『創作のお話』より 第二十五回 ひらめきと実行力
前回は、小説にはアイデアが必要というお話でした。
今回は、天才的なアイデアの出し方を考えてみようと思います。
取り上げるのは、軍師や政治家など、頭を使って奇抜な案を考えたり新しいことを思い付いたりする天才です。
さて、頭脳の天才とはどういうものかを考えましょう。
発想がすごい人として私が真っ先に思い付くのはニュートンです。
彼はリンゴの実が木から落ちるのを見て万有引力という発想を得たと言われます。
物が上から下に落ちるのは当たり前です。その光景を見ても、普通は疑問すら浮かびません。
なぜだろうと思っても、深くは考えません。分からなくても問題ないからです。
しかし、ニュートンはその現象に興味を持ち、理由を真剣に考えました。
これだけで充分にすごいです。既に凡人の行動ではありません。
しかも、「地面がリンゴを引っ張っているのかな。もしかしたら、リンゴも地面を引っ張っているのかも知れない」と考えました。
この発想の転換は、まさに天才です。
こういう特別なひらめきは分かりやすいです。
しかし、そうした発想が浮かぶ人は、小説など書かずに学問や技術の世界に進んで、既に天才と呼ばれているでしょう。
それに、常識を打ち破る斬新なアイデアを一般の読者にやさしく伝えようとすると、説明が論文のように長くなってしまいます。
ですから、こういうひらめきを書くのは不可能と考えてよいと思います。
また、前回も書いたように、アイデアはその場面、その物語のためのものです。
どんなに素晴らしいアイデアでも、その小説で使えなければ意味がありません。
逆に、荒唐無稽に思われても、その作品にふさわしく、より面白くするのに役立つなら、現実的なアイデアよりもすぐれています。
つまり、読者が楽しめればよいのです。
「ああ、そうか! 気が付かなかった! その発想はなかった!」
こう思わせることができれば、アイデアが真に天才的でなくても読者は満足します。
読者は世紀の発見や発明を小説に期待しているわけではありません。
では、こういうひらめき型のアイデアの書き方です。
これはさほど難しくありません。
まず、起こす現象や出来事、政策や作戦を決めます。
物語上の必要や意外性などが基準でよいでしょう。
例を挙げれば、密室で明らかに他殺の死体が見付かった、といったものです。
そうして、それを可能にする状況を作ればよいのです。
答えが分かっていて問題を作るようなものです。
しかも、必要な道具、使える技術や知識、登場人物の性格や行動などは自由に用意できます。
それを、読者に悟られないようにばらまきます。
ファンタジーでは特にこれがやりやすいです。
書きたい出来事や作戦に合わせて、世界のあり方や法則を調節できるからです。
ある意味ずるいですが、それがファンタジーの面白さだと思います。
作者はその世界を熟知していますが、読者は読みながらなかなかそこまで考えが及ばないので驚くことになります。
このやり方の場合、謎を解いた探偵や作戦を考えた軍師が天才に見えるかどうかは、書き方や見せ方次第です。
アイデアは新しさよりも読者の意表を突くことが重要で、いかに気付かれないようにヒントをひそませるかと、その天才の人物像と周囲の人々の反応にかかっています。
この時、アイデア単発でびっくりさせるよりも、物語の様々な要素と組み合わせて読者を楽しませ納得させる方が、作品としてよい仕上がりになります。
お風呂好きの人物が、お風呂へのこだわりや知識、使っている珍しい入浴用の道具をもとに発想して謎を解いたりするなどです。
ところで、ニュートンのようなひらめき型と違って、一見するとあまり特別には見えない天才もいます。
よく考えるとすごいのですが、やや分かりにくい場合です。
「コロンブスの卵」という言葉があります。
ある時、コロンブスは卵を見せて、「これをテーブルの上に立たせることができるか」と尋ねました。
人々はその方法を考えましたが分かりませんでした。
コロンブスは「やってみせよう」と言って、卵の下の部分を机の角にぶつけてつぶし、卵を立てました。
人々は「そんなことは誰でもできる」と怒りました。
コロンブスは言いました。
「だが、あなた方の誰も卵を立てられなかったではないか」
この逸話の要点はこうです。
