40.
「そういえば公爵様の出立準備とかは大丈夫かしら」
「ご心配なく、ブライアンに手配させております」
ふと気づいた疑問を口にするとホルガーは明朗に答えた。
「公爵家の財務運用や全体の管理は私がここで行いつつカーヴェルに引き継ぎますが、他はブライアンに任せられるかと」
「私は話したことが無いけれどブライアンって有能なのね」
「そうでなければ家令補佐は務まりませんから」
笑顔でホルガーは言う。彼は完全にブライアンを信用しているようだった。
当のブライアンはその信頼などあっさり裏切りホルガーの息子カーヴェルを排斥しようとするのだが。
有能だからこそ自分より未熟な者が上に立つのを許せなかったのだろうか。
「そんなに優秀なのに家令にしようとは思わなかったの?」
私は尋ねる。ホルガーは少し驚いた顔をしてから苦く笑った。
「ブライアンは屋敷に勤め始めてからすぐ結婚を致しました」
「独身じゃないからってこと? それなら貴方も……」
「私は妻の死に目に会いませんでした」
今度は私が驚きを表情に浮かべた。ホルガーは淡々と言葉を続ける。
「彼女は流行り病で亡くなりましたが、私を呼ばなくていいと家族には伝えていたそうです」
ホルガーの言う家族に恐らく彼は含まれていないのだろう。
前世でも仕事に全力過ぎて家庭を顧みない人間は居た。
ホルガーは公爵邸に住み込みで働いている。更に腰を痛めているのにろくな治療もせずに働き続けていた。
そんな彼が仕事と家庭を両立できているとは確かに考えられない。
「葬儀の際、長男には怒鳴られました。頼りにならないと妻に認識されたのは私の行動の結果なので当然です」
しかしブライアンにはそういう過ちを犯して欲しくないのです。
真摯な目をしてホルガーは言う。部下想いの良い上司に見えたが、ならカーヴェルはどうなるんだとも思った。
「その場合カーヴェルは大丈夫なの?」
「あの男は昔から結婚するつもりは無いと言っておりました。家令を継ぐことと、その上で私と妻の関係を見てそう決めたのでしょう」
「そう……」
ならそれ以上何も言えない。少なくとも現状は。
だったらもっと前から公爵邸で働かせて使用人たちとの関係性を作っておくべきだとは思ったが指摘はしなかった。
多分ケビンが何かやらかしたのだ。
「公爵様が手紙を読んでカーヴェルの名を意味深に呟いていたけれど、あの二人は何か因縁でもあるのかしら?」
「旦那様が……?」
「ええ、ただ呟いたことを私には知られたくなかったみたいだけれど」
「奥様には知られたくなかった……そうですね」
ホルガーは戸惑いつつ考え込み、そして口を開いた。
「カーヴェルが十代の頃、公爵邸で従僕として働いていたことがございます」
「従僕ということは……公爵様の身の回りのお世話を?」
「そうです、ただ旦那様が……奴のリリー様を見る目が気に入らないと仰って」
私は言葉も無く呆れた。ケビンの中から嫉妬と独占欲を消したら何が残るのだろうと思った。
答えは簡単で無関心だ。レオとロンへの対応でわかる。
つまりカーヴェルは昔からホルガーの跡を継いで家令になることが決まっていて、本人もその覚悟をしていた。
だから十代の内からアベニウス邸で働いて経験を積む筈だった。
しかしケビンが「お前俺のリリーを何で見てんだ」と嫉妬して公爵邸で働けなくなったと。
私にさえカーヴェルと浮気するなよみたいに釘を刺していたぐらいだ。
愛しのリリーにまだ少年なカーヴェルが話しかけただけで浮気扱いして発狂したのかもしれない。
「ただ今ならもう……いえ、旦那様も落ち着いた年齢になったので大丈夫だろうと思います」
本当はケビンの年齢じゃなく妻に対する愛情の差で判断したのだろう。途中言い淀むホルガーに思う。
「そうね。私もそう心から願うわ」
「私もです」
「あとブライアンにだけれど、家令になることのリスクを伝えて欲しいの」
私がそういうとホルガーは目を丸くする。
「リスクをですか?」
「正確には貴方の彼への気遣いをね。妻帯者のブライアンでなく独身のカーヴェルを家令に据える理由を話してあげて」
「……奥様が仰るのなら」
とりあえずといった感じだが、ホルガーは頷いた。
これでブライアンの「何故自分では無くカーヴェルが家令なのだ」という不満が収まることを願いたい。
(もしそれでもカーヴェルに嫌がらせをするようなら、能力は惜しくても解雇しかないわ)
しかしその場合家令補佐を新たに選定しなければいけない。
私はブライアンが賢明な判断をしてくれることを願った。




