親と子どもと人身売買(下)
若い娘、それも十代半ば、下手したらもう少し若い少女ばかりを狙っている船があるというのは本当らしい。
そいつらのルートを爺さんが海図を出してきて説明してくれば規則性でなるほど次はシュプールかここだな、というのもわかる。どの場でも大量にかどかわすわけではなく、一人二人と少数で少しずつ消えていくから、かどかわしなのかどうかも判然としない。なるほどこれが本当なら、ばれにくい犯罪だ。
しかし変な話ではある。そんなことして嫌な言葉だが犯罪に対し実入りがあるのか。
「なあに。どうも相手さんは、それが本業というより商売の一環みたいに捉えている節がある」
爺さんはナイフの先でとんとん、とその船の辿っただろう、おおよその進路をつつきながら
「他の船のように貿易の商品を積んで、そっちの方の商売もしてる。これはちゃんとな。そのついでに立ち寄る港の高額な商品を現地調達と、まあ、こういうわけだな」
「――だが」
穏やかな顔で(だからこれが怖い)口を開くカールに、さよう、と爺さんは言い
「調達ルートはわかっても、捌くルートがわからん。十代半ばの小娘ばかりという辺り、どっかの富豪かなにかの個人的な依頼という線がかたい。船はこの期間で港町を回っている以上、寄り道したような形跡はなし。おらくまとまった数を集めてから一気に、と思っていい」
そしてここいらの家にはわしの名で厳命しとるので、ふらふら無用心にうろつく娘はない、だから囮作戦はいきる、と爺さんは結んだ。
小僧の話では勘だとかあれは化け物だとか、まったく要領えなくて信憑性がなかったが、爺さん本人の話を聞くとなかなかどうして、情報を十分集積してそれを元に理にかなった仮説を打ち立てている。
「こちとら部外者の手が欲しくてね。事が終われば情報でもなんでも提供しようじゃないか」
……まあ、放っておける話ではないし、カールさっきからすげえ怒ってるし、協力すんのは吝かではないが。
「だからってどうして俺が女装するんだよっ!」
ロイはもう涙目だった。
「お前しかおらん。よそ様の手だれは危険にさらしてもまあいいとして」
いや、よくはねえだろ。
「女の子助けるのに女の子危険にさらさせちゃ、海の男がたたねえってもんだろ」
「だからって俺が――」
「そうだねえ。ここいら、僕らが囮になる方がいいかもね」
意外なことを言い出したのはリットだ。一番小僧にその件で冷たかったのがリットだと思ったが。カールが首を横に振る。
「だってさあ、敵はやな言い方だけど商品には乱暴しないでしょ。でもロイ君が化けててそれがばれたら、ロイ君商品になんないから命にかかわんじゃない?」
確かに。人攫いが相手となれば口封じになる可能性が高い。しかしカールは首を横に振っている。
「そもそも、船を調べたらどうなんですか。囮とかせずとも」
そりゃ無理だろ。何隻あると思ってんだ。メイスの案はあっさり却下されて
「怖いのがここにこられても獲物が見つかんねえってケツまくられることだな。どうしてもここで調達しなきゃならんって道理はねえ。そしたらもう終わりだ。いくら俺でも他の港の管轄にゃ、手が出せねえ」
虎穴にいらずんば虎子を得ず、か。
まさにそれだ。別に虎の子なんぞ欲しくはねえが、今回は。うーん。確かに人質の危険性を考えるなら、ロイはやめといた方がいいだろう。本当に殺されかねん。場馴れしているリット、メイス辺りが確かに最適といえる状況だが――。メイスをちらっと仰いでやっぱりちょっと、と思った。そこで「お義父さん」もさっきから首を横に振ってることだし。んー。
「問題は僕がターゲットになりうるか、ってことだよね。基本的に綺麗な子ばっか狙われてんでしょ」
リットだけみんなより一歩勝手に話を進めて話している。カールがダメダメと首を振っているのがわざなのか本当に気付いていないのか見てない。ふーむと爺さんはリットを見て
「嬢ちゃんは、ちゃんとすりゃかわいくなる」
「……客観的判断として?」
「ああ」
わーいとリットが手をあげた。カールの首は横にちょっと一回転しそうな感じだ。お前も回転の極意を身に付けるのだろうか。
するとくるっとリットが目を向け、「カールちゃん僕がどうあっても可愛くならないっていうわけ?」
無視してたのはわざとだな、こりゃ。急いでカールが首を横に振る。
「お、俺守るから!」
「期待はしてないけどねー」
あははは、と酷なことをリットが言った。カールはまだ首を横に振っていた。
嫌がるロイを引きずって爺さんはひとまず港に戻ってから。カールのしつこい無言の抗議にリットが辟易して部屋に閉じこもって、晩飯になっても降りてこなくなった。おかげで俺は人に戻ってもメイスとカールと飯をつつけるわけだが。
「……」
飯の最中にもカールが無言で訴えてくるのでもう嫌だ。お前オレのこと投げたくせに!
