69.
翌日、私はブライアンをホルガーが居る部屋に呼び出した。
「実はカーヴェルの意識がまだ戻らないの」
「えっ」
「それでレイン先生が、本当に過労なのかと疑問らしくって」
私が話を振るとレインがもっともらしく頷く。
「奥様は君から玄関ホールでカーヴェルが倒れていたと報告を受けたらしいね」
「は、はい……確かに倒れて……」
「その時彼は俯せと仰向け、どちらの姿勢だったかを教えて欲しいんだ」
「姿勢? それは、その……覚えておりません」
ブライアンはもぞもぞと答える。
それを私もレインも、そして予め事情を説明済みのホルガーも冷めた目で見つめた。
けれどブライアンはそのことに全く気付いていないだろう。
私たちから逃げるようにその視線は自分の足元だけを見つめていたのだから。
「仰向けの場合、後頭部を強打した可能性があるから大きな病院で精密検査をする必要があるのだけれど」
「たっ、多分、いえ恐らくは俯せだったと思います!」
「先程覚えていないと言っていたけれど?」
「いえ、思い出しました! 私が行った時はちゃんと彼の顔が見えておりましたので!」
「そう……なら今のところ様子見するしかないね」
レインが話を収束させる。ブライアンはあからさまにホッとした。
彼女から世界一の愚か者を見るような眼差しを向けられていることに全く気付いていない。
「それでカーヴェルが目覚めない間は貴方が家令を代行して欲しいの」
私の言葉にブライアンが目を見開く。
「わ、私がですか……?」
「ええ、貴方しか適任はいないもの」
微笑んで告げる。ブライアンの頬が紅潮してきた。
そこまで家令のトップになることに憧れ執着していたのかと改めて驚く。
「その旨を他の使用人たちにも通達して頂戴。カーヴェルへの見舞禁止の旨も。暫く大変だろうけどお願いね」
「奥様……かしこまりました!」
元気よく答えブライアンは部屋から出て行った。
後には微妙な沈黙が残される。
「……あんなわかりやすい態度の人間が家令は無理じゃない?」
レインが呆れたように言う。
確かにホルガーはケビンが屋敷内に潜んでいることを私に隠し抜くことが出来た。
そんなことはブライアンには無理だろう。
「でも私も驚いているのよ。普段は本当にやる気の無い態度だったから」
ここまで家令になりたがっていたとは思わなかった。そう返して私は苦笑いを浮かべた。
原作を知っている立場でもブライアンの態度の変わり様には驚く。
(カーヴェルを追い落とすにしてもまず自分がバリバリ働いて有能ぶりを見せつけるのが前提でしょうよ)
当初はブライアンがカーヴェルを妬んでも多少は仕方ないかと思ったが、今はそんな気持ちは霧散している。
必要最低限の業務を渋々やっている人間にその資格は無い。
「一時的にでも念願の家令になれたのだし、今までとは別人のように働いてくれるかしらね」
大して期待せずに口にする。瞬間的にはそうなるかもしれないが、どうせ又元の態度に戻るだろう。
私は前家令だったホルガーに視線を移す。
「……私は、本当に見る目の無い。まさかブライアンがあのような男だったとは」
既に私とレインから事情を話していたがブライアンの喜色満面の顔が余程ショックだったらしい。
更に彼はカーヴェルがまだ目覚めないことに対し心配するようなことは一切言っていなかった。
眠り続けていることに対し不審な態度は取っていたが、あれは予定と違うことに対する焦りだろう。
(そしてその焦りすら自分が家令代行になれる喜びで忘れてしまうなんてね)
使用人たちにカーヴェルの状態を通達するよう命じておいて良かったと思う。
そうでないとブライアンは浮かれすぎてマレーナやレオたちにさえ報告しなさそうだ。
「私もすぐには気づけなかったから仕方がないわ」
私はホルガーを慰めた。彼にはまだ色々働いてもらう必要があるので意気消沈され過ぎるのも困る。
(しかし最初の頃にブライアンの嫉妬心を抑える為色々気遣ってたのが馬鹿馬鹿しいわね)
寧ろそのせいで若干舐めた態度を取られているのかもしれない。
ブライアンが私の耳元で囁こうとしてきた時のことを思い出し鳥肌が立ちそうになった。
「でもあの喜びよう、家令として動けるのが自分一人になったことに全く気付いていないわね……」
カーヴェルとブライアンとホルガーの三人態勢でも大変だったのにと私は溜息を吐く。
「あの男は何日ぐらいで泣き言を言ってくるのかしら」
私はブライアンが意気揚々と出て行った扉を見つめ呟いた。
その二十時間後にもう無理ですと言われることになると、その時の私は流石に思っていなかった。