「結果を見れば簡単そうなことでも、最初にやるのは常識を打ち破る柔軟な考え方や勇気が必要で、やってのけた人はやはりすごいのだ。」
地球は丸いのだから西へまっすぐ進めばインドへたどり着くはず、という発想は取り立てて斬新ではありません。
しかし、コロンブス以前に本格的に実行した人はいませんでした。
コロンブス型の天才は、英雄や偉人と呼ばれます。
この代表は、日本の織田信長です。
信長は石山本願寺との戦いで、敵に兵糧や兵力を輸送する毛利水軍に手を焼いて、鉄甲船を作らせました。
「敵は火矢を射かけてくる。ならば、燃えそうな部分に鉄板を貼って守り、矢より強力な大砲を積めばよい」
恐らく船大工達は笑ったでしょう。
「そんなことをすれば船が重く大きくなる。動かすには多くの人手と大きな帆が必要だ。そんな巨船を一隻作る金があれば、普通の軍船がたくさん作れるぜ」
ですが、信長は作らせました。そして、毛利水軍に勝ったのです。
長篠の合戦も同じです。
「鉄砲を大量に集めて連射し、敵の騎馬隊がこちらの陣にたどり着く前に全て倒してしまえばよい」
発想は実に単純です。
しかし、首を傾げる家臣達を動かして鉄砲や物資をかき集め、ねらい通りの場所に敵をおびき出し、柵で鉄砲隊を守る陣形を考えるなど、様々な工夫と計画があって、初めて実現できました。
鉄甲船も長篠の合戦も、すごいのは実行力です。
よいアイデアだと思ったら、笑われようと抵抗を受けようと跳ねのけて実行し、しかも結果を出しています。
口で、ああすればよい、こうすればよかったと言うのは簡単ですが、実行するのはひどく難しいのです。
強い意志で大勢の人々を動かして常識を打ち破り歴史を変えた人物は、やはり天才でしょう。
天才の考えた画期的なアイデアと聞くと、びっくりするような斬新なものを思い浮かべる人が多いと思います。
実際には、そういうものでなくても大抵は用が足ります。
それでも、誰も書いたことのないアイデアがどうしても必要になる時があります。
そういう時は、前回述べたように、論理的に考えるのがよいと思います。
少しずつ考えを進めながら、自分に問いかけるのです。
「もし、あれとこれが逆だったら?」
「現実には不可能なことができたら?」
「起きて当然のことが起きなかったら? 起きるはずのないことが起きたら?」
そんなことはあり得ない、不可能だと思っても捨ててはいけません。
そういうところにこそ可能性があります。
「誰もやっていないことは、過去に思い付いた人々が、馬鹿馬鹿しい、役に立たないと思って実行しなかったことだから価値がない。」
こういう考え方があります。
一理ありますが、ここに留まっている人は、決して新しい発想を生み出せません。
むしろ、これを逆手に取ることがアイデアを生みます。
人々が不可能と思うことが、どうしたら実現可能になるかを考えるのです。
つまらないと思われていることを面白くて説得力あるものにする方法を考えれば、誰も思い付かなかった新しいアイデアにつながるかも知れません。
例えば、拙作『花の軍師と白翼の姫』の合戦の作戦は、ある小説にあった会話がきっかけで思い付きました。
「敵の大将一人を倒せばこの戦いは終わる。お前、単騎で敵陣へ突っ込んで、大将を討ち取ってきてくれないか」
「そんなことできるわけないだろう! 大勢の敵兵が立ち塞がって大将までたどり着けっこない」
私は、やろうと思えばできるのではないかしら、と思いました。
そして、異常な武勇に頼らずに敵の大将に到達する方法を考え、作戦の原型ができ上がったのです。
全く新しいことを考え出す必要はないと思います。
誰でも思い付きそうだけれど実際には難しいこと、馬鹿馬鹿しくてできないことを、知恵と勇気と行動力と仲間との協力でやってのける人物を書けばよいのです。
エジソンは白熱電球や蓄音機を発明しました。
ですが、火を使わずに灯りを得たい、声や音楽を記録したいと思った人は、それ以前もたくさんいただろうと思います。
エジソンのすごさは、それを発想したことではなく、必要な理論や技術を考え出して実現したことなのです。
小説でも同じです。読者が不可能と思うこと、できたら面白いと思うことを、その世界らしい方法であざやかに実現する人物を書けば、天才に見えるかも知れません。
アイデアを出すのは作品を面白くするためです。
これを作者が忘れなければ、アイデアのもとは結構転がっていると思います。