「まあ……だからそういう事態にならないように、一応爺さん達も手を尽くしてくれてるわけだろうが」
「……」
メイスは関係ないのでサラダ食っている。元に戻ってもあんまり一緒にめしーとかはやんなかったんだが(食事を共にするには俺達の関係は生々しすぎる)、前に酒の匂いさせて帰って来たのがマジで腹が立ったらしく、最近目を光らせている。
「ドラゴンの森に行かせといて人売りはダメなわけですか? 意味がわかりませんね」
「……あれは、アシュレイたちがいる……」
メイスの容赦ない言葉にようやくカールが口を開いた。どうでもよさそうにメイスがサラダ食いを復活させた。
「お前、港じゃ匂いの嗅ぎわけだめなんだよな」
メイスはくん、と一度鼻を鳴らして
「ダメですね。人の後をつけるようなこともできません」
とすると匂いを嗅ぎつけて後からつける、というのもできまい。
「捕まえに現れたとこすぐ叩くのも――…」
「……船が特定できまい」
そいつらとっつかまえて吐かせるという手もあるが、万一逃げられたり吐かせられなかったりの場合は、みすみす敵を逃がしちまうことにもなりかねん。うーん。どうしても敵の前に囮を投げてそれを船に運びこませるのが一番確実だ。誰だっけな、肉食動物を狩る最適の時はその動物が獲物を狙っている時だって。
「まあ、俺が荷物に紛れてついてくからさ」
「レザーさんしばらく月夜じゃないですか。夜の場合、どうするんですか?」
夜はやめとく……わけにもいかん。
「というよりレタスの場合、レタスでなんの役に立つのですか? レザーさんが」
「だ、だから月が出たら戻ってだな――」
「事情を知らないリットさんの前で?」
……それは。
「……仕方ねえだろ」
そこまできたら俺も覚悟を決める。
「あなた方のこだわりと、こだわりがなかったことにされる基準は不明ですね」ま、同胞を売り買いする時点でわかりませんが、とメイスが言って席を立った。「お酒、飲まないでくださいよ」と念を押して二階に戻っていく。それをなんとなく煤けた気持ちで見送っていると、カールがぽんと肩を叩いた。
「なに?」
カールはうん、と頷いて「……互いに苦労する……」と紡いだ。……?
