
歴史を知ることは、先祖が歩いてきた旅を学び、自分たちの今を知り、これから歩くべき道を考えることなのです。
また、日本で、世界で、出会う人たちにも、訪れる場所にも、歴史があります。
彼等の現在の生活や文化や社会の土台を知ることは、喧嘩や軋轢を避けてよい関係を築くのに役立ちます。
だから、歴史を学ぶのだと思います。
おまけとして、年号を憶える理由を示しておきましょう。
徳川家康(1543年生まれ)と同じ年(1616年)に亡くなった有名人がイギリスにいます。
シェイクスピア(1564年生まれ)です。
この二人は同時代の人物なのです。
『ハムレット』の初演は1602年かその少し前で、家康が関ヶ原の戦いに勝利して征夷大将軍に任じられた頃でした。
イングランドはエリザベス1世女王(1603年没)の時代です。
スペインの支援を受けたコロンブスが大西洋を横断して新大陸アメリカへ到達したのは1492年です。
ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸の南を回ってインドに到達したのは1498年です。
日本では1493年に明応の政変という、足利将軍を家臣である細川家が勝手に交代させる事件が起こり、戦国時代が本格的に始まったと言われています。
西洋の大航海時代と日本の戦国時代は同時期なのです。
ガマのインド到達から五十年ほど後、ポルトガル人が東南アジアを経て遂に日本に到達し、鉄砲などを伝えました。
この新しい武器に注目したのが織田信長で、戦いで活用して勢力を急速に拡大していきました。
また、江戸時代の終わり頃、日本の諸藩は武器の近代化を急ぎ、銃をたくさん海外から輸入しました。
新潟の長岡藩は、家老の河合継之助がアームストロング砲という新型の大砲やガトリング砲という機関銃のような兵器を導入し、戊辰戦争(1868~1869年)で新政府軍を苦しめました。
その少し前、アメリカで南北戦争(1861~1865年)がありました。
リンカーン大統領などの時代です。
この大規模な内乱の終結後、いらなくなった大量の銃や最新の武器をアメリカなどの商人が日本に売り込んだのです。
このように、海のはるか向こうで起こった事件が、日本の歴史に影響しています。
お隣の中国との関係はもっと密接です。
靖康の変(1126年)で北宋が滅亡し、翌年に南宋が中国の南半分に建国されました。
新しい都として臨安を現在の杭州に築くため、大量の木材が必要になりました。
平清盛は日本から木材を輸出して莫大な利益を上げ、それが平家の隆盛を支えたのです。
さらに、北宋時代の金の産地は敵国に奪われたため、南宋では金が不足しました。
奥州藤原氏は支配する東北地方で産出される金を南宋に輸出し、平泉を中心に大いに栄えたのです。
また、豊臣秀吉の二度の朝鮮出兵、文禄・慶長の役(1592~93、1597~98年)の際、困った李氏朝鮮は当時の中国の明に援軍を求めました。
大軍を派遣した明は、苦しかった財政が多額の軍費で一層悪化し、1644年に滅亡する原因の一つになったと言われています。
以上のように、年号を知ることで、同時期に他の地域で何が起こっていたか分かったり、複数の事件の前後関係から流れを見出したりできます。
……といった風に、理屈はどの教科にもつけられます。
同様に、学ぶ必要がない理由もこじつけられます。
「理屈と膠は何にでも付く」ということわざがありますが、そうした理屈を他人から聞くことにはあまり意味がありません。
自分でなぜ学ぶのか、学ばないのかを考えて納得することが重要です。
せめて、納得できる理由にたどり着くまでは勉強するのが、結局一番はずれがないと思います。
いくら文句を言ったところで、歴史の授業はあり、試験や成績も避けては通れないのですから。
過去を知ることは未来を考えるために必要です。
何かの土台がなくては、人は考えることができないからです。
情報や参考にするものや手本がない状態で頭をひねっても何も浮かびません。
自分自身や社会のこれまでと現在を見つめ直し、よい点や悪い点をはっきりさせ、今後どうするかを考えようとする時、歴史の知識はきっと役に立つと思います。




