82.
翌日、私は朝五時に目を覚ました。
そしてアイリに用意させた菓子を朝食代わりに腹に詰め込む。アイリにも同じようにさせた。
ドレスを身に着け、アイリに身だしなみを整えて貰う。
紅茶を飲んでいるとアイリがカーヴェルを連れて戻って来た。
「カーヴェル、ちゃんと食事はした?」
「はい、奥様」
彼の返事を聞き私はレオたちの部屋に行く。
アイリに用意していた合鍵で部屋を開けさせる。
レオの寝室まで誰にも見咎められず進んだ。
「アイリ」
「かしこまりました」
名を呼ぶとレオの寝室の鍵をアイリは開ける。
私はカーヴェルに目配せすると中に入った。
大きなクマの縫いぐるみがベッドの下に転がっている。
そしてレオ自身は何故か枕側に足を置いて熟睡していた。寝相が悪いにも程がある。
むき出しの足がひんやりと冷たい。レオがくしゃみをした。
複数人いるメイドの誰も夜中に彼の寝相を直し布団をかけたりはしないのだろう。
もう十歳だからと一人前扱いしているのか。それとも無関心さゆえか。
「レオ君、起きて」
私は彼を何回か揺さぶる。するとゆっくりとその瞼が開いた。
「レオ様」
カーヴェルが彼の名を呼んだ途端、レオの瞳が大きく見開かれる。
「カッ、カーヴェル……?」
「はい、私です、レオ様」
「カーヴェル!!ごめん、ごめんなさい……!!」
レオは瞳に涙を溢れさせカーヴェルに抱き着く。
ごめんなさいが言えるなら彼は大丈夫だ。私はアイリと二人でレオの寝室から出た。
すると寝間着にナイトガウンを着たマレーナと目が合う。
流石にいつもの得体のしれない笑みを浮かべては居なかった。
「え……?」
「ごきげんよう、マレーナさん」
「……奥様、今何時だと思っているのですか。流石にこの時間の訪れは非常識かと」
私は憮然とした顔のマレーナに微笑みかける。
「貴方、自分が常識を語れる立場にいると思っているの?」
「なっ……」
私が言うとマレーナは頬を赤くしてこちらを睨みつけた。
普段とは違い化粧をしていない彼女の表情はわかりやすい。
「浴室の天井」
私はぼそりと呟く。マレーナの表情が凍った。
「ああ、違った。脱衣所の天井だったわ」
「何を……」
「天井がね、開いてたわよ」
マレーナが蒼白な顔をして駆け出す。
行き先はわかっていた。
「そんな、ちゃんと閉めた筈……」
脱衣所の天井を呆然と見上げてマレーナは言う。
アイリはそんな彼女を無言で見つめていた。
この部屋の天井に隙間を作ったのは昨夜のアイリの仕業だ。
彼女が昨夜天井裏に入って確認した結果、三つの部屋が天井裏経由で行き来可能だった。
ブライアンの部屋と、今は使っていない倉庫代わりの空き室、そしてレオの部屋にある脱衣所。
それぞれの天井の一部が外れるようになっていて、丁度真下に都合よく家具が有るらしい。
公爵夫人室の天井裏は逆に外れないように釘打たれていたとの話だった。
何代目でそうなったのか気になったが確かめる術は無いだろう。
「ブライアンの部屋で話をしましょう」
私は薄笑いを消してマレーナに言う。
そして耳元で囁いた。
「そのままの姿で廊下に出たくないなら貴方は天井裏を使っても良いけれど」
私が言うとマレーナの頬に朱が走る。
噛みつきそうな表情に怖いわねと再度笑いながら私は顔を離した。
マレーナは怫然とした顔で廊下に出る。
私とアイリはその後ろを見張るようについて行った。
「扉は開いているわ、入りなさい」
ブライアンの部屋の前でマレーナに命じ扉を開けさせる。
「ひっ」
足を踏み入れた途端マレーナは小さく悲鳴を上げた。
ベッドには人が横たわり、その顔には白い布がかけられている。
掛け布団も首までかけている為先程のレオよりずっと暖かそうだ。
打ち覆いは日本風の行為だがそれでもマレーナには意図が伝わったらしい。
「ブライアンよ、今朝亡くなっていることに気付いたの。葬儀屋を呼ぶ必要があるわね」
私はそう言いながら入り口で立ち止まるマレーナの背をぐいぐいと押す。
アイリも加勢したので踏ん張りも虚しくマレーナは室内に入った。
そのままベッドまで突き飛ばそうかと思ったが面倒なので止めた。
「ブライアンが亡くなっているのに、何故そんなに楽しそうなの、おかしいわ」
マレーナが私を睨みつける。どの口が言うのだろうか。
彼女の計画が上手く行ったならブライアンはきっちり死んでいる筈だ。
しかし私はそんなに楽しそうに見えているのだろうか。確かに若干浮かれている気はする。
完璧に取り繕っていたマレーナの化けの皮を剥ぎ落す絶好の機会を今味わっているからだろうか。
「何故って聞きたいのはこちらの方よマレーナ」
私は後ろ手で扉を閉めながら彼女を睨みつける。
手際よくアイリが施錠した。カチャカチャという鍵の音をマレーナは青褪めながら聞いている。
「実はね、天井裏でリーネも亡くなっていたのよ。貴方が可愛がっていたメイドのね」
「私は可愛がってなんか……」
「物凄く苦しそうな表情で驚いたわ、何故あんな場所で死んでいるかもわからなかったし」
「そうですか……」
「カーヴェルが今朝突然目覚めたから天井裏から遺体を下ろして貰ったの、リーネの亡骸は今は空き部屋に置いてあるわ」
「空き部屋に……」
「本当に苦しそうな顔だった、この部屋から逃げようとして力尽きたのかもね」
私はブライアンの部屋の天井を見上げた。マレーナは逆に俯く。
「そうですか……彼女は手癖と心臓が悪いという噂でした。天井裏を使って各部屋に盗みに入ったのかもしれませんね」
「何故そんな噂のある人物をメイドとして雇っていたのかしら。しかも次期公爵の世話係として」
「それは……噂はあくまで噂ですので」
マレーナの唇にいつもの笑みが浮かびかけている。
彼女がいつもの調子に戻る前に私は追及を始めた。
「つまりリーネは突然死したって貴方は言いたいのね? ではブライアンの死因は?」
「きっとリーネが盗みを目撃されて反射的に殺めたのだと思います。ううっ、私は先達として彼女を管理できませんでした……」
マレーナは泣きそうな声で顔を覆う。
私は無感情に嘘泣きを眺めるとブライアンのベッドに視線を移した。
「部屋が暗いわね。アイリ、燭台に火をつけて頂戴」
「はい、奥様」
私が命じるとアイリはマッチで蝋燭に火をつける。少しすると甘い香りが室内に漂った。
「あら、良い匂いね、アロマキャンドルかしら」
「こ、これは……?」
表情を強張らせるマレーナを無視して私はアイリに話しかける。
そして彼女の手から甘く燻る燭台を受け取った。
「この部屋に使いかけで置いてあった物だけれど、ブライアンは良い趣味をしているわね」
そう言いながらマレーナに微笑みかける。次の瞬間燭台が宙を舞った。
マレーナが私の手を思いっきり引っぱたいたのだ。まるで別人のように必死な形相だった。