「なんの――……」
瞬間、メイスが階段を駆け下りてきた。白い影が滲むような速さで机に何かの紙切れを叩きつける。俺とカールは尋ねる前に視線を落とし、どちらも言葉もなく席を立った。
月夜の路地裏をメイスが歩く。一人で。闇にも白い姿で。見ていられなくてしかし目を離せるわけもなく、カールと俺は気配を消してそれを伺っている。やがて複数の潜めた気配が近づいてきた。ああ今すぐ出て行ってあいつら全員しとめてえ。
胸がかきむしられるような焦燥の中、気配は近づいてくる。来るな来るな、と無意識に唱えているのに気づいてそれはいかん、と我に返る。
そして影はメイスの前に姿を現し、突然の出現にメイスは一つ甲高い声をあげると深窓の令嬢よろしく倒れた。一瞬人影は驚いたようだが、口と手を布で縛ると(殺意わく)小脇に抱えて夜の中を踵を返す。あんな荷物を抱えてそのまま行くのかと思いきや、角まで走っていったところで止まっていた荷車に飛び乗って、荷車は何事もないようにからから動き出した。
それを見計らって、反対側の物陰からさっと同時に出てきて顔をつきあわせたカールが俺を見て一言。
「顔が怖い」
お前に言われたくない。
「――落ち着け」
低い声がすとんと落ちる。確かに逆上している状況ではない。夜の中をいく荷車はやがて船着場に出て、夜でも騒がしい船着き場を行きかう人足の中をいけしゃあしゃあと通っていく。ここまで来ると俺とカールももう隠れる必要はない。騒がしさにまぎれて犯罪を積んだ荷馬車はからからと通っていく。そして桟橋がかかった船着場で足を止め、箱を運び出し桟橋に足をかけ――
もう黙っている必要はないと、身を躍らしかけた瞬間
「レザー!」
鋭いカールの声と左後方で生まれた殺意に、俺は咄嗟に身をよじって手近な藁くずに倒れこんだ。舞う藁くずの中、一回転で身を起こすと、ふらっと月の光が作った影が揺れる。
俺の前には剣を掲げる男の姿。咄嗟にさらに左に避け、避けながら剣を抜いた。ここでようやく視認した相手は、人足の格好をしている。背後で気配が生まれたが、誰のものかわかってただ前だけを睨んだ。
「おびき出されたのは、こちらだ」
すぐ背後で複数の悲鳴と共に、カールの声がする。囲まれた。むっくと周りの人足も動き出し、思い思いの得物をとって距離を阻める。
不意に俺の視界の端に、嫌なものがちらついた。夜の中に張られた白い帆が月の光を返して光ってみえる。出航する気だ――
瞬間、すうっと頭が冷えて強く一歩踏み出した。何か言いかけていた男への間合いを瞬時に消し、中途半端に繰り出された剣を弾き飛ばす。柄で顔の横を思いっきりぶつけ、沈みかけた上体を髪をわしづかみにし引き戻し喉に刃をつきつけた。
「どけ」
周囲の人足に片手につかみあげた男をさらす。「俺を怒らせるなよ」
たじろぎ、けれどさらに向かってくるような素振りを見せた奴らに、やるしかないかとつかみあげた身体を突き放し、一瞬で駆け抜けた緊張感と共に、静止していたやりあいが再び勃発しかけた瞬間――
「なにしてやがるっ!!」
月が照らす夜の中を、聞きなれたしわがれ声が響いた。他の船乗りや人足がぎょっとした顔で見守る中、肩で風を切って堂々と進み出てきたのはオースティン爺さんだ。「そいつらは俺の客人だ! てめえら、仕事ほっぽりだして、どういう料簡だ!」
顔が利くというのも嘘ではないようだ。爺さんが姿を見せた瞬間、人足達に一気に衝撃が走り、殺意が消えた。周囲への警戒の必要がなくなった瞬間、俺はばっと振り仰いで港をみたが、船は俺達がこの人足とやりあっている間に、もう暗い海に滑り出していっている。泳いで追いつけるような距離ではない。
「船を出せっ!」
振り向きざま、俺はオースティン爺さんに怒鳴った。俺とは初対面のはずだが、爺さんは肝の据わった様子で
「なぜだ?」
言葉をつむぐのももどかしく、俺は声を散らせて夜の海に浮かぶ船に指をつきつけた。
「あの船が人攫いの船だ!! そしてあの船にうちの小娘どもと、あんたの孫がとっつかまってんだよ!」
