79.
「奥様が直接ブライアンと話すことに私は反対です」
地下牢に赴こうとする私をアイリが止めた。
彼女が私の行動を諫めるなんて予想していなかった為一瞬反応が送れる。
「……どうして?」
「ブライアンが貴方にどんな汚い言葉をぶつけるかわからないからです」
アイリは真っ直ぐに私の目を見て言う。
それぐらい平気よと言おうとしたが出来なかった。
確かにブライアンは今非常に追い詰められている。
もう逃げられないと覚悟した結果私を好き放題罵倒する可能性は高かった。
罵倒ならまだしも卑猥な言葉を投げつけてくるかもしれない。
「だとしても、私しか彼を尋問出来る者は居ないわ」
私はそうアイリに告げた。彼女は不承不承と言った様子で黙る。
しかし地下牢についた私がブライアンを尋問することは叶わなかった。
「……ブライアンの意識が戻らないですって?」
地下室で私は驚きの声を上げる。
しかしその声にも椅子に縛られているブライアンが顔を上げることは無かった。
申し訳なさそうな顔を下男のクレイグは浮かべていた。
彼は私たちが地下室に入った直後からずっとこの表情をしている。
地下牢に入れて椅子に縛り上げていたブライアンが静か過ぎることに気づいた彼は、しかしこの場から離れることが出来なかったらしい。
見張り役はクレイグ一人しかいない為身動きがとれなかったのだろう。
「地下室の扉に鍵をかけて呼びに来てくれても大丈夫だったのよ」
「……扉は、一つだけじゃない、聞いた」
そうクレイグは答える。私はマーベラ夫人の尋問中に突然地下室に現れたケビンのことを思い出した。
成程、隠し扉があるのか。そして恐らくクレイグは場所までは知らされていないのだ。
後でホルガーに隠し扉の場所について問い質そうと思った。
「奥様、ブライアンはただ寝ているだけのようです……それと微かに酒臭いです」
「お酒?」
「はい、息がそのように臭います」
「つまり……ブライアンは馬車の中で飲酒していたってこと?」
私が呟くとクレイグは首を振った。
「酒、飲んで、ない……破った手紙を、食べようとした、止めた」
「手紙を食べようとした?」
手紙を食べることで目の前から消したかったのだろうか。その時点で正気では無い。
(もしくは手紙は囮で何か別の物を口に含もうとしたとか……?)
首を傾げる私にアイリが呼びかける。
「奥様、ブライアンのスーツのポケットからこんなものが」
そう言って指を出してくる、黒ずんだ破片のような物が彼女の指先を汚していた。
顔を近づけて観察しようとすると鼻にアルコールの匂いが入って来る。
「もしかしてこれって……酒で練った睡眠薬?」
アイリが指先で潰すと濡れた砂の様になる。先程ブライアンの部屋で見た粉薬を思い出した。
酒と睡眠薬の同時摂取は不味い。レインにお使いを頼んだことを後悔した。
「胃洗浄……は素人は絶対しちゃ駄目と言っていたわね」
前世で入院中にした世間話を思い出す。ブライアンは今のところ呼吸も安定して苦し気な様子も無い。
睡眠薬で眠っているだけに見えた。しかしアイリが思い切り平手打ちをしても目を覚まさない。
「こんな方法で尋問を避けようとするなんて……」
私は冷や汗を流しながらブライアンを見た。
酒で睡眠薬を練り固めることで飲み込みやすく、また吸収を速めることに成功したのだろうか。
(……でも本当にブライアンが自分で考えたことかしら)
私は考えながら持っていたハンカチでアイリの指先から粉薬らしきものを拭い取った。
これはレインに渡すつもりだ。即効性の毒薬などで無かったことに安堵する。
(まあ睡眠薬と酒を大量に摂取すれば死ぬ可能性は高いけれど)
しかしブライアンもその裏にいる人物もそこまでは選ばなかった。
私はアイリとクレイグに言う。
「ホルガーの所に報告に行くわ、誰か来たり何かあったら呼びに来て頂戴」
「かしこまりました」
アイリが即了承する。私は重い気分で地下室から出た。
そのまま歩いていると廊下の向こう側から見慣れた姿が目に入る。
「……マレーナ」
「あら、奥様ご機嫌……宜しくないようですね」
眉尻を下げ心配そうな顔を作っているが手で隠した口元はきっと笑っているのだろう。
アイリが先程ブライアンにしていたように彼女の顔を引っぱたきたくなった。
「そうね……ブライアンがとんでもないことを話してくれたおかげで最悪の気分だわ」
私は皮肉気に唇を釣り上げた。マレーナは表情を動かさない。
ここで驚いたり取り乱したりしないのが逆に黒幕だと白状しているようなものだ。
「まあ……家令補佐様はどのようなことを?」
「貴方には関係の無い事よ」
そう切って捨てようとして止める。そしてにこりと笑った。
「いえ、確かこう言っていたわね……奥様はあの女なんかとは違うって」
「まあ……」
「どの女と私を比べたかはわからないけれど、全く嬉しく無かったわ」
「……左様でございますか」
マレーナは口元から手を外した。丁寧に紅を差した唇は笑っていなかった。
彼女と擦れ違う時にふわりと香水の匂いがした。
「ブライアンと似た香りね」
そう囁く。
「気のせいですわ」
固い声でマレーナが返す。その答えで確信する。
先程の指摘は大嘘だ。私はブライアンの匂いなんて覚えていない。
だからこそベッドサイドの香油が私の香水と似た香りだったことに衝撃を受けたのだ。
余程強烈だったりしない限りブライアンの匂いなんてどうでもいい。
けれどマレーナは彼の香りをしっかり覚えていて、だからこそ違うと即答したのだ。
それが二人の関係の答えだった。




