86.
公爵家の罪人たちを引き取りに王都から馬車が来る日。
「奥様、馬車が到着しました」
「……わかったわ」
アイリに言われ私は読みかけの本を閉じる。
そして公爵夫人室を出た。
今にも降り出しそうな曇り空の下、公爵家の門近くには数人の使用人たちが待機している。
カーヴェルと車椅子に乗ったホルガー、そしてクレイグと使用人ではないがレイン。
ホルガーの顔色は先程見た時より悪かった。体調も考え私室で静養するように言ったが頑として頷かなかった。
元家令としての責任感と罪悪感がそうさせているのだろう。
何なら立って待機しようとしたので私とカーヴェルで止めた。
彼らの前には馬車が二台停まっている。
窓に鉄格子がはめられている馬車にもアベニウス公爵家の家紋が入っていた。
恐らくマレーナたちを罰するのは法では無いのだろう。そんな予感がした。
王都にわざわざ連れていく理由すら私は知らされていない。
(レオたちは覗き見してないわね)
私は屋敷側の窓を見る。カーテンがきっちりと閉ざされていた。
レオとロン、それぞれの侍女には今日の件を伝え外に興味を持たせないよう頼んである。
新しく侍女となったシンシアにレオはすぐに打ち解けた。そのことに安堵する。
彼女はロン付き侍女のマーサにも敬意をもって接しているようで、侍女同士の仲も良好だと聞いていた。
新しく生まれた関係は上手く行っている。
今日は屋敷に長年巣食っていた澱みを追い出す日だ。
黒ずくめのローブを着た人物が鉄格子の馬車から降りて来る。
口元もマスクで隠されていて顔もよくわからない。正直不審者にしか見えなかった。
夜なら闇に紛れるだろうが、昼間にこの格好をしても怪しいだけな気がする。
「愚かな使用人たちをここに」
「カーヴェル」
「わかっている」
黒ずくめの男がくぐもった声で命じる。
硬い声でホルガーが息子の名を呼んだ。
カーヴェルは返事をすると屋敷に引き返す。
そして戻ってくる彼の後ろにはクレイグや他の屈強な使用人に連れられた罪人たちが並んでいた。
マレーナもブライアンもリーネも目隠しと猿轡をされ手縄をかけられた異常な姿だ。
そんな状態でもリーネは暴れ最早抱えられているような状態だ。
(……あの子も諦めの悪さが完全に裏目に出たわね)
マレーナ、ブライアンに比べれば比較的罪は軽い為地下牢には入れなかったが、彼女は屋敷から脱走しようとした。
父親に自分の盗癖を知られて罰せられたくないという理由で。
結果として一番厳重な拘束がされている。
マレーナは数日間ブライアンへの愛憎を吐き出し続けた結果声と体力が尽きたのか逆に大人しい。
それでもしっかり拘束されているのは、彼女の周到さと狂気が警戒されているからだろう。
馬車へ積み込むように連行される罪人たちを複雑な気持ちで見つめた。
女性陣を乗せた馬車の戸が閉まる。
最後に残ったブライアンはふらふらと酔うような足取りで中々進まない。
「おい、まっすぐ進め」
彼を見張っている使用人が注意した。しかしそれをブライアンは無視する。
(もう正気じゃないのかもしれない)
私は変なところで立ち止まり、くんくんと鼻を鳴らす彼を少し離れたところで見ながら思った。
しかし唐突にブライアンの顔がこちらへ向けられる。
私は一言も発していないというのに。見えない視線はこちらを凝視しているように思えた。
その鼻がひくひくと動く。
(もしかして……私の匂いを探していたの?)
その執着に恐怖を覚え、無意識に私は後退る。石にヒールが当たり、バランスが崩れる。
声を出したくなく悲鳴を噛み殺した。
「……っ」
後ろに傾いた肩を誰かの両腕に支えられる。
「大丈夫です」
その力強い手はカーヴェルの物だった。
彼の声に落ち着きを取り戻し私は沈黙を保つ。
「彼を馬車まで運んで差し上げてください」
カーヴェルが指示するとクレイグがブライアンを担ぎ護送車の中に入れた。
黒ずくめの男は何も言わず自らも同じ馬車に乗る。
全員無言のまま鉄格子の馬車は重々しく走り出し、間もなく見えなくなる。私は息を深く吐き出した。
「カーヴェル……」
有難うと礼を言おうとした時、あることに気付く。
漆黒の馬車が一台残っていた。馬車は二台だけでは無かったのだ。
そしてそこから男が一人出て来る。
黒髪に氷のような瞳の美男子、ケビンだった。
ホルガーが無言で車椅子から立ち上がりケビンに対し礼をする。今までの療養を水泡に帰すような行動に私は目を丸くした。
そして私以上に医者のレインが慌てる。
「ちょっと、まともに座る事すら出来なくなるよ!」
「黙れ、レイン」
医師としての注意をケビンが抑え込む。
レインは複雑な表情で彼を見つめた。
「ケビン、君は」
「お前に用はない、消えろ」
底冷えのする声と眼差しでケビンはレインを威圧する。
「……わかったよ」
レインは顔を僅かに青褪めさせると屋敷の中に入った。視線で詫びられ私は小さく首を振る。
寧ろ謝りたいのは私の方だ。
私たちのやり取りなど興味ない様子でケビンはホルガーを冷たく見下した。
「今回の件、一番の罪人はお前だホルガー」
「……はい、不出来な家令としてどんな罰も受ける所存です」
「なら今から馬車に乗り込め、自分だけの力でな」
顔色一つ変えずケビンはホルガーに命じる。
そしてホルガーは文句を言わずよろよろと歩き出した。
「遅い」
「も、申し訳、うっ」
そうケビンが呟くとホルガーは急ごうとして足を絡ませ転ぶ。
「父さん!」
「……動くな、お前も罰を受けたいのか?」
思わず叫んだカーヴェルをケビンが睨みつけた。
「だ、旦那様、カーヴェルは屋敷の維持に必要な使用人です、今回の件は全て私の管理下で発生したものです」
そう言いながらホルガーはよろよろと起き上がろうとする。転んだ時に怪我をしたのか唇から血が滲んでいた。
ケビンはそれを無感情な目で見ている。もう既にホルガーへの罰は始まっているのだろう。
もう無理だ。
私は黙っていられなくて口を開いた。
「笑ってしまうわ、弱い者虐めを罰と勘違いしているなんて」
恐怖で震えるかと思ったが、自分でもびっくりする程冷たい声が出た。