閉じこもっていたリットの部屋に、人の気配がないことに気付いたメイスが、入ってみてそれをみつけた。簡潔に書かれた脅迫状だ。ロイ・ジュードをとらえた旨、その生命への脅迫、誰にも喋らず来い、というのが主な内容で、一房のこげ茶色の髪とくたびれたターバンが添えられていた。その髪を掴みあげ、爺さんはけったくそ悪い、と顔をしかめた。
「それでリット嬢ちゃんは誰に言わずに抜け出したのか」
「多分、見張り役がいたんだろ。リットにはそれを残すのが精一杯だったはずだ」
「ふむ。それであんたらはやむなく白い髪の嬢ちゃんを使ったわけか」
「出航されれば最後だ。時間がなかったんだよ」
「こりゃ、確かにあいつのターバンに髪だ。わざわざ俺の孫を囮につかった辺りは、あの二人はとっくに目をつけられていたってわけか」
チッと爺さんは舌打ちして、先行く船を見る。
「追いつけるか?」
「ま、なんとかならあ。こっちの方が速さもある」
爺さんは答えたが、俺は腹が立って腹が立って無言でその場にがしっと踵を打ち付けた。
「おう、気ィ立ってるな。あんたが港でワシのこと聞きまわっていたとかいう奴だな。あの娘の父親か?」
……
「二十四歳で十四、五の娘の親父になれるわけねえだろ!」
「おう、できねえもんか?」
「無理だっ!」
舳先でそんなこと言ってると、確かに船が少しずつ間合いをつめてきた。月夜が照らす夜の海は不思議に明るい。
「しかし、ウチの港の人足どもまで使って逆にあんたら足止めした、ってのもどうもきな臭ぇ。こりゃただのかどかわしじゃねえかもしれんな」
「……確かに不審な点が多い」
先に捕らえた坊主を囮にして首尾よくリットを攫ったのにさっさと船を出さなかった点。すると狙いは初めから「メイスか」
「おそらく」
「――っんでだよっ!」
思わず髪をガリガリかいた。メイスは確かに声をかけられるような容貌だし、この港町ではよく目立つ。しかしだからってここまでの労力をかけて手にいれるものか。今までの誘拐という事件自体さえはっきりしなかったような、ひそやかな犯行とはまったく異なっている。
「あの嬢ちゃんよお、白の魔術師とか呼ばれてんだろ、西の海でクラーケン倒したって有名になった」
「……」
「もしかしたらこのかどかわし、まったく違う意味をもってたのかもしれねえなあ」
「――……」
メイスの名が売れたのは、俺のせいだ。自分への悔しさと、あの船への悔しさにたまらなくなってくる。とりあえずただじゃすまさねえ、あいつら。
「やっぱ父親じゃねえか?」
俺の様子を面白そうに見ながら、爺さんが軽い口調で言った。
「ウチの息子もほんとガキのことに限ってはなあ、手がつけられねえ。あいつの留守中にこそこそする羽目になってよ。たかだか囮に使うだけだってのに」
どこの世界も親父はガキのことで苦労ばっかだなあ、と爺さんが結ぶ。
「あんた――」
現に今その孫が攫われているんだろうが、とあまりにのんきな調子に言いかけたとき、くんっと船のスピードが何かに後ろから引っ張られたよう、減退した。それにあわせて少しよろめいた。
「こりゃー、風が弱ってきたな」
「オイ――!」
「あせんなさんなよ、おっとさん達よ。俺がなんで孫を囮に使おうとしたと思う。あの通り、抜けたところがあるもんだが――」
瞬間、夜の海上に派手な爆音があがった。爺さんがニィと目を細める。
「捕まりっぱなしですませるような、やわな奴じゃないぜ」
舳先から見やると、船はもくもくと黒煙をあげていた。あれは――船底からだ。怒号と制止の声が風に乗ってこっちにまで届く。そして遠目に月明かりが煌々と照らす中、まるで浮かび上がるようにマストの辺りに小さな影が現れた。ロイだ。凄い速さで小さな身体は帆を伝い、ロープ一本のところをするする登っていく。やがて頂上付近になると、ロイは片手でしっかりロープを握り、もう片方の手に白刃を抜き払い、片っ端から辺りの縄を切断しはじめた。
「帆を――落とす気か」
抑揚のないカールの言葉を肯定するよう、足場のないマストの上で、ロイはおそろしく身軽だった。まるで体重なんかないようにちょこまか動き回っていたが
「ロイっ! そんな矢にあたるんじゃねえぞっ!」
