8.
「大奥様は御存命の筈ですが……」
ホルガーは若干訝し気な表情でそう答えた。
私が突然そんな質問をした事が不思議だったのだろう。
「筈と言うのは、確実ではないという事?」
「私も大奥様の姿を見たのは五年前が最後になりますので……」
元家令の返答を聞き、私はロンが祖母に会った時期と同じだと思う。
つまり彼女は孫を我が子と見間違え錯乱した日からこの屋敷を訪れていないのだ。
「じゃあその後どうなっているかもわからないのでは?」
「大奥様の療養先から定期的に請求が届いております」
「療養先?」
「はい、大奥様はアベニウス公爵家の別荘の一つで静養されております」
「静養ということは、大奥様は病まれているのね?」
「……はい、御子様を亡くされた衝撃で心を」
ある程度予想通りの回答だが、私の中で謎が深まる。
つまり次男アルヴァが亡くなった直後から先々代の公爵夫人は心の病になった。
なのに何故三歳になったロンに会わせたりしたのだろうか。
ロンには気の毒な結果になったが、彼女の病を知る者なら予想出来る展開ではあった筈だ。
(もしかしたら回復傾向にあって、それで大丈夫と判断したのかもしれないけれど……)
どちらにしろ今ここに責任を追及すべき人間は居ない。そもそも私にその資格があるかも謎だった。
本題は彼女のことではない。祖母とマーベラ夫人に傷つけられたロンの心だ。
「実はロン君がね、将来自分が平民になるかもと思っているのよ」
「……は?」
驚愕を隠しもせずホルガーは目を見開く。
確かに彼が驚くのも無理はないかもしれない。
公爵家の次男が平民になるなんてまず有り得ないからだ。
(平民落ちという言葉は嫌だけれど、マーベラ夫人はそのつもりで脅したのよね)
単に金持ちが貧乏人になるという意味だけでなく、下手したら犯罪者扱いのようなものだ。
それぐらいの理由が無ければ公爵家の子供が平民になるなんて普通は有り得ない筈だ。
ただこの家は普通ではない。
だからその場で強く否定出来なかった。
しかしホルガーの素直に驚いている顔を見たらさっさと否定しておけば良かったと今更思う。
「マーベラ夫人が怖がらせるつもりで平民にされるかもと嘘を吐いた可能性があるわ」
「そんなことは決して有り得ません、ロン坊ちゃまはアベニウス公爵家の次男なのですから」
「そうよね。それとロン君は絵を描くのが好きだけれどそれを止めさせるような命令は……」
「旦那さまからは一切されておりません。もしマーベラ夫人が制限していたならそれは彼女の独断だと思います」
「でしょうね」
こちらも予想通りだ。ケビンは自分の子供にそこまで興味を持っていない。
問題さえ起こさなければある程度は好きにさせるだろう。
つまり前家庭教師のマーベラ夫人が調子に乗り過ぎたのだ。
(彼女はロンをレオの奴隷に仕立て上げたかったのだものね)
ロンを奴隷候補と見ていたなら趣味を持つなんて贅沢なと考えても不思議ではない。
今彼女が目の前に居たなら容赦なく罵っている所だ。しかし彼女は既にケビンに処罰され顔を見ることも無いだろう。
ならばロンのケアをすることに集中するべきだ。
「なら私がロン君の誤解を解くわ。公爵様にはお願い出来ないでしょうし」
私が告げるとホルガーは申し訳御座いませんと頭を下げた。
謝罪の言葉を発するのは自分が家令だった時の失態だと認識しているからだろう。
マーベラ夫人の教育は何年も前から明らかに暴走していて、大人達が彼女を止めるべきだった。
私がそんなことを考えていると外から戸が叩かれる。
名乗る声はアイリだった。
ロン付きの侍女マーサが私の部屋に来たから呼びに訪れたのだろう。
「じゃあ私は別件があるから戻るわね」
「はい」
そう告げたが、聞きたいことが浮かんだ為口を開く。
「ああ、そうだわ。ロン君には公爵様の弟の件ってどこまで話しているのかしら」
「……私が尋ねられた時は、湖で溺れたとだけ説明致しました」
「ロン君に質問されたのは彼のお婆様が会いに来た日?」
「はい、アルヴァ様とは誰のことかと質問されたので」
「最後に確認だけれど、ロン君がお婆様の元に引き取られる予定は……無いのよね?」
私が確認する様に尋ねるとホルガーは「恐らく」と歯切れの悪い返事をした。
これはどうしても確認したいならケビン本人に確かめろという事だ。
ホルガーからこれ以上聞き出せそうなことは無い。私は彼の部屋を後にした。