突然、夜の海をとどろかす、爺さんの大音量の声がすぐ横から放たれた。ロイはこっちに気付いたらしい。そして下を見てて慌てて今しがみついているマストの裏に回った。とすっと、それまでロイがいた場所に矢が突き刺さった。
しかし、それも、次はなかった。甲板からふわっと人が浮かびあがった。そのまま人は運ばれて、海へと放り投げられていく。もうだいぶ近づいたとき、ひょいと船酔い体質も忘れたのか、リットが手すりに飛び乗ってこちらに元気に手を振った。
「こりゃ、ガキども三匹とも、なんの心配もいらなかったな」
慌てて手すりの影にしゃがみこんで隠れた俺に聞こえた爺さんの声は、顔を見ずとも誇らしげだった。
ひょこひょこと月夜の甲板を渡って白いメイスがやってきて、物陰に屈んだ俺をのぞきこむ。
「見学だか意地だか知りませんが大変ですね」
「うるせえ……」
気をつけながら木箱の陰から顔を出した。メイスをちょっと眺めやる。夜の中で月にさらされてメイスは普通そうな顔をして立っていた。その顔を見るとなんとなく。子どもを攫うとか売るとか買うとか、ほんとに嫌な話だったなあ、と思った。
「……怪我」
「はい?」
「……怪我、ねえか?」
「まったくないですね。言われたとおり、気絶する真似をしましたから」
「あー……」
妙に自分の感情をもてあまして、ちょっとうめいた後に、ぽんと頭を叩いてみる。メイスは少し目を見張り、それから今のは一体どういう意味なのか考え込んだようだ。
なんかどうやらお前が狙われてたみたいで。
それはお前の名を売っちまった俺のせいで。
罠にもちょっとひっかかっちまって。そういうことが口の中を回って。いえなくて。
やがて考えるのを放棄したのか、メイスは俺の肩辺りを見て、あーあこんなに藁くずをつけて、と言ってはらい始めた。藁くずというのは、船着場でつっこんだときの奴か。
小さなメイスの手が暗い中で白い蝶のように、ぱたぱたと俺の肩のところではためいている。横に首を振り続けたカールの気持ちが、不覚ながらちょっとわかる気がした。やがてメイスは手を離し
「船が出るまで音沙汰ありませんでしたし、なになさっていたんですか」
「ええっとな……」
言えない言葉がまだまわる。問いかけにちょっと乗り出した身を戻して、手すりの陰で俺は小さくなって
「ごめんなさい……」
と言うと、メイスはもっと変な顔をした。
「やー、ロイ君、なかなかすごかったよ」
最初攫われたってきいたときは、見捨ててやろーかと思ったけどさ。
そう言って一暴れした後のリシュエント・ルーはあっさり言った。まあロイのために危険を顧みず単身で向かったんだから言葉ほど薄情ではないだろう。
「ついたらもう縄切ってたし、僕の縄も切ってくれて、武器も調達してくれたしさ」
リットをおびき出す(その果てのメイスも)ための囮にあっさり捕まったという時点でなんかあれだが、船の中でロイはかなり活躍したようだ。船尾の奥の隠し部屋で捕まっていた少女が無事だったのもこいつのおかげのようだし、中型とは言えあんな長期航海用の船を一人で足止めした手はずはなかなか凄い。
「やっぱ船乗りは船の上だと違うのかな。なんでそれが初めからできないのかなー」
リットの言葉はロイの健闘を称えているはずなのに、時に冷風が吹き込むようひやっとくる。お前は褒めているのかけなしているのかどっちだ。
というか、これは八つ当たりかな。とふと俺は思い直した。衰弱して二階の部屋でまだ寝てる、船で発見された娘たちのために、カールはスープを作ったり毛布を運んだり、さすがに本職は宿屋の亭主なだけはあるのか、こまめにせかせか動いているから。
「す、すいません、ちょっと油断しちゃって……」
そのきつい目が直接自分にきたと思ったのかロイは顔を引きつらせた。つくづく可哀想な奴。
すると宿の扉をばたんと開き、あの爺さんが入ってきた。
「おじいちゃん、どうだった?」
「吐かねえな」
爺さんは言ってロイの横の椅子を引いてどっかりすわり
「どころか下手したら自害しかねえ状態だ。そんな真似はさせねえがな」
こりゃあいつが帰ってくるの待つしかないか、爺さんは顎を掴んでいった。あいつ?
「……助けられた女の子見たけどさー…。人身売買って感じかなー、あのチョイス。なんか特別きれーってゆーより普通っぽい女の子が多かった気がする」
「だなあ。あそこいらが発覚してなかった一つかもな。いかにもべっぴんが消えれば騒ぎになるが、なんで攫われるかわかんねえ者が消えると――うやむやに消えるわな。共通点とかも見た感じ年と性別以外ないしな」
「ありますよ」
ふと俺の上のメイスが言った。へ?
「あの人間達、どの子もそこそこの魔力を持ってますよ。魔術に関わってる人間はいないみたいですが、教育次第では一角――とは言えない者もいますが、それなりの魔術士になるでしょうねえ」
「魔力を……持っている?」爺さんが顔をしかめて「おい、嬢ちゃん、それはまちがいねえか」
「明白ですからね」
「こいつぁ、ずいぶん違う方向に帆を広げたな……」
「どういうことだろう……」
爺さんとロイが考え込んでいる。そういう顔はちと似てる。
「――ま。じっくり調べていくしかねえな。なんかわかったら知らせるとするよ。あの娘っこどもは心配するな。落ち着いたらきちっと家に戻す。もう各方面に向かう船乗りには伝言託しとるし、親も一安心ってとこだろ」
「と、遠いところの子は俺が送っていくよ」
心細いだろうしさ、とロイが言い出した。爺さんはそれを聞いてロイに目を向けて
「あー……まあ、それもいいが。せがれが帰ってきた時おめえがいねえと、まぁたなんか巻き込んだのかとか勘繰られるしなあ」
「行かせてあげれば? ロイ君はもちょっと外出た方がいーんじゃない? マゴマゴの世界から離れてさ」
「まごまごの世界ぃ?」
あっ、とロイが焦って制止しかけたが一足早くリットが
「おじいちゃんのマゴ、で自分の全部が決められちゃうような、狭い世界さ」
……。
すると爺さんはきょとんとして
「マゴって呼ばれてるって――。おめー、周りの連中に対して嫌がってたわけか?」
そこまで聞かれるとロイもどうやら観念したように
「い、いやだよ。どこ行っても爺が後ろにいるみたいでさ」
爺さんは狐につままれたような表情で、まじまじとロイを見て
「あいつらぁ、あれでも気ィ使ってんだぜ。お前を「息子」と呼ばねえだけ優しいじゃねぇか」
「へ?」
「船乗りのせがれなんてみんな「~の息子」だがよ、それも気ィ使ってみんなお前をわしのマゴ呼ばわりしてるだけな」
「はあ!?」
ロイが声をあげて「ちょ、ちょっと待ってよ! その言い方じゃなんだ、親父がおかしいみたいじゃないか!」
「あれも若い頃ぁやんちゃでな。ガキの頃は大人しかったんだが、図体だけでかくなると十里先の海賊どもと「目が合った」とか「相手が因縁ふっかけてきた」とか滅茶苦茶な理由で特攻かけてとっ捕まえた海賊どもせり出した板の上歩かせて逆海賊ごっことか悪ノリし放題」
「まっ、まてーっ!!! おっ、親父はまっとうなぁ船乗――」
「港の娘っ子に惚れて初恋航海とか浮かれた果てによれよれの海賊どもからたらふく強奪した金元手に娘――ってつまりお前のお袋だが、それ貢いでプロポーズ」
「俺の関わるところに犯罪持ち込むな――っ!!」
「お前が産まれた日にゃあ港中の船乗りを笑いながら手当たり次第にけちょんけちょんにして海に放り込んだ後、これからは権力に歯向かう時代だとかほざいて○×国の海軍に覆面船で襲撃。ありゃあさすがに肝ひえたなあ」
「親父―――っ!!!」
あいつが戻ってくりゃどんな奴でもゲロゲロ吐くぜ、と普通に言う爺さんの横、なんか色々なものを壊されたロイは頭を抱えて絶叫し
「堅実に牡蠣の密漁やってる真っ当な船乗りだと信じていたのにーっ!」
「いや、密漁の時点でダメでしょ」
真っ当なツッコミがリットから入った。あのおっさん人の良さそうな顔で密漁行ってたのか。この爺さんが息子のことだけは、妙に気にしてるのはそういう理由があったのか。
「あいつも若い頃のおいたがあまりにすぎて、そろそろふつーの親父になろうかと牡蠣の密漁で温和っぷり示してても、誰も警戒といてくれないってこぼしてて」
「だから密漁やってる時点でだめでしょ」
リットの二度目のツッコミにテーブルに伏していた小僧がバッと顔をあげ
「え、え? 密漁って、おおっぴらに偉そうに自分の獲物誇示するんじゃなくてそっと静かに誰にも気付かれないように獲物をとる、奥ゆかしい船乗りの漁なんじゃ……」
おどおどと顔をあげたロイに沈黙が落ちる。俺が言うのもなんだが、お前、可哀想だよ。
哀れな小僧にたいして小娘二人は冷たかった。
「君、バカでしょ」
「今まで父親の件ちっとも勘付いてこなかったわけですね」
ようやく真実を悟った可哀想な小僧は、しばらく机に突っ伏して起きなかった。アイデンティティとかそういうものが色々崩壊したようだ。しかし、灰から蘇る不死鳥のように小僧は多大な労力をふるって顔をあげ
「……お、親父がほんとはどうあろうと……俺、俺だけは真っ当な船乗りになる……っ!」
呟いた小僧はちょっと涙目だ。そんな小僧の肩をぽんとたたき、爺さんは朗らかに笑いかけた。
「お前の親父も昔はそれが口癖だったな」
「じいちゃんの、バカ―――――っ!!!」
ついにこらえきれなくなったらしく机に再度突っ伏して、可哀想なロイ・ジュードはわっと泣き出した。
色々と自分の大切なものが壊れた後、あの不思議な親子と白い髪の少女は旅立つことになった。探しているという情報を聞いた祖父は顎を撫で、赤い光を放つ玉ねえ、と呟き心当たりない? とちょっと心配そうに尋ねた黄色い髪の少女に向かい「全部書き出しといた方がいいか?」と言って十も二十も羊皮紙に書き付けて絶句させていた。少々、広すぎる情報網だったかと心配になる。
ああ、やがては自分もあんな滅茶苦茶な爺さんになるのだろうか。あんな父親を持っても父さんはまともだったから、きっと大丈夫と慰めてきたのに。父さんがそんなのだったらもう駄目かな。子どもって親のことで苦労ばっかりだ、とため息をついたとき
「囮は本当にへまして捕まったのか?」
と後ろから問いかけられてぎくりとした。そして言葉の意味に二度ぎくりとした。は、ははと笑い
「そういうことに、しといてください」
我ながら情けなく思う声に、風にふっと乗るように深みのある男の声が耳に届いた。
「あんまり身構えて生きるなよ。お前はお前だ」
父親とも祖父とも違う、けれど庇護の優しい声に、ふと振り向いたが少し離れたテーブルのところに白い髪の少女がいるだけだ。少女はこちらに気付いた様子もなく、傍らに何故かいつも持っているレタスを置いて、黙々とサラダボールをつついているだけで、背後には他に誰も見当たらない。隻腕のあの人の声でもないし、誰だろうと不思議に思ったけれど。
ふっとどこかを軽くしてくれた声のおかげで、去りいく旅人たちに向け、ロイはそれなりの笑顔で手を振ることができた。
親と子どもと人身売買<完>




